彼の姓は「たにがわ」ではなく「たにかわ」だそうである。以前テレビで司会のアナウンサーが「たにがわしゅんたろうさんです」と紹介した時、「いいえ、ぼくは、たにかわです」と、わざわざ訂正していた。やはり言葉を大切にする人は違う。
谷川俊太郎は1952年に「二十億光年の孤独」と題する詩集でデビューした。人間の内的感情を宇宙的広がりの中に同化させようとする独特の作風はきわめて斬新なもので、当時の人々をあっと驚かせたという。あの三好達治も深く感動し、「二十億光年の孤独」の冒頭に寄稿詩を掲載することを自らかって出たというくらいだ。
宇宙的感覚というのは、例えば次のような詩のフレーズに代表される。
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
「二十億光年の孤独」より抜粋
この詩を初めて読んだとき、何か得体の知れぬ漠然としたショックに襲われた。当時そろそろ大学受験のことが気になりはじめ、志望校の選択に迷っていた僕は、そのショックを契機にさらに迷うことになった。手塚治虫の「火の鳥」を読んだのもちょうど同じころだった。当時は文学部志望だったが、宇宙だとか素粒子だとか生命の神秘とかいった理科系の事象に、がぜん興味を引かれた。文学と自然科学との微妙な接点、それは言い換えれば、精神世界と宇宙空間との接点でもある。
ついでにもうひとつ引用しよう。
人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう
(中略)
一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もなお続いている
そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる
「祈り」より抜粋
結局、文学も自然科学も同じようなものだと安易な結論に達し、僕は大学の理学部へ進むことになった。当初の予定どおり文学部に進んでいれば、今とはまったく違う職業に就き、まったく違った生活を送っていたことだろう。人生においてもっとも多感なころに接した文学などの影響は、その後の人生を大きく左右するものである。
この人のせいで僕は文系から理系へと方向転換をし、数学が出来なくて困り、大学へ入ってからも(理学部なのに)数学や物理がまったく解らなくて苦労した。結局のところ理学の道には挫折し、就職の際にはそれに近いと思われる農学系に進むことにした。はやり数学や理科は苦手で、今はもっぱら事務屋のような仕事に徹している。しかし、農業とは、自然と人との接点に位置するなりわいであり、僕は遠回りをしながらも自分の求めていた世界に近づいてきたように思っている。
谷川俊太郎の詩は、時には論理的であり、読み手に対する強い説得力を備えているが、その全容は「人間」という存在物の持つさびしさとやさしさに包まれている。彼の詩は常に平易な言葉で綴られ、その平易さの中にとてつもなく巨大で難解なテーゼが潜んでいるのである。
また、一方で彼はマザーグースの訳を試みたり、「イルカいないか、いないかいるか」などといった「ことばあそびうた」に取り組んだりもしている。彼は思想家であると同時に、言葉という生きた道具を巧みに操る優秀な技術者でもある。ちなみに、「空をこえて~ ラララ 星のかなた~」という鉄腕アトムの主題歌は彼の作詞によるものだし、漫画「スヌーピー」の翻訳者としても知られている。
詩人というのは、ずいぶん楽な商売に見える。小説家やシナリオライターなどに比べると扱う文字数ははるかに少ないし、取材や事実関係の調査などもあまり必要ないだろうから、実労働時間は短くて済みそうだ。しかし、それだけに、詩人の生み出す言葉はそのひとつひとつが重く、大切に磨き抜かれたものでなければならない。変な例えになるが、小説家が原稿用紙1枚につきナンボの商売だとすれば、詩人は1文字につきナンボの商売である。詩を構成している文字や言葉は、研ぎ澄まされた感性や深い洞察力によって選び抜かれたものであり、それはいわば詩人の魂の結晶である。だから、僕は詩を読むときは、ゆっくりと、できるだけゆっくりと読むようにしている。
作者はこの詩を通じて何を訴えようとしているのか、この比喩はどういうことを表現しているのか、・・・そんなことに頭を使う必要はない。上等の詩は心地よい音楽と同じように、直接に読み手の感性を揺り動かしてくれるものなのである。谷川俊太郎の編み出す言葉には、理窟抜きに不思議な魅力がある。
最後に僕の好きな詩を全文掲載しておこう。
沈黙
愛しあっている二人は
黙ったまま抱きあう
愛はいつも愛の言葉より
小さすぎるか 稀には
大きすぎるので
愛しあっている二人は
正確にかつ精密に
愛しあうために
黙ったまま抱きあう
黙っていれば
青空は友
小石も友
裸の足裏についた
部屋の埃が
敷布をよごして
夜はゆっくりと
すべてを無名にしていく
空は無名
部屋は無名
世界は無名
うずくまる二人は無名
すべては無名の存在の兄弟
ただ神だけが
その最初の名の重さ故に
ぽとりと
やもりのように
二人の間におちてくる
やもりのように落ちてくる神様というのは、なんだか魅力的だ。こんな神様だったら信仰してもいいなという気になってくる。