****** BLOG ******

エッセイ,
活動記録,
その他いろいろ,

 ♪♪♪ H.Tokuda

海への想い

2018-07-15 22:34:03 | エッセイ


 海の見える町で暮らしたことがないのに、潮風の香りに不思議な懐かしさを覚える。遠い先祖は海を渡ってやって来たんだなぁと実感する。

  やっと見つかった!
  永遠というもの
  没陽といっしょに去ってしまった
  海のことだ

 アルチュール・ランボーの詩の一節。青春多感なりし十代の終り頃、意味が分かったような分からないようなこのフレーズに、ひどく感動したことを覚えている。海に沈む夕日が見たくて、信州からわざわざ電車に乗って日本海まで出掛けたこともあった。
 水平線へとろけるように沈んでいく夕日。この壮大な光景が何十億年ものあいだ毎日繰り返され、さらにこの先も続いていくのかと考えると、まさに「永遠」という言葉が似つかわしく思えてくる。

 太古、最初の生命体は海で生まれた。生物たちは海の中を行き来しながら進化を続け、やがて陸上へと進出した。生物進化の頂点に立つわれわれ人類においても、その血液中の塩分濃度やカルシウム、マグネシウムなどミネラル成分の含有量は、海水とほぼ同じ割合になっているらしい。母なる海は今なお僕たちの体内にその根源をとどめ、生命の躍動を司っている。
 京都、松本、大津、守山と、海のない町でばかり暮らしてきた。そういう僕でさえ海に対して懐かしい親近感を抱くのは、遺伝子に組み込まれた遠い記憶のせいなのかと感じる。

 「海」という言葉の由来は、「産み」と関係しているのではないか? ふと思って調べてみたところ、そういう説もあるが有力ではないと記述されていた。「う」は「大きい」という意味で、「み」は水を意味するというのが定説らしい。また、古くは海のことを「ワタ」と言い、ワタツミ(海神)やワタライ(度会)などの語が今も残っている。「ワタ」は古代の外来語であり、朝鮮語ではpata(海)、オセアニア語ではwata(大海)、ハワイ語ではwaka(小舟)などの類似語が東南アジアから太平洋諸国に広く分布しているという。

 古代、日本人の祖先は広い海原を彷徨った末にこの島へたどり着き、その子孫はたえず海の恩恵にあずかりながらこの国の維持・発展に努めてきた。古くから伝わる祭事や祝儀などにアワビ、イカ、昆布など海産物を用いていた習慣が残されていることも、人々が海と共に生きてきたという証しだろう。
 異国からの侵略を受けず、鎖国政策を長く続けることができたことも、海で隔てられていたおかげだ。その結果、わが国独自の文化が生まれ、島国根性が育った。潮風や磯の香りに接していると、こうした長い歴史の先端に、いま自分がつながっていることを実感させられる。

 海の見える町で暮らしたいと思うことがある。琵琶湖のすぐ近くで暮らしているが、海と湖とは根本的に違う。川の水は山や田畑や町を流れて海へと到達し、やがて蒸発して雨となって地上に降り注ぐ。海はすべての始まりであり、また終着点でもある。
 海に沈む夕日を眺めて、永遠の時の流れを実感しつつ、今という瞬間を生きる偶然に感謝したい。海への想いは尽きない。