門司港生まれのB高Diary

Teacupの閉鎖に伴い3月にこちらに引越してきました。
主に趣味・旅を綴っていますで、よろしくお願いします。

WBC(ぼやき)

2009年03月05日 | スポーツ野球
ワールド・ベースボール・クラシックと言う大会が始まりました。
日本選抜は「侍ジャパン」と言うそうです。

野球ファンの私ですが、オリンピック同様、あんまり興味のない大会ですね。
ワールド・ベースボールとは言うものの、野球をやってる国がどれだけあるのか?と言いたいくらい。
さしづめ「環太平洋大会」と言うくらいのものだと感じております。

野球は攻撃側もベンチで休むような変則的なスポーツで、その国独自でやってればいいのです。ストライクゾーンの違い、ボールの違い、バットの違いなど、その国によってルールが違うのですからね。

これで大騒ぎするのもどうかと・・・・
コメント (5)
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マスターズリーグ

2008年12月29日 | スポーツ野球
28日の日曜日に、名古屋ドームで今年最後の野球観戦マスターズリーグに行って来ました。
今年度は、冠スポンサーの問題もあり全試合10試合、名古屋でもこの28日の名古屋-東京戦が最終戦となり少し寂しい限りです。

この所のマスターズリーグは選手が若返りを図っており、30,40歳代の選手が多く見られます。つい最近までプロ野球選手として活躍していた選手も多く、これまでベテランに頼り、いわば昔を懐かしむファンだけの観戦であったものが、若い野球ファンも応援してくれているように感じ、裾野を広げる意味ではいいのかなっと思います。

この日は、名古屋の先発投手は私と同年代の小松辰雄、もちろん中日ドラゴンズ一筋の選手、観客も盛り上がる事必至。しかしながら、前回に引き続き1回途中(すぐ)で交代。この交代はひょっとしたら・・・と言う予想的中の展開で試合は進みました。・・・・試合の方は、接戦で最終回へ。

最後はなんと、満塁からの押し出しサヨナラ四球と言う、公式戦では罰金もののエンドとなりました。往年の阿波野投手の影も形も見る事が出来ず試合終了。

そんな中にも、初芝選手の見事なプレーや蓬莱選手や長嶋選手が打球を追うプレーにはやはり凄いなぁ~と思う3時間弱でした。しっかり楽しむ事ができました。

来年もまた、楽しい試合が見れる事を楽しみにしています。

写真はドーム隣接のイオンナゴヤドーム前店のドアラ神社

中日ドラゴンズの必勝を祈願している方々がたくさんいました。

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高校野球

2008年07月20日 | スポーツ野球
今日は高校野球甲子園大会の予選「西愛知大会」の1試合を応援してきました。
今年は記念大会と言う事で愛知県は東西に分かれ、こちら西愛知大会は100校の参加です。

今日は、マンションのお友達の息子さんがエースの学校がシード校と当たる大一番で知り合いの方々は気持の入れようが違うというものです。

試合の方は、先制点~逆転され~最終回同点に追いつく~その裏サヨナラと惜しい試合でした。
 

最後はランナー2塁でカキ~ンとライト線に打たれてのサヨナラ負け。あっけないサヨナラですのいいのかなと。エラーで負けたりするとカワイソ過ぎですから、良かったのかなと。9回に同点に追いついた時に感動を与えてもらいました。すばらしい攻撃でした。
最後は、勝者・敗者によるエールの交換、いつ見ても清々しい光景です。

これで、知り合いの方々のチームは全て姿を消してしまいました。西愛知大会はやはり、私学のシード校での争いになりそうです。


ホッと!!
球場の公園で帰りに見つけました。セミの抜け殻です。


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高校野球

2008年06月24日 | スポーツ野球
やってきました 甲子園。

それに向けての県大会が、どう言うわけか今年は6月のこの週末28日から始まります。
これまでは180校参加で代表は1校だったところが、今年は90回記念大会と言う事で、100校が参加の西愛知(尾張地区)と84校参加の東愛知(三河地区)からそれぞれ1校が代表となります。
この所、甲子園へは尾張地区の高校ばかりでしたので、三河地区の実力校、愛産大三河・豊田大谷・豊田西・杜若・桜ケ丘、センバツ21世紀枠出場の成章などの実力校にとっても、これまでよりも少し“だけ”関所を簡単に抜けられ、甲子園へ出られる事となります。


熱い夏の始まりです。
いつものように、週末には清々しい球児や応援団と一緒に楽しみたいと思います。

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鉄腕も病魔には勝てず

2007年11月13日 | スポーツ野球
野球といえば西鉄ライオンズの私ですが、その黄金期に大活躍した
 「神様 仏様 稲尾様」 
と言われた稲尾和久氏がお亡くなりになりました。70歳であったとの事。

思えば私が生まれる前の昭和33年の日本シリーズ、チーム3連敗後、稲尾の4連投で日本一になった事は、オヤジからよく聞かされ関係の書籍もたくさん読んだものです。
実際私が物心ついたときには往年の姿はなく、その後中西太監督の後を継いで投手兼任監督をやっていたものの、「黒い霧事件(八百長)」もあってどん底の時代であったように感じます。(その後はロッテの監督も)

最近では、稲尾記念館だったか地元別府に開館されたり、中国での野球活動に貢献したり、またマスターズリーグの福岡ドンタクスの監督など、幅広く活動していました。野球の普及に対しての情熱は人一倍であったようです。

しかしながら私が思うに、最近の稲尾さんの体型は「ちょっと肥え過ぎ」と心配してはいました。「まさか?」といった感じと「やっぱり!」と言った気持ちで複雑ですね。

この冬もマスターズリーグできっと投げるであろう姿を楽しみにしていたのですが非常に残念です。 
この場でご冥福を祈ります。
コメント (6)
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