ウルサン工業団地の建設工事で1973年韓国に渡り、冬の寒い時に第一次オイルショックに遭遇しました。
暖房用の灯油が手に入らず500ウォンを持って町のオンドルのある宿へ泊まりに行ったこともありました。
我々が滞在していた1974年8月15日に、大阪の交番から盗まれたピストルで演説中の朴大統領が狙われ、幸い大統領は無事でしたが、大統領夫人が不幸にも亡くなると言う事件(文世光事件)がありました。
犯人は韓国人でしたが、これを契機に日本人排斥運動が起こりました。オイルショックの景気停滞による労働者の首切りなどがあった背景もあり、現代造船所に指導で来ていた日本人の宿舎は略奪にあいました。我々の宿舎も危険だと領事館から通知がありました。
1ヶ月程は、日中は建設現場で客にかくまってもらい、夜は毎晩に逃げ回りました。
逃げるといっても、行くところがなく、行きつけの飲み屋に行き、離れで静かに飲んで時間をつぶし、外出禁止時刻にそっと宿舎に逃げ帰ると言う毎日でした。
複雑な日韓関係を目の当たりにした経験でした。
1975年、第9回工業団地創立記念(高校生も軍事訓練を受けており銃を抱えてパレード)
我々が住んでいたのがUlsan(蔚山)であり、Busan(釜山)には車で1時間位で行けるので、よく出かけていきました。また、日本への帰国は釜山空港からが多く、朝早く出かけ、釜山のチャガルチ市場で鮑、えび等をお土産に買って帰ることがよくありました。
ウォーカーヒルと並んでカジノのある海雲台(ヘイウンデ)も時々行って遊びました。ただし、儲けたことはなかった。ここは、また日本の湘南海岸と同じように海水浴場で有名なところです。
Busan Main Street,
竜頭山公園からみる影島、
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