勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

1988年ブラジルの旅 その1

2017-12-05 | 風景・地形2

1988年8月にブラジルのBAHIA(バイーア)州の州都サルバドール経由, 同州カマサリを仕事で訪れる機会がありました。

地球儀で言うと、日本のちょうど裏側にあり、成田から日航とバリグ航空の共同運航のジャンボ機でロスアンジェルスで1時間の休憩を取った後、合計24時間をかけ、リオ・デ・ジャネイロに着きます。

サルバドールは、リオ・デ・ジャネイロからさらに1600km北上し、飛行機で1時間40分かけた所にあります。

日本では丁度真夏でしたが、ブラジルは丁度真冬でした。でも、この街は1年を通じて平均気温が摂氏25度という,暑すぎもせず、寒くもない,トロピカルな気候です。海岸線に面しており、きれいな海岸が街の中心地から近くにあり、一年中、晴れの日は海水浴にもってこいの環境です。

 

1549年ポルトガル王朝が、サルバドールを建設して以来、1763年、リオ・デ・ジャネイロに首府が移されるまで、植民地時代の首府でした。

この街はブラジル最古の都市の一つだけに、教会など歴史的なコロニアル風建物が沢山残っています。

 

昔、奴隷制があった時代に、砂糖きびやコーヒー栽培の労働者として、アフリカからの奴隷を一番多く受け入れた街でもあり、今でも民族混血のルツボと言われるブラジルの中でも黒人の比率が高く、黒人系が住民の85%を占め、アフリカ文化色がブラジルの中で最も強い街です。

 

港の近くにあるレストラン ”ソラール・デ・ウニオン”は、奴隷輸入の時に使用した建物兼倉庫を改造して利用しており、往時の奴隷や物資を運搬したトロッコのレールが残っていて、バイーア料理のテーブルの隣で怪しい面影を放っていました。

- エレバドール・ラセルダ。上街と海岸付近の下街の2つの街をつなぐ巨大なエレベーター

 

- サルバドール空港北部の海岸。テニスのボルグが引退後、ここである期間過ごしていた。

 

- サルバドール・デ・バイーア歴史地区(世界遺産)

 

 

- ペロリーニョ地区の広場でバレーボールで遊ぶ子供達。大きなスピーカーが見えるが、音楽、踊りの広場でもある。青いパステルカラーの建物は奴隷市場。隣の黄色の建物は、市立博物館で、カーニバルの衣装等が展示されている。

 

- 海岸で椰子を売る人。ビニールシートをつなぎ、服として、体を覆っている。

 

- 街角でアカラジェとうもろこしの粉をねって、コロッケ風にかため、デンデ油(デンデ椰子)で揚げたバイア風サンドイッチ)を売るバイアーノ

 

 

 

参考:

エレバドール・ラセルダ、ペロリーニョ地区の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます。

Elevador Lacerda: Pointer -12°58'26.76", -38°30'46.65"

 

Pelourinho: Pointer -12°58'15.15", -38°30'29.29"

 

 

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