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爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

水野和夫氏「株式会社の終焉」読後感想

2016-10-09 00:55:05 | 経済
【「株式会社の終焉」 感想:河辺正太郎】
 水野氏の著作は今までにも何冊か読んでいて、氏が繰り返し説いておられる「利子率は限りなくゼロに近付き資本主義の終焉を迎える」ということは自分なりに理解し、納得できていたつもりでした。しかし、更に今回の出版で、氏がいよいよ資本主義の本丸、「株式会社」、それもその終焉に言及するということで、ワクワク感いっぱいにページをめくることになりました。
 とは言え、現在の錯綜する世界情勢の中でこのテーマを語ることの困難さは、私のような経済素人でも困難を極めるであろうことは想像がつきます。それを敢えて「火中の栗を拾う」如く勇気ある氏の出稿は、内容を語る前に私たちはリスペクトすべきことを心しておかねばなりません。
 この「株式会社の終焉」の中で、氏は最後に野田宣雄氏「職業と人生が乖離を深めていく。それがいかに重大で深刻な問題を提起しているかが、21世紀を論ずる際にまだ十分に考慮されていない」とか、作家ミヒャエル・エンデ「もはや貨幣は仕事の等価代償ではなくなっている」といった言を引用して自らの思いを述べていらっしゃいます。まさしくマルクスの疎外論の精神をきっちりと受け止め、資本主義の矛盾に果敢にチャレンジする新しい論理を提起してくださいました。
 氏は「株式会社が主役の座を降りる時、日本にはゆっくり考える時間があるということを教えてくれる。最悪なのはこの道しかないと決めつけててしまうこと」とおっしゃっています。まさしく現政権の為政者が唱える傲慢な姿勢を真正面から痛罵しています。また、そんな政権に寄り添う黒田日銀に対しても「日銀には徴税権は無い。よってマイナス金利政策は越権行為」と短い言葉で的確に批判してくれました。
 私たちはともすると現政権が唱える近代発展主義の亡霊に脅かされ惑わされてしまうのですが、そんな私たちの弱気を払拭するかのように、氏が「21世紀の現在、16世紀半ばのコペルニクス革命がそうであったように、私たちは歴史的分水嶺に立っている」と歴史観を冷静に語ってくださることで救われます。
 そして、氏は単に批判的に評論家然として無責任に語るのではなく、学者としての矜持を示し、更に勇気ある言辞を私たちに投げかけてくれます。
 氏は「これまでの日銀の政策、例えば異次元緩和やマイナス金利政策、イノベーションを中心とした成長戦略は『より速く、より遠く、より合理的に』の時代のマクロ政策。しかし、21世紀に問われているのは、新しい思考体系をいかに構築するか。私たちは、そろそろ産業革命から2世紀にわたって消滅させてきた時間と空間を取り戻さなくてはならない。『失われた30年』を近代の3つの原理で乗り越えようとすることだけは、断じて回避せねばならない」
「今なすべき事は、21世紀はどんな時代か、まずは立ち止まって考えること。走りながら考えると、過去四半世紀間の慣性、すなわち、「より速く、より遠く、より合理的に」が働いて、ITをもとにした第4次産業革命にすがることになってしまう」
「無理な成長を目指す必要は無い。預金者は事実上、ゼロ金利永久国債保有者、出資者。出資者へのリターンは国家の行う社会保障関連サービスや教育。日本国家は現金配当を止めて優良なサービス給付国家に変わっていくことを求められている」
「私たちは国家に出資をしている。よって、国家に対してもっと良いサービスを要求する権利がある」
「『債務国家』のとるべき戦略は『成長戦略』ではない。国民が国家にあれもこれもと要求するのではなく、出資者として国債のマネジメント戦略と国家に対してどういうサービスを要求するかを考えなおすことが必要」
「世紀のシステムは、過去の延長線上ではなく、潜在成長率がゼロであると言うことを前提に構築していくことが必要」
「『歴史の危機』においてもっとも疑ってかからないといけないのは、その時代を支配する概念」
 以上のように、私たちに分かり易く説明・提案され、今まで私たちを呪縛してきた「発展」「拡大」「進歩」などという言葉から「よりゆっくり、より近く、より寛容に」という価値観に、それこそコペルニクス的に変えることが必須と説いてくれました。
 グローバル企業からリージョナル企業へ、増益ではなく減益へ、など大胆な提案は、十分検討に価するものです。もちろん、氏の提案はそのまますんなりと受け入れられるものかどうかは専門家に委ねることとするにしても、こうした提案をすること自体が、近代成長教の人からは「後ろ向き」と非難されます。しかし、時代の歯車が逆回転すれば、「後ろ向き」が「前向き」になることは十分にあり得ますし、そうなる可能性の方がずっと大きいでしょう。
 氏の提案を受けて、私も自分の暮らしの中で、自分にできる社会的役割についてしばし考えてみたくなりました。おそらく、氏はこうした私のような読者の存在を予測して、実は私たちを鼓舞し、覚醒する言葉を発してくださっているのかもしれません。氏の思いに応えられるかどうか、今度は私たちの課題です。

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