日系カナダ人のジョイ・コガワさんはカナダでとても有名な小説家さんです。
第2次世界大戦中の日系人の強制移送を体験されていて、そうした体験をもとに1981年に出版した「Obasan」という自伝的小説でカナダや米国の文学賞を受賞されています。
何度か取材でちらっとお目にかかりましたが、物静かで情熱的、という印象を受けました。
現在、トロントにお住まいなのですが、バンクーバーにジョイさんの生家があります。その生家は1度取り壊されそうになったのですが、日系人の歴史を語るこの生家を残そうと、約10年前に有志たちが運動し、寄付金を集め、解体を取り消して維持することに成功しました。その話は記事で読んでいたのですが、わたしは生家の場所も知らないままでいました。
でも先日たまたまコガワハウスでのイベントに参加し、このお宅のことをもっと知りたくなりました。
ライターさんたちの宿泊施設として貸し出しているということも興味深かったですし、cozyで味わいのある民家という感じでしたし。
きっと、ジョイさんの知り合いがこの維持活動をされているんだろなーと思っていました。
ところがそうではなかったんです。
10月末のHistoric Joy Kogawa Houseのミーティングを見学させてもらったのですが、参加されていた数名の運営メンバーは、アジア系も英国系もさまざま。日系人はたったのお一人。その方は、ジョイさんの知人とのことでしたが、他の方はこんな感じでした。
「『Obasan』を小学校の教材に使って、教えたことがあるから」という元教師の方、「生涯教育の場で、発起人のアン・マリーさんと知り合ったから」
ママ友として、運動の発起人アン・マリーさんとつながっていたという女性Sさんの場合はこうでした。
ジョイ・コガワ・ハウスの近くに住んでいたお二人。
Sさんは、日頃、日系人の戦時中の歴史やジョイ・コガワ・ハウスに関心を寄せていたアン・マリーさんから、ある日、この家が取り壊しされようとしている、という話を聞きました。そこで彼女はアン・マリーさんに「このまま黙っていていいの!あなた!」とけしかけたというのです。
どうしてそうした行動をしたんですか?
と尋ねるわたしにSさんは—
わたしたちカナダの人たちは、自分の国をこんなところが素晴らしい、あんなところが素晴らしいというけど、戦時中の日系人への行為はなんていうことなの? みんなそんなひどい迫害の歴史も知らずに、のうのうとしている。非人道的な扱いを受けてきた日系人の歴史を伝える貴重なこの家が壊されようとしているのを黙って見ていていいわけ?
そんな風にお話を解釈しました。
そこからお二人が動き始めて、集まった有志の思いと行動とたくさんの寄付に支えられて今のジョイ・コガワ・ハウスがあったんですね。
Sさんのお話やアン・マリーさんのお姿を拝見していて、ソルト・スプリング・アイランドの村上ファミリーのことを思いました。
村上ファミリーは戦時中に、やはり強制移送を経験し、戦後、島に戻ってからも、周囲から差別的に扱われました。それでも彼らは献身的に地域の住民や町に貢献。そして後には、島で何かのイベントがあると、VIP席に招かれるほど敬意の対象になったのです。
そして彼らのストーリーを知った有志が寄付金を集めて、村上ファミリーの生き方と貢献に敬意を表して、島の美術館前に日本庭園を作りました。
カナダの他の地域でも、そしてアメリカでも日系人でない人たちが立ち上がって日本人、日系人の貢献を称えるような活動があります。
そこにある思いは、どんなものなんでしょう?
どうして自分たちの出身国や民族でないことにも関わらず、ここまで地道に熱心に運動できるのか。それも一時の盛り上がりにとどまらず、長い時間をかけて。
そうした疑問が頭にあったのですが、Sさんの姿勢からひとつの答えを感じました。
続きはまた・・・。
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