天照大神は卑弥呼なのでしょうか。
明治時代に東大の教授であった白鳥庫吉氏が魏志倭人伝の卑弥呼に関する記事と、記紀の天照大神に関する記事内容を比較し、
「その状態の類似すること、何人も之を否認する能わざるべし」と述べています。
爾来、天照大神が卑弥呼であるという説は多くの人から支持されています。
天照大神=卑弥呼であることに概ねのところは肯けても、何にでも引っ掛かりを覚えるたちですからどうも気になるところが出てまいります。
「天岩屋戸事件」の箇所を読むと、天照大御神は鏡を知らないかのように書かれています。
天岩屋に引き籠った天照大御神を引き出すために、アメノウズメがストリップをし八百万の神々が歓喜の声をあげます。
岩屋の戸を細めに開け、私がいないのにどうして と 言う天照大御神に「あなた様よりも貴い神がいますゆえに」と答え、榊にかけた鏡を差し出します。
鏡に映った姿をみて一歩踏み出した天照大御神をタヂカラヲが引き出す・・・
この場面です。
この場面について「鏡をしらない天照大御神」と書かれていると捉えているのは、何も私の妄想ではありません。
古事記研究の第一人者である三浦佑之氏が指摘されていることです。
氏はアマテラスは鏡そのものだといっていい神だが、そのアマテラスともあろう神が、鏡を知らないうつけ者だという笑いが、この神話をしめくくっているとおっしゃっています。
卑弥呼の「好物」が鏡であるならば、天照大御神は卑弥呼ではない。
そう思ってしまいます。
鏡を知らないと描かれた天照大御神。
これはつまり天照大御神は早くから鏡が入った九州地方の人ではないと書かれているのと同じことと解釈するのは、行き過ぎでしょうか。
天照大御神と卑弥呼は宗教的権威の共通性があるとも言われます。
しかし天照大御神が「鬼道で衆を惑わす」様子など、見受けられないように思うのですが・・・。
卑弥呼の宋女・台与にあたる人物を日本の資料にも確認できることも、天照大御神=卑弥呼であることの根拠としてよくあげられます。
「とよ」というのは「豊」でしょうし、豊であるならば列島内で汎用的に使われた名前であるように思うのですが・・・。
とはいうものの天岩屋戸事件を日食と解釈するならば天照大御神こそ卑弥呼であろうと思うし、皆既または皆既に近い日食であった北九州に天照大御神がいたのであろうと思うのです。
卑弥呼が天照大御神なのですか???
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