天叢雲剣が高天原の神たちが自らでは作れない剣であったとしたなら、どういう剣であったかが気になっています。
単なる鉄剣なのでしょうか?
でも単なる鉄剣であれば作ることはできなかったかもしれませんが、唯一無二のものではなかったでしょう。
弥生後半~末期の墳墓出土刀剣は北部九州と丹後、播磨、越前、但馬、上野から北部九州と同等かより多いくらい出土しているそうです。
もちろん弥生後半に中国にルーツをもつ環頭大刀や長剣が、最も高級な武器でありステータスシンボルであったことを否定するわけではありません。
「高天原」はもっと古い時代なのかもしれませんし。
だったら中国よりも早くから鉄器時代に入った沿海州からの鉄剣が越(こし)に伝わっていたとみるのも一興かも。
自ら作れない剣というワードから私の脳裏に浮かんだものが「隕鉄剣」です。
人類の鉄の利用は隕鉄から始まったとも言われています。
エジプトのツタンカーメン王の隕鉄で作られた短剣、ああいう隕鉄剣が天叢雲剣なのでしょうか?
カイロ美術館所蔵のツタンカーメン王のダガーは約3300年前のものです。
トルコのアラジャホユック遺跡からは約4300年前の世界最古の黄金装鉄短剣が出土しています。
刀身約18センチのこの短剣も隕鉄の可能性が高いといいます。
一度ギベオン隕石を持たせてもらったことがありますが、見た目から想像する重さよりずっと重い!
隕鉄で作られた剣であれば、祭器として重んじられる剣となることは間違いなさそうです。
どこでいつ誰が作った隕鉄剣なのかが大問題ですが・・・。
ウィッドマンシュテッテン構造による模様は「叢雲」と表現するには直線的過ぎますか?
あの模様の浮かび上がった剣を天叢雲剣と名付けたとか。
そもそもウィッドマンシュテッテン構造による特徴的な模様がある隕鉄剣なんて存在するのでしょうか?
天叢雲剣(草薙剣)が壇之浦で沈んでしまっていたなら見つかるはずもありません。いや、豊前灘から巨大な銅矛が上がったケースもあるので望みはあるでしょうか。
実は熱田神宮で祀られていたとしても、天叢雲剣がどんな剣なのかは不明です。
ですから天叢雲剣がどんな剣であるかは妄想し放題ですよね♪
でも隕鉄に止めておきます、ヒヒイロカネなどとは言いません・・。
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