銅鐸は古語では「さなき」「さなぎ」「ぬて」「ぬりて」などと呼ばれたと推測されています。
この銅鐸に関連している地名が各地に残されているとされます。
猿投山、狭投、佐那具、名護、奈具など枚挙にいとまがないほどです。
名著「銅鐸」の藤森栄一氏も、地名を手掛かりに探求を続けています。
神庭、神於山、神岡など、銅鐸出土地の地名に「神」がつくことも指摘されるところです。
加茂や鴨という出土地についても「神」なのでしょうし。
銅鐸は意識的に葬り去られた祭器と見受けられます。
手放した祭器由来の地名が残り続けたのは何故なのでしょうか??
「さなき」に関する地名で気になっているのが讃岐です。
讃岐には今も「讃岐鋳造品」として伝統の技が継承されています。
佐柳島も、大鐸姫(大野手姫)の島と思われる小豆島も近くにあります。
讃岐が鐸由来の地名である可能性は高いと思うのです。
しかし讃岐の地名由来として最も有力なものは竿調国(さおつきのくに)が縮まって さぬき となったというものでしょう。
あるいは四国内の他の国よりも緯が狭いため狭緯(さぬき)と称したであるとか、小平野の多い地形から狭野→さぬきとなったとか、いずれにせよ鐸とは関係がない地名由来ばかりです。
製鉄が盛んに行われた吉備は「まかねふく吉備」だし、褐鉄鉱を取っていたと考えられる信濃は「みすずかる信濃」と称えられています。
それに対して讃岐は「玉藻よし」なんですよね。万葉集の柿本人麻呂の歌が有名です。
玉藻ですから、良い藻がとれることを褒めている・・・。
笠縫である手置帆負命の孫が矛竿を作り、讃岐忌部は毎年調庸の外、八百竿の矛竿をたてまつってきました。
(竹取翁が讃岐造なのは讃岐忌部が竹を扱ってきたことと関係しているとも思われます)
金属を産出していそうな名前の坂出の「金山」から採取されたのは「サヌカイト」です。
この金山のサヌカイトは縄文時代から中四国の広い範囲で石器として使われてきました。
中国山地の冠山でもサヌカイトは出るそうですから、金山のサヌカイトはブランド品だったのでしょうね。
サヌカイトの出る大阪と奈良の境にある二上山の近くまでも金山のサヌカイトが入っています。
石でいうと、古墳の石棺は香川県で作られ始めたという説があります。綾歌町の快天山古墳の3つの石棺が始まりだとされます。
香川の石棺は大阪、徳島、岡山に運ばれています。
讃岐は海産物、竹、石の国なんですよね。
それでも鐸の国であるように思えてならない・・・理性的ではありません。
それにしても伝讃岐国出土の袈裟襷文銅鐸、素晴らしいですよね!!
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