さて棄てられた銅鐸神はどの神様なのでしょう。
まずは出雲国風土記において「御財を積んでおいた所」と記されている場所から銅鐸が出土した、大国主が考えられます。
鉄鐸を作ったとして先代旧事本紀や古語拾遺に名を残しているのが天目一箇命です。
この神と同一視されている天御影命の祀られる御上神社のほど近く、野洲市の大岩山からは24個もの銅鐸が出土し、日本最大の銅鐸も含まれています。
天御影も銅鐸神でしょうか。
また雷神であり稲作の神であるアジスキタカヒコネも銅鐸神だと思われます。
雷神=鳴神であることと、銅鐸の農耕絵画から「スキ=鋤」の名を持つアジスキタカヒコネは銅鐸神と解釈されています。
イザナギを「サナキ」の神(鉄鐸)と仮定して、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴神をそれぞれ鏡、勾玉、剣の神と仮定するならば、
棄てられた銅鐸神は「蛭子」
と考えるのは無理でしょうか。
福男選びで有名な西宮神社の御祭神は蛭児大神です。蛭児大神は古くは廣田神社の「浜南宮」内に鎮座していたといいます。梁塵秘抄に
南宮の本山は信濃のくにとぞ承る さぞ申す 美濃の国には中の宮 伊賀の国には幼き稚児の宮
とあるように、南宮は諏訪大社に通じます。鉄鐸と銅鐸の違いはあるものの、棄てられる神としては蛭子ほどふさわしい神はないでしょう。
えべっさんと言えば、「鳴り物が好き」な事代主も銅鐸神でしょうか。
ひょっとして出雲国造神賀詞の大国主、アジスキタカヒコネ、事代主、カヤナルミは全て「鐸」の神だったりはしないでしょうか。
近江三尾神社に「猿田彦神曰く 吾が死ぬと銅鐸が鳴り響くであろう」と伝わる猿田彦も銅鐸と関係がありそうです。
伊賀国風土記逸文に「猿田彦の女の吾娥津媛命は、四神之御神が天上から投げ下ろしなさった三種の宝器のうち、黄金の鈴を受領してお守りになった」という記載があるといいます。
佐那神社に祀られる手力男も佐那=サナキでしょう。田力男なのですから、鉄鐸ではなく銅鐸でしょうし。
他にも伊福部の祖である櫛玉饒速日だとか、金属神の金山彦とかいろいろと該当しそうな神様はいらっしゃいますね。
銅鐸に纏わるたくさんの神々が各地で棄てられてしまった中、棄てられなかった「鉄鐸」って凄いな、と思います。
諏訪から出ないことを条件に棄てられなかったのでしょうか。
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