国懸神宮の御神体の鏡が銅鐸かどうかというのはさておき、神事に使用される剣とホコがきちんと分類されていなかったのではないかについては、本当にそう疑っています。
石上神宮に伝世する国宝「七枝刀」は、かつて「六叉鉾」と呼ばれていました。
七枝刀は石上神宮の神剣渡御祭の際、木枠に納め金綿の袋を被せた状態で神剣の代わりとして明治以前は用いられてきました。
刀の代理品なのですから、刀と認識されていたはず。
しかし銘文が見つかるまでは「刀」が「ホコ」と呼ばれてきているようなのです。
刀とホコの境界が曖昧だったら、刀と鎌の境界も曖昧でいいのではないか、薙鎌がサナキの剣でも などと どんどん古代妄想の沼へ・・・いけない、いけない!
七枝刀は6本の枝刀を持つ特殊な形の鉄剣です。
このような刀、東アジアのどこを見渡しても見当たりません。
類似品のないこの刀は、一体どこでどのように作られたのでしょうか。
七枝刀には61文字の銘文が刻まれています。
銘文の全容は未だ解明されておりませんが「369年に作られたもので百済王が倭国王に贈った」ことが刻まれているというのが、日本側の学者の定説となっています。
日本書紀によると神功皇后は百済から「七子鏡」と「七枝刀」の献上をうけています。
刀の銘文には「七支刀」の文字が刻まれており、この刀こそが神功皇后が百済から贈られた「七枝刀」であると考えられています。
技術的には象嵌の金が剥落していたりすることから、朝鮮半島で作られたという説が有力なよう。
七枝刀とともに贈られた七子鏡は、ボストン美術館所蔵の丸い突起が同心円上に七つある銅鏡がそれではないかとする説があるようです。
しかしこの鏡だと類例があり、刀だけ類例がないような突飛なものを作ったというのでしょうか?
どこかから「子」とはそういうことか!と思える、奇抜な鏡、出ませんかね~
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