私は当時、17歳で、
交通事故にあって入院していました。
とても安全な所にいたし、
アタマを少し打っていたので、ボーとして
テレビの中の震災を眺めていたのを覚えています。
入院していた病院に、被災者が運ばれ、
本当に大変でした。
看護師さん、お医者さんの力強い働きぶりに、
とても感動しました。
医療従事者は聖職だと今でも思います。
ピンチにならないと人間というのは、生きているありがたみに気がつかないものですね。
あのときほど、自分の輪郭を意識したことはありません。
夜中に痛みで目が覚めて、ゆっくりゆっくり呼吸をしながら、
「学校に行きたい」「家族に会いたい」とぐるぐる思ったものです。
薬の飲めない私に毎日座薬をいれてくれた看護師さん。
なかなかできることではないと思います。
両親、姉、クラスメイト、演劇部の友達、
あのときは本当にありがとう。
なんと尊い入院生活だっただろう。
ぜんぜん後遺症も残らず、元気にしています。
神戸のまちも永く行っていないけど、
すっかり復興したようです。
生きているだけでまるもうけ!!
あのときを思い出すと、何でもできそうな気がするのです。
交通事故にあって入院していました。
とても安全な所にいたし、
アタマを少し打っていたので、ボーとして
テレビの中の震災を眺めていたのを覚えています。
入院していた病院に、被災者が運ばれ、
本当に大変でした。
看護師さん、お医者さんの力強い働きぶりに、
とても感動しました。
医療従事者は聖職だと今でも思います。
ピンチにならないと人間というのは、生きているありがたみに気がつかないものですね。
あのときほど、自分の輪郭を意識したことはありません。
夜中に痛みで目が覚めて、ゆっくりゆっくり呼吸をしながら、
「学校に行きたい」「家族に会いたい」とぐるぐる思ったものです。
薬の飲めない私に毎日座薬をいれてくれた看護師さん。
なかなかできることではないと思います。
両親、姉、クラスメイト、演劇部の友達、
あのときは本当にありがとう。
なんと尊い入院生活だっただろう。
ぜんぜん後遺症も残らず、元気にしています。
神戸のまちも永く行っていないけど、
すっかり復興したようです。
生きているだけでまるもうけ!!
あのときを思い出すと、何でもできそうな気がするのです。