日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞に寄せて
栗原俊子
サプライズだったそうです、日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞。
いえ、本当に、「さー、プライズ・prize・賞」です。
約70年にわたり、被爆者として、心身の苦難を抱えながらも、核廃絶を全世界に訴えてきたことが、多くの人々に届き、認めらて、ノーベル平和賞受賞に繋がったと日本人の一人として、心からお祝いと喜びを共にし、感謝したいと思います。活動を担っている数人の旧友の顔を思い出し早速祝意を送ります。
止まぬ戦禍のガザ、ウクライナの惨状の中に、ノーベル委員会が平和賞に選んだのは日本被団協でした。核兵器がいかに非人道的か、全てを破壊する兵器かを訴える声は直接世界の人々の一人一人の心に届いた、立場、政治、国、を超えて。草の根的に世界に届いたと、私は今実感しています。
恐縮ですが、長きにわたる、草の根的被団協の活動に乾杯!
1956年8月、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開催され、主会場は県立長崎東高校体育館でした。当時東高2年生で、新聞部の私は高揚感に包まれ、取材と称して、あたりを見回していたのでした。その大会で、日本被団協の結成が宣言されたのです。遠い日の懐かしい思い出。
付記 私は長崎市出身ですが、1944年春ごろ、家が強制建物疎開にあい、母の故郷、佐賀県小城市に疎開して、被爆していません。市内に残った父と兄2人姉が被爆して兄の一人と姉は被爆後遺症で長く苦しみましたが、みなあちらの世界です。