アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

石田三成に光を

2016-05-10 06:00:28 | つれづれ
大河ドラマの真田丸が何かと話題だ。小生も、好きなテーマであり、毎週欠かさず見ている。というところで、山本耕史に・・・ではなく、石田三成にスポットを当てたい。

 石田三成といえば、歴史ものでは冷徹で陰謀をめぐらすタイプ、で悪役の権化みたいな役回りになることが多い。おととしの大河の軍師官兵衛のときにも大変嫌な奴として描かれていた。
 が、歴史は常に勝者のものであり、後世天下を取った家康によって姿を変えられているとみるべきであろう。まず冷静に考えてみよう。

 秀吉の回りは、弟の秀長、黒田官兵衛などの名参謀が脇を固めている上に、賤ヶ岳の七本槍などの子飼いの武将もいる。
 そんな中で、嫌味なだけの腹黒男が出世するだろうか。確かに、およそ人望があったとは思えないが、秀吉がここまで使っていたことは無視できないだろう。

 真田丸では検地についてのシーンがあったが、度量衡を統一し、検地によって全国の大名の国替えを可能にしたのは三成のアイディアという。このことの先進性と、価値については後の徳川がそれをそのまま採用していることでも明らかである。
 また、賤ヶ岳の戦いでは農民たちに指示し、街道沿いに松明を並べさせるとともに握り飯などを持たせて夜間のスピーディーな行軍を支えて柴田勝家を慌てふためかせたし、小田原攻めでも緻密な戦略を立てていた。能力の高さは間違いないところだ。

 三成といえば、関ケ原の戦いのイメージが強いが、この戦いについて多くの方が間違えていることがある。「天下分け目の」という表現が不適切なものだからだ。
 あの戦いを多くの方は、豊臣vs徳川の戦いと思っている。が・・・それは正しくない。正確に言うと、豊臣家の中の覇権争いで、石田派vs徳川なのだ。

 たとえば、三成とともに子飼いの清正は関ケ原では東軍についているが、その後秀頼を守るために家康に対抗したし、身代わりに毒饅頭を食べたという伝説まである。
 したがって、三成も清正も最後まで豊臣を支えようとしていたのは同じであり、関ケ原の戦いによって実質天下を取った家康だが、その時点ではまだ豊臣はあったのだから。

 三成が領民からは評判の良かったこともよく知られているし、右腕の島左近を抱えるときに知行の半分を・・・というエピソードも有名だ。
 この話はいささか講談じみているらしいが、冷徹で情がなく実利的な計算高い男と単純に言っていいのかどうかと・・・

 石田三成で大河は難しいかも知れないが、スポットドラマでやってもいいかもって・・・
 いずれにせよ、石田三成についてはもっともっと光を当ててもらいたいものである。歴史の皮肉で、三成に過ぎたるものと言われた佐和山城の資材は、彦根城に流用されている。

 ときに真田丸で三成を演じている山本耕史は、「あさが来た」では土方歳三役もやっていた。ということは、近藤正臣と同じく、立て続けに出演していることになる。彼もまた、NHKのお気に入りの役者であることは間違いなさそうだ。
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