アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

法隆寺にひたる

2010-06-21 06:30:24 | つれづれ
今年は平城遷都1300年祭ということで奈良の各地でスペシャルイベントが催されているという。ということで、週末を利用して出かけてきた。


 朝早いのぞみに乗り、まずは世界最古の木造建築である法隆寺に向う。思えば中学のときの修学旅行以来である。
 到着したのは11時頃だったが、さすがに修学旅行生がたくさんいる。とはいえ歴史マニアの小生、中学生のときにはまったく知らなかった視点で見始める。

 梅原猛氏の「隠された十字架」でも称えられたことで、マニアの間では、つとに有名になった中門が目に入る(左写真)。
 確かにこの門の形は普通ではない。入ることよりも出て行くことを妨げることに力が入っているというべきか。そう見ると聖徳太子の鎮魂のためのお寺に見えてくる。


 なんていいつつ、入るとトップ写真の金堂と五重塔が見えてくる。中学生のときに回廊のふくらみのある柱の様式が、エンタシスと言われる西洋の様式だと聞いたことがよみがえる
 だが、久しぶりに見たその柱は、思ったよりのっぺりとして見えた。こんなもんだったかなあと・・・やはり思い出はええかげんかも。

 とはいえ、金堂の釈迦三尊の像は記憶のままだったし、宝物館の玉虫厨子や百済観音も記憶のまんまだった。そして百万塔も・・・
 逆に新鮮だったのは、十七条憲法の版木だった。もちろん、後世のものだが、毎週ヨガで十七条憲法を読んでいる小生には感動的だった。


 ゆっくりと夢殿に回る。ここは太子が住んでいた跡地といわれているそうな。中学生のとき、六角に見えるが八角堂であると説明を聞いたことが思い出された
 もちろん、太子が生前このお堂を見たわけではなく、ずっと後世のもの。しかも本尊の秘仏は太子に似せて作られたという伝説もある。

 そう聞くと、やはり鎮魂のものかしらんと・・・
 最後に知ったことがある。ここは元々法相宗のお寺だったが、1950年に聖徳宗に改宗したということだ。法相宗といえば、南都六宗のひとつにして、薬師寺と興福寺が大本山だ

 歴史的に見て、法隆寺が開山のときには法相宗はなかったのだから、当時は何だったのか妙に気になる小生であった。
 ということでここから薬師寺に向う小生であった(続く)
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