アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

薬師寺から唐招提寺へ

2010-06-22 06:31:21 | つれづれ
さて、法隆寺を抜けた小生、ここからはバスで薬師寺に向うことにした。あいにくの天気であったが、平城遷都1300年祭にちなみ特別公開もあるという。


 法隆寺は中学生以来だが、薬師寺はなぜか中高生のときにはいかず、大学生のときに初めて行った。さらに、その後京都在住のときにも行っているので、よく来ているかも。
 だがここのすごいのは、来るたびに姿が変わっていることだ、最初に来たときは西塔も金堂もなく、かの有名な本尊と日光・月光菩薩は講堂にあったように記憶している。

 さて、あまりに優美な東塔だが、さすがに暦年の風雪の影響で傷みがひどく、今年の公開を終わった後は、大修理に入るという
 今回は特別公開で、天井の壁画などが見られるようになっていた。感激である。聞けば、地盤沈下の関係で柱の高さも調節するという。


 そうそう、派手な色彩(といっても創建当時の色合いだそうだが・・・)で最初見たときは違和感を感じた西塔だが、金堂などができた今、かなり馴染んできた
 こちらも地盤沈下を考えて、少しだけ高くつくってあるという・・・へえって。

 といいつつ、シルクロードの平山郁夫画伯の絵など見ながら、薬師寺を抜け、お隣の唐招提寺に向う。これまた京都在住時代以来だ
 平成の改修工事を終えて相変わらず堂々とした金堂を見る。屋根の存在感が他の寺院と異なる。唐から招聘した鑑真和上のお寺として名高いが、色合いといい環境の整備といい、薬師寺とある種対照的なのが興味深い。

 ちなみに薬師寺は、法相宗の大本山なのに対し、唐招提寺は律宗の大本山とされている。鑑真和上が日本で初めて戒律を定めたことも影響しているのかしらんと。
 一日で法隆寺から薬師寺・唐招提寺と回ったわけだが、薬師寺が当時の伽藍を復元しようと頑張っているのに対し、唐招提寺はその気配もない。

 だが、今回知ったのは、唐招提寺もかつては周辺の堂塔も含め、大変大きな寺域を有していたことだ。
 五重塔もあったし、金堂も周辺の回廊などの中に囲まれていたようなのだ。今は、金堂の圧倒的な存在感が目立つが、当時は金堂が埋もれて見えたのかも知れない

 ということで、さすがにいささか疲れてきた。今日のお寺めぐりはこの辺にして、明日のために作戦を練っていこう・・・(続く)
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