さて、梅田屋の食事の会場で目に入ったもの、それは左写真のふすまの落書きであった。「おい客よ、生まれてきたンだろ。 なら酔えよ、そして文句をたれてりゃいい 立川談志」とある。おお・・・これは談志の書いたものではないか・・・
さらに、同じ部屋をよくよく見ると、「飲んで酔っ払って、勘定払ってネ」「人生なんて知るもんか、勝手に生きりゃそれでいい」「努力なんて、馬鹿に恵んでた夢である」「俺の人生、梅田屋程度で充分なのだ」とある。
写真に載せていないが「酔うことよ、酒と煙草を止める奴ぁ、最も意志の弱い奴である」っていうのもあった。
仲居さんに聞くと、談志師匠は何度もこの宿に来ていて、少しずつ書いていったものという。中に何枚か書いた年月日を記載したものがあった。
さらに、当日使用していなかったお隣の部屋には、あと4枚通しで書いたものがあった。こちらをご覧いただこう。
「何ィ、俺は素面だァ、この野郎、人生を何だと思ってやんでぇ、人生なんて全て成り行きだァな」「決断なんて、成り行きに押した印でしか過ぎない。ウヒッィー、ヨォッ、梅田屋ァ」とある。素面とは思えないが・・・(苦笑)
この落書きは平成15年のものだった。ちなみに、最初のそれが平成14年だ。
考え過ぎかも知れないが、平成13年が生涯のライバルとしていた志ん朝が死んだ年。その半年ちょい過ぎに冒頭の文字を書いている。
写真に入っていないが、実は最下段に、小さく「俺は生きてる、まだ生きてる」とあった。これを見たときに、志ん朝に対する想いが見えたように思った。
思えば、談志の人生は波乱万丈だった。小さんになれると思っていた自分が、小三治の登場で最初の挫折、その後は・・・
「人生なんて成り行き」と書いた本人こそが、成り行きと思いたかったのではないかって・・・(汗)
さらに、この宿タレントや他の落語家もたくさん訪れていた。トップ写真の色紙の数々が物語っているが、こちらにあるように、志ん朝と先代の文治も訪れていた。
なんか、この宿って、以前から来てみたいと思っていたが、もしかしたら、この空気が小生を呼びよせたのかも知れないなあと・・・
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