ネットに落語版ミシュランとしてこんな記事が掲載されていた。『この落語家を聴け!いま、観ておきたい噺家51人』という本であるが、実は小生この本を買い読んでいる。
ロック専門誌の編集長が書く落語版ミシュラン(産経新聞) - goo ニュース
書評というのは、落語と同じであくまで趣味の世界だから、小生が感じたとおりに皆さんが感じるとは思わないし、著者自身もそれは同じ思いだろう。
ということを前提に、批判を恐れずに書けば、読んでいて気持ちが悪くなったというのが感想である。もちろん納得したり共感を覚えた点も少なくない。
談志については小生も同じ評価だし、市馬あたりへの評価もしっかりしている感じで納得感がある。だが、聴いていて落語とは思えない噺家を絶賛していたり、その一方でなぜこの噺家について一言も触れない?というのも目についた。
執筆にあたっては「お金を払う価値のある人を見つける。面白くないものは無視する」という方針を貫き、「目を光らせているから、隠れている人はいない」と自信満々というが、正しくは「自分にとって面白くないものは」であろう。
落語は本来、自分にとっていい噺家を見つけられればいいのであって、他人が褒めなくても、自分が面白いと思えばよい。気持ち悪いと思ったのは、この本で「取り上げられていない噺家で面白い人はいない」という態度が鼻についた点である。
立川流ひたすら絶賛の中で、円楽党をまったく評価せず、また寄席にも冷淡だった。
立川流にいい噺家がいることは認めるが、といって寄席を評価しないのはいかがか。もちろん、お目当ての噺家に予告なく代演が立つ寄席は悲しいが、それをある種楽しめるようでもいいのではないか。
そんなマジメな批判はともかく、気になったのはこの記事の次のくだりだ。
「いま年間350日は高座に通い、1600席以上を聴く。それ以外の日は海外出張だというから、つまりは毎日が落語漬けだ。」
たいしたものである。これはなかなかできることではない。だが、これによるとこの著者は年間15日だけ海外出張していることになる(苦笑)
この割合をもって「それ以外の日は海外出張」というのはちょっと・・・(爆)
って、実はこのツッコミがしたかっただけという噂も・・・(汗)
ロック専門誌の編集長が書く落語版ミシュラン(産経新聞) - goo ニュース
書評というのは、落語と同じであくまで趣味の世界だから、小生が感じたとおりに皆さんが感じるとは思わないし、著者自身もそれは同じ思いだろう。
ということを前提に、批判を恐れずに書けば、読んでいて気持ちが悪くなったというのが感想である。もちろん納得したり共感を覚えた点も少なくない。
談志については小生も同じ評価だし、市馬あたりへの評価もしっかりしている感じで納得感がある。だが、聴いていて落語とは思えない噺家を絶賛していたり、その一方でなぜこの噺家について一言も触れない?というのも目についた。
執筆にあたっては「お金を払う価値のある人を見つける。面白くないものは無視する」という方針を貫き、「目を光らせているから、隠れている人はいない」と自信満々というが、正しくは「自分にとって面白くないものは」であろう。
落語は本来、自分にとっていい噺家を見つけられればいいのであって、他人が褒めなくても、自分が面白いと思えばよい。気持ち悪いと思ったのは、この本で「取り上げられていない噺家で面白い人はいない」という態度が鼻についた点である。
立川流ひたすら絶賛の中で、円楽党をまったく評価せず、また寄席にも冷淡だった。
立川流にいい噺家がいることは認めるが、といって寄席を評価しないのはいかがか。もちろん、お目当ての噺家に予告なく代演が立つ寄席は悲しいが、それをある種楽しめるようでもいいのではないか。
そんなマジメな批判はともかく、気になったのはこの記事の次のくだりだ。
「いま年間350日は高座に通い、1600席以上を聴く。それ以外の日は海外出張だというから、つまりは毎日が落語漬けだ。」
たいしたものである。これはなかなかできることではない。だが、これによるとこの著者は年間15日だけ海外出張していることになる(苦笑)
この割合をもって「それ以外の日は海外出張」というのはちょっと・・・(爆)
って、実はこのツッコミがしたかっただけという噂も・・・(汗)
いったいどこが突っ込みどころなのか、私にはさっぱりわかりません。
年間365日のうち、350日は高座を聴きに行く。それ以外の15日は海外出張。
どこかおかしいですか?
だいたい元の文章は「これだけ海外出張に行ってるんだぞ」と言いたいわけではなく、
(日本にいる間は)本当に毎日高座を聴きに行っているという事実を強調するために書かれている、
ということぐらい読めばわかるでしょうに。
なお、この最後の部分以外に関しては同意です。
というか私は実際に本を読んではいないのですが、
広瀬氏にそういった独善的な部分が多々あることはよく承知しているので、
やっぱりなあという感じですね。
舌足らずではありますが、突っ込みの真意は、ここであえて海外出張を書く必要があるのかしらんということで、年間350日と書くだけで十分だったのではということを言いたかったわけで・・・
ちなみに、故志ん朝の兄の故馬生は毎日寄席に出ていることで有名でしたが、それでも年間350日は出ていませんでした。聞く側と演ずる側の違いはあれ、この数字が本当ならすごいことではあります。
ともあれ、広瀬氏のことをご存知のようで、内容についてはご同意いただけたようで嬉しいです。