小生の実家には車がなかった。だから、小生ガキの頃の憧れのひとつに、将来車を持つ身分になりたいというのがあった。
そんなガキの頃に一番心を振るわせたのが、初代セリカであった。記憶が間違いなければ、日本初のスペシャルティカーをうたった車のはずだ。
小生、最初はスペシャル・ティカーと読んでいて、お茶を飲むのか?なんて思っていた(苦笑)。だが、それ以上に鮮烈だったのはCMの斬新さだった。
調べてみたら、なんとYou Tubeにあった(嬉)。ということで、これが当時のCMだ。CMのラストで、お姉さんが車の上に乗り、「こんな車に乗る男って・・・食べてしまいたいくらい・・・セリカですってぇ~」という台詞が印象的だ。
この車は、フルチョイスシステムといって、外装とインテリア、エンジンをいろいろ組み合わせて乗れるのも特徴だった。
だから、外装は一番安いのに、エンジンは強力なのを載せるなんて粋なこともできた・・・が、ほとんどは逆のパターンだったようだ(爆)
とはいえ、トップ写真のGTだけはフラッグシップで、すべて専用でお仕着せだった。
当時、同年代のガキたちで誰いうとなく、トップ写真のターコイズブルーをセリカ色と呼んでいた。この色が一番似合うという意見で一致していたのだ。
調べてみると、初代がデビューしたのが昭和45年。この年には、ギャランGTOというこれまたカッコイイモデルがデビューし、小生の心も萌えていた。
小生の田舎は、伊豆という観光地であり、よってリッチな観光客が新型に乗り、遊びに来ていたので、この手の新型車を見る機会は多かった。
実は、このセリカGTを初めて見たのは、近所の道で路肩にハマり、横転したのを見たのが最初だったのもよく記憶している。
それがまたレンタカーだったことも、強烈な印象だった。
今から見ると、ずいぶん小さいボディで、しかもこの小さな客室だから、とても5人なんて現実的ではなく、っていうか、実質2人乗りなわけで・・・今復刻しているとどんな感じだろうか。軟派な車で、なんとなく女性的な印象が強かった。
実際、アメリカでは、キャリアウーマンが乗る車として、人気を博したようだ。
今や、車を持つ身分どころか、フェラーリに乗る身分として(←うそつけ)、車は当たり前になっているが、当時のワクワク感は望むべくもないのが悲しい限りである。
そんなガキの頃に一番心を振るわせたのが、初代セリカであった。記憶が間違いなければ、日本初のスペシャルティカーをうたった車のはずだ。
小生、最初はスペシャル・ティカーと読んでいて、お茶を飲むのか?なんて思っていた(苦笑)。だが、それ以上に鮮烈だったのはCMの斬新さだった。
調べてみたら、なんとYou Tubeにあった(嬉)。ということで、これが当時のCMだ。CMのラストで、お姉さんが車の上に乗り、「こんな車に乗る男って・・・食べてしまいたいくらい・・・セリカですってぇ~」という台詞が印象的だ。
この車は、フルチョイスシステムといって、外装とインテリア、エンジンをいろいろ組み合わせて乗れるのも特徴だった。
だから、外装は一番安いのに、エンジンは強力なのを載せるなんて粋なこともできた・・・が、ほとんどは逆のパターンだったようだ(爆)
とはいえ、トップ写真のGTだけはフラッグシップで、すべて専用でお仕着せだった。
当時、同年代のガキたちで誰いうとなく、トップ写真のターコイズブルーをセリカ色と呼んでいた。この色が一番似合うという意見で一致していたのだ。
調べてみると、初代がデビューしたのが昭和45年。この年には、ギャランGTOというこれまたカッコイイモデルがデビューし、小生の心も萌えていた。
小生の田舎は、伊豆という観光地であり、よってリッチな観光客が新型に乗り、遊びに来ていたので、この手の新型車を見る機会は多かった。
実は、このセリカGTを初めて見たのは、近所の道で路肩にハマり、横転したのを見たのが最初だったのもよく記憶している。
それがまたレンタカーだったことも、強烈な印象だった。
今から見ると、ずいぶん小さいボディで、しかもこの小さな客室だから、とても5人なんて現実的ではなく、っていうか、実質2人乗りなわけで・・・今復刻しているとどんな感じだろうか。軟派な車で、なんとなく女性的な印象が強かった。
実際、アメリカでは、キャリアウーマンが乗る車として、人気を博したようだ。
今や、車を持つ身分どころか、フェラーリに乗る身分として(←うそつけ)、車は当たり前になっているが、当時のワクワク感は望むべくもないのが悲しい限りである。
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