さて、ここまで日曜日に米團治の会に出掛けた小生だが、翌日は大古今亭まつりに出掛けてきた。
落語通の方には今更だが、江戸の噺家の世界は大きく分けると三遊派と柳派に分かれる。それぞれその中に小さな分派がある。
柳派の中には、林家とか春風亭などもあり、立川もそのひとつ。実際はそれに協会の違いなどがあったりして、複雑な関係になるのだが・・・
そんな中、柳派の流れの中にある流派のひとつが古今亭だ。この会はその名の通り、古今亭のおまつりということになり、ごひいきの菊之丞が主催している。
14日から始まり、5日連続の興行というが、メンバーや日程の関係で初日に出掛けてきた。会場は日本橋公会堂、水天宮からほど近く入れ物としてはちょうどいい。
さて開口一番はいきなり! という感じで志ん五が登場、早逝した先代志ん五に入門し、その後志ん橋に預けになった噺家だ。
先代とはイメージも芸風も異なるが、始めたのが「ん廻し」。この日は出演者も多く、寄席的な時間設定になっている様子。
続いて登場したのが、文菊。どうでもいいが、めくりとザブトン返しはまめ菊だ。ピンクの着物がよく似あっている。また、気のせいか以前より洗練された感じで可愛らしい。
あっ、いかん・・・文菊に戻そう。古今亭といえば、志ん生というあまりに偉大な大師匠が無類の大酒飲みだったことを振りながら、「親子酒」を始める。
文菊という噺家は将来を嘱望される一人であるが、女性の演出には定評があるものの、どうもこのところは、こじんまりしているように感じてしまう。
上手いという点に疑問はないのだが・・・この噺はそもそもナンセンスな噺だと思うので、酔いが回って行く中で親父の変化ももっとダイナミックにやっても・・・とか。
続いて墨田川馬石の登場。ん? 古今亭なのに・・・と言われる方のために軽く触れておくと、馬石の師匠は五街道雲助、そのまた師匠が金原亭馬生、馬生の師匠が古今亭志ん生で、そもそも馬石自体もかつて志ん生が名乗っていたもの。
そう古今亭の中に、金原亭があり、その中に馬石もいるという・・・
で、始めたのが「元犬」だった。この日は彼の本来の味わいとはちょっと違うようにも感じたが・・・
さて、ここまで軽めの噺が三席続いたところで、中トリに登場したのが志ん橋。小生が学生の頃は志ん朝の弟子の二ツ目で志ん太と言っていた。
今では志ん生の弟子たちも全員鬼籍に入っている中では、孫弟子で年齢的には一番のベテランという佇まい。
始めたのは「井戸の茶碗」。マクラも振らずにスッと入り、演出も時間短縮のための工夫を織り込み、久しぶりに昭和の落語を聞いたような気がした。
個人的な好みとかは別にして、ホール落語では昔はたくさんの演者が出ることを踏まえ、時間を区切ってやっていたものだ。
今では「芝浜」は最低一時間かかるなんてバカなことを言っている噺家がいるが、昭和では30分切るのが普通だった。そうした香りを漂わせる「井戸の茶碗」嬉しいぞ。
軽い噺が三席に軽い「井戸の茶碗」で疲労感はあまりなく中入り。中入り後は座談会。全員といいつつ、馬石以外がそろって古今亭の思い出話などを語る。
そしてトリ前が白酒だ。かつて志ん生はたくさんのネタをやっていて、なかには、これどこから持ってきたんだ・・・というのもあった、なんて振りながら始めたのが、「新版三十石」というネタ。
市馬やかつての円生がやっている三十石とはまったく違うネタで初めて聞いたが、軽い噺だ。とはいえ、そこは白酒のこと。完全にやられてしまった。
そのバカウケの名残のまま、トリの菊之丞の登場だ。この日は新調の白い高座議もあでやかで。さて道具屋さんの・・・とくれば、これはもう古今亭十八番の「火焔太鼓」だ。
菊之丞らしい軽妙なノリであっという間にサゲまで。
終わってみれば6人の落語に座談会で3時間で終了。それほどの疲労感もなく帰路についた。やっぱり古今亭いいじゃないか・・・って。
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