古典落語は江戸時代から明治にかけて生まれたものから、昭和になって生まれたものがあり、本当のところ誰が作ったのかよくわからないものがほとんどだ。
またやる方も古典だと思ってやっている「試し酒」のように、実は古典ではなかったりするものもあり、適当な定義だったりする。
昔は古典>新作みたいな価値観があったりしたが、今ではいよいよごっちゃになってきている。まああまりこだわらない方がいいのかも・・・
というところで、古典には珍しく誰が作ったのかがはっきりしている落語がある。それが「蒟蒻問答」である。
この噺は江戸時代に活躍した二代目林屋正蔵(当時は林家ではなかった)の作だ。彼はもともと僧侶であり、その名を沢善(たくぜん)という。
ここまで聞けば、落語通にはおわかりの通り、蒟蒻問答に出てくる永平寺の僧の名前が沙弥沢善だったというのを思い出されるかと。
と・・・長い前置きを置いたが、今日はまず、こちらの記事をご覧いただこう。小生、こちらの記事を読み、蒟蒻問答を思い出した。
蒟蒻問答では坊主がいんちきだが、こちらの話ではもぐりの坊主で、バイトまでやってたりしているという。
いやはや、坊主丸儲けというのは今は昔のことになってしまったようだ。確かに、生まれた家のお寺とは縁もなくなり、自分が何宗の檀家か知らない人も多いだろう。
お寺から見ると、檀家といっても誰もいないとか・・・で稼働している檀家など数少ないというところも多いだろう。
小生の場合は、田舎のことで人口一万足らずの町に八つのお寺があるが、なんとか運営されている。
逆にそれを支えるためのシステムがすごい。法事などがなくても、年に10回はお参りし、お布施を支払う。
夏と冬には独特の集金システムもあるし、お彼岸のお参りもある。さらに、不幸があると、初七日こそ葬儀と一緒にやるが、二七日~七七日(四十九日)まで七日ごとにお参りする。
お盆は、三年間灯篭流しがノルマだし・・・と年間の行事が多い。
さて、皆さんにとってお寺とは・・・何なんでしょうか。小生が田舎の家を建て替えた理由のかなりの部分は仏壇とお寺の関係であり、逆にいえば死んで入るお墓も用意できている。これはこれで、安心なのだが・・・正直大変なんだよなあ。
あらら、話がズレてしまったが、結果としてお寺もなかなか厳しい時代のようで、今更ながらに落語の時代を超えた面白さがわかろうという・・・(汗)
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