玄海の語り部

「健康」を当たり前と思っている人。
それを失ったときに判る「健康」のありがたさ!
川俣保美がそれを熱く語ります。

スーパードライ 成功の秘密

2013年12月14日 15時17分50秒 | 独り言

私達の若い頃、ビールといえばキリンでした。

居酒屋で、「ビール何にしますか」と問われたら、ほぼ全員「キリンビール」

 

しかし今は「アサヒビール」を注文する人が多いようです。

何時頃から変わってきたのでしょうか?

 

ある時、当時アサヒビールに働いていた人に話を聞くことが出来ました。

 

当時、営業マンが酒屋周りをすると、「アサヒビール~あまりお客さんが喜ばないから」と断わられたり、頑張ってアサヒビールを主力で売って頂いてる店から、「どうにかならないの…」

悔しいのと、申し訳ない気持ちで一杯だったそうです。

 

1986年2月、「キレ、コク」をキャッチフレーズに新しい生ビールを発売。

商品はヒットし、同社全体の販売数量は前年比11.9%増の実績を残し、シェアも10.4%と10%台に戻した

 

1986年3月、新商品の開発プロジェクト、コードネーム「FX」を開始。同年6月に試作品が完成した。

しかし、2月に発売したアサヒ生ビールが好調だったことで「FX」を販売することに、懸念の声が多く挙がる。しかし1987年1月21日称「アサヒスーパードライ」として発表 

1987年3月17日に首都圏限定で販売を開始、販売数量の同年目標は年間100万箱としていた。しかし、発売後は続々と追加注文が入り、同年4月時点の出荷量で70万箱を達成し、同年5月には夏頃に予定していた全国販売を前倒しで開始した。

販売目標も400万箱に上方修正、8月販売予測から生産能力を1年間で5割増加させる設備投資計画を始動

11月には販売目標を1200万箱と更に上方修正

1987年の販売数量実績は1350万箱を達成 

1988年同業他社がドライビールを発売、ドライ戦争と呼ばれた。

結局ドライ戦争はアサヒの勝利に終わる。 

売上高と市場占有率を劇的に回復し、同年のシェアはサッポロを抜き2位に回復。

1989年と1990年、積極的な設備投資を行い、1990年代からスーパードライに経営資源を集中し、それに特化した販売戦略と鮮度管理の強化を進める経営戦略が功を奏す。 

1996年に長らくトップにあった「キリンラガービール」を抜いて月間シェアNo.1となり、翌97年には年間シェアもトップに。

1998年(平成10年)に日本国内でビールは市場占有率で1位となった。

(発泡酒を含めたビール類の市場占有率では当時2位) 

劇的なドラマです。

 

ただ、この方はこのような事も言われていました。

勿論、ビールの製法を変えたこと、少しアルコール度数を上げたこと、この時期、消費者の趣向の変化があり、それに対応した商品を作り出すことが出来た事、色々な事が重なって劇的に売上を伸ばすことが事実でしょう。しかし、このビールが定着し、キリンビールのシェアまで抜くことが出来た原因の一つは、1988年同業他社がドライビールを発売したことではないかと言っていました。 

研究して、準備して最初にアサヒがドライビールを販売。他社はその成功を見て、急きょ販売。その勝負なら誰が考えてもアサヒが勝つでしょう。 

同業他社の販売戦略のミスにも助けられたと言っていました。

 

振り返って、私の会社

同じような出来事が今年ありました。 

自社の商品を信じ、真面目に正直に本物商品を供給する。

信念を持って続けてきました。それが良い結果に繋がっているようです。

 

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