いつもより気の早い春は、あっという間に川辺に彩を添え、しばらくしてから川面を染めた。年寄りには桜並木は眩しすぎる。ポツリと咲いているものがいい(これは花火も同じ。スターマインよりも十号玉)。これからは八重桜かな。
画像は、相谷熊原遺跡で発掘された13,000年前の土偶。
縄文の土偶と聞いて思い浮かべるものと違い、現代のアート作品と言ってもいいくらい。
ということは、縄文人達の頭の中は、我々と全く同じだということだ。
最初は写実的なものが作られ、長い年月をかけてデザイン化されていったのだろう。
我々は、デザイン化された縄文土器や土偶を見て、自分達とは異なる文化として見がちである。
異質なものを期待してしまう。
これは、例えば海外旅行も同じ。
「異邦=エキゾチズム」という、日常とは異なるものに惹かれる。
が、それは時には「差別」となって牙を剥く。
ある意味、国際関係はその繰り返しかもしれない。
などという七面倒くさいことはさて置き、この土偶は大いに気に入った。
作品自体はもちろん、「全く同じ」という点が特に。
何かを語りかけてくる。
たぶん、大切な何かを。
初めての海外旅行でソ連に行った時思ったこと。日本と同じじゃん、もう海外に行く必要はない。同じ人間がいて、同じことをしているのだから、当たり前のことである。
山上被告と木村容疑者の違和感。犯行時の態度が常人とは違う。
明日から3泊4日の大阪・神戸遠征。久しぶりに旅立ちます。