ヒトリゴト

ヒミツのヒトリゴト。まったり読んでください。

続き

2006-06-12 21:35:50 | インポート
PATで馬券を買うようになって初めて、
この日曜日は馬券を買わなかった。
一応ブックは買ってみたんだけど…、
時間がなくて携帯で買うこともせず、
ひさしぶりに競馬と縁のない一日を
すごしてしまった。仕事せーよ^^;

土曜日は朝、いちんちぶんの馬を
買ってから出発したけど、なにを
買ったのやら覚えてなかった。
帰ってゴハン食べながら、ちむこうが
「土曜日、180万円ちゅー馬券が出たけど
まさか取ってないよね」と言う。
へっ、取れるわけないよ、と言いつつも
「何がきたの」と聞いたら、携帯の速報見ながら
「ラストクルセイダーだって、ドベ人気だな」

…せんせの推奨馬だ…
総流しした記憶がある。
3連単もこいつが軸だった !
いそいそ帰ってパソコンを立ち上げて
詳細を買い目のメモと照合。
1着馬がいませんでした(T_T)
ワイドが両方とも万馬券だったので
よしとする(T_T)
馬単よりワイドのほうが高かったので(T_T)
うえーーーーん(号泣)

私の甥っ子「まっく」は部活で空手をやっている。
普通の高校なので、スポーツ校とか伝統校には
たちうち出来ない…けど、がんばって
関東大会に出場できることになったのだ !
そしてそして、一回戦で栃木1位の作新学院に
勝ったのだっっ !
まっくは大将なのだ !!
二回戦で惜しくも負けたそうだけど
まっく、おめでとーーーっ !!
来月のJKファンは立ち読みぢゃなくて
買うからね !

☆同窓会つづき☆
同級生その1が別れぎわに
「おみあげ」と紙袋をくれた。
なになに ? と開けたらクッキーがいっぱい。
「私が作ったの、食べて」
「え、あんたの手作り ? 」
うん、と手をふって走って行った。
高校の頃から逆立ちしてもクッキー作るような
子ではなかったのに。すげ。
食べてみるとこれが超んまい !
別の同級生が教えてくれた。
「時々、あの子んちに遊びに行くの、
一緒にゴハン食べよ、て言うから、
どこかおいしい店に連れてってくれるのかと
思ったら、家にテーブルいっぱいごちそうが
並んでるの、信じられる ? 」
「いや…信じられん」
「でしょー、これがうまいんだよー」
ひとって変われば変わるもんだねー。

私ら3人は「後ろ指さされ組」で、
エリートクラスの中で完全に浮いていて、
悪いことばかりしてたけど( 私は今でもだけど )
見事な更正見本。
感動した。

>ぷんち
 写真さんきう♪

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感動

2006-06-12 11:26:33 | インポート
都会から帰ると、ふくらはぎが
異常に痛い(T_T)
あきらかに自分の限界こえて歩きすぎ。

ともかく、30年ぶりの同窓会に行ってきました。
うちの家族いれて15人のしゃべくり大会。
最後までホストげぶちは輪に入れず^^;
卒業以来、はじめて会う人の顔が
わからなかったら困るので卒業アルバムを
持っていったんだけど…全くの杞憂におわる。
みんなの顔を見た瞬間、18才に戻った !!
全員が面影どころか全然変わってない。
名前は出てこなくても、当時の呼び名が
自然に出てくるのに驚いた。
当時、うちのクラスはみんなが「呼び名」を
つけておりました。
ふしぎに感動…30年の時間を飛び越えて、
昨日の続き、みたいな感じでしゃべりまくり。

みんな良いお母さんになっていて、
山あり谷ありの人生を乗り越えていて、
日常生活も、かけはなれて高い/低いレベルの
人もいなくて、まんま卒業時の仲良しグループ。
「教育」「健康」「介護」の話題で大もりあがり♪
やっぱり集まってくれるのは、
不倫だとか精神病とか犯罪とかに縁のない
人たちなんだと実感しました。
みんなに「こんな会をしてくれてありがとう」
「呼んでもらって嬉しかった」と言われて、
私が一番うれしかった。

高校時代に実家まで遊びにきてくれた人が
ほとんどで、何人かは父が死んだことを
知らなかった。
げぶちを見て「お父さんにそっくりや…」と
涙ぐむ人もいれば、よじとぷんちを見て、
「みんなお父さんによう似てる」と感激する人も。

みんなの話を聞いていて、さすがと思ったのは、
お子さまがどの家も優秀だということ。
ほとんどの人が大学生くらいの子供がいて、
どこ行ってるの、と聞いたら、軒並み国立か有名私立。
京大、阪大、同志社、立命、静岡大、神戸大、エトセトラ。
もしかしてわたしらのDNAて思ったより立派なのか ?
ほんわかしたお嬢さんだったT子は、
娘が京大の法科大学院に行ってて、
秋にある司法試験に受かったら弁護士になんねん、と
さらっと言っていた。かわいい娘さんだった。

明るい京都美人だったNちゃんは
どっぷり「大阪のおばちゃん」になっていた。
千日前の住人…似合わん。
「ようテレビのインタビューされるのー、
大阪のオバチャンばりばりやでー」
「信じられん、あの大阪のオバチャンは
あんたやったんか」
「うん、何回もテレビ出た」

超お嬢様で大きな呉服屋さんに嫁いだKは、
30代でご主人をガンで亡くし、嫁ぎ先のおうちに
ささえられて息子二人を育てあげた。
「大変だったね」と言っても、苦労も涙も全く
なかったかのように「まあねー」と笑っていた。
Kの家は、私が京都で初めて住んだ下宿のまん前で、
よく遊びに行っていて、きれいなお母様が
「高校生から一人暮らしなんてえらいわ」と
ケーキを焼いてくれたり、ゴハン作ってくれたりしていた。
おうちの一室が一人娘のための部屋で、
小学一年生から中学卒業までのすべての
教科書とノート、服なんかがきちんと並べられて
保管されていて、たまげた。
その母上も亡くなられたそうだ。

来た人の中で3人の息子が同志社で同じクラス、
みんな写真を持ってきていて見せてくれた。
でも、げぶちのことを「ええ息子さんや」と言う。
「うちなんか息子は一緒に来てくれんよ、おかんの
友達と飲むなんかイヤて言われる。ゲンくんは
えらいな」
「本願寺で修行してはるんやて、立派やな」
「あんたとこも安泰やんか」
口々にほめられて、母は少し舞い上がる^^;

「ところで、ばにらは元気やの」
「こないだ電話でばにらとしゃべったの嬉しかったー」
「年賀状のばにらは何やねん、毎年毎年大きうなって」
…うちのおやぢは「ばにら」と呼ばれておりました…
私ですら忘れていた呼び名を普通に言われて、
しばし感動…。この呼び名を知っているのは、
高校の同級生で京女の大学に行った子だけなんだけど、
あらためて聞いてみると半分くらいの人は
違う大学に行っていた。同志社率特に高いことが判明。
京大と早稲田と大阪芸大もいた。
ふたたび思う。私らのクラス、やっぱりアタマいい子が
多かったんだー。

遠い人から順番に帰っていく。奈良、滋賀グループが
10時頃、大阪、向日市、京都市内が11時頃、
最後に残ったのが私とヨジを含めたオークラ宿泊組。
ホテルに帰って、お風呂に入ってまた飲む。
「あー阪神負けてるー」
「なんやねんっ(怒)」 でヤケ酒。

翌日、なつかしの高校講堂で同窓会一部。
卒業以来、はじめて足をふみいれた母校は
やけにキレイになっていた。
1時からの同窓会ニ部、リーガロイヤルまでの
あいた時間に京都駅で待ち合わせ。
この時間にしか来れない同級生と4人で
喫茶店でまたまた大盛り上がり !
時間を忘れて話し込み、あわててリーガに
行ったらニ部が始まったところだった。
200人近い人数のオバチャン、おばぁちゃん方。
見る影もなくハゲた先生方。
やたら、ぷんちの同級生が挨拶に来る。
ぷんちが高校生になった頃は、
私ら3姉妹は一軒家を借りて住んでいて、
私がいちお保護者みたいな感じだったので、
鳥羽街道の家によく友達が遊びにきていた。
…悪いことばっかり教えてた…^^;

そのぷんち同級生グループが壇上で
「京女節」を歌ったりした。
もちろん岡山の義妹も下の子連れて来ている。
おやぢの弟のヨメはぷんちの同級生…って
言ったよね ??
最後に親しい人とばしばし記念写真をとってお別れ。
「またやろうね」
「また呼んでね」
「メールちょうだいねー」

30年の年月はこんな短い時間では
埋まらなかったけど、無理に埋めなくてもいい部分も
あって、ほんとに涙が出るほど嬉しかったよ。
ぷんち、おつかれ !!
( 第二部につづく )

コメント (2)
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