朝一番の仕事は薪ストーブつけ。夜のうちにちゃんと面倒を見ておけばおき(漢字が確定できない)が残っている。灰を掻き分けおき火を集め小枝を入れれば簡単に炎は立ち上がる。薪ストーブのおかげで夜中も冷え込まずにすごしている。貧しい我家の暮らしの中でいくつかの自慢の一つ、薪ストーブに感謝である。
めずらしく5時起床。小枝を取りに裏口を出るといたんだ雨どいから雫が…??昨夜は満天の星が輝く快晴だった!起き抜けの体はそのことを忘れてはいるが、寒くない。こんな時は特に上着を羽織ることもなく、そのまま外に出てしまうのだが 寒くない…?(こんな生活の一シーンの積み重ねで寒さに慣れていくのだと思う)1月も下旬この時期は暖かくても-5℃ぐらい、-10℃になっていてもあたりまえの季節だ。雨どいから落ちる雫を一瞬だがとても新鮮に感じた。あるはずはないシーンだったから。最も仕事のために早起きをしているのでそのままバタバタと朝はすぎていく
8:00出棺 まさみのおっちゃんの見送りだ。
我家が暮らす、この隣保班は無田中一組。18年前ここで暮らし始めたときに実はわけもわからずこの組に入れていただいた。自分たちにとって新天地?(だと信じていた。今も)での暮らしに夢膨らむばかりで周りへの気遣いなどまったくないまま、まして親戚や友人のまったくいない中でのスタートだった。出かけて留守の間に入り口に野菜が置かれていたり、何かの飲み会が近くであると急に誘われたり…(その時はすでに組のメンバーになっていたのだが自分たちにその自覚がないまま)目一杯お世話になった。いやなっている。隣保班の会合は基本的に戸主が参加する。私は若輩でも戸主だが、この頃同世代は親父さんが元気で、まだ会合には参加していない。次世代を担う跡取がいてこれがやたらと元気だった。青年団・消防団・農協などを通じて彼らは強力なつながりを持って暮らしている。隣保班での活動は大先輩の中緊張の連続だったが、平行して次世代を担う同世代の仲間との交流が緊張の中にも親しみやすく酒好きの私はなじんでいった。ここでの暮らしのすべての基本がこの中一組に入れていただいた中から始まっているのだと思う。
ここ田舎の暮らしは年寄りが元気だ。前の話の若者も今ではみんな戸主となり隣保班を引っ張っている。それでも何かあると年寄りの知恵と経験に頼りながらやっている。何かあると年寄りたちの考えに感動することばかりだ。この爺さんは(私がここにきた頃から)会合の最後をいつも締めくくっていたような気がする。辛口の発言も多かった。少し強引なところもあったと思う。よそ者の自分にとっては怖く感じるときもあった。言いたいことをわがままに言ってきて、今ここで落ち着いて暮らしているのは、この人たちの道筋のおかげだと思う。その一人が逝ってしまった。
隣保班の最大のイベント(?言葉が悪く批判を頂くかも)は葬式だ。突然訪れる人生の最期を…
「ごめんね」のタイトルに行かないままくだくだと続いている。明日は本業・アルバイトともに暇なのでもう少しじっくりとブログに向き合おう。サボっている言い訳話なのだが…いろいろ話したい事が多くて
また明日この話の続きを書きたいと思います。 オヤスミ 1/29のつもりで書いています。
めずらしく5時起床。小枝を取りに裏口を出るといたんだ雨どいから雫が…??昨夜は満天の星が輝く快晴だった!起き抜けの体はそのことを忘れてはいるが、寒くない。こんな時は特に上着を羽織ることもなく、そのまま外に出てしまうのだが 寒くない…?(こんな生活の一シーンの積み重ねで寒さに慣れていくのだと思う)1月も下旬この時期は暖かくても-5℃ぐらい、-10℃になっていてもあたりまえの季節だ。雨どいから落ちる雫を一瞬だがとても新鮮に感じた。あるはずはないシーンだったから。最も仕事のために早起きをしているのでそのままバタバタと朝はすぎていく
8:00出棺 まさみのおっちゃんの見送りだ。
我家が暮らす、この隣保班は無田中一組。18年前ここで暮らし始めたときに実はわけもわからずこの組に入れていただいた。自分たちにとって新天地?(だと信じていた。今も)での暮らしに夢膨らむばかりで周りへの気遣いなどまったくないまま、まして親戚や友人のまったくいない中でのスタートだった。出かけて留守の間に入り口に野菜が置かれていたり、何かの飲み会が近くであると急に誘われたり…(その時はすでに組のメンバーになっていたのだが自分たちにその自覚がないまま)目一杯お世話になった。いやなっている。隣保班の会合は基本的に戸主が参加する。私は若輩でも戸主だが、この頃同世代は親父さんが元気で、まだ会合には参加していない。次世代を担う跡取がいてこれがやたらと元気だった。青年団・消防団・農協などを通じて彼らは強力なつながりを持って暮らしている。隣保班での活動は大先輩の中緊張の連続だったが、平行して次世代を担う同世代の仲間との交流が緊張の中にも親しみやすく酒好きの私はなじんでいった。ここでの暮らしのすべての基本がこの中一組に入れていただいた中から始まっているのだと思う。
ここ田舎の暮らしは年寄りが元気だ。前の話の若者も今ではみんな戸主となり隣保班を引っ張っている。それでも何かあると年寄りの知恵と経験に頼りながらやっている。何かあると年寄りたちの考えに感動することばかりだ。この爺さんは(私がここにきた頃から)会合の最後をいつも締めくくっていたような気がする。辛口の発言も多かった。少し強引なところもあったと思う。よそ者の自分にとっては怖く感じるときもあった。言いたいことをわがままに言ってきて、今ここで落ち着いて暮らしているのは、この人たちの道筋のおかげだと思う。その一人が逝ってしまった。
隣保班の最大のイベント(?言葉が悪く批判を頂くかも)は葬式だ。突然訪れる人生の最期を…
「ごめんね」のタイトルに行かないままくだくだと続いている。明日は本業・アルバイトともに暇なのでもう少しじっくりとブログに向き合おう。サボっている言い訳話なのだが…いろいろ話したい事が多くて
また明日この話の続きを書きたいと思います。 オヤスミ 1/29のつもりで書いています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます