昔々『ラットパトロール』っていうアメリカのTVドラマがあった。
第二次大戦中のアフリカ戦線を舞台に、連合軍特殊部隊『ラット・パトロール』のメンバー4人が重機関銃を装備した2台のジープへ分乗して、ドイツ軍機甲部隊を相手に大活躍をする痛快戦争アクション・テレビドラマ。
1966年から2年間放送されたっていうから、当時は小学校低学年だったか。
もしくは貧乏な富山のテレビ局の事だから何年か経ってから再放送されていたのかも知れない。
とにかくこのドラマのジープのカッコイイ事ったらなかった。
少年の心に鋭い爪痕を残した事は間違いない。
それから20年以上も経って、突然爪痕が疼きだした。
どうしてもあのジープを手に入れないといけない。
憑り付かれたようになって手に入れた。
三菱・ジープJ53
1950年代にアメリカのウイリスのノックダウン生産から始まったのが三菱ジープの起源。
その後、日本国内で独自に進化していたのだけれど、アメリカ本土のジープとは全く別の進化をしていて、基本的なモデルチェンジを行わずに各部の強化やエンジンの改良などで対応していたため大戦当時の雰囲気を長く留める事となった。
J53は初めてターボを搭載したモデルで最高出力94ps/3500rpm、最大トルク21.0kg・m/2000rpmを発揮した。
最大トルクを僅か2000回転で発揮するところなんかが魅力で図太い低速トルクのおかげで、3速とかからもアイドリング発進できるほどだった。
全長3.5mのショートボディー
エンジンはフロントアクスルより後ろに重心があって、フロントミッドシップの構成だ。
運転席に座って手を伸ばすとリアタイヤに触る事ができるなんてレーシングカーと同じじゃん!!
これ以上無いってほどの無骨なクルマは本当に何処でも走る事が出来た。
雪道にも強かったけど、凍結路とかで止まらないのは他車と同じなので怖い思いもした。
ハイラックスサーフのふわふわサスペンションで車酔いした子供たちも
ジープのガチガチのサスペンションはお気に入りで、意外にも子供受けは良かった。
こんなクルマなので欠点を挙げるとキリが無い。
パワーアシストが無いので、ハンドルは重い。
ブレーキ・クラッチペダルの踏み込みだってメチャ重い。
エアコンが無いので夏は激熱(あえて暑じゃ無くて)、特に雨の日は窓を開ける事もできず車内はサウナ。
振動が激しいのでCDの再生は困難で、当時はカセットテープを聴いてた。
どこからともなく雨漏りして床に水溜りができた。
まだまだキリが無いけどそんな欠点はちょっとした個性くらいにしか思えなかった。
とにかく運転しているのいるのが楽しくて、走らせているだけでご機嫌だった。
特に幌を外してのオープンでの走行は最高だった。
ドアも外して、フロントガラスを倒せば視界を遮るモノは何も無い。
ヘルメットも要らないし、ある意味オートバイよりオープンエアだった。
ジープに比べれば普通のオープンカーは全然オープンじゃ無い。
あんなのはセミオープンカーだな。
とはいえ、フルオープンで走行して気持ちがイイって日は現実的には年に何日も無かった。
夏は暑いし、冬は寒いし・・・。
結局数日のフルオープン走行の為に350日我慢して幌をかけて走ってるって事になる。
それでも全然気にならなかったけどな。
極めてシンプルなドライバーズシートからの眺めもお気に入りだった。
パワーアシストが無いので超大径のハンドルは大型トラックの其みたいだったし、丸メーターが5つ並んだパネルは潔い感じで見飽きる事は無かった。
ずっと乗り続けていたいと思ってはいたのだけれども、限界はドライバーの方に早く訪れた。
毎日の足として使うには体力が及ばなくなってしまったのだ。
かといって此奴をセカンドカーにしてもう一台クルマを維持するなんて事は経済的に許されるはずも無かった。
仕方なく、泣く泣く手放して乗り換える事になった。
次に選んだのは以前にも長く付き合ったハイラックスWキャブ。
実用性と趣味性の最大公約数はこの辺りに落ち着くようだ。
ボクの愛車遍歴のうちの30余年、30万キロ超は、
ハイラックスWキャブ・ジープ・ハイラックスWキャブ
という結構スパルタンなクルマで構成される事となった。