アメコカ マイケル  "Twinkle Twinkle Little Star"

マイケルの日常や庭の草花等色々織り交ぜながら、お届けしま~す。

ローマ-バチカン市国(サン・ピエトロ大聖堂)

2010-07-29 | trip
 昨日に引き続き、ローマ教皇が統辞する世界の最小の独立国家-ヴァチカン市国です。バチカン美術館の隣、カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に行きました。 

この教会は、そもそも西暦64年、暴君で知られるネロ帝の迫害を受けて殉教したイエスの1番弟子であり初代ローマ教皇である聖ペテロのお墓がここにあったそうです。その後326年、コンスタンティヌス帝が、彼のお墓の上に教会を建立しました。1506年、建築家ブラマンテの設計により大改築がスタート。120年もの年月をかけて完成したそうです。その間、ルネッサンスを代表する芸術家-ラファエロ、ベルッツィ、サンガッロ、ミケランジェロ、ベルニーニ、etc-が、関わり、完成を見ないで、没していきました。 彼ら製作者達が、思い浮かべる事しかできなかった巨大な芸術作品を、数世紀先の世界中の人々が、堪能しているというのも不思議な気がしますね。

どこを見ても、すべてが芸術であり、数百年経た今も、そして、今後もその偉大さ、素晴らしさは、色あせず、カトリック信者の方々は勿論、私達のような観光で訪れた人々にも、すべての人に感銘を与える事でしょう(イタリア観光案内みたい??)


  この広場(サン・ピエトロ広場)が、ローマのアヴェレ川の西側にあるヴァチカン市国の玄関口。 建築家ベルニーニが、設計を担当し、1667年(日本は、江戸時代初めか?)完成。中央に見えるオベリスク(25.5m)は、西暦40年、エジプトから運ばれたものだそうです。 


 この広場、大規模な集会の時は、30万人の人々が、収容できるほど広いようです。

 
 これらの円柱は、ドリス式。284本あり、楕円形の回廊を支えている。回廊の上を見ると、140体ものカトリックの聖人像が、広場にいる私達を、見守っていました。 昔(若い頃)訪れた時は、冬で、とても寒かったのですが、クリスマスの心温まる楽しいページェントの飾り付けを見ることができたました。

    
          いよいよ、カトリックの総本山の中へ、入ります。



        




     大聖堂内、中央の身廊の幅だけで、58m!! 更に、この左右に側廊がある。また、奥(ちょうどドーム-クーポラ-下)に、教皇の祭壇を覆う大天蓋が見えます。


      入口より右の方を見ると、ミケランジェロ、23歳の時の作品-ピエタ像。このような題材に挑み、見事に彫りあげたミケランジェロ、23歳の青年の作品とは、信じがたい完成度です。マリア様の慈悲に満ちた表情には、心の美しさまで映し出しているようで、このすばらしいピエタ、以前みた時は、防弾ガラスケースに入れられていませんでした。が、その後、異常者による破壊事件(足?)のため、このようなケースに入れられてしまったようです。


 この像は、教皇の祭壇に至る少し手前にあります。イエス様の1番弟子の聖ペテロ像(初代教皇)、13世紀のブロンズ像です。「私は、あなたの天の国の鍵を授ける」(マタイ16:19)というイエス様の御言葉により、ペテロは、鍵(複数形)を持った人物像として、描写されています。
パレスチナのガリラヤ地方の漁師だった彼は、イエスの1番弟子として、使命を果しました。 西暦64年(~67年)、暴君ネロ支配下のローマで殉教したと伝えられています。また、イエス様と同じ十字架刑は恐れ多いと、もっとつらい逆十字架刑にされて、前述のように、その遺体は、この地に葬られたそうです。



      クーポラ(ドーム)の真下、教皇の祭壇を覆うブロンズ像の巨大な天蓋。



           1633年に製作されたもの。クーポラによる、天井の高さとつたのからまる捻じれた4本の柱や装飾が、荘厳さと、厳粛さな雰囲気を演出しています。

それは、更に聖堂の最奥(最も神聖な場所)の聖ペテロの司教座へと続きます。 内部に聖人が使ったとされる古い司教座があるそうです。  

          ちょこっと、ママ登場。


バチカン美術館へ、入るために、市国外の道沿いに並んだ行列です。日陰もなく とにかく暑くて、日本の番傘?が日よけに、売っていて、さしている人達みかけました。左下の写真のちょっと小さくて派手なオレンジ色の傘がそうです。

 

 次回は、テレビでもよく見かけるローマの観光名所を少しと、ローマのマック等を、載せるつもりです。 では