泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ツナグ

2024-12-18 20:23:06 | 読書
 寒さが厳しくなってきました。北国や日本海側では大雪も降り、毎年のことながら関東に住む私は冬場にたくさん走ることができてありがたいと感じています。そんななか、私が応募しようとしている「小説すばる新人賞」の選考委員をされている方達の作品を読もう強化期間に入りました(ごく個人的に、です)。
 まず一作目がこちら。
 作者の辻村深月さんは「傲慢と善良」(朝日文庫)が映画化もされ、今よく売れてる作家のお一人です。私はまだ読んだことがありませんでした。
 たくさんある著作からこの本を選んだのは、私が一番読みたい作品だったから。
「使者」と書いて「ツナグ」と読みます。ツナグとは、一体何者でしょうか?
 何と何をツナグのでしょうか?
 様々な主人公が登場しますが、同じ強い思いを持ってツナグの電話番号に辿り着きます。強い思いがなければツナグと接触することもありません。
 それは「死んだ人に会いたい」という強い思い。ツナグは、生きている者と死んでいる者を一晩だけ会わせることができます。光の強い満月の夜、一番長く時間を持つことができ、夜明けまで会いたいと願いあった二人はホテルの一室で再会を果たします。
 家族に受け入れられることなく、会社でも居場所の限られた女性が、テレビで見た女性タレントに街中で助けられ、それをきっかけにファンとなって、タレントの急死を知ってツナグに連絡をする「アイドルの心得」。
 長男として工務店を引き継ぎ、口は悪いが腕のいい仕事人の男性が心に引っかかっていたものを確かめたくてガンで亡くなった母と会う「長男の心得」。
 婚約した女性が失踪し、七年経っても現れず、ついにツナグを頼った男性の「待ち人の心得」。
 二人の演劇部の女子高校生の一人が通学路で自転車事故のため亡くなってしまった。その親友は大事な舞台の主役を奪われたことを根に持ち、「事故でも起こればいい」と思ってしてしまった行動が事故死の原因になってしまったのではないかと恐れ、ツナグと出会う「親友の心得」。
 以上の4編は連作短編で、ここまでで終わってしまうと物足りなさが残るかもしれません。が、さすがは売れているだけはあります。次の5編目はツナグが主人公となっているのです「使者の心」。
 ツナグは、ある男子高校生が務めているのですが、その子がどうしてツナグを引き継ぐことになったのかが少しずつ明らかにされていきます。そしてツナグであるために必要なこと、またしてはいけないことも祖母から教えられていきます。
 その子の名は歩美(あゆみ)と言いますが、彼の両親はすでに亡くなっていました。父の浮気が原因の痴情のもつれとかなんとか、死に方が普通ではなかったので周りにささやかれたりして。その謎も解され、歩実は自らツナグとなる決心に至ります。
 歩美の前の4人も主人公ですが、やはりタイトルになっているようにツナグである歩美が主人公だったのだと読み終えて思います。彼の物語を読んでやっと全体が腑に落ち、「よき物語を読んだ」という充足感が湧いてきます。そしてこの作者の他の作品にも手が伸びていく、という感じです。
 小説は、文章の巧拙や人物造形の明確さ深さ、表現力語彙力、動機の切実さだけでなく、その物語を最も有効に機能させる構成を作る力が必要だと改めて思います。長い文章だけの世界ですから、いかに飽きさせない工夫ができるか。せっかく手を伸ばしてくれた人に、どれだけ親切でいられるかということにもなってきます。
 あと辻村さんの作品から感じたのは、登場人物が実に丁寧に描かれているということ。それは他者への敬意が滲み出たものとも言えそうです。その気持ちだけで上手に人物が描けるというわけではないと思いますが。
「私のために書いてくれた! というたくさんの幸福な勘違い読書体験が血肉となっている」とご本人は言っています。そう、あれこれ言ってみて言語化してみても、結局はどれだけ読んで自分のものになっているか。それらはいざ自分が書いたとき、支えとなっていると実感するものです。
 ということでもう次の方の作品は読んでいる最中です。あと少なくとも3冊は、「選考委員の方々の作品を読もう強化期間」シリーズとなる予定です。

 辻村深月 著/新潮文庫/2012
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死の森の犬たち

2024-12-14 20:55:31 | 読書
 読み出したら止まらなくなってしまいました。
「動物もの」と言っていいのかどうか。そんな単純な枠にははまらないように思います。
 主人公は確かに犬です。犬と言っても、「犬」とくくれるものじゃない。それぞれに個性があります。その個性の違いがドラマを生んでいるとも言えます。
 ゾーヤと名付けられた雌の子犬は、ナターシャの一家にあたたかく迎えられます。
 でも、その幸せはほんの一瞬でした。その後、長く過酷なサバイバルが待っていました。
 ナターシャの家は、チェルノブイリ原発のすぐ近くにありました。爆発、そして突然の避難。福島の記憶が蘇ります。
 ペットを連れて行くことは禁止されていました。しかし、ナターシャはこっそりゾーヤを連れてきました。とても置いていくことはできなかったので。
 バスに乗るとき、ゾーヤは見つかってしまいます。外に置かれたゾーヤは、バスが走り始めると一心に追いかけます。何かの遊びだと思って。だけど、バスは一向に止まらず、やがてゾーヤは追いかけることをやめてしまう。
 ナターシャとゾーヤのその後が展開していきます。
 ナターシャは人に本心を見せない勉強一途な科学者になっていきます。原発から避難してきた運命を受け入れてくれる人たちばかりではありません。変わった人と見られても、ナターシャは一人で過ごすことに慣れていきます。理解者であった父は、被曝の影響で早くに亡くなってしまいます。母は再婚しますが、その義理の父とナターシャは距離を置いたまま。ナターシャは父の勧めもあって核エネルギーの生みの親である物理の研究に邁進します。この道のりは、先にノーベル平和賞を受賞されてノルウェーで演説された日本原水爆被害者団体協議会の田中さんと似ています。成績は優秀で研究職にも恵まれますが、心には大きな穴が空いたままです。彼女は決して幸せではありませんでした。
 ゾーヤは、「魔女」と言われていたお婆さんのカテリーナに拾われます。カテリーナは避難を指示されても従わず、残ることを選んだ人でした。カテリーナは結婚相手を亡くしており一人。ゾーヤはカテリーナに懐いて、カテリーナもゾーヤがいることで孤独を癒されていました。
 が、狼がやってきます。そしてゾーヤは、雄の狼の魅力に抗えず、付いて行ってしまいます。そう、ゾーヤの中にも元々狼の血が入っていました。目の色が左右で違うのが証拠です。片方は冷たい青、もう片方は温かい茶色。
 ゾーヤは子供を二匹産みました。森の中の洞穴で。ミーシャとブラタン。ブラタンは弟で、生まれつき後ろ足が弱くて早く歩けず、その代わり噛む力は犬一倍強い。
 来る日も来る日も獲物探し。小熊と出会ったり、山猫に襲われたり。その中でも一番の強敵がやはり狼でした。
 雌の狼、クロスフェイスがミーシャの宿敵となっていきます。
 老いたゾーヤはカテリーナの家にかろうじて戻り、そこで安らかな最後を迎えますが、残されたミーシャとブラタンは、クロスフェイスから逃げるように住処を探す旅に出ます。
 無人となった農家に出会います。そこには野生化し生き残っていた犬たちがいました。ミーシャとブラタンは、そこのボスのコーカシアンシェパードに認められて仲間となることを許されました。コーカシアンシェパードは、狼を退治するために改良された品種です。
 ミーシャはそこで伴侶となるサルーキと出会う。
 サルーキは、この本の表紙の右側で走っている犬ですが、狩猟犬で顔が小さく足が長く、人との歴史が七千年もあると言われている最も古い犬種です。
 農家の地下室にソーセージを見つけてひとときの幸福を味わいますが、犬たちはまたしてもクロスフェイスが引きつれる狼軍団と戦うことになります。この場面は作者も一番力が入ったらしく、ハラハラドキドキの連続。かつての仲間だった馬が活躍したり、かつての遊び仲間だった小熊が助っ人に来たり。
 その後も息をつかせない展開が続きます。
 最終的にゾーヤの子であるミーシャはどうなったでしょうか?
 大人になったナターシャは、故郷に放射線を測定するボランティアとして戻ってきます。それは野生化した動物たちの保護が目的だったのですが。
 人間の活動によって「死の森」と化した場所が、かつてのペットたちの野生を取り戻す場所ともなったことが印象的です。犬が犬になり切れず、狼と連れ添うというのもこの作品では大きな特徴です。私は知りませんでした。狼と犬が、完全には別れていない種だったということが。人がいなくなったことによって動物たちが主導権を取り戻すかのように生き生きとする。それはいつも死と隣り合わせなのですが。
 動物たちが決して擬人化されていません。動物は動物として、その個性を尊重されて描き分けられていることもこの作品の美点だと思います。だからこそ、読者は一つの動物に感情移入してページをめくる手が止まらない。
「たましいのきずなはけっして消えない」
 愛された記憶は決して消えません。それが人を、人だけでなく動物も、生かしていく原動力なのだということを「死の森」が浮かび上がらせています。

アンソニー・マゴーワン 作/尾﨑愛子 訳/岩波書店/2024
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神戸マラソンにて

2024-12-07 20:28:34 | マラソン
 写真が来たので載せておきます。
 レース中の笑顔は珍しいです。
 おそらく40キロ付近だと思いますが、ここに来るまでたくさんハイタッチしてきたので、顔はほぐれていたのでしょう。
 応援してくださった皆様に改めて感謝します。本当に、いつもマラソンの後半は応援が頼りです。
 神戸から3週間経ちました。今日は20キロほど走りました。筋肉疲労も抜けてきました。
 次の東京マラソンに向けて、走行距離を伸ばそうと計画中です。
 絶対に自己ベストを更新したいから。
 着実に、でも無理はせず。
 東京の次の大会もエントリーしました。
 5月11日、2年ぶりの仙台ハーフマラソンです。ホテルももう予約しました。
 今年は仙台に行けなかったから。やっぱり行きたい、大事な場所です。
 マラソンは続いていきます。どこまでも。
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中空構造日本の深層

2024-12-04 20:25:51 | 読書
 少し前に読んでいたのですが感想がまだでした。
 前から気になっていて、執筆がひと段落して、やっと手が伸びました。
「中空」とはなんでしょうか?
 著者の河合隼雄さんはカウンセラーで、面接を重ねるうちに日本人独特の心があると気づきます。その典型を昔話や神話に見出してきました。
 中空のヒントは古事記から。アマテラス、ツクヨミ、スサノオという三神がおりますが、活躍し記述されるのはもっぱらアマテラスとスサノオ。同様の構造は、ホデリ、ホスセリ、ホヲリ、また、タカミムスヒ、アメノミナカヌシ、カミムスヒの三神(ホスセリとアメノミナカヌシがツクヨミに該当)にも当てはまります。
 日本神話に登場する神でありながら、なぜほとんど注目されないのでしょうか?
 空だから。特にないから。
 え? 神なのに特に記述すべきことがないって。
 いや、そうだからこそ存在意義がありました。
 西洋ではどうでしょうか?
 一神教ではどうでしょうか?
 神は一つ。それが当たり前で育つとどんな考え方になっていくのか?
 少し想像すれば見えてくるのではないでしょうか?
 異教を排除する。異端を追い出す。違う神を認めない。ジハードとか聖戦とかが正当化される。善と悪がはっきりと別れ、分断されることになっていくのではないでしょうか。
 一方で、三神のうち一つの神が無力だとしたら。
 善と悪だけじゃなく空が最初から入っていることで、善と悪の固定化が防がれる。善と悪が入れ替わる余地が生まれる。ちゃらになるというのでしょうか、空があることでリセットが可能になる。そして善と悪など対立する者同士の共存が可能になるのです。
 大した知恵だと思いませんか?
 それは環境の要因も大きいと思います。
 日本は島国です。地続きの国境というものがない。
 それに地震と津波と火山に台風まである。一つの建物が何百年と残ることはほとんどありません。むしろ定期的に建て替えるのが当たり前。
 自然は豊かです。一方で、人間の持つ力を肯定的に受け止めることは難しかったのかもしれません。すぐに震災でゼロにされてしまうから。
 そして天皇制という仕組み。天皇は国民の象徴で権力を持ちません。明治時代、天皇を神としてまとまろうとした日本は、海外の方達をことごとく敵視し、今思えば無謀としか言えない戦争に明け暮れました。
 中が空であることで、対立する者同士が共存できる。相反する力を象徴に統合することで乗り越えることができる。そんな日本という島国ならではの心の深層。
 一方で、短所もあります。
 無気力、責任感の欠如、自分の課題を棚上げしてしまうこと、過度の依存、意思が弱い、自分が何をしたいのかわからない、ミートゥーイズム、みんなと同じじゃないと不安、などなど。
 河合さんの提案は一つだと私は思いました。
「個々人が自分の状態を明確に意識化する努力をこそ積みあげるべきであろう。これは遠回りの道のように見えて、実は最善の道と考えられるものである。そのような意識化の努力の過程において、中空構造のモデルは、ひとつの手がかりを与えてくれるものとなるであろう」 77ページ4行〜7行
 何でもかんでも「やばい」ではなくてね……。もっと言葉(心)はあるから。
 カウンセリングも小説も「個々人の自分の状態を明確に意識化」するお手伝いができます。私もその努力をこそ積み上げてきたのだと思います。毎日日記をつけたり、こうして読書感想を書いたり。
 人の心というのは、それほどまでに不可解で広大で、無限とも言えるものだから。
 海のようなものです。海は広くて大きいから冒険に出たくなる。でも海のことを知らなければ、飲み込まれたり流されたりしてしまうことも起きます。
 一つずつ、知ったことを書いていく。その積み上げが、その人の人間の幅や奥行きともなっていきます。自分がしあわせになり、しあわせを他の人に運べるようにもなれるかもしれない。
 まずは自分から。自分という海を知っていくことから。
 人のせいにするでもなく、自分のせいにするでもなく。
 河合隼雄さんの書いたものを読むと、やっぱり心のどこかにピッタリと収まっていく感じがします。

河合隼雄 著/中公文庫/1999
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神戸へ

2024-11-23 21:20:23 | 
 初めての神戸。
 神戸マラソンに参加することが大きな目的でしたが、他にも行きたいところはたくさんありました。
 初日、ポートライナー(神戸空港までつながっているモノレール。運転手はおらず、遠隔操作されています)でポートアイランド内のマラソン受付へ。帰りは三宮駅まで戻らず、途中下車して海沿いをてくてくと。行きたい場所その一は神戸海洋博物館。冒頭の写真は、海洋博物館に入るとお出迎えしてくれるロドニー号。
 ロドニー号は、1868年に神戸港が開港した際に祝砲をあげたイギリスの艦船。もちろん模型ですが、よく見れば見るほどよくできています。館内には他にもたくさんの模型船が展示されています。
 船がいかに大事なものであったか。それは今でも同じで、海に囲まれた日本は輸入品のほとんどを船に頼っていました。船は、とんでもない量を一気に運べる。神戸は、昔から(平清盛から)貿易の重要な拠点。中国、朝鮮、また日本海側の地域から江戸までつながっていた。大阪に入る船の積荷を小舟に下ろす場所でもあった。
 両親が気仙沼という港町育ちなので、私も自然と港町、船、海は好きになりました。年を重ねるたびに、と言えるかもしれません。なので海洋博物館の船たちは私にとってお宝のような存在でした。実際に見て、その気持ちを強くしました。
 海洋博物館の手前には神戸港震災メモリアルパークがあります。

 改修工事中でもあったのですが、当時のままの港跡は見ることができました。
 傾いて沈んだ電灯が、確かにここに巨大地震が発生したことを物語っています。
 沈んで海に浸っている姿は、気仙沼のかつての魚市場を思い出します。
 当時の姿を残して伝えていくことは今後のためにやはり大事だなと感じました。これがなければ忘れてしまう。それほど神戸は成長がたくましかったから。

 マラソンが終わった二日目、向かったのはポートミュージアムのアトアです。アートとアクアリウムを融合した施設。展示がユニークで、水族館で動物園で、かつ美術館で図書館でもあるような場所でした。

 こんな感じです。きれいですよね。この魚、初めて見ましたがユメウメイロというそうです。
 アトアで有名なのはこちらでしょう。

 これは地球を表しているようです。中にいる魚はサクラダイにキンギョハナダイ。
 丸い水槽って見たことないような。
 つい長居してしまう美しさ。それが地球なんですよね。
 そのアトアの屋上から見た夜景がこちらです。

 右下のエメラルドグリーンの船のような形をしたものが海洋博物館、ちょうどそのポールのような赤いものがポートタワーです。

 そして3日目。
 早朝に生田神社へ参拝。

 この神社は神戸の中心とも言えます。
 806年、朝廷から生田神社に仕える家・神戸(かんべ)44戸をいただいたとあり、神戸の名の由来になっています。神社の裏に広がる生田の森は、源平合戦が繰り広げられもしました。その森に咲いていた石蕗(つわぶき)です。

 石蕗は好きな花の一つです。花言葉は「困難に負けない」。
 おみくじは大吉でした。いわく「このみくじにあう人は 草木の春にあい 花咲き やがてみのるようで 世に出る喜びがある 神仏を信じ 自らかえり見て 謙虚ならば 幸せ来たる」。
 謙虚であること。改めて。「仕事守」を買って帰りました。

 次に行ったのは「戦没した船と海員の資料館」。

 平日の10時から開館だったので、時間調整も兼ねて旧居留地や南京町をぶらぶら。ポートタワーの手前にこの資料館はあります。
 9月に新聞で知ったのでした。私の祖父も戦没者の一人です。もしかしたら、何かわかるかもと思い、ちょうど神戸にあったのでぜひ行きたい場所でした。
 記帳し、館内を見ていると「何かお探ししましょうか?」と声をかけていただきました。実は祖父も船員で、と名前と本籍地をメモして渡して調べてもらうことに。
 やがて名前を呼ばれ、ちょっと来てくださいと奥の事務所へ。
 差し出された名簿に、祖父の名前がありました。
 名前だけでなく、今まではっきりしていなかった生年月日、没年月日、死亡場所、職名、船名まで判明しました。
 船名の名簿もありましたが、そこには載っていませんでした。小型の漁船だったようで、資料にあるのは7500くらいで、実際は1万5千もの船が海に沈められていました。
 探して残してくださった方々には感謝しかありません。深く一礼して後にしました。
 父に知らせると、真実が知れて震えて空白が埋まったようだと言いました。父も喜び、私も行ったかいがありました。

 ポートルートというバスに乗って、新幹線の駅がある新神戸へ。そこから歩いて15分くらいで北野に出ます。異人館で有名な場所です。
 ただすごい坂。昨日のマラソン疲れがこたえます。てっぺんにあると思われる「うろこの家」へ。

 写真左上の展望室から見た景色がこちら。

 西洋の食器や家具、当時の写真などが中にはありますが、一番印象深かったのがこの飾り。木の根っこに花々が咲いています。切られた幹の上には一輪のバラ。木の根っこの部分をドレスに見立てたのでしょうか? これが西洋ではポピュラーなのか稀なのかわかりませんが、確かに異人の発想に触れた感覚が残りました。
 うろこの家を出て坂を下り、右折してすぐ右手に北野天満神社が見えてきます。
 1180年、平清盛が建立し、北野の地名の発祥となりました。学問の神様、藤原道真公が祀られています。高校受験を控える甥っ子のために合格守を購入。ここのおみくじも大吉でした。いわく「地道に物事をこなしていけばきっと叶うでしょう」。そう、地道に、コツコツと。
 北野天満神社境内から、有名な風見鶏の館が見えます。

 こちらは改修工事中でしたが、目の前のお店でビーフシチューカレーをいただきました。神戸は何を食べてもおいしいですが、オムライスは外せないかもです(初日の昼にまずいただきました)。
 新神戸駅に戻り、駅弁を買い、お土産を買いました。新幹線を待ち、無事に帰宅。
 本当に行ってよかった。
 阪神・淡路大震災からもうすぐ30年。私は当時18歳で、大学受験にすべて失敗した頃。私にとってはあれからの30年が神戸には凝縮されているようでもありました。
 活気があって、気さくで、笑顔で迎えてくれた。人々とそれぞれの土地の名産品が行き交う港町。陸地が狭いので道も店もこじんまりしている。だからなのか個性的で歴史的な建物や店も多い。あちこちで行列ができていました。
 彼の地を走り、歩き、顔を合わせ、手を合わせ、地元のものを頂き、空気を胸いっぱいに吸って。
 これからの30年を思います。
 時間をかけて、一つずつ、成就させていく。
 次の作品へ、次の人生へ、区切りとなる旅になりました。
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神戸マラソン2024

2024-11-20 17:23:16 | マラソン
 神戸マラソンに初めて参加してきました。今年で12回目だそうです。
 天気予報通りの暑さでした。スタート時は気温20度、湿度80%。
 気温が高いと走りにくいのは想像しやすいかと思いますが、気温よりもきついのが湿度です。湿度が高いとせっかく汗をかいても蒸発してくれません。人は汗をかくために体毛を減らしました。汗が出て蒸発すると熱を奪い(気化熱)、体温を下げてくれます。発汗と蒸発によって体温が上がりすぎることを防ぎ、より長く走り移動することが可能となりました。なぜより長く走る必要があったかといえば、車なんかなかった昔を想像すると見えてきませんか? 危険な動物から逃げ切るため、また他の部族よりも多くの食べ物を見つけるため、さらには気候変動対策などで移動するため、などなど、長く走れた方が生存に有利だったからです。
 実際、一年を通して走っていて一番危ないのは気温、湿度とも高い日です。意識が薄れていき気持ち悪くなってきます。熱中症の手前です。今年も暑さに慣れる前はそうなることもありました。

 神戸マラソンは「感謝と友情」をテーマにしています。
 来年で阪神・淡路大震災から30年。ひまわりは復興の象徴でした。
 スタート前のセレモニーでは「しあわせ運べるように」という歌が演奏されます。その最後でランナーたちが黄色い手袋をはめて天高く掲げます。それぞれの震災復興への想いを胸に、「感謝と友情」のひまわりを咲かせました。

 スタートしてすぐ汗をかき始めます。明石海峡大橋をくぐって折り返し、神戸大橋を渡ってポートアイランドでゴールする海沿いのレースです。日差しも出始めた後半になるほど暑さがこたえてきます。足が動かなくなっていきます。給水だけは取っていきました。給水所は混み合うので、後半はもう歩いて、首筋と両手に水をかけて。それでなんとか体温を下げて、足を前に出し続けます。
 倒れている人が何人かいました。足がつって動けない人たちはもっとたくさん。次は俺か? という恐怖も頭にもたげてきます。実際、暑さは苦手なのでスピードが落ちることは悔しくもなく、無理しないために必要な行動でもありました。
 とは言っても心許ない。苦しくてつらいのは最高潮。そこにラスボスが現れました。神戸大橋です。遠くからでも登っているのが見えるくらいの激坂。歩こうか、という誘惑の声も大きくなります(私の頭の中で)。
 地元の人たちはわかっていました。そこ、つらいですよね〜。沿道に、何やら大きくて黄色い手をした人たちが並んで手を振っています。

 「推し推しゾーン」でした!
 私は吸い寄せられるように大きな黄色い手へ。次々とハイタッチを交わしていきました。一人一人を見て、「ありがとう」と声をかけて。
 本当にありがたかったから。ハイタッチしていくと、不思議と頭の恐怖たちは消えています。私はまさに推されました。ハイタッチと笑顔に引っ張られて、なんとか神戸大橋を乗り越えました。

 ポートタワーと神戸大橋をデザインした完走メダル。ゴールして脱帽し、振り返って一礼します。今回も込み上げるものがありました。楽なマラソンなんてないから。
 神戸の美味しい水とバナナ、ベビーチーズ(六甲バターという会社が作っていました)、さらにゆで卵が提供されもぐもぐと。更衣室に辿り着き、座って靴下を履き替えようとしたのですが、何度足がつったことか。一箇所でなくあちこちが、これでもかこれでもかと。それでもしかしてこのレースは私が参加した12回のマラソン大会で一番過酷だったかもしれないと実感しました。一番の高温多湿だったことは間違いないでしょう。

 3時間46分23秒。2月の高知龍馬マラソンよりも遅かった。
 11月は準備期間中の暑さが影響してタイムが伸びないのだとも思いました。2月の方が距離を踏んでいるのでタイムは出やすいのかなと。

 終えてみて思うのは、大会のテーマ通り「感謝と友情」を育めたレースになったなと。一番足がつった大会であり、一番きつかった大会でもあったけど、一番助けられて一番応援してもらって一番顔を見て一番手を合わせて一番「ありがとう」を言えた大会。
 来年からコースは変わるようですが、これからもずっと続いて欲しい素晴らしい大会でした。
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26年ぶりの

2024-11-13 18:07:53 | エッセイ
 やりましたね。26年ぶりの日本シリーズ制覇。
 思わず買った雑誌には「日本一」となってますが、システム上そうなのですが、三浦監督も「日本一」とは言っていません。なぜなら、リーグ優勝をしたわけではないので。
 リーグ3位から、クライマックスシリーズ(CS)で2位の阪神に勝ち、優勝した巨人にも勝ち、セリーグ代表となって日本シリーズに出ていました。それは7年前にもありましたが、そのときは今年と同じホークスに負けていました。
 様々なことを思い出します。
 私が横浜ファンになったのはいつだったか。確か高校時代からでしょうか。
 よく遊ぶ2人がいました。学校に近い方の友人宅におじゃまし、よくプレイステーションの野球ゲーム「実況パワフルプロ野球」をやっていました。1人は阪神ファンでもう1人は中日。じゃあ私は、というところで横浜を選択していました。
 横浜は、12球団で一番負けているチームです。プロ野球の初期からある巨人、阪神、中日が横浜より千試合以上試合数が多いにもかかわらず、です。今年度終了時で4394勝5369敗323分、勝率は4割5分。
 三浦監督もよく負けたピッチャーでした。通算172勝184敗。これはプロ野球歴代13位の黒星の記録です。かつて阪神から熱烈なオファーを受け、出身が奈良なので移籍しようとしていましたが、多くのファンの声によって思いとどまった過去があります。そのとき彼はこう言ったそうです。「強いチームから勝ちたい」と。
 26年前、リーグ優勝し日本シリーズも制した文句なしの日本一になったときの監督は権藤博さんでした。今年のシリーズ初戦で始球式を務め、85歳にも関わらずノーバウンドでストライクの投球。そして右手でガッツポーズ。
 かっこよかった。そうでした、ああぼくは権藤ファンだったのだと思った。
 26年前のシリーズ初戦、私はなぜか気仙沼におり、祖母とテレビで野球観戦していた記憶があります。思い出してみると、そのとき私は大学の3年で、3年から理学部から文学部に転部しており、かつ学生寮からも出た直後だったようです。文化の日もあって連休となったとき、ふと田舎に行きたくなったのかもしれません。
 後で聞いた話ですが、祖母も横浜ファン(当初は大洋ホエールズ)だったそうです。なぜかといえば、気仙沼出身の投手がいたから。その名を島田源太郎と言います。祖母は島田のファンだったそうです。
 島田は完全試合(相手を無四球無安打に抑えること)を達成しています。その年の1960年、当時の大洋はリーグ優勝し、日本一にも輝いています。当時の監督は三原脩(おさむ)監督で、選手起用が変則的(投手をすぐに変えるとか)で三原マジックと言われていました。
 その38年後、今から26年前の1998年、権藤監督率いる横浜が日本一になりました。権藤監督は右膝を階段の上に乗せ、その上に右肘をついて右手で顔を支えるポーズで動かない。打順も変わらない。石井、波留、鈴木、ローズ、駒田、佐伯、谷繁、進藤。斎藤、野村、三浦、川村という先発ピッチャーがおり、五十嵐に盛田という中継ぎがいて、最後は大魔神、佐々木が締める。あのプロフェッショナルな集団が好きでした。銘々の個が最大限に輝いて、チームとして一つになって、マシンガン打線と言われて。
 それからは3位になることはあっても優勝には届かない長い低迷期。優勝は38年周期説までささやかれて。有力選手たちの流出も続きました。
 今年も3位。終盤に広島が大失速して。まあAクラスか、よくやった。そんな負け慣れたファンたちも多かったのではないでしょうか。
 でも、今年は違った。シーズンが終わってからどんどん強くなっていきました。そんなチームを今まで見たことがありません。セリーグの混戦が選手たちを強くしたとも言えます。特に巨人との闘いは、もう本当にどっちに流れがいくか読めず、ずっと目が離せない。ヒリヒリしっぱなしでした。
 シーズン中、あれほど失策が多かったのに(セリーグワーストです)、みんな球際に強くなっていました。三浦監督はこう言っていたそうです。「エラーは反省したら忘れろ」と。今年のチームスローガンは「横浜進化」。まさに言葉通りの選手・チームは進化していきました。
 次へ、次へと反省を生かして進化し、持てる力を出し切って勝ち切る。一人一人が最高の仕事を果たし、好循環が生まれ、点が線となったとき、日本一のチームが生まれていました。
「夢は叶う」青いバラの花言葉。横浜はバラが有名でもあり、「夢は叶う」もチームとファンが共有する大事な言葉の一つになっていました。その通り、本当に叶いました。
 感無量です。横浜ファンでよかった。
 来年はリーグ優勝そして真の日本一を。
 これからもともに、応援します。
 ひどい負け方をするとついぼやき、寝つきが悪くなったりしてしまいますが、終わってみればその時間もありがたかったなあと。
「夢は叶う」私も続こう。
 権藤監督の口ぐせは二つ。
「プロの意地を見せろ」そして「やられたらやり返せ」。
 シンプルですが心の奥底に届く普遍性を持っています。
 権藤さんの現役時代、1961年中日に入団し、69試合に登板、35勝19敗で新人王と沢村賞と最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振も獲得。翌年も30勝して最多勝利に輝くものの、投げ過ぎにより肩を痛め、1968年に引退。権藤、権藤、雨、権藤とまで言われました。1973年からコーチに就任しています。
 よい成績を残したからよいコーチや監督になれるわけではありません。自分の経験をいかに他者に活かせるか。自分に通用したことが誰にでも通用するわけでもありません。「Number」には権藤さんによるシリーズの解説も載っています。それを読むと、ああこの人はよく野球を読む人なんだと感心しました。片肘ついてじっくり見ていたのは「野球」であって、野球を演じているプレイヤーの一人一人なのだなと。
 7年前の宿敵ホークスを破っての日本シリーズ制覇。
 やられたらやり返し、プロの意地を見せてくれました。
 強いチームに勝ち、ミスを反省しては忘れ、進化し進化し、夢を叶えた。
 様々なことがつながり、一つに集まるとき、人々は最高の力を発揮できることも私たちに見せてくれました。
 本当におめでとう。そして、ありがとう。
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点子ちゃんとアントン

2024-11-02 17:29:23 | 読書
 子供向けに書かれたものではありますが、大人が読んでもおもしろく、ハッとさせられるものがあります。
 点子ちゃんはある日、壁に向かってマッチを売る練習をしています。それをお父さんは見て不思議がるのですが、どういう訳なのかすぐにはわかりません。
 お父さんは実業家でお金持ち。奥様は社交に忙しく、夜はいつも夫と外出しています。点子ちゃんの面倒を見るのは、家庭教師と家政婦とピーフケという犬だけです。
 そんな点子ちゃんには大事な友達がいました。それがアントンです。
 アントンは母子家庭で、お母さんが病気療養中のため料理を自分でし、靴紐を売ることで家計の足しにもしています。そんなアントンは学校で疲れてしまって居眠りしてしまいます。先生はアントンはけしからん子だと思い、親に手紙を書こうとしていました。それを知った点子ちゃんは、先生と直談判し、アントンに内緒でアントンの真実を先生にわかってもらいます。アントンは先生に真実が知られるくらいなら舌を噛み切った方がいいとまで思っていました。先生はそれからアントンに対して思いやりを持って接するようになりました。
 一方で、点子ちゃんは夜になると家庭教師に連れられて一番賑やかな橋の上で練習した演技を披露していました。「私のお母さんは目が見えません。哀れだとお思いになるならどうかこのマッチを買ってくださいまし!」
 家庭教師の若い女性には彼氏がいましたが、その男は女から金を要求し、女は金を渡すことで「一人でいるよりはマシ」な状態を作っていました。点子ちゃんは利用されていました。でも点子ちゃんは半ばおもしろがって。
 アントンは橋の向かい側で靴紐を売っていました。ある夜、アントンは、家庭教師の女の男が点子ちゃんの家の鍵を奪うのを目撃します。アントンは急いで点子ちゃんの家に電話しました。家政婦に、今から強盗が入るからと知らせるためです。
 アントンの知らせによって、強盗は未遂で終わりました。警察が駆けつけ、点子ちゃんの両親も帰ってきます。すべてが明らかになり、家庭教師は逃げ出し、アントンとお母さんは点子ちゃん家族と共に暮らすことになります。
 章ごとに、作者のケストナーの「立ち止まって考えたこと」が付されています。「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」
 これらはどれも一読の価値がありますが、私が一番引かれたのは「尊敬について」で触れられている「ばかやさしさ」についてです。
「ばかやさしさ」耳慣れない言葉ですが、作者のケストナーの地元にはある言葉なのだそうです。その意味はこんな感じです。

 だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことやったらおこられると、自分たちでさえ思うようなことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
 尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがってる、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。
 なのに、もしもおこられたりしかられたりしなかったら、それどころか、もしも横着なことをしたのにチョコレートをもらったりしたら、子どもたちは思うだろう。
「またこんども横着してやろう、そしたらチョコレートがもらえるんだもん」
 尊敬は必要だ。尊敬できる人は必要だ。子どもたちが、いや、ぼくたち人間が未熟であるかぎり。  167ページ7行〜168ページ5行

 とても興味深い「ばかやさしさ」ですね。
 思うに、相手に好かれたいばかりに、自分の心をはみ出して大きく見せようとすることを「ばかやさしさ」と言うのではないでしょうか。私にも心当たり、あります。そしてそんな態度を見せた相手とは(ほとんどが女性だったと思いますが)うまくいかなかった。そりゃそうでしょう。見せかけの自分が続く訳がない。もし続いたとしたら、それだけ見えない病を抱えることになるだけでしょう。
 自尊心が弱いから、何が大切なのかわかっていないから、子供に対する「ものさし」を見せられないのかもしれません。じゃあ自尊心を育むにはどうしたらいいのか? それはやっぱり尊敬できる人たちと出会うことであり、自分自身が他者から敬意を持って接してもらう体験を重ねることしかないように思います。点子ちゃんの家庭教師が最も自尊心が低いという設定は、ケストナーらしい皮肉です。
「ろくでなし」たちはいつの時代も巧妙に「自尊心の低い」人たちを操ります。「ろくでなし」を減らしていくためには「ろくでなし」に引っかからないこと。無視して気にしないこと。そして、どんなことがあっても自分には価値があると信じること。
 どのようにして?
 例えば、この本を読んで。
 アントンから勇気を分けてもらって。

エーリヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2000
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あなただけよければいいのですか? 山本先生の言葉

2024-11-02 12:52:31 | 使える知識
 最近、よく思い出します。
「あなただけよければいいのですか?」という言葉。
 このことについてちゃんと書こうと思っていました。

 山本先生は、私が中学2年のときでしょうか、理科の担当でした。私の担任になったことはなく、小柄で髪を束ねて、どちらかと言えば目立たない真面目そうな中年の女性の先生でした。
 理科の実験で、私のところは早く終わりました。そして私は中二らしく生意気に騒いでいたのでしょう。そのときでした。
「あなただけよければいいのですか?」
 山本先生に言われました。私がそのあと大人しくなったことは目に見えています。
 当時の中学校は結構荒れており、私も調子に乗ってバカをやっていました。先生たちがゲンコツで静かにさせるのも当たり前で、私も何度か食らっていました。
 ただ、今思うのは、叩かれてもその場凌ぎです。何らかの内省にはつながらない。忙しい先生たちにはその場凌ぎの術も必要だったのかもしれない。だけど、今につながる気づきにはなっていない。

 14歳で言われたとして、その後33年も私の中に残っている。そんな言葉は他にありません。年月が経ってみて、やっとわかる価値というものがあります。間違いなくその一つ。
「あなただけよければいいのですか?」
 頭ごなしじゃない。暴力じゃない。説教でもない。
 問いかけ。ずっとずっと続く問いかけ。
 それを中学生相手に発して届けた先生がいた。

 今、その問いに対して、何と応えられるでしょうか?
 私だけよければ、必ずよくない人たちが生まれます。
 だからと言ってあえて私をよくない人間にする必要もありません。
 私が大事であることが基本で、だからこそ私以外の人たちのしあわせも大事です。
 私がよくないとき、きっと他のよい人たちが手を差し出してくれる。
 そう信じられることが生きていく上の支えとなる。
 私はそのことを、その後の人生で実感してきました。

 多数決、数が多い方が正しいとする考え方。それにも疑問が生じます。
「あなたたちだけがよければいいのですか?」
 過半数を超えているから、少数派の意見は聞かなくてもいい。そんな政治が罷(まか)り通ってきたのではないでしょうか?
 そもそも、人はなぜ言葉を生み出し、発達させてきたのでしょうか?
 意見の異なる人たちとは話す必要もないのならば、言葉の力は衰退するだけでしょう。言葉が衰退するということは、人間が人間でなくなっていくということではないのでしょうか?

 小説を書くとき、私以外の多くの人たちの声を聴く必要があります。「私だけがよい」のであれば、小説を書く必要がないとも言えます。
 いや、「私だけがよければいい」のだと思って私だけがよくなる話だけを書く人もいるかもしれません。だけどそんな話、誰が聞きたいでしょうか。
 目標達成や問題解決ありきの話もおもしろくない。それは作者の「私が思う回答」の二番煎じでしかないから。それは「私のよさ」から出ない態度だとも言えます。
 こんなことを書けるのは、私が全部やってきたことだから。その果てに、やっと新作は現れてくれます。

「あなただけよければいいのですか?」
 この問いが胸に繰り返されるようになったのは、それだけ私の目に曇りがなくなったのでしょうか? あるいは、この問いは、私に日々生まれる曇りを拭き取ってくれているのかもしれません。
 山本先生は今もお元気でしょうか?
 かつての中学生が先生の言葉を受け継いでいることを知り、笑顔になってくれたら、私もうれしい。
 これからも使います。
 私に。そして必要な誰かにも。

 コスモスの花言葉は調和です。
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デミアン

2024-10-23 20:49:44 | 読書
 3度目の読書。
 書いていた小説がひと段落し、「共同執筆者」の夢にも促されてこの『デミアン』に手が伸びました。落ち着いたら読もうと買ってはいたのですが。
 3度目なのですが、だからか今回はずいぶんと細部が見えた感じがしました。今までの読書では見落としていたのではないかというような。それは新潮文庫ではなく初めて岩波文庫にしたからかもしれません。訳者が違うので、全体的な雰囲気も変わります。岩波版の方が丁寧で柔らかい印象です。例えば新潮文庫では、最後に登場する重要な人物の一人であるエヴァ夫人が主人公を呼ぶとき「シンクレール」と呼び捨てですが、岩波文庫では「ジンクレエルさん」とさん付け。名前も若干変わっていますが、ドイツ語をかじった身としては「ジンクレエル」の方が原文に近い感じがします。
 ジンクレエルは少年時代、クロオマアという年上の男に苦しめられます。クロオマアは暴力を振るってカツアゲしたわけでもいじめたわけでもありません。ただ、ジンクレエルが裏世界ではボスのクロオマアに認められたいがためについた嘘を利用してどこまでもたかるのです。少年らしい冒険譚の披露大会。そこでジンクレエルは農園からりんごを盗んだと言ってしまいます。クロオマアは、そのりんご園の主人が泥棒を捕まえるために賞金を出していたことを知っていました。ジンクレエルの嘘なのに彼は嘘ではないと誓ってしまう。クロオマアは言うぞ言うぞと脅してジンクレエルからお金をむしり取っていく。うちは貧しくてお前は裕福だという理屈もつけて。
 ジンクレエルはどれだけ両親に真実を告げたかったか。だけど自分は嘘をつき、ごろつきとも付き合っている。自分はもう両親たちの住む「明るい世界」には戻れないのだと悲観する。びくびくとして過ごし、体まで病んでしまい、どうすればいいのかわからない。そんなとき、学校に転校生がやってきた。少し年上で、その名をデミアンと言った。
 デミアンはジンクレエルと付き合うようになり、彼が苦しんでいることをも見抜いてしまう。そして聞き出すのでした。クロオマアのことを。
 デミアンがクロオマアに何をしたのか記述はありません。が、ジンクレエルが道端でばったりとクロオマアと鉢合わせたとき、彼は渋い顔をして、ジンクレエルから逃げ出したのでした。
 それからデミアンとの交流は続きますが、進学を機に離れてしまう。ジンクレエルは安い飲み屋に入り浸るようになり、勉学にも身が入らず孤立し、またしても精神の危機に陥ります。そのとき、彼は街中で見かけた女性(ベアトリイチェ)をモデルに絵を描き、その絵を心に掲げることで危機を乗り越えます。そのあと、もう一枚重要な絵を描きます。それは鳥が卵の殻を破って外に出ようとしている姿。その鳥は、ジンクレエルの実家の門に掲げられていた紋章でもありました。
 印というのが作品の鍵にもなっています。その鳥が飛んでいく目的の神「アブラクサス」もそうですが、カインの額の印も重要なモチーフです。
 カインとアベル。聖書に出てきます。カインは兄でアベルは弟。アベルへの両親の愛に嫉妬したカインが弟を殺してしまう。人類初の殺人と言われています。神はカインの額に印をつけた。それはカインに危害を加えさせないため。心理学では、兄弟間の親の愛をめぐる葛藤をカインコンプレックスと呼びます。
 デミアンは、カインを擁護したのでした。それは学校での教えには反することでした。カインは悪者と相場は決まっていたから。デミアンとジンクレエルが目指していた神はアブラクサスであり、要するに善と悪が融合した神なのでした。
 ヘッセの作品では、己の心にある「明るい世界」と「暗い世界」、「善」と「悪」の葛藤、その克服が大きなテーマになっています。それは彼自身が牧師の子であり、それだけにこの悪を見ないわけにはいかないじゃないか! というような心の叫びに敏感だったからかもしれません。それに大きな善と悪の混沌=戦争が目と鼻の先にありましたから。戦争は、この作品でも大きな影を落としています。
 ジンクレエルは、デミアンと離れている間、二人の友人に恵まれていました。この期間が、私の中では希薄になっていた箇所です。一人がピストリウス。もう一人がクナウエル。
 ピストリウスはオルガン弾き。教会から溢れてくるオルガンの音楽にジンクレエルは引かれて彼と出会います。ピストリウスも牧師の子で牧師になる道を歩んでいましたが脱線した口でした。ピストリウスの家で、ジンクレエルはじっと暖炉の炎を見る。心を見る。自分と向き合う。ピストリウスはそのように導く。彼はたくさんの知識も持っていた。こんな秘宝もある、あんな術もある。宗教っていいな。そんなピストリウスに救われたジンクレエルでしたが、ピストリウスが「古さ」から出てこないことを見抜いてしまう。

「ピストリウス。」とぼくは不意に言った——われながら意外な、おそろしい勢いで、悪意をほとばしらせながら。「また何か夢の話を、聞かせてほしいな。あなたがゆうべ見た、ほんとうの夢の話をね。今あなたの話していることは——じつにたまらなく古めかしいんでね」 213ページ15行〜214ページ2行

 ピストリウスは反撃しなかった。そのことで、ジンクレエルは人を傷つけてしまったと悔やむ。
 クナウエルはジンクレエルをつけてきた。そしてジンクレエルに期待していた。この人は知っていると。何を? 禁欲を。性的な欲求とどう向き合えばいいのか。
 しかしクナウエルは失敗した。ジンクレエルから何かを得ることを。性的な欲求に身を任せること=豚という激しい思い込みから解き放たれることを。彼は死ぬことも失敗する。ジンクレエルは何が何だかわからないままに夜中歩くと、そこにクナウエルがいたのでした。

 かれは細い両腕で、けいれんでも起こしたように、ぼくを抱きかかえた。
「そう。夜中だ。もうじき朝になるにちがいない。おお、ジンクレエル、よくぼくを忘れずにいてくれたねえ。ぼくを許す気になってくれるかい。」
「許すって、何をさ。」
「ああ、ぼくはほんとうにいやなやつだったなあ。」
 この時ようやく、ぼくらの対話のことが記憶に浮かんできた。あれは四、五日前のことだったろうか。あれいらい、一生涯がたってしまったように、ぼくは思った。しかしそのとき突然、すべてがわかってきた。ぼくらのあいだに起こったことだけでなく、なぜぼくがここへ来たか、そして何をクナウエルがこんな町はずれでしようとしたか、ということも。
「じゃ、きみは自殺しようと思ったんだね、クナウエル。」
 かれは寒さと不安で、身をふるわせた。
「うん、そう思ったんだ。できたかどうか、それはわからないがね。ぼくは待とうと思っていた——朝になるまでね。」
 ぼくはかれを、屋外へひっぱりだした。朝の最初の水平な光のしまが、言いようもなく冷たく、味気なく、灰色の大気の中で、微光をはなっていた。
 ぼくはわずかな距離だけ、この少年の腕をとって、引き立てるようにした。ぼくの胸の中から、何かがこう言った。「これからきみ、うちへ帰るんだよ。そうして誰にもひとことも言うなよ。きみは間違った道を歩いていたんだ。間違った道をね。ぼくたちだって、きみが思っているような豚じゃないさ。ぼくたちは人間なんだ。ぼくたちは神々をつくって、神々と一緒にたたかうんだ。そうすれば神々はぼくたちを祝福してくれるさ。」
 無言でふたりは歩きつづけて、やがて別れた。ぼくが帰宅したときには、もう明るくなっていた。  207ページ3行〜208ページ10行

 以上のようなピストリウスとクナウエルとの関わりがあって、ジンクレエルは一つの認識に至ります。もちろん、その前のクロオマア、作品を通してデミアン、象徴としてのベアトリイチェとの出会いと関与があってこそなのですが。少し長いですが、ここがこの作品の核だと思われるので、書き写しておきます。

 そしてこのとき突然、激しい焔のように、つぎの認識がぼくの身を焼いた——どんな人間にも、なにかの「任務」はあるが、自分でえらんだり、限定したり、勝手に管理したりしていいような任務は、誰のためにも存在してはいない。新しい神々を欲するのは、間違っている。世界に対して何物かを与えようとするのは、まったく間違っている。めざめた人間にとっては、自分自身を探すこと、自分の心を堅固にすること、自分自身の道を、それがどこへ通じていようとも、手さぐりで前進すること、それ以外に決して決して、なんの義務もありはしないのだ。——これがぼくを深くゆすぶった。そしてこれが、ぼくにとって、この体験の成果であった。ぼくはこれまで何度も、未来の映像をもてあそんだことがある。自分にふりあてられそうな役割を、夢想した。あるいは詩人として、または予言者として、または画家として、または何なりとしての役割である。そんなものはみんな無意味だ。ぼくが存在しているのは、詩を作るためでも、説教をするためでも、画をかくためでもない。ぼくにしろ、ほかの人間にしろ、そんなことのために、存在してはいないのだ。そんなことはみんな、ついでに生じてくるだけである。どんな人間にとっても、真の天職とはただひとつ、自己自身に到達することだ。かれが詩人としてまたは狂人として、予言者としてまたは犯罪者として、終わろうと構わない——それはかれの本領ではない。それどころか、そんなことは結局どうでもいいのである。かれの本領は、任意の運命をではなく、自己独得の運命を見出すこと、そしてそれを自分の中で、完全に徹底的に生きつくすことだ。それ以外のいっさいは、いいかげんなものであり、逃れようとする試みであり、大衆の理想の中へ逃げもどることであり、順応であり、自己の内心をおそれることである。おそるべき、神聖なすがたで、この新しい映像は、ぼくの目前にのぼってきた。いくたびとなく予感され、おそらくはたびたびすでに口にも出されながら、それでも今はじめて体験された映像なのである。ぼくは自然の手で投げ出された者だ。新にむかってか、あるいは無にむかってか、漠然たる境へ投げ出されたのであって、この投げた力を、深い深いところから思うさま作用させること、その意志を自分の中に感じること、そしてそれを自分の意志とすること、それだけが、ぼくの天職なのだ。それだけが。
 多くの孤独を、ぼくはすでに味わってきた。今ぼくは、もっと深い孤独があること、そしてそれが逃れがたいものなのを、おぼろげに感じた。  219ページ5行〜220ページ16行

 最後にもう一つだけ。
 ジンクレエルはデミアンと再会し、デミアンの母であるエヴァ夫人とも知り合いになります。デミアンの家でのひとときは、ジンクレエルにとってしあわせな時間でした。が、戦争が始まり、ジンクレエルとデミアンは戦地へ。
 ジンクレエルの戦争体験で得たことには希望があります。

 そして世界がいよいよ頑なに、戦争と武勇、名誉、そのほかの古い理想を、めざしているかに見えれば見えるほど、外見的な人間らしさの声という声が、いよいよはるかに、いよいよ嘘らしくひびけばひびくほど、それらはすべて表面だけのことにすぎなかったし、それと同様、戦争の外面的な政治的な目標というものも、表面だけのものにとどまっていた。深いところには、何かが生じかけていたのである。何か新しい人間らしさといったようなものが。なぜならぼくは、多くの人たちを見ることができたが——しかもかれらの中には、ぼくのかたわらで死んで行った者も、ずいぶんある——かれらには、憎しみと憤怒、殺害と破壊というものが、対象物にむすびつけられてはいない、という洞見が、感情をとおしてさずけられていたのである。そうだ。対象物は、目標と同じく、まったく偶然的なものだった。原始的な感情は、どんなに荒々しいものでも、敵をめざしてはいなかった。その感情の血なまぐさいしわざは、内的なもの、自己分裂を起こしたたましいの、放射にすぎなかった。たましいは、新しく誕生するために、荒れ狂ったり、人を殺したり、破壊したり、死んだりしようとしていたわけである。巨鳥がむりに卵からぬけ出ようとしていた。そして卵は世界であった。そして世界はくずれ去るほかはなかったのである。  280ページ13行〜281ページ11行

 負傷したジンクレエルとデミアンは、いっとき横に並ばされます。デミアンは、おそらく死んでしまう。またしても一人になってしまうであろうジンクレエルにデミアンは語りかけます。

「ジンクレエル。」とかれはささやき声で言った。
 ぼくは目で合図をして、かれの言うことがわかると知らせた。
 かれはまたほほえんだ——ほとんどあわれむかのように。
「おい、坊や。」とかれはほほえみながら言った。
 かれの口は、このときぼくの口のすぐそばに来ていた。小声で、かれは話しつづけた。
「きみ、フランツ・クロオマアのことを、まだおぼえているかい。」とかれは聞いた。
 ぼくはかれにまばたきをしてみせた。そして同じくほほえむことができた。
「ねえ。小さなジンクレエル、しっかり聞くんだよ。ぼくはいずれここを出てゆくことになる。きみはたぶん、いつかまた、ぼくを必要とすることがあるだろうね——クロオマアやなんかに対してさ。そうなってぼくを呼んでも、ぼくはもうそんな時、そう手がるに、馬にのったり、または汽車にのったりして、来はしないよ。そんな時はね、きみ自身の心に耳をかたむけなければいけない。そうすればぼくがきみの心の中にいるのに、気がつくよ。わかるかい。——それから、まだ言うことがある。エヴァ夫人が言ったんだが、きみがいつか困るようなことがあったら、そのときは、夫人からのキスを、ぼくがきみにしてあげるようにってさ。そのキスを、ぼくは夫人から渡されてきたんだよ……目をつぶりたまえ、ジンクレエル。」
 ぼくはおとなしく目をとじた。かるい接吻をくちびるに感じた。そのくちびるには、たえずすこし血が出ていて、それがいっこうに減ろうとしないのだった。  284ページ13行〜285ページ14行

 そして、作品の冒頭に掲げられた言葉。

 ぼくはもとより、自分の中からひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたにすぎない。どうしてそれが、こんなに難しかったのだろう。  7ページ1行〜3行

 この作品が書かれたのは1919年、第一次世界大戦の直後のこと。
 いまだに、どうして、自分が自分として生きることがこんなにも難しいままなのでしょう?
 一つ一つ、書かれていくしかないのかなと思います。地道に、コツコツと。
 その仕事が、年を経てもこうして文庫本として残り、次の世代のヒントとなって生きている。
 読んでよかった。本当に。
 また読みたくなるのでしょうか?
 読みたくなったら何度でも、読めばいい。それだけ価値がある本です。

 ヘルマン・ヘッセ 作/実吉捷郎 訳/岩波文庫/1954

 

 
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まっすぐだけが生き方じゃない

2024-10-09 18:56:51 | 読書
 60種の木が紹介されています。
 木の特徴を解説するとともに人として学べるところが取り出されています。
 例えば、最初に登場するイロハモミジ。「最初から美しいもの、なんてない」という題で、忍耐の大切さを教えてくれる。冬の厳しい山で、イロハモミジは急いで枝を伸ばしはしない。じっくりと日の当たる場所を見極めて少しずつ伸びて葉を茂らせ、不要になった場所は枯らせてしまう。ただ待つだけでなく、じっくりと着実に成長する。その結果があの美しい姿なのだと。
 次のイチイも着実さの重要性を教えます。広範囲に根を張り、幹や枝に傷を負っても地下が支える。2000年も生きることができるのは、少しずつしか成長しないから。成長がゆっくりだからこそ、細胞は緻密になり腐りにくくなる。
 オリーブやアサイーは栄養価の高い実を提供することで他の生き物との共存を実現している。与えることの豊かさを教えてくれます。
 共存ということで言えば、ハンノキで出てくる根粒菌とダグラスモミの菌根菌(キンコンキン)。
 根粒菌は窒素からアンモニアを生成し植物へ供給し、植物から光合成産物を得て共生していました。菌根菌はリンを吸収して植物に供給し、植物から光合成産物を得ている。知りませんでした。土の中のカビが植物と手を結び、そんなにいい仕事をしているとは。
 知らないことだらけなのですが、一番驚いたのはコルクガシでしょうか。あのワインの栓になっているコルクの原料は、コルクガシの皮なのでした。実際の写真を見るとかなり衝撃なのですが、ぐるっと身包みを剥がされてしまいます。でも、コルクガシはくよくよしない。どんどん皮を再生していく。通常より二酸化炭素をより多く吸収するというからあっぱれです。「木の王様」とも言われ、原産国のポルトガルでは大事にされています。元々、コルクガシの皮が柔軟なのは、適度に空気を含むことで断熱効果を生み、山火事から身を守るためと言われています。コルクガシの題は「立ち止まらずに、立ち直ろう」。
 もう一つ挙げるならアカシアでしょうか。アカシアは葉を食べられるとエチレンガスを発生させます。そして他のアカシアに危険を知らせ、草食動物には毒にもなる苦いタンニンを生成する。「ひとりで無理せず、助け合おう」 本当に、見習いたいことばかりです。
 私という木は、どれだけ成長できたのでしょうか。小説という実がやっと成りましたが、まだまだこれからです。一つできたとしても継続が力になります。
 読書することで地下に根を張り、強風を凌ぐ柔軟さを心身に持つように努め、辛抱強く日の当たる場所へ枝を伸ばし、自分の芯を着実に緻密にし、微生物や昆虫や鳥や花たち、書店で本とお客さんと仲間とともに。走ることで自分を守り。休むときはしっかり休み。
 木々とは、これからも、ますます親密に付き合っていく相手になりそうです。
 名前をなかなか覚えられないから、少しずつ、何度も確かめて。
 今はやっと涼しくなりましたが、夏の酷暑では木陰のありがたさを実感します。
 紙もまた木がなければ生まれない。神社も大木があってこその神社です。
 木のない生活は考えられません。
 木のことを知るために、きっかけになる一冊です。

アニー・デービッドソン 絵/リズ・マーヴィン 文/栗田佳代 訳/文響社/2022

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牧野富太郎 なぜ花は匂うか

2024-09-28 20:04:11 | 読書
 前回の「植物知識」に続いて牧野さん。「バナナの皮」についての記述は重複していましたが、他は初読みと思われます。
「植物に感謝せよ」では次のように書かれています。
「人間は生きているから食物をとらねばならぬ、人間は裸だから衣物を着けねばならぬ。人間は雨風を防ぎ寒暑をしのがねばならぬから家を建てねばならぬのでそこで始めて人間と植物との間に交渉があらねばならぬ必要が生じてくる。
 右のように植物と人生とはじつに離すことのできぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服していると言うだろうがまたこれと反対に植物は人間を征服しているといえる。そこで面白いことは植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては生活できぬことである。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと崇拝し礼拝しそれに感謝の真心を捧ぐべきである」
 こんなにもはっきりと植物愛を語る人を他に知りません。でも、確かにそう。植物がなければ、人は呼吸すらできなくなってしまいます。
 身近に植物があれば落ち着く。それは人の本能と言えるのかもしれません。
 その植物のことを知ることがその人の人としての幅になるような気もします。人と植物は切っても切り離せませんから。
 様々な植物のことが語られています。松竹梅、椿、山茶花、スミレ、カキツバタ、浮き草、蓮、菊、イチョウ、ススキ、富士山の植物などなど。
 表題の「花はなぜ匂うか」。それは虫に花粉を運んでもらうためです。そのために様々な色も花は身につけます。風を頼りにする花は、匂わなければ目立ちもしません。
 意外に知らなかったのは「浮き草」。浮き草はどうやって増えているのか?
 分裂を繰り返していました。
 では、浮き草は冬どうしているのでしょう?
 寒くなると、浮き草は沈むのだそうです。水中でじっと耐え忍び、春になるとガスを出してまた浮き上がってくる。なんてしたたかなのでしょう。
 松がなぜめでたいのか?
 生命力が強いからです。津波でも生き延びた松があることは有名になりました。
 そして菊。私は「菊田」なのでどうしても意識してしまいます。
 菊は、花の中でも上等なのだそうです。どうしてでしょうか?
 実は、菊の花。花びらの内側部分に花がぎっしりと詰まっています。小さな花々が寄り集まって一つの大きな丸い花を作っています。そうすることで、虫が来たら一斉に受粉できるようになっていました。効率的に種ができるように進化していました。
 まだまだ無数に、植物の数ほど「へえ」があります。その一つ一つを知っていくことが楽しくないはずがありません。人の抱える孤独も植物と戯れていればいつの間にか消えてしまいます。ヘッセもガーデニングが趣味でした。
 やっぱり、植物に感謝しかないですね。

牧野富太郎 著/平凡社/2016

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共同執筆者

2024-09-28 13:55:20 | フォトエッセイ
 先日、忘れ難い夢を見ました。
 私は少し賑やかな出版社らしきホールにいて、そこの人から紹介されたのでした。
「共同執筆者のヘルマン・ヘッセさんです」と。
 ああ、ついにヘッセに会えたのだという喜びで、私はうれし涙が止まらなかった。
 ただ会えたのではなく、「共同執筆者」として。
 しかも、ヘッセは後ろ姿しか見せてくれませんでした。
 髪の薄くなったご年配の男性で、意外と小柄でした。
 それが何を意味するのか?
 ヘッセ最後の小説「ガラス玉遊戯」を読了したのが2011年の8月17日でした。それから先、私はランナーとなり、小説家見習いとなりました。あれから13年経ったことになります。ヘッセ最後の小説を読んだからには「私が書かなければ」と思ったことを覚えています。
 さかのぼれば仙台の学生時代。私はいつどこでヘッセと出会ったのか覚えていません。が、一人で不安で寂しいとき、枕元にはヘッセの詩集を置いて横になったことを覚えています。
 いつの間にか、ヘッセは私と共生していた。私の大事なときにはヘッセがいつもそばにいてくれた。そんな魂の友情とでも言うべきでしょうか、ああそうかヘッセがいたと、改めて認識を深めた夢でした。
 それは私の創作物が一通り書けた後の夢でもありました。ヘッセが後ろ姿だったのは「やっと追いついたか」というメッセージなのでしょうか。「さっさと追い抜けよ」と言ってもいるのでしょうか。
 創作物というものは、このように本当に心の奥深くで、その人の生き様の伴走者となりうる。私にとって、それは言葉であり詩であり小説だったわけですが、人によって心の奥深くまで入るものに違いはあるでしょう。どれ一つとして同じ心はないのですから。
 書き抜くことによって自分のより大事なものが見えてくる、ということもあったのかもしれません。
 そのように、読んだ人の支えに少しでもなれたらうれしいなあと思います。
 今は、文章の精度を上げているところです。構成はもうほとんど変えられないだろうけど、もっと具体的に文章を開けるところを開いているという感じです。
 そして来週あたりから、協力者に原稿を託していきます。いよいよ他者の目も入ってきます。私はもうまな板の上の鯉。「来い!」という開き直りしかありません。
 でも絶対に必要なことです。提出までまだ半年あります。十分に他者の感想や意見やご指摘を受け止めて、さらに改良したいと思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、その言い伝えはまだ生きているようです。こちらも23日からは冷房なしで眠れるようになりました。「暑くない」それだけでホッとしてストレスが減ります。それだけ夏の厳しさは増してしまいました。
 今日は朝から20キロ走りました。涼しくなったのでまずは20キロ。神戸マラソンは11月17日。気づけばもう二ヶ月を切っています。しっかりと準備を。
 近くの公園で彼岸花が咲いていました。
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2度目の東京マラソン

2024-09-14 18:19:19 | マラソン
 今年も暑いですね。
 最近は、どんどん夏がぶり返しているようでもあります。ネッククーラーは欠かせず、昼間の外出には凍らせた保冷剤を手拭いに巻いて持ち歩いています。
 土曜の朝ランは継続しています。というか、朝しか走れません。その時間を充実させようと金曜の夜は早く食べて早く寝るようにもなりました。それでも、今日は11キロほど。月間で50キロちょい。
 足りません。私の場合、体重が増えてきてわかります。
 で、必要に迫られて、もう1日の休みの日である水曜日、近くのスポーツセンターを利用するようになりました。その日は遅番の次の日なので、朝走れないのです。調べてみればトレーニング室が充実していました。私の知らない間に。
 水泳に通っていた時期もありましたが、トレーニング室に入るのは実に小学生振りでしょうか。2階の回廊は変わらず一周140メートルのランニングコースになっていました。
 係の人に聞きながらトレッドミルを初体験。その場で走れるあれです。
 スピードを調整しながら少しずつ。傾斜もつけられます。だんだんと慣れてピッチも上げていきます。30分で交代するルールなのですが、降りたときは汗がびっしょりでした。床が動いているような錯覚を覚えます。
 そのあとはエアロバイク。自転車漕ぎです。それも結構きついです。重さは調整できますが。さらにアークトレーナーというのがあって、腕を振りつつ足を上下させるものです。それも結構きます。
 さらには筋トレマシーンたちも少しずつ体験。今まで脇役だったものたち一人一人(筋肉の各部位)にスポットライトが当たるような感覚で新鮮でした。
 最初は飽きるんじゃないか、景色も楽しめないし、とか思ってましたが、意外と楽しかったです。暑さが生んだ出会いとでも言いますか。これからも通うと思います。
 で、8月はいつも東京マラソンのエントリーをしてるのですが、昨日抽選結果の発表があり、「当選」していました。なんか、え? という感じです。いつもダメもとでエントリーしてますから。
 2011年から走り始めてその年からエントリーも始めて、初当選は2019年でした。あれから6年。あのコースをもう一度走れるチャンスが巡ってきました。
 実は、福島の唯一のフルマラソンである「いわきサンシャインマラソン」に出ようと思ってました。エントリーは昨日から。だからエントリーする前に一応東京マラソンの結果も見てから、という感じだったのです。
 いわきは2月23日。東京は3月2日。さすがに二つは無理ですね。1週間後ですから。
 東京が当たったのなら東京を優先させます。いわきは、また今度。
 2019年に東京で出した3時間38分30秒というフルマラソンのベストタイムを更新できないままの6年でもありました。新型コロナがありました。熊本と高知はきついコースでした。東北復興では肉離れしていました。今度の神戸は走ってみないとわかりませんが。
 東京を知ってしまうとあんなに上り坂のないコースは日本に他にないとわかります。しかも最初の10キロほどは下りです。私が知らないだけかもしれませんが。今のところ。
 とにかく、自己ベストを更新するチャンスです。しっかり準備したいと、今からやる気のスイッチが入りました。
 こつこつと小説も仕上げてきています。そろそろ人に見せられるところまできました。ラストシーンまで書きましたが、まだ完成はしていません。読んでくれる人の声も聞いて、もっとリアルに描けるところは言葉を尽くして。3月末に出して、やっと次に行けます。
 小説でも自己ベストを更新したい。
 しっかりものにできるように。日々の習慣を大事に過ごします。
 必要なものは柔軟に取り入れて。不要なものにはこだわらず。

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海よ光れ

2024-09-07 20:30:14 | 読書
「課題図書」小学校高学年の部の中の一冊です。
 今まで課題図書を読んだことはありませんでした。もう70回になるのですね。私が学生の頃もあったはずですが、学校で取り組むことはなかったと思います。最近は店頭に出したら瞬く間に売り切れるほどなのですが。自分が学生のとき、学校からの宿題として出されていたらどうしただろう? 読み書きは好きですが、強制されたら反発したかもしれません。
 今回読む気になったのは、3・11が主題だということと、児童書を担当している同僚が「号泣した」ということで買う気になりました。
 岩手県の山田町にあった大沢小学校が舞台です。
 山田町は、釜石と宮古の間にある太平洋に面した港町。山田湾は突き出した半島に囲まれて穏やかなので養殖業が盛んでした。
 大沢小学校には二つの「海よ光れ」がありました。一つは演劇、もう一つは新聞。
 学校新聞というのがありました。内閣総理大臣賞を受賞するような細やかな配慮に満ちた、でも力強い手書きの新聞です。もちろん小学生たちが作っています。
 演劇の方は津波から逃げる話。明治の三陸大津波の教訓を後世に伝えることが主な目的のようです。
 大津波に襲われた山田町で、大沢小学校は地域の避難所となります。高台にあったので直接津波の被害は受けませんでした。大人たちが食糧を持ち寄って食事の用意をしてくれました。その姿を見て、子どもたちも何か自分たちにもできるはずだと思い、新聞を作り、学校以外の家にも配達に行きます。その他の子たちはトイレ掃除を始める。その姿を見て、低学年の子たちは「肩もみ隊」を結成し、お年寄りたちをほぐしていきます。そしてお年寄りたちも何かできることをと思い、ボロ切れを集めて雑巾を縫い上げます。その雑巾は掃除する子たちに渡されます。
 今まで当たり前にできていたことができなくなった中で、初めて自分と出会うかのように今できることの連鎖が生まれた。そんな好循環の空気を作る土台となっていたのだろうなと思うのが、先にあげた二つの「海よ光れ」でした。
 大沢小学校は廃校になりました。当時の卒業生たちはもう成人し、警察官になったり自衛官になったり看護師になったりと活躍している様子。その卒業生たちが作った「海よ光れ 号外」がこの本に挟まっています。
「感謝を忘れない」「無理ではなく難しいと言い直す」「楽しく生きる」
 それぞれが学んだことを書かれています。立派です。
 正直、立派すぎて、私は感動できませんでした。
 大沢と比べてもしょうがないのですが、それはよくわかっているのですが、犠牲者の出た地域を肌でわかっているのでどうしても。
 劇の「海よ光れ」は3・11後も実演されたそうですが、津波のシーンはカットされたそうです。「思い出させてはいけない」からと。
 重松清さんの『また次の春へ』(文春文庫)に『カレンダー』というタイトルの短編が収められています。その中で、被災地に都市部から不足しているカレンダーをボランティアで送ることになります。そこで、3月から前のカレンダーは破棄した上で送ったところ、3月から前の方が欲しかったという声が返ってきます。なぜでしょうか?
「先だけを見てがんばれ!」というメッセージを暗に送っていたからです。言い換えれば「3月から前はなかったことにしよう」と。
 過去がなくてどうして今、これからを歩いていけるでしょうか。
 耐えられないような傷にあえて塩を塗る必要はありません。だけど、その傷があればこそ、悔しくて仕方ないからこそ、乗り越えていくばねにもなります。傷にはいい面も悪い面もある。どちらか一方だけから物事を見ると、見えなくなるものがある。私は、自分の経験から、そう思っています。
 津波で、思い出の品や人々や場所を、ある日突然ごっそりと持っていかれてしまったのです。せめてカレンダーだけは、「あの日」以前も当たり前についているものが欲しかった。そうすれば、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出せるから。
「思い出させてしまってごめんなさい」と言われ、むかっとした、という話も聞いたことがあります。思い出して当然です。何が悪いのでしょうか。むしろ、今だって一緒に生きてますから。
 そんなこんな、きれいにまとめられた「感動のノンフィクション」だからこそ、そこからこぼれ落ちるであろう様々を逆に想起させられました。私の役目は、そういう一つ一つを拾って言葉で構築していくことでもあると、改めて思わされました。
 弱音をもっと聞きたかったかな。
 そうだと子供向けにならないのでしょうか?

田沢五月 文/国土社/2023
 

 

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