泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

東京マラソン2025

2025-03-02 20:43:12 | マラソン
 6年ぶり2回目の東京マラソン、無事に完走できました!
 スタート時は曇り、気温12度、湿度は62%。防寒着がなくとも寒くなく、日差しもないので暑くもなく、ちょうどいい感じでした。
 おそらく20キロくらいまでは曇っていて、時に吹き抜ける風がとても気持ちよく、なんて走りやすいんだろうと思っていました。
 が、富岡八幡宮あたりからでしょうか、日差しが出始めて気温はぐんぐん上昇。ゴール時点では20度近く。ビルの影に入っていれば涼しいのですが、コースによって直射を受けるとこもあり、終盤になるにつれて暑さがこたえてきます。
 30キロ以降も粘ることができました。足に余裕があることも感じていました。今までで一番の練習量で挑みましたから。でも、東京タワーの前を通って品川方面に行く道は、前回もそうでしたが長く感じました。しかもちょうど向かい風。そんなに強く吹いたわけではありませんが、なんか進まないなと感じるくらいの向かい風。
 なので前を走っているランナーを利用させていただきました。風除けに。これが意外と効果があります。ちょうどペースも近いと、引っ張られている感覚があり休みながら走ることもできます。少しずつ遅くなっていったので次々と替えて3人くらいでしょうか、お世話になりました。それがあったからきついところもリズムに乗れて乗り越えられました。
 折り返してラストまでの直線も長い。ここはもうサングラスを外して応援を浴びます。でも、今回はかなり自分の走りに集中していたので、あまり周りは気になりませんでした。
 というのも、ちょっとしたアクシデントがあって。常に追わないといけなかったから。
 このラップタイムを見てください。特に3キロのところ。
 最初の1キロは仕方ありません。スタートしても全然進みませんから。小池知事に手を振ったり、写真を撮ったりして。
 ただ3キロの7分48秒は、トイレに行かざるを得なかったのです。3分のトイレロスタイム。
 これは、入場ゲートに入る荷物チェックで、500ミリのペットボトルが持ち込み不可だったのです。これは案内にも書いてあったのに、ついいつもの用意で入ろうとしたから。係の人に、ここで飲むか捨ててくださいと言われました。
 で、私は「じゃあ、飲みます」と言ってしまったのです。
 ほとんど500ミリまるまる残っていました。もったいないし、暑くなりそうだから飲んでおくがいいだろうと判断して。
 だけど、判断ミスでした。
 スタートまでの待ち時間が30分くらいありましたが、徐々にスポーツドリンクはあまり活躍することもなく膀胱へ集合。スタート時にはトイレを探す有様。で、3キロ手前で3分使ったわけです。
 あーあと思う。失われた3分を挽回しなければと、どこかで思ってしまう。だからと言って無理に加速したわけではありません。あくまでの自分の感覚でオーバーペースにならないようにコントロールしながら。
 ラストのラップタイム。42キロ以上走っているのも仕方ありません。スタート地点よりもかなり後ろに並ばされますから。
 号砲がドンと鳴った時点でスタートです。そこから測ったタイムが公式記録となり、グロスタイムと言われます。日本ではグロスが公式ですが、他国ではネットタイム(スタート地点から測ったタイム)が優先されることもあります。
 3時間36分22秒。
 自己ベストは3時間38分30秒でしたから、2分8秒更新できました。
 でもあの失われた3分がなかったらと思ってもしまいます。5分近く更新できたのに。
 だけどもう終わったこと。反省は次回に生かすためにあります。
 とにかく、目標を達成できてよかった。
 無事に完走できてよかった。
 ラスト1キロは本当に危なかった。おそらく軽い熱中症だったのではないでしょうか。両手に痺れを覚えていました。顎が上がってしまって、足も進まない。30秒近くラップも落としています。
 ゴールするともうふらふらでした。
 感極まる余裕もなかったというか。
 出し切ることはできました。
 完走メダルの裏には点字がありました。何が書いているのかわからないのですが、関心を持つようになるのでいいデザインだと思います。
 目標を達成すると、自分に自信がつきます。自信の容量が少ない自分でしたので、コツコツと自信集めが必要でした。その方法として、マラソンは私にぴったりでした。
 だけど、大震災があってやっと目覚めた私のマラソン。でも今日は結構無心で走れたかもしれません。ただ自分の走りをしたくて。自分のリズムで前に行きたくて。心地よい時間が長かった。
 目的から解放されることもマラソンの大きな魅力です。
 次は5月の仙台ハーフ。
 やっぱり記録更新を狙ってしまうのでしょうが、仙台には行きたい場所もあり、会いたい人もいます。去年は仙台に行ってませんので、体調を整え、十分に仙台の空気を吸えたらいいなと思っています。
 まずは休んで。
 そして小説の提出も悔いなく終わらせて。
 次へ。
 マラソンと執筆は両輪で、私を次へ次へと運んでくれます。
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いよいよ明日

2025-03-01 20:04:22 | マラソン
 東京マラソンの受付に行ってきました。
 場所は東京ビッグサイト。大崎からりんかい線に乗って。
 地図で見ればよくわかりますが、そこはもう東京湾の中です。

 往復でちょうど3時間くらい。ちょっとした東京観光気分。外国からの方々もたくさんいました。
 帰りは新宿で途中下車して、紀伊国屋書店をぶらぶら。その後、追分だんごを買い求め、昔から愛用している登亭の鰻を買い求め、登亭の隣にあった讃岐うどんの店で腹ごしらえ。
 帰宅してからだんごをいただき、夕食は鰻をぺろり。これでもう前日の準備としては万全です。アスリートビブスもつけました。それが表紙の写真です。
 明日は気温が上がる予報(最低10度、最高20度)なので、半袖で十分でしょう。それと、一番思い入れのあるマラソン大会である東北・みやぎ復興マラソンが、年始に終了を発表しています。
 ショックでした。予想外のことでもありました。
 津波浸水域を走る唯一の大会とも言えました。そこで走った経験は、この3月に応募しようとしている私の小説に大きな影響を与えています。
 あの巨大地震と津波がなければ私は走り始めていなかった。その意味で、東北・みやぎ復興マラソンは、私にとって原点とも言える大会でした。
 だから、感謝の気持ちを込めて、完走賞のTシャツは三種類持っているのですが、その中でも一番のお気に入りを着て走ろうと思うようになりました。
 表紙の写真は裏で、表はこのようになっています。
 足跡のデザイン。私たちランナーの一歩一歩が、リバイブ(復興)の一歩一歩になると願いを込めて。
 私にとって、走ることは生きること。そして同じように、書くことは生きること。
 一歩ずつ、一行ずつ、再生の道を辿るように。
 その思いで、東京マラソンも走りたいと思います。

 レースプランですが、6年前に出した自己ベスト、3時間38分30秒を超えることが1番の目標です。
 そのときの走りを思い出すと、当日は冷たいみぞれが降っていました。雨対策ゼロで、待ち時間が寒くて長く感じたのを覚えています。
 なのでスタートしたら下り坂だったこともあり、ぶっ飛ばしていました。1キロ4分30秒切り当たり前みたいな。私の基本的なペースは、1キロ5分前後です。その影響は後半に出て、足が動かなくなり、最悪つりました。それでもいまだに自己ベストタイムなのは、それだけ東京がタイムの出るコースであり高低差だということです。
 スタートしても大渋滞が待っています。それを抜けてスピードを出した。だけど、その走りは未熟だったとしか言いようがありません。
 大人の走りをしたい。
 最初の1キロは、7分以上かかるかもしれません。それでも、前半の下りで十分に挽回できます。1キロ4分40秒で10キロ走ったとしたら、基本1キロ5分だとすると、200秒=3分20秒も貯金ができます。最終的な平均のペースが1キロ5分10秒でも、自己ベストは更新できます。
 最初の渋滞でいかに焦らないか。そしてその後の急な下りで、いかに足を使わず楽に下れるか。
 さらには、3万8千人も一緒に走るのです。それにずっと続く大歓声・大応援。自分を見失わない方が難しい。東京は誘惑に満ちた大会でもあります。勘違いの可能性に満ちているというか。
 だからこそ、大人の走りを。
 自分のペースを見失わず、それでいて走ること自体を楽しむ余裕も維持して。
 そもそも、元気に走れること自体が奇跡なのです。
 感謝を忘れず、笑顔でゴール。

 では、行ってきます。

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レッドタートル・耳をすませば・思い出のマーニー

2025-03-01 18:43:54 | 映画
 先日、久々に連休がありました。そのとき、前から気になっていたCDと本の整理をしました。不要なものを近くのブックオフに持って行き、売りました。6000円くらいになったでしょうか。
 ブックオフに行く目的は売るだけでなく、探しているものもあったのです。それは『耳をすませば』のDVDです。ジブリから発売されています。
 買取価格が決定するまでの待ち時間で、たっぷりと店内を見ることができました。今はレコードやフィギュア、ゲーム、カード、玩具、スマホまで売っている。それでも大部分は本。そのブックオフはヨーカドーの中に最近できたもので、品揃えはまだまだだなという感じでした。
 で、お目当てのジブリのDVDは、なかなか見つけられなかったのですが、3周目くらいでしょうか、やっと見つけました。が、品数は少なく、『耳をすませば』はありませんでした。だけど私の心を引きつけた作品がありました。それが『レッドタートル』です。

 ジブリ作品をだいたい知っているつもりでしたが、この作品は知りませんでした。絵の美しさに引かれ、海と亀と島にまた引かれ。連れて帰ることに。
 観始めてやがて気づいたのですが、この映画にセリフは一切ありません。ただ男のうめき声ぐらい。それでも映像の美しさに引かれてじっと見入ってしまいます。
 この記事の表紙にしたのは『レッド・タートル』の絵本(岩波書店)。映画の中から印象的な場面に池澤夏樹さんが言葉をつけています。池澤さんの解釈によってより作品の理解が深まった感じです。それが正解というわけではありませんが。
 例えば、無人島に漂流した男は一人ぼっちになり、いかだを作って島からの脱出を何度も試みますが、何か大きな力によっていかだは破壊されてどうしても島から出ることができません。そのとき、赤い亀が男をじっと見つめます。その亀は島に上がってきて、男に発見され、恨みをぶつけられて棒で打たれ、ひっくり返されてしまいます。私は、男と同じように、その亀が男の脱出を阻んでいたと思ったのですが、池澤さんの理解では、そうではありません。亀は、男と添い遂げることを決めて島に上がってきたのだと。
 ひっくり返された赤い亀は、固い甲羅がひび割れてくると、その中身は人間の女性になっていたのでした。女性は男の世話によって元気になり、男の子を産み、家族となります。その子は小さいとき、空のガラス瓶を拾って、この島から遠いところに文明があることを知り、大きくなってから島を出て行きます。ガラス瓶が文明からの誘いだとは映画を観たときには思い至りませんでした。
 また二人になった男と女は、穏やかに年を重ね、やがて男は亡くなります。
 女は、男を看取ります。そして、赤い亀に戻って海へ帰ります。
 それだけの物語。なのになぜ余韻が続くのでしょう?
「十牛図」みたいですね。情報は限りなく少なく、絵だけによって人の真実を表そうとしている。それはこれを作った監督が志向していることでもあって、前作の映画はわずか8分しかありません。だけど、ものすごいインパクト。1度観たら忘れられない。

『岸辺のふたり』 原題は『父と娘』。これも取り寄せて観ましたが素晴らしいアニメーションでした。影が印象的ですね。動きもまた魅力的です。

 それで『耳をすませば』ですが、観たくなったのには理由があります。
 まず、自作をある知人に読んでもらって感想を聞いたのですが「ジブリの絵がずっと見えていた」とおっしゃいました。それで私は「あーーー」と思ったわけです。
 絵は好きでよく観に行きます。そしてもちろんジブリ作品も観てきました。先に触れたように全てではありませんでしたが。
 小説を書くとき、私も頭の中で絵を観ています。それでジブリの作品をもっと観たくなりました。何か参考になり、自作を支えてくれるのではないかと。
 で、この話をいつもお世話になっている美容師さんに話しました。すると彼はこう言ったのでした。「僕は『耳をすませば』が好きですね〜」と。私はピンときませんでした。観ていなかったからです。
 さらに今読んでいる『正欲』(新潮文庫/朝井リョウ 著)に、「まるで『耳をすませば』の天沢聖司みたいに」という文があり、これがシンクロニシティ(意味のある偶然の一致。人生に意味と方向性を与えてくれるもの)かという感じで導かれて。
 で、パソコンに外付けできるDVDプレーヤーを買い、『耳をすませば』と前から観たかった『思い出のマーニー』をネットで探し、レンタル落ちという中古のものを買い求めたわけです。
 懐かしく温かい手書きの風景。京王線の聖蹟桜ヶ丘駅周辺がモデルとなっているそうです。
 読書好きの中学三年生女子、雫が主人公。彼女が図書館で本を借りると、読書カードに必ず「天沢聖司」の名前がすでにあり、誰だろうと気になっていきます。
 雫の友人が、意中の人でない人から告白されどうしようと相談。その伝令役を務めた男子が、実はその子の好きな人でした。雫の幼馴染のその男子は、実は雫が好きでした。でも雫はまったく気づいていなかった。そんな自分の鈍感さに落ち込みもします。
 彼女が借りていた本をベンチに置き忘れ、取りに戻ったところに天沢はいました。そこから彼との関係が深まっていきます。
 彼は、バイオリンを作る職人になりたいのでした。バイオリンも弾けるのですが、雫が演奏をお願いすると、お前が歌うならという条件付き。雫は、下手だからと怖気つきますが、演奏に促されて楽しくリズムに乗って歌うようになる。そのシーンはとても印象的です。
 聖司は、腕のいい職人になれるか試すために二ヶ月だけイタリアの職人のもとへ修行に。その間、雫はあることを成し遂げようと決める。それが物語の執筆でした。タイトルは『耳をすませば』。
 聖司の祖父が、雫の最初の読者となります。そしてまた印象的なことに、宝石の原石を雫に差し上げる。しっかり磨きなさいと。私もまた大学生のときから物語を書く試みを繰り返していました。だから雫の苦しみは痛いほどわかりました。
 聖司は帰ってきて、雫と再会。その後、どうなったのでしょうか? 観てのお楽しみです。
 美容師さんはこの作品が好きだから、物書きになりたい私のこともずっと応援してくれているのかもしれません。作品を通じて、人のことが少しわかるっていいですね。

 最後に『思い出のマーニー』。
 これは昨年夏に原作をとても面白く読みました(岩波少年文庫)。ジブリの映画があるのを知ったのはその後です。
 舞台はイギリスから、映画では日本の北海道に移されています。アンナも日本人の杏奈に。だけど、物語の大事なところはそのまま生かされています。驚くほど自然に。
 原作の良さはどこも失われていなかった。療養先のむかつく地元の子もしっかり出てくるし、漁師のとても無口なおじさんもちゃんといる。
 風車小屋はサイロになっているけれど、その不気味さはまったく変わらない。意地悪婆やもまた、ただ日本人になったというだけで意地悪なまま。マーニーの作った砂の城も、キノコ狩りの風景も、湿っち屋敷も。本当に感心しました。
 そしてやっぱり泣けました。自分が嫌いで、「ふつう」であることを願い続ける杏奈が、その核心とも言える「見捨てられることによる不信」をマーニーと追体験することによって克服していく過程が。マーニーが、本当に杏奈を一番大事にしていたことが、杏奈に十分に伝わったことで。そしてそれを可能にした環境が整ったことで。
 何度でも観たい作品になりました。

 映画、私は好きでした。最近はあまり観ていなかったのですが。
 大学生のとき、私も自分のことが嫌いでたまりませんでした。大勢の人たちの中にいるのも苦手で、しかも最初は学生寮に住んでいました。私は逃げるように、仙山線に乗って山寺へ行ったり、ただ広瀬川を眺めていたり、本屋や図書館でぶらぶらしていたりしていました。その中でも映画館に逃げ込む時間は特別でした。
 どうして特別だったのかは、映画を観た後、トイレの鏡で自分の顔を見てわかります。見たくもなかった顔が、少しは見れる顔に変わっていたから。その体験を、今回の一連のジブリ映画を観る中で思い出しました。
 物語を生きると、受け入れがたかったものが、少しは受け入れられるようになります。それが物語の持つ大きな力です。
 杏奈は、物語に没頭することで、許せなかったことを許すことができるようになりました。
 無人島に漂流した男も、何度も脱出を試みますが、やがてその島で生き直すことになります。
 雫は物語を書き抜こうともがく中で、自分に足りないものを見つけ、それを得るために進路も決まっていく。
 物語は目に見えないものです。だけど、語ったり、描いたりすることはできる。その価値は、測ることもできません。
 ただ、作品を作る側になることは、とても大変なことだけど、とても素晴らしいことだとも、改めて思いました。
 せっせと取り入れてきた作品の一つ一つが、私の作品を支えていることは言うまでもありません。
 だから、これからも、ともに。

 
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2度目の東京マラソンに向けて

2025-02-15 20:59:34 | マラソン
 東京マラソン2025まであと2週間になりました。
 2月はマラソン大会の多い月でもあります。明日は熊本城マラソン、高知龍馬マラソン、京都マラソン、おきなわマラソン、青梅マラソンなどなど予定されています。程よい緊張感に包まれているランナーも多いのではないでしょうか。
 11月に神戸マラソンを走りましたが、当日も、それまでの準備期間も暑い日が多く、満足いくような走行距離を蓄えることができませんでした。
 それに比べて2月は、言い訳のできないほど走り込みができていると思います。もちろん、雪の多い地域の方々は大変な思いをされていると想像しますが。
 私は1月の半ば、急性胃腸炎というのに罹ってしまいました。ほぼ2日ダウン。原因ははっきりしませんが、疲れと食べ過ぎと冷えが引き金になった自覚はあります。よく走り、よく働いてもいたので、挽回しようとよく食べてもいました。体重が増え気味だったのもわかっていましたが食べて疲れを取ろうとしていました。だけど、胃腸は「ムリ!」と悲鳴を上げました。
 足腰に問題はなく調子いいな、くらいに思ってました。だけど、胃腸はついて来れなかった。
 思えば年始からよく食べてました。5日は誕生日でもあったのでケーキなども。
 胃腸炎の間、お粥くらいしか喉を通りません。白湯と緑茶と。あと羊羹とか梅干しとか。りんごは胃腸炎でもおいしくいただけました。やっぱりいつだってりんごは味方だと確かめることもできたわけですが。
 要するに、胃腸は休みたかった。人気絶頂のアイドルだって、休みたいときはあるでしょう。なので休んでもらいました。ごめん、と謝りながら。
 少しずつ、胃腸は機嫌を直していきました。仕方ねえな、お前はこれくらいしないとわからねえんだからよ。そんな愚痴を聞きながら。
 真冬なのに夜のアイスを止められないでもいました。アイスを食べて締める、という習慣があったのですが、改めました……。
 元気なときには胃腸が働いてくれていることに気づきません。それが当たり前で空気のようで見えないし感じられない。今回のことで身に染みたので、忘れないように大事にしたいと思います。
 で、東京マラソンです。
 胃腸炎を除けば、いや、それによって体重は1キロ減となったのでそれも込みでなのかもしれませんが、順調にきています。
 1月、胃腸炎があっても107キロ。今月もまだ半分ですが99キロ走れています。
 ですが、問題があります。
 シューズのこと。
 今まで履いてきた「マジックスピード3」というアシックスのものですが、累計走行距離が850キロを越え、靴底の消耗が目立つようになりました。そこで新しい靴を買って東京に挑もうと思ったのです。
 まず買ったのは「ゲルカヤノ31」というもの。これもアシックス製。安定感抜群が売りです。安定感が必要かもと思って購入したのですが、重いのです。フォームも安定するし、足への負担も少ない。だけど軽いシューズに慣れた足にはむしろ負担に感じ、翌日は筋肉痛になっている。今まで痛んだことのないところが。
 で、これはレースでは履けない。
 次に、「マジックスピード4」を購入。これは「3」の進化版。厚底が増して硬い3から柔らかくなり、より足への負担は減った。これはいい! と感じていました。力を入れずとも進むし、フォームも綺麗になる感覚がある。
 しかし、くるぶし問題が発生しました。
 なんだそりゃ、ですよね。私も初めてです。
 長く走っていると(8日の37キロ走で自覚しました)、くるぶしの下が痛くなるのです。シューズの一部が当たるようです。そんなに長くなければ問題ない程度なのですが、さすがに3万歩以上ともなると蓄積されたダメージは許容範囲を超えてしまいます。
 じゃあ、と思い、インソールを買って入れて走ってみました。インソール分足は上がるのでいけるのではないかと。
 それを今日試したのです。いける! と思いました。が、徐々に、やっぱり痛んでくるのです。くるぶしの下。さらにインソールで圧迫された小指まで痛くなる始末。
 使えなかった……。あくまで、東京マラソンではの話ですが。
 じゃあ、今まで履き慣れた「マジックスピード3」をもう一度買うのはどうだろう? そう思って探したら、5ミリだけ小さいサイズのみまだ販売していました。カラーも違うもので、なかなかいいと感じました(紺に緑のライン)。
 ただ、5ミリ縮小。今までの25.5を25に。どうだろう?
 で、実際に足を測ると24センチでした。
 今まで、フルマラソンを走ると爪を痛めています。ほとんど無傷だったことはありません。靴の先に当たって、内出血を起こして黒くなります。日常生活には影響ないのですが。それって、サイズが大きかったからなのではないのか。
 アシックスのシューズはスニーカーを買うとき、試着して25.5が一番合うのを確認していました。だからランニングシューズでも25.5一択だったのですが。
「3」は25しかもう売っていなかった。これは買いなのか、と思い買いました。その選択が間違っていなかったかは、来週にはわかっているでしょう。
 新しいランニングシューズを買うときは、本当に迷います。これがベストシューズと感じていたものは、消耗して買い換えるとき、もうほとんど売っていません。どんどんアップグレードされていて、これは合っていると実感していた「マジックスピード」シリーズでさえ新規の問題が起きてしまう(くるぶし問題)。
「3」を履き始めたときも、初めてのカーボンシューズということで、御多分に洩れず(約7割の人は足を痛めるそうです)肉離れを起こしました。もうすっかり慣れるまで3ヶ月はかかったでしょうか。
「4」も3ヶ月後には最適シューズになっているかもしれません。が、東京には間に合いません。どちらかの「3」で走ることになりそうです。
 ロングタイツもインナーも穴が空きましたので買い替えました。あとはもう大丈夫だと思うのですが、どうでしょう。それを確認する2週間になりそうです。
 悔いのない準備を尽くして、あとは楽しんで走りたいものです。
 それにしてもシューズ。
 長い距離を走ってみて初めてわかることがあります。
 アシックス一択も改めようかと思います。他のメーカーも試してみる必要がありそうです。が、今年に入って3足も買ってしまったわけで、当分はアシックスのお世話になります。
 

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いのちの芽

2025-01-22 19:06:34 | 読書
 ごく個人的「選考委員の方々の作品を読もう」キャンペーンは継続しているのですが、年始一冊目はこの本にしました。
 詩集。私の創作も詩から始まっているから。初心に返りたい気持ちで手が伸びました。
 ただの個人詩集ではなく、ハンセン病の療養所で暮らさざるを得なかった方たちが書かれた詩を集めたものです。この詩集が刊行されたのは1953年のこと。それが70年の歳月を超えて初めて文庫になりました。
 私の住まいの近くにある国立ハンセン病記念館が詩の企画展をしたとき、特別に非売品として配られたものでもありました。私はその会場には行けなかったのですが、読みたいとは思っていました。
 どうしてなのか?
 ハンセン病記念館のある多磨全生園が、私の通学路内にあったからか。
 それもありますが、創作の原形があるように感じていて。
 記念館の多くの展示に接すると、創作活動というものが人間であることの最後の砦になるのだと感じられてきます。どこにも行けず、名前すら消されて、病によって指や目さえも奪われ、家族にも会えず、絶望したり狂ったりするのが普通のような状況に置かれて、なお人間であるために何が必要なのか。
 創作の展示の会場の入り口には、「舌読」されている方の写真が大きく掲げられています。指を失った人は点字を舌で読むのです。舌を酷使すると血が流れたと言います。そこまでして触れたいもの、感じたいもの、確かめたいものが言葉。いや、言葉を通じて暗示されるもう一つの世界なのかもしれません。
 もう一つの世界とは何でしょうか?
 優れた詩は、そのもう一つの世界が確かにあることを示してくれているように思います。
 この詩集で特に印象に残った詩人に志樹逸馬がいます。彼の詩を二つ紹介します。
 一つ目は「芽」。帯に引用された作品でもあります。

  芽

 芽は
 天を指さす 一つの瞳

 腐熟する大地のかなしみを吸って
 明日への希いにもえる

 ひかりにはじけるもの

 芽は
 渇いている 飢えている
 お前はもはや誰れのものでもない
(廻天する地球の風にゆれる
 花のものだ)

 ゆっくりと読んでみてください。
 何度も、何度も。声に出してみても。
 読むたびに、様々な景色が見えてきませんか?
 どんどん深まっていきませんか?
 立ち止まってよくよく見てみれば、草木の芽吹きにもこんなもう一つの世界があったのだと知られてくる。
 かなしみは腐熟するということ。そのたくさんのかなしみを吸って、芽は、明日への希いにもえ、ひかりにはじける。天という目標をはっきりと見つめて。
 飢えていて渇いている芽は、もはや所属を超えている。それこそがもう一つの世界とも言えます。そこで人々は仲間になれます。
 志樹さんは1917年、山形県生まれ。13歳で発病し、多磨全生園に入った後、岡山県の瀬戸内海に面した長島愛生園に移ります。17歳から創作を始めていたそうです。
 愛生園は当時、船でしか渡れなかったそうですが、詩作をともにするため詩人の永瀬清子は通っていました。神谷美恵子の「生きがいについて」(みすず書房)の中に、志樹さんの作品が引用もされているようです。この辺の事情はハンセン病記念館が開催した若松英輔さんによる公演「志樹逸馬の詩と出会う」に詳しいのでリンクを貼っておきます。
 もう一つは「青空」。

 青空

 青空には
 永遠につらなる人間の生命のつぶやきがある

 じっと見ていると
 それはしずかな輝きを増してくる
 ——果てしない深みの中に
 人間の 汗や よろめきや 悶えが
 皆んなここで濾過されて
 澄んだほほえみや涙になってかえってくるような気がする

 多くの人の希いも手と手を握る温味も
 青空は いつも見ていてくれる

 天はまねき 地はささえる
 生きとし 生けるものを
 私の十字架も
 青空の瞳の中に かかっている。

 青空が、どうしてこんなに気持ちいいのか、その理由が書かれていたように感じました。そうか、そこには永遠につらなる人間の生命のつぶやきがあったからか。
 永遠。これもまたもう一つの世界ですね。
 でも確かに、青空はいつも私たちを見てくれている。
 瞳。その中に私も還っていくという信頼感。

 本のカバーの絵は、当時小学校6年生だった愛生園の山村昇さんによるものです。
 瞳の中に映っているのは故郷。思い出の中でしか見ることのない故郷。帰りたくて帰りたくてたまらない故郷の姿。
 隔絶されて、社会との関わりを禁じられて。
 見つめ続けるしかなかったいつもここにある大地や空に、もう一つの世界を見出した志樹逸馬。
 詩はいつも呼びかけています。立ち止まることを。
 この詩集の感想を書こうと思っていたころ、私は思いがけず胃腸炎を患いました。久々に熱が37.4度まで上がり、日曜は仕事を休ませてもらい、月、火となんとか復帰できましたが、まだお腹はゴロゴロ言っております。
 今月は150キロ走るぞ、なんて頑張ってましたが、お腹がついてこれなかったようです。食べ過ぎもあるでしょう。冷えもあった。疲れもあった。今思えば、思い当たることばかりです。「お前はこれくらいしないとわからないからな!」というお腹の声も聞いた気がしています。
 しかしその思うように動けない間、この詩たちとより深く関わることができました。ハンセン病記念館による若松さんの講演もYouTubeで視聴しました。合わせて3時間近くありましたが面白くてあっという間でした。
 目標に向かって頑張っていくこともいい。だけど、じっくりと胃腸を労わる時間があってもいい。病気や怪我をしなければわからないことはたくさんあります。
 詩も、その必要性は普段あまり感じられないかもしれません。だけど、自分の存在が脅かされたり弱ったりしている危機のときほど味方になってくれるものです。「アンパンマンのマーチ」が大震災の直後、たくさん再生されたように。作詞したやさせたかしさんもまた詩人でした。
 情報操作の世の中ですから。言ったもの勝ちみたいでもあり、弱者を前提にした強者たちもいる。SNSはなりすましばかり。ポスト真実の時代なんて言われたりもする。
 でも、本当に強く生きるってどういうことなのでしょうか?
 一つ一つの詩と出会うこと。沈黙を保って受け皿となること。
 悲しみを拒まず、腐熟させるのだと耕すこと。
 来るべきものたちのために。
 文学(本)は、しなやかでたくましく、信頼できると改めて思います。
 まるで芽のように。

 大江満雄 編/岩波文庫/2024


 
 
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火車

2025-01-11 20:53:04 | 読書
 昨年末に読み終えていたのですが、感想を書く余裕がなく、年始になってしまいました。それでもこの作品のインパクトは絶大で、読後感が消えることもありません。
 私が応募しようとしてる「小説すばる文学賞」の選考委員には宮部さんもいらっしゃるのです。宮部さんの作品に触れるのは「ソロモンの偽証」(新潮文庫)以来でしょうか。文庫で全6巻もある大作ですが、あの時も夢中で読んでしまった記憶があります。
 今回もしかり。本当に久しぶりに、就寝前に布団で読むということをしました。続きが気になって。
 ネタバレになってしまうので結末は書きません。少しづつ少しづつ真相に近づいていきます。主人公は子持ちの中年刑事(本間俊介)なのですが、足をピストルで撃たれた後のリハビリ中なので休職中です。そのタイミングを狙って、遠い親戚の若い男が訪ねてきます。「婚約者が失踪してしまったので探して欲しい」と。
 探し人(関根彰子)を痛む足を引きずりながら勤務先や知人などを訪問し、話を聞いて彰子(しょうこ)がどんな人間なのかを浮き彫りにしていきます。彼女の理解を深めていくことで自ずと今どこにいるのかが見えてくると踏んで。
 実際にそうなっていきます。まったく読者の想像を超える形で。
 大きなテーマになっているのはクレジット破産です。
 この作品が発表されたのは平成4年(1992年、文庫化はその6年後)ですから、私は高校一年生。バブルが弾ける寸前でしょうか。
 クレジットカードの発行枚数は鰻登りでした。作中に弁護士による詳しい説明があります。
 彰子の「しあわせになりたいだけだった」というセリフがあります。それが本心でしょう。特技もなく地味な生活をしている人たちにクレジットカードは魅力的に迫ってくる。ブランド品を買う。ちょっといい生活をしてみる。カードで。
 いつの間にか返済ができなくなっている。それでまた借金。気づけば取り立て屋に追われている。
 彰子はそういう人でした。とても真面目だから追い込まれてしまう。
 読んでいて思い出したのは松本清張の「砂の器」(新潮文庫)でした。その主人公も誰にも知られたくない過去を持っていました。そしてその過去というのは、誰でもなりうるものです。宮部さんは松本清張をとてもリスペクトされていますので、自ずと作風が似てくるのかも知れません。骨太な「社会派」です。
 が、それだけでなく、物語を支える細部の表現がまた素晴らしかったです。たぶん宮部さんでしか書けない的を得た、かつ繊細な言葉。物語を支える様々な人物たちの描き分け。ストーリーが小説の骨組みなら、壁紙や床板、間取り、インテリア、設備なども整っていなければ住み心地のいい家にはなりません。小さくても気持ちのいい庭や緑も欲しいですが、そんな思いにも言葉が届いているというか。
 一人のカリスマ刑事(あるいは探偵)が謎解きをしていくというスタイルでもありません。真相に至るヒントは、日頃接している家族や友人、知人との対話から生まれます。刑事の仲間、子供、子供の世話をともにしてくれている同じマンションの住人夫婦、彰子の同級生やその妻、その他にも。出てくる人たちみんなの証言がラストに向かっていく。だから読むことを止めることが難しくなってしまう(しあわせなことですが!)。
 種明かしできないモヤモヤが残りますが、気になった方はぜひ読んでみてください。
 ある意味ホラーでもあります。私も読後、嫌な夢を見ました……。
 ですが、借金への見方は変わると思います。その人だけが悪いのではないのだと。
 ミステリーの謎とは、要するに人間のことなのだと。

 宮部みゆき 著/新潮文庫/1998
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今年もよろしくお願いします。

2025-01-01 17:27:04 | エッセイ
 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 年賀状の画像を使ってみました。
 今はスマホのアプリでスイスイと年賀状を印刷することができます。
 余白には、手書きでそれぞれの人に言葉を添えていますが。
 今は12人前後でしょうか。
 昔はもっと多かったけど、多ければいいというわけでもないことに気づいて、自然に減っていってそうなったという感じです。
 無理なく、続けられる範囲で、年始のあいさつだけでつながっている人もいますのでありがたく受け取り、送らせていただいています。

 年末の本屋は大わらわでした。いつものことですが、クリスマスイヴあたりからお客さんが殺到し始めて、ありがたいのですが流石に疲弊しました。今日は元旦でも営業してますが、私はたまたま定休です。あんことごまのお餅にお雑煮。姉と甥っ子が来てケーキを買ってきていただき(今月5日は私の誕生日)、雑談しながらおいしくいただき、疲れもほぐれていきます。ニューイヤー駅伝を観て元気ももらって。
 昨年も1000キロ走ることができました。
 TATTAというアプリのデータです。
 一昨年より距離と回数は減っているけどペースは上がっている。質が上がったという感じでしょうか。
 8700メートル登っていました。エベレストが8848メートルです。一方8585メートル潜っています。日本海溝は深くて8000メートル越と言われています。そう思うとよく走ったなと実感されてきます。「ちりつも」ですね。
 小説も似たようなものです。
 1200字詰めの用紙に130枚という作品を知り合いの方々に読んでいただいていますが、日々コツコツと積み上げた賜物です。ローマは1日にして成らず。
 他者の反応を確かめて、最終の筆入れをします。そして3月末に提出。
 昨年は2月に高知、4月に花巻、11月に神戸と、未知の街を走ることもできました。一年を通して風邪すら引かず、大きな怪我もなく無事に過ごすことができてよかった。
 やるべきこと、やりたいことを果たした充足感があり、ほっとしています。神戸の笑顔というのも、そんな私の足取りの表れだったのかもしれません。その感覚は持続していて、とんでもなく忙しい書店にいても、不思議と慌てることなく落ち着いていました。
 そして今年。目標ははっきりしています。
 もっと本を読みたい。もっと本を書きたい。もっと走りたい。もっと旅をしたい。もっと好きな人といる時間を増やしたい。もっと温泉に行きたい。もっとおいしいものを食べたい。もっといい写真を撮りたい。もっと面白い対話をしたい。もっとブログを更新したい。もっと収入を上げたい。
 単純なことです。やりたいこと、したいこと、好きなことをもっと。
 そのためにどうすればいいのか。
 どうしたら実現できるのか。
 内側から溢れてくる要求を満たしていく。そのための私は交通整理係に過ぎません。
 書くことも走ることも愛することも、私が少し関与することでその質が上がるということ。主体はあくまでも有機体としての私。
 まずは目の前の作品の質を上げること。
 そして2ヶ月後の東京マラソンで自己ベストを更新すること。
 書くこと走ることを中心に、自己ベストをすべての領域で達成したい。たとえ1ミリでも。貪欲に。
 巳年なので年男でもあります。
 蛇の脱皮は命懸けと言います。
 言うは易し行うは難し。でも言わなければ始まりません。
 得るためには手放すことも必要です。
 新しい自分に生まれ変わるために、離れることも厭わずに。

 
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ツナグ

2024-12-18 20:23:06 | 読書
 寒さが厳しくなってきました。北国や日本海側では大雪も降り、毎年のことながら関東に住む私は冬場にたくさん走ることができてありがたいと感じています。そんななか、私が応募しようとしている「小説すばる新人賞」の選考委員をされている方達の作品を読もう強化期間に入りました(ごく個人的に、です)。
 まず一作目がこちら。
 作者の辻村深月さんは「傲慢と善良」(朝日文庫)が映画化もされ、今よく売れてる作家のお一人です。私はまだ読んだことがありませんでした。
 たくさんある著作からこの本を選んだのは、私が一番読みたい作品だったから。
「使者」と書いて「ツナグ」と読みます。ツナグとは、一体何者でしょうか?
 何と何をツナグのでしょうか?
 様々な主人公が登場しますが、同じ強い思いを持ってツナグの電話番号に辿り着きます。強い思いがなければツナグと接触することもありません。
 それは「死んだ人に会いたい」という強い思い。ツナグは、生きている者と死んでいる者を一晩だけ会わせることができます。光の強い満月の夜、一番長く時間を持つことができ、夜明けまで会いたいと願いあった二人はホテルの一室で再会を果たします。
 家族に受け入れられることなく、会社でも居場所の限られた女性が、テレビで見た女性タレントに街中で助けられ、それをきっかけにファンとなって、タレントの急死を知ってツナグに連絡をする「アイドルの心得」。
 長男として工務店を引き継ぎ、口は悪いが腕のいい仕事人の男性が心に引っかかっていたものを確かめたくてガンで亡くなった母と会う「長男の心得」。
 婚約した女性が失踪し、七年経っても現れず、ついにツナグを頼った男性の「待ち人の心得」。
 二人の演劇部の女子高校生の一人が通学路で自転車事故のため亡くなってしまった。その親友は大事な舞台の主役を奪われたことを根に持ち、「事故でも起こればいい」と思ってしてしまった行動が事故死の原因になってしまったのではないかと恐れ、ツナグと出会う「親友の心得」。
 以上の4編は連作短編で、ここまでで終わってしまうと物足りなさが残るかもしれません。が、さすがは売れているだけはあります。次の5編目はツナグが主人公となっているのです「使者の心」。
 ツナグは、ある男子高校生が務めているのですが、その子がどうしてツナグを引き継ぐことになったのかが少しずつ明らかにされていきます。そしてツナグであるために必要なこと、またしてはいけないことも祖母から教えられていきます。
 その子の名は歩美(あゆみ)と言いますが、彼の両親はすでに亡くなっていました。父の浮気が原因の痴情のもつれとかなんとか、死に方が普通ではなかったので周りにささやかれたりして。その謎も解され、歩実は自らツナグとなる決心に至ります。
 歩美の前の4人も主人公ですが、やはりタイトルになっているようにツナグである歩美が主人公だったのだと読み終えて思います。彼の物語を読んでやっと全体が腑に落ち、「よき物語を読んだ」という充足感が湧いてきます。そしてこの作者の他の作品にも手が伸びていく、という感じです。
 小説は、文章の巧拙や人物造形の明確さ深さ、表現力語彙力、動機の切実さだけでなく、その物語を最も有効に機能させる構成を作る力が必要だと改めて思います。長い文章だけの世界ですから、いかに飽きさせない工夫ができるか。せっかく手を伸ばしてくれた人に、どれだけ親切でいられるかということにもなってきます。
 あと辻村さんの作品から感じたのは、登場人物が実に丁寧に描かれているということ。それは他者への敬意が滲み出たものとも言えそうです。その気持ちだけで上手に人物が描けるというわけではないと思いますが。
「私のために書いてくれた! というたくさんの幸福な勘違い読書体験が血肉となっている」とご本人は言っています。そう、あれこれ言ってみて言語化してみても、結局はどれだけ読んで自分のものになっているか。それらはいざ自分が書いたとき、支えとなっていると実感するものです。
 ということでもう次の方の作品は読んでいる最中です。あと少なくとも3冊は、「選考委員の方々の作品を読もう強化期間」シリーズとなる予定です。

 辻村深月 著/新潮文庫/2012
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死の森の犬たち

2024-12-14 20:55:31 | 読書
 読み出したら止まらなくなってしまいました。
「動物もの」と言っていいのかどうか。そんな単純な枠にははまらないように思います。
 主人公は確かに犬です。犬と言っても、「犬」とくくれるものじゃない。それぞれに個性があります。その個性の違いがドラマを生んでいるとも言えます。
 ゾーヤと名付けられた雌の子犬は、ナターシャの一家にあたたかく迎えられます。
 でも、その幸せはほんの一瞬でした。その後、長く過酷なサバイバルが待っていました。
 ナターシャの家は、チェルノブイリ原発のすぐ近くにありました。爆発、そして突然の避難。福島の記憶が蘇ります。
 ペットを連れて行くことは禁止されていました。しかし、ナターシャはこっそりゾーヤを連れてきました。とても置いていくことはできなかったので。
 バスに乗るとき、ゾーヤは見つかってしまいます。外に置かれたゾーヤは、バスが走り始めると一心に追いかけます。何かの遊びだと思って。だけど、バスは一向に止まらず、やがてゾーヤは追いかけることをやめてしまう。
 ナターシャとゾーヤのその後が展開していきます。
 ナターシャは人に本心を見せない勉強一途な科学者になっていきます。原発から避難してきた運命を受け入れてくれる人たちばかりではありません。変わった人と見られても、ナターシャは一人で過ごすことに慣れていきます。理解者であった父は、被曝の影響で早くに亡くなってしまいます。母は再婚しますが、その義理の父とナターシャは距離を置いたまま。ナターシャは父の勧めもあって核エネルギーの生みの親である物理の研究に邁進します。この道のりは、先にノーベル平和賞を受賞されてノルウェーで演説された日本原水爆被害者団体協議会の田中さんと似ています。成績は優秀で研究職にも恵まれますが、心には大きな穴が空いたままです。彼女は決して幸せではありませんでした。
 ゾーヤは、「魔女」と言われていたお婆さんのカテリーナに拾われます。カテリーナは避難を指示されても従わず、残ることを選んだ人でした。カテリーナは結婚相手を亡くしており一人。ゾーヤはカテリーナに懐いて、カテリーナもゾーヤがいることで孤独を癒されていました。
 が、狼がやってきます。そしてゾーヤは、雄の狼の魅力に抗えず、付いて行ってしまいます。そう、ゾーヤの中にも元々狼の血が入っていました。目の色が左右で違うのが証拠です。片方は冷たい青、もう片方は温かい茶色。
 ゾーヤは子供を二匹産みました。森の中の洞穴で。ミーシャとブラタン。ブラタンは弟で、生まれつき後ろ足が弱くて早く歩けず、その代わり噛む力は犬一倍強い。
 来る日も来る日も獲物探し。小熊と出会ったり、山猫に襲われたり。その中でも一番の強敵がやはり狼でした。
 雌の狼、クロスフェイスがミーシャの宿敵となっていきます。
 老いたゾーヤはカテリーナの家にかろうじて戻り、そこで安らかな最後を迎えますが、残されたミーシャとブラタンは、クロスフェイスから逃げるように住処を探す旅に出ます。
 無人となった農家に出会います。そこには野生化し生き残っていた犬たちがいました。ミーシャとブラタンは、そこのボスのコーカシアンシェパードに認められて仲間となることを許されました。コーカシアンシェパードは、狼を退治するために改良された品種です。
 ミーシャはそこで伴侶となるサルーキと出会う。
 サルーキは、この本の表紙の右側で走っている犬ですが、狩猟犬で顔が小さく足が長く、人との歴史が七千年もあると言われている最も古い犬種です。
 農家の地下室にソーセージを見つけてひとときの幸福を味わいますが、犬たちはまたしてもクロスフェイスが引きつれる狼軍団と戦うことになります。この場面は作者も一番力が入ったらしく、ハラハラドキドキの連続。かつての仲間だった馬が活躍したり、かつての遊び仲間だった小熊が助っ人に来たり。
 その後も息をつかせない展開が続きます。
 最終的にゾーヤの子であるミーシャはどうなったでしょうか?
 大人になったナターシャは、故郷に放射線を測定するボランティアとして戻ってきます。それは野生化した動物たちの保護が目的だったのですが。
 人間の活動によって「死の森」と化した場所が、かつてのペットたちの野生を取り戻す場所ともなったことが印象的です。犬が犬になり切れず、狼と連れ添うというのもこの作品では大きな特徴です。私は知りませんでした。狼と犬が、完全には別れていない種だったということが。人がいなくなったことによって動物たちが主導権を取り戻すかのように生き生きとする。それはいつも死と隣り合わせなのですが。
 動物たちが決して擬人化されていません。動物は動物として、その個性を尊重されて描き分けられていることもこの作品の美点だと思います。だからこそ、読者は一つの動物に感情移入してページをめくる手が止まらない。
「たましいのきずなはけっして消えない」
 愛された記憶は決して消えません。それが人を、人だけでなく動物も、生かしていく原動力なのだということを「死の森」が浮かび上がらせています。

アンソニー・マゴーワン 作/尾﨑愛子 訳/岩波書店/2024
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神戸マラソンにて

2024-12-07 20:28:34 | マラソン
 写真が来たので載せておきます。
 レース中の笑顔は珍しいです。
 おそらく40キロ付近だと思いますが、ここに来るまでたくさんハイタッチしてきたので、顔はほぐれていたのでしょう。
 応援してくださった皆様に改めて感謝します。本当に、いつもマラソンの後半は応援が頼りです。
 神戸から3週間経ちました。今日は20キロほど走りました。筋肉疲労も抜けてきました。
 次の東京マラソンに向けて、走行距離を伸ばそうと計画中です。
 絶対に自己ベストを更新したいから。
 着実に、でも無理はせず。
 東京の次の大会もエントリーしました。
 5月11日、2年ぶりの仙台ハーフマラソンです。ホテルももう予約しました。
 今年は仙台に行けなかったから。やっぱり行きたい、大事な場所です。
 マラソンは続いていきます。どこまでも。
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中空構造日本の深層

2024-12-04 20:25:51 | 読書
 少し前に読んでいたのですが感想がまだでした。
 前から気になっていて、執筆がひと段落して、やっと手が伸びました。
「中空」とはなんでしょうか?
 著者の河合隼雄さんはカウンセラーで、面接を重ねるうちに日本人独特の心があると気づきます。その典型を昔話や神話に見出してきました。
 中空のヒントは古事記から。アマテラス、ツクヨミ、スサノオという三神がおりますが、活躍し記述されるのはもっぱらアマテラスとスサノオ。同様の構造は、ホデリ、ホスセリ、ホヲリ、また、タカミムスヒ、アメノミナカヌシ、カミムスヒの三神(ホスセリとアメノミナカヌシがツクヨミに該当)にも当てはまります。
 日本神話に登場する神でありながら、なぜほとんど注目されないのでしょうか?
 空だから。特にないから。
 え? 神なのに特に記述すべきことがないって。
 いや、そうだからこそ存在意義がありました。
 西洋ではどうでしょうか?
 一神教ではどうでしょうか?
 神は一つ。それが当たり前で育つとどんな考え方になっていくのか?
 少し想像すれば見えてくるのではないでしょうか?
 異教を排除する。異端を追い出す。違う神を認めない。ジハードとか聖戦とかが正当化される。善と悪がはっきりと別れ、分断されることになっていくのではないでしょうか。
 一方で、三神のうち一つの神が無力だとしたら。
 善と悪だけじゃなく空が最初から入っていることで、善と悪の固定化が防がれる。善と悪が入れ替わる余地が生まれる。ちゃらになるというのでしょうか、空があることでリセットが可能になる。そして善と悪など対立する者同士の共存が可能になるのです。
 大した知恵だと思いませんか?
 それは環境の要因も大きいと思います。
 日本は島国です。地続きの国境というものがない。
 それに地震と津波と火山に台風まである。一つの建物が何百年と残ることはほとんどありません。むしろ定期的に建て替えるのが当たり前。
 自然は豊かです。一方で、人間の持つ力を肯定的に受け止めることは難しかったのかもしれません。すぐに震災でゼロにされてしまうから。
 そして天皇制という仕組み。天皇は国民の象徴で権力を持ちません。明治時代、天皇を神としてまとまろうとした日本は、海外の方達をことごとく敵視し、今思えば無謀としか言えない戦争に明け暮れました。
 中が空であることで、対立する者同士が共存できる。相反する力を象徴に統合することで乗り越えることができる。そんな日本という島国ならではの心の深層。
 一方で、短所もあります。
 無気力、責任感の欠如、自分の課題を棚上げしてしまうこと、過度の依存、意思が弱い、自分が何をしたいのかわからない、ミートゥーイズム、みんなと同じじゃないと不安、などなど。
 河合さんの提案は一つだと私は思いました。
「個々人が自分の状態を明確に意識化する努力をこそ積みあげるべきであろう。これは遠回りの道のように見えて、実は最善の道と考えられるものである。そのような意識化の努力の過程において、中空構造のモデルは、ひとつの手がかりを与えてくれるものとなるであろう」 77ページ4行〜7行
 何でもかんでも「やばい」ではなくてね……。もっと言葉(心)はあるから。
 カウンセリングも小説も「個々人の自分の状態を明確に意識化」するお手伝いができます。私もその努力をこそ積み上げてきたのだと思います。毎日日記をつけたり、こうして読書感想を書いたり。
 人の心というのは、それほどまでに不可解で広大で、無限とも言えるものだから。
 海のようなものです。海は広くて大きいから冒険に出たくなる。でも海のことを知らなければ、飲み込まれたり流されたりしてしまうことも起きます。
 一つずつ、知ったことを書いていく。その積み上げが、その人の人間の幅や奥行きともなっていきます。自分がしあわせになり、しあわせを他の人に運べるようにもなれるかもしれない。
 まずは自分から。自分という海を知っていくことから。
 人のせいにするでもなく、自分のせいにするでもなく。
 河合隼雄さんの書いたものを読むと、やっぱり心のどこかにピッタリと収まっていく感じがします。

河合隼雄 著/中公文庫/1999
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神戸へ

2024-11-23 21:20:23 | 
 初めての神戸。
 神戸マラソンに参加することが大きな目的でしたが、他にも行きたいところはたくさんありました。
 初日、ポートライナー(神戸空港までつながっているモノレール。運転手はおらず、遠隔操作されています)でポートアイランド内のマラソン受付へ。帰りは三宮駅まで戻らず、途中下車して海沿いをてくてくと。行きたい場所その一は神戸海洋博物館。冒頭の写真は、海洋博物館に入るとお出迎えしてくれるロドニー号。
 ロドニー号は、1868年に神戸港が開港した際に祝砲をあげたイギリスの艦船。もちろん模型ですが、よく見れば見るほどよくできています。館内には他にもたくさんの模型船が展示されています。
 船がいかに大事なものであったか。それは今でも同じで、海に囲まれた日本は輸入品のほとんどを船に頼っていました。船は、とんでもない量を一気に運べる。神戸は、昔から(平清盛から)貿易の重要な拠点。中国、朝鮮、また日本海側の地域から江戸までつながっていた。大阪に入る船の積荷を小舟に下ろす場所でもあった。
 両親が気仙沼という港町育ちなので、私も自然と港町、船、海は好きになりました。年を重ねるたびに、と言えるかもしれません。なので海洋博物館の船たちは私にとってお宝のような存在でした。実際に見て、その気持ちを強くしました。
 海洋博物館の手前には神戸港震災メモリアルパークがあります。

 改修工事中でもあったのですが、当時のままの港跡は見ることができました。
 傾いて沈んだ電灯が、確かにここに巨大地震が発生したことを物語っています。
 沈んで海に浸っている姿は、気仙沼のかつての魚市場を思い出します。
 当時の姿を残して伝えていくことは今後のためにやはり大事だなと感じました。これがなければ忘れてしまう。それほど神戸は成長がたくましかったから。

 マラソンが終わった二日目、向かったのはポートミュージアムのアトアです。アートとアクアリウムを融合した施設。展示がユニークで、水族館で動物園で、かつ美術館で図書館でもあるような場所でした。

 こんな感じです。きれいですよね。この魚、初めて見ましたがユメウメイロというそうです。
 アトアで有名なのはこちらでしょう。

 これは地球を表しているようです。中にいる魚はサクラダイにキンギョハナダイ。
 丸い水槽って見たことないような。
 つい長居してしまう美しさ。それが地球なんですよね。
 そのアトアの屋上から見た夜景がこちらです。

 右下のエメラルドグリーンの船のような形をしたものが海洋博物館、ちょうどそのポールのような赤いものがポートタワーです。

 そして3日目。
 早朝に生田神社へ参拝。

 この神社は神戸の中心とも言えます。
 806年、朝廷から生田神社に仕える家・神戸(かんべ)44戸をいただいたとあり、神戸の名の由来になっています。神社の裏に広がる生田の森は、源平合戦が繰り広げられもしました。その森に咲いていた石蕗(つわぶき)です。

 石蕗は好きな花の一つです。花言葉は「困難に負けない」。
 おみくじは大吉でした。いわく「このみくじにあう人は 草木の春にあい 花咲き やがてみのるようで 世に出る喜びがある 神仏を信じ 自らかえり見て 謙虚ならば 幸せ来たる」。
 謙虚であること。改めて。「仕事守」を買って帰りました。

 次に行ったのは「戦没した船と海員の資料館」。

 平日の10時から開館だったので、時間調整も兼ねて旧居留地や南京町をぶらぶら。ポートタワーの手前にこの資料館はあります。
 9月に新聞で知ったのでした。私の祖父も戦没者の一人です。もしかしたら、何かわかるかもと思い、ちょうど神戸にあったのでぜひ行きたい場所でした。
 記帳し、館内を見ていると「何かお探ししましょうか?」と声をかけていただきました。実は祖父も船員で、と名前と本籍地をメモして渡して調べてもらうことに。
 やがて名前を呼ばれ、ちょっと来てくださいと奥の事務所へ。
 差し出された名簿に、祖父の名前がありました。
 名前だけでなく、今まではっきりしていなかった生年月日、没年月日、死亡場所、職名、船名まで判明しました。
 船名の名簿もありましたが、そこには載っていませんでした。小型の漁船だったようで、資料にあるのは7500くらいで、実際は1万5千もの船が海に沈められていました。
 探して残してくださった方々には感謝しかありません。深く一礼して後にしました。
 父に知らせると、真実が知れて震えて空白が埋まったようだと言いました。父も喜び、私も行ったかいがありました。

 ポートルートというバスに乗って、新幹線の駅がある新神戸へ。そこから歩いて15分くらいで北野に出ます。異人館で有名な場所です。
 ただすごい坂。昨日のマラソン疲れがこたえます。てっぺんにあると思われる「うろこの家」へ。

 写真左上の展望室から見た景色がこちら。

 西洋の食器や家具、当時の写真などが中にはありますが、一番印象深かったのがこの飾り。木の根っこに花々が咲いています。切られた幹の上には一輪のバラ。木の根っこの部分をドレスに見立てたのでしょうか? これが西洋ではポピュラーなのか稀なのかわかりませんが、確かに異人の発想に触れた感覚が残りました。
 うろこの家を出て坂を下り、右折してすぐ右手に北野天満神社が見えてきます。
 1180年、平清盛が建立し、北野の地名の発祥となりました。学問の神様、藤原道真公が祀られています。高校受験を控える甥っ子のために合格守を購入。ここのおみくじも大吉でした。いわく「地道に物事をこなしていけばきっと叶うでしょう」。そう、地道に、コツコツと。
 北野天満神社境内から、有名な風見鶏の館が見えます。

 こちらは改修工事中でしたが、目の前のお店でビーフシチューカレーをいただきました。神戸は何を食べてもおいしいですが、オムライスは外せないかもです(初日の昼にまずいただきました)。
 新神戸駅に戻り、駅弁を買い、お土産を買いました。新幹線を待ち、無事に帰宅。
 本当に行ってよかった。
 阪神・淡路大震災からもうすぐ30年。私は当時18歳で、大学受験にすべて失敗した頃。私にとってはあれからの30年が神戸には凝縮されているようでもありました。
 活気があって、気さくで、笑顔で迎えてくれた。人々とそれぞれの土地の名産品が行き交う港町。陸地が狭いので道も店もこじんまりしている。だからなのか個性的で歴史的な建物や店も多い。あちこちで行列ができていました。
 彼の地を走り、歩き、顔を合わせ、手を合わせ、地元のものを頂き、空気を胸いっぱいに吸って。
 これからの30年を思います。
 時間をかけて、一つずつ、成就させていく。
 次の作品へ、次の人生へ、区切りとなる旅になりました。
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神戸マラソン2024

2024-11-20 17:23:16 | マラソン
 神戸マラソンに初めて参加してきました。今年で12回目だそうです。
 天気予報通りの暑さでした。スタート時は気温20度、湿度80%。
 気温が高いと走りにくいのは想像しやすいかと思いますが、気温よりもきついのが湿度です。湿度が高いとせっかく汗をかいても蒸発してくれません。人は汗をかくために体毛を減らしました。汗が出て蒸発すると熱を奪い(気化熱)、体温を下げてくれます。発汗と蒸発によって体温が上がりすぎることを防ぎ、より長く走り移動することが可能となりました。なぜより長く走る必要があったかといえば、車なんかなかった昔を想像すると見えてきませんか? 危険な動物から逃げ切るため、また他の部族よりも多くの食べ物を見つけるため、さらには気候変動対策などで移動するため、などなど、長く走れた方が生存に有利だったからです。
 実際、一年を通して走っていて一番危ないのは気温、湿度とも高い日です。意識が薄れていき気持ち悪くなってきます。熱中症の手前です。今年も暑さに慣れる前はそうなることもありました。

 神戸マラソンは「感謝と友情」をテーマにしています。
 来年で阪神・淡路大震災から30年。ひまわりは復興の象徴でした。
 スタート前のセレモニーでは「しあわせ運べるように」という歌が演奏されます。その最後でランナーたちが黄色い手袋をはめて天高く掲げます。それぞれの震災復興への想いを胸に、「感謝と友情」のひまわりを咲かせました。

 スタートしてすぐ汗をかき始めます。明石海峡大橋をくぐって折り返し、神戸大橋を渡ってポートアイランドでゴールする海沿いのレースです。日差しも出始めた後半になるほど暑さがこたえてきます。足が動かなくなっていきます。給水だけは取っていきました。給水所は混み合うので、後半はもう歩いて、首筋と両手に水をかけて。それでなんとか体温を下げて、足を前に出し続けます。
 倒れている人が何人かいました。足がつって動けない人たちはもっとたくさん。次は俺か? という恐怖も頭にもたげてきます。実際、暑さは苦手なのでスピードが落ちることは悔しくもなく、無理しないために必要な行動でもありました。
 とは言っても心許ない。苦しくてつらいのは最高潮。そこにラスボスが現れました。神戸大橋です。遠くからでも登っているのが見えるくらいの激坂。歩こうか、という誘惑の声も大きくなります(私の頭の中で)。
 地元の人たちはわかっていました。そこ、つらいですよね〜。沿道に、何やら大きくて黄色い手をした人たちが並んで手を振っています。

 「推し推しゾーン」でした!
 私は吸い寄せられるように大きな黄色い手へ。次々とハイタッチを交わしていきました。一人一人を見て、「ありがとう」と声をかけて。
 本当にありがたかったから。ハイタッチしていくと、不思議と頭の恐怖たちは消えています。私はまさに推されました。ハイタッチと笑顔に引っ張られて、なんとか神戸大橋を乗り越えました。

 ポートタワーと神戸大橋をデザインした完走メダル。ゴールして脱帽し、振り返って一礼します。今回も込み上げるものがありました。楽なマラソンなんてないから。
 神戸の美味しい水とバナナ、ベビーチーズ(六甲バターという会社が作っていました)、さらにゆで卵が提供されもぐもぐと。更衣室に辿り着き、座って靴下を履き替えようとしたのですが、何度足がつったことか。一箇所でなくあちこちが、これでもかこれでもかと。それでもしかしてこのレースは私が参加した12回のマラソン大会で一番過酷だったかもしれないと実感しました。一番の高温多湿だったことは間違いないでしょう。

 3時間46分23秒。2月の高知龍馬マラソンよりも遅かった。
 11月は準備期間中の暑さが影響してタイムが伸びないのだとも思いました。2月の方が距離を踏んでいるのでタイムは出やすいのかなと。

 終えてみて思うのは、大会のテーマ通り「感謝と友情」を育めたレースになったなと。一番足がつった大会であり、一番きつかった大会でもあったけど、一番助けられて一番応援してもらって一番顔を見て一番手を合わせて一番「ありがとう」を言えた大会。
 来年からコースは変わるようですが、これからもずっと続いて欲しい素晴らしい大会でした。
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26年ぶりの

2024-11-13 18:07:53 | エッセイ
 やりましたね。26年ぶりの日本シリーズ制覇。
 思わず買った雑誌には「日本一」となってますが、システム上そうなのですが、三浦監督も「日本一」とは言っていません。なぜなら、リーグ優勝をしたわけではないので。
 リーグ3位から、クライマックスシリーズ(CS)で2位の阪神に勝ち、優勝した巨人にも勝ち、セリーグ代表となって日本シリーズに出ていました。それは7年前にもありましたが、そのときは今年と同じホークスに負けていました。
 様々なことを思い出します。
 私が横浜ファンになったのはいつだったか。確か高校時代からでしょうか。
 よく遊ぶ2人がいました。学校に近い方の友人宅におじゃまし、よくプレイステーションの野球ゲーム「実況パワフルプロ野球」をやっていました。1人は阪神ファンでもう1人は中日。じゃあ私は、というところで横浜を選択していました。
 横浜は、12球団で一番負けているチームです。プロ野球の初期からある巨人、阪神、中日が横浜より千試合以上試合数が多いにもかかわらず、です。今年度終了時で4394勝5369敗323分、勝率は4割5分。
 三浦監督もよく負けたピッチャーでした。通算172勝184敗。これはプロ野球歴代13位の黒星の記録です。かつて阪神から熱烈なオファーを受け、出身が奈良なので移籍しようとしていましたが、多くのファンの声によって思いとどまった過去があります。そのとき彼はこう言ったそうです。「強いチームから勝ちたい」と。
 26年前、リーグ優勝し日本シリーズも制した文句なしの日本一になったときの監督は権藤博さんでした。今年のシリーズ初戦で始球式を務め、85歳にも関わらずノーバウンドでストライクの投球。そして右手でガッツポーズ。
 かっこよかった。そうでした、ああぼくは権藤ファンだったのだと思った。
 26年前のシリーズ初戦、私はなぜか気仙沼におり、祖母とテレビで野球観戦していた記憶があります。思い出してみると、そのとき私は大学の3年で、3年から理学部から文学部に転部しており、かつ学生寮からも出た直後だったようです。文化の日もあって連休となったとき、ふと田舎に行きたくなったのかもしれません。
 後で聞いた話ですが、祖母も横浜ファン(当初は大洋ホエールズ)だったそうです。なぜかといえば、気仙沼出身の投手がいたから。その名を島田源太郎と言います。祖母は島田のファンだったそうです。
 島田は完全試合(相手を無四球無安打に抑えること)を達成しています。その年の1960年、当時の大洋はリーグ優勝し、日本一にも輝いています。当時の監督は三原脩(おさむ)監督で、選手起用が変則的(投手をすぐに変えるとか)で三原マジックと言われていました。
 その38年後、今から26年前の1998年、権藤監督率いる横浜が日本一になりました。権藤監督は右膝を階段の上に乗せ、その上に右肘をついて右手で顔を支えるポーズで動かない。打順も変わらない。石井、波留、鈴木、ローズ、駒田、佐伯、谷繁、進藤。斎藤、野村、三浦、川村という先発ピッチャーがおり、五十嵐に盛田という中継ぎがいて、最後は大魔神、佐々木が締める。あのプロフェッショナルな集団が好きでした。銘々の個が最大限に輝いて、チームとして一つになって、マシンガン打線と言われて。
 それからは3位になることはあっても優勝には届かない長い低迷期。優勝は38年周期説までささやかれて。有力選手たちの流出も続きました。
 今年も3位。終盤に広島が大失速して。まあAクラスか、よくやった。そんな負け慣れたファンたちも多かったのではないでしょうか。
 でも、今年は違った。シーズンが終わってからどんどん強くなっていきました。そんなチームを今まで見たことがありません。セリーグの混戦が選手たちを強くしたとも言えます。特に巨人との闘いは、もう本当にどっちに流れがいくか読めず、ずっと目が離せない。ヒリヒリしっぱなしでした。
 シーズン中、あれほど失策が多かったのに(セリーグワーストです)、みんな球際に強くなっていました。三浦監督はこう言っていたそうです。「エラーは反省したら忘れろ」と。今年のチームスローガンは「横浜進化」。まさに言葉通りの選手・チームは進化していきました。
 次へ、次へと反省を生かして進化し、持てる力を出し切って勝ち切る。一人一人が最高の仕事を果たし、好循環が生まれ、点が線となったとき、日本一のチームが生まれていました。
「夢は叶う」青いバラの花言葉。横浜はバラが有名でもあり、「夢は叶う」もチームとファンが共有する大事な言葉の一つになっていました。その通り、本当に叶いました。
 感無量です。横浜ファンでよかった。
 来年はリーグ優勝そして真の日本一を。
 これからもともに、応援します。
 ひどい負け方をするとついぼやき、寝つきが悪くなったりしてしまいますが、終わってみればその時間もありがたかったなあと。
「夢は叶う」私も続こう。
 権藤監督の口ぐせは二つ。
「プロの意地を見せろ」そして「やられたらやり返せ」。
 シンプルですが心の奥底に届く普遍性を持っています。
 権藤さんの現役時代、1961年中日に入団し、69試合に登板、35勝19敗で新人王と沢村賞と最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振も獲得。翌年も30勝して最多勝利に輝くものの、投げ過ぎにより肩を痛め、1968年に引退。権藤、権藤、雨、権藤とまで言われました。1973年からコーチに就任しています。
 よい成績を残したからよいコーチや監督になれるわけではありません。自分の経験をいかに他者に活かせるか。自分に通用したことが誰にでも通用するわけでもありません。「Number」には権藤さんによるシリーズの解説も載っています。それを読むと、ああこの人はよく野球を読む人なんだと感心しました。片肘ついてじっくり見ていたのは「野球」であって、野球を演じているプレイヤーの一人一人なのだなと。
 7年前の宿敵ホークスを破っての日本シリーズ制覇。
 やられたらやり返し、プロの意地を見せてくれました。
 強いチームに勝ち、ミスを反省しては忘れ、進化し進化し、夢を叶えた。
 様々なことがつながり、一つに集まるとき、人々は最高の力を発揮できることも私たちに見せてくれました。
 本当におめでとう。そして、ありがとう。
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点子ちゃんとアントン

2024-11-02 17:29:23 | 読書
 子供向けに書かれたものではありますが、大人が読んでもおもしろく、ハッとさせられるものがあります。
 点子ちゃんはある日、壁に向かってマッチを売る練習をしています。それをお父さんは見て不思議がるのですが、どういう訳なのかすぐにはわかりません。
 お父さんは実業家でお金持ち。奥様は社交に忙しく、夜はいつも夫と外出しています。点子ちゃんの面倒を見るのは、家庭教師と家政婦とピーフケという犬だけです。
 そんな点子ちゃんには大事な友達がいました。それがアントンです。
 アントンは母子家庭で、お母さんが病気療養中のため料理を自分でし、靴紐を売ることで家計の足しにもしています。そんなアントンは学校で疲れてしまって居眠りしてしまいます。先生はアントンはけしからん子だと思い、親に手紙を書こうとしていました。それを知った点子ちゃんは、先生と直談判し、アントンに内緒でアントンの真実を先生にわかってもらいます。アントンは先生に真実が知られるくらいなら舌を噛み切った方がいいとまで思っていました。先生はそれからアントンに対して思いやりを持って接するようになりました。
 一方で、点子ちゃんは夜になると家庭教師に連れられて一番賑やかな橋の上で練習した演技を披露していました。「私のお母さんは目が見えません。哀れだとお思いになるならどうかこのマッチを買ってくださいまし!」
 家庭教師の若い女性には彼氏がいましたが、その男は女から金を要求し、女は金を渡すことで「一人でいるよりはマシ」な状態を作っていました。点子ちゃんは利用されていました。でも点子ちゃんは半ばおもしろがって。
 アントンは橋の向かい側で靴紐を売っていました。ある夜、アントンは、家庭教師の女の男が点子ちゃんの家の鍵を奪うのを目撃します。アントンは急いで点子ちゃんの家に電話しました。家政婦に、今から強盗が入るからと知らせるためです。
 アントンの知らせによって、強盗は未遂で終わりました。警察が駆けつけ、点子ちゃんの両親も帰ってきます。すべてが明らかになり、家庭教師は逃げ出し、アントンとお母さんは点子ちゃん家族と共に暮らすことになります。
 章ごとに、作者のケストナーの「立ち止まって考えたこと」が付されています。「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」
 これらはどれも一読の価値がありますが、私が一番引かれたのは「尊敬について」で触れられている「ばかやさしさ」についてです。
「ばかやさしさ」耳慣れない言葉ですが、作者のケストナーの地元にはある言葉なのだそうです。その意味はこんな感じです。

 だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことやったらおこられると、自分たちでさえ思うようなことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
 尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがってる、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。
 なのに、もしもおこられたりしかられたりしなかったら、それどころか、もしも横着なことをしたのにチョコレートをもらったりしたら、子どもたちは思うだろう。
「またこんども横着してやろう、そしたらチョコレートがもらえるんだもん」
 尊敬は必要だ。尊敬できる人は必要だ。子どもたちが、いや、ぼくたち人間が未熟であるかぎり。  167ページ7行〜168ページ5行

 とても興味深い「ばかやさしさ」ですね。
 思うに、相手に好かれたいばかりに、自分の心をはみ出して大きく見せようとすることを「ばかやさしさ」と言うのではないでしょうか。私にも心当たり、あります。そしてそんな態度を見せた相手とは(ほとんどが女性だったと思いますが)うまくいかなかった。そりゃそうでしょう。見せかけの自分が続く訳がない。もし続いたとしたら、それだけ見えない病を抱えることになるだけでしょう。
 自尊心が弱いから、何が大切なのかわかっていないから、子供に対する「ものさし」を見せられないのかもしれません。じゃあ自尊心を育むにはどうしたらいいのか? それはやっぱり尊敬できる人たちと出会うことであり、自分自身が他者から敬意を持って接してもらう体験を重ねることしかないように思います。点子ちゃんの家庭教師が最も自尊心が低いという設定は、ケストナーらしい皮肉です。
「ろくでなし」たちはいつの時代も巧妙に「自尊心の低い」人たちを操ります。「ろくでなし」を減らしていくためには「ろくでなし」に引っかからないこと。無視して気にしないこと。そして、どんなことがあっても自分には価値があると信じること。
 どのようにして?
 例えば、この本を読んで。
 アントンから勇気を分けてもらって。

エーリヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2000
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