前回の直木賞受賞作。夏に読みたいと思って買っていました。
私が沖縄に行ったのは一回だけ。このブログで調べると、ちょうど10年前でした。
読んでいて、私の沖縄体験が蘇った。とくに「ガマ」。ガマとは、自然にできた洞窟のことですが、戦時中は避難所でもありました。
「鬼畜米英」と呼ばれた「アメリカー」が迫っていると、自決した方々もたくさんいます。
この小説は、1952年から1972年までの20年間を描いている。
いかにアメリカ(アメリカー)と日本(ヤマトゥ)に翻弄されてきたかが、痛いほど伝わる。
上のように、日本語表記に沖縄語のふりがなが付けられています。臨場感が出て有効でした。
この物語に引き込まれたのは「オンちゃん」という言葉にもよります。
「オンちゃん」もまた沖縄語なのでしょうか。私の父もまた姪っ子たちに「オンちゃん」と呼ばれています。
私の父は東北の宮城の気仙沼の大島出身。このことを聞くと、島では「オンつぁん」で、陸では「オンちゃん」なのだと。
親しみや敬意が含まれた「おじさん」という意味だと思います。
この小説では「オンちゃん」が、物語の軸となっている。
その人は「戦果アギヤー」で、地元の英雄だった。
アメリカ軍基地に忍び込み、物資を略奪して貧しい人たちに配った。
その集団の長が「オンちゃん」であり、続いてグスク、弟のレイ。オンちゃんの恋人であるヤマコが基地の外で待ち、また食事当番でもあった。
一行は、沖縄最大の基地「カデナ」に侵入。発見され、グスクとレイはオンちゃんとはぐれてしまう。
命からがら逃げるも、オンちゃんは行方不明に。ここから長い歳月が流れていく。
グスクは警官に。ヤマコは教員に。レイはヤクザに、それぞれなって、それぞれが「オンちゃん」を探し続ける。
最後にすべて明らかになり、最後の一行に凝縮します。そして、とても長い余韻が残る。
アメリカ兵の乱暴、暴走、暴行、また飛行機事故の犠牲となった女性、子供たち。
アメリカ狩りをするならず者たち。
二度目のカデナ基地侵入で先頭を走ったのはレイ。その言葉がしみます。
「この世を存続させてきた愛(ジョーエー)の正体を知るものがいるとしたら、それはおれたちだ。ここはまぎれもなく沖縄(ウチナー)の土地だ、戦果アギヤーが数えきれない愛(ジョーエー)を配ってきた土地だ。だからここでおれたちが全滅したところで、戦果アギヤーは何度でもよみがえる。魂のなかの英雄が転生をくりかえす。アメリカーも日本人(ヤマトンチュ)もそのことをいずれ思い知るだろう。この島の人たちだけが正真正銘(マクトゥ)の英雄を知って、愛(ジョーエー)を与えるものになれるのさ」 513頁3行-7行
沖縄出身で、だからこそなのか、愛を与えることの出来る知り合いがいます。この符合もまた小説の説得力に通じた。
売れるものは必要なものだという単純な真実が、小説にも当てはまる。このことを思い知らされました。
数え切れない悲劇。でもこの物語にはおおらかな「なんくるないさー」も流れている。
あらゆる事実を拾い集め、想像と感情でまとめ上げた、希望に至る物語。
真藤順丈 著/講談社/2018
沖縄には2回、気仙沼には3回行きました。
「沖縄出身で、愛を与えることの出来る知り合い」とは、おそらく私の親友だと思います。
そういうことを除外しても、とても素晴らしい感想文(?)で、心に響きました。
そういうことを除いても、素晴らしい出来の小説だと思います。