初めての神戸。
神戸マラソンに参加することが大きな目的でしたが、他にも行きたいところはたくさんありました。
初日、ポートライナー(神戸空港までつながっているモノレール。運転手はおらず、遠隔操作されています)でポートアイランド内のマラソン受付へ。帰りは三宮駅まで戻らず、途中下車して海沿いをてくてくと。行きたい場所その一は神戸海洋博物館。冒頭の写真は、海洋博物館に入るとお出迎えしてくれるロドニー号。
ロドニー号は、1868年に神戸港が開港した際に祝砲をあげたイギリスの艦船。もちろん模型ですが、よく見れば見るほどよくできています。館内には他にもたくさんの模型船が展示されています。
船がいかに大事なものであったか。それは今でも同じで、海に囲まれた日本は輸入品のほとんどを船に頼っていました。船は、とんでもない量を一気に運べる。神戸は、昔から(平清盛から)貿易の重要な拠点。中国、朝鮮、また日本海側の地域から江戸までつながっていた。大阪に入る船の積荷を小舟に下ろす場所でもあった。
両親が気仙沼という港町育ちなので、私も自然と港町、船、海は好きになりました。年を重ねるたびに、と言えるかもしれません。なので海洋博物館の船たちは私にとってお宝のような存在でした。実際に見て、その気持ちを強くしました。
海洋博物館の手前には神戸港震災メモリアルパークがあります。
改修工事中でもあったのですが、当時のままの港跡は見ることができました。
傾いて沈んだ電灯が、確かにここに巨大地震が発生したことを物語っています。
沈んで海に浸っている姿は、気仙沼のかつての魚市場を思い出します。
当時の姿を残して伝えていくことは今後のためにやはり大事だなと感じました。これがなければ忘れてしまう。それほど神戸は成長がたくましかったから。
マラソンが終わった二日目、向かったのはポートミュージアムのアトアです。アートとアクアリウムを融合した施設。展示がユニークで、水族館で動物園で、かつ美術館で図書館でもあるような場所でした。
こんな感じです。きれいですよね。この魚、初めて見ましたがユメウメイロというそうです。
アトアで有名なのはこちらでしょう。
これは地球を表しているようです。中にいる魚はサクラダイにキンギョハナダイ。
丸い水槽って見たことないような。
つい長居してしまう美しさ。それが地球なんですよね。
そのアトアの屋上から見た夜景がこちらです。
右下のエメラルドグリーンの船のような形をしたものが海洋博物館、ちょうどそのポールのような赤いものがポートタワーです。
そして3日目。
早朝に生田神社へ参拝。
この神社は神戸の中心とも言えます。
806年、朝廷から生田神社に仕える家・神戸(かんべ)44戸をいただいたとあり、神戸の名の由来になっています。神社の裏に広がる生田の森は、源平合戦が繰り広げられもしました。その森に咲いていた石蕗(つわぶき)です。
石蕗は好きな花の一つです。花言葉は「困難に負けない」。
おみくじは大吉でした。いわく「このみくじにあう人は 草木の春にあい 花咲き やがてみのるようで 世に出る喜びがある 神仏を信じ 自らかえり見て 謙虚ならば 幸せ来たる」。
謙虚であること。改めて。「仕事守」を買って帰りました。
次に行ったのは「戦没した船と海員の資料館」。
平日の10時から開館だったので、時間調整も兼ねて旧居留地や南京町をぶらぶら。ポートタワーの手前にこの資料館はあります。
9月に新聞で知ったのでした。私の祖父も戦没者の一人です。もしかしたら、何かわかるかもと思い、ちょうど神戸にあったのでぜひ行きたい場所でした。
記帳し、館内を見ていると「何かお探ししましょうか?」と声をかけていただきました。実は祖父も船員で、と名前と本籍地をメモして渡して調べてもらうことに。
やがて名前を呼ばれ、ちょっと来てくださいと奥の事務所へ。
差し出された名簿に、祖父の名前がありました。
名前だけでなく、今まではっきりしていなかった生年月日、没年月日、死亡場所、職名、船名まで判明しました。
船名の名簿もありましたが、そこには載っていませんでした。小型の漁船だったようで、資料にあるのは7500くらいで、実際は1万5千もの船が海に沈められていました。
探して残してくださった方々には感謝しかありません。深く一礼して後にしました。
父に知らせると、真実が知れて震えて空白が埋まったようだと言いました。父も喜び、私も行ったかいがありました。
ポートルートというバスに乗って、新幹線の駅がある新神戸へ。そこから歩いて15分くらいで北野に出ます。異人館で有名な場所です。
ただすごい坂。昨日のマラソン疲れがこたえます。てっぺんにあると思われる「うろこの家」へ。
写真左上の展望室から見た景色がこちら。
西洋の食器や家具、当時の写真などが中にはありますが、一番印象深かったのがこの飾り。木の根っこに花々が咲いています。切られた幹の上には一輪のバラ。木の根っこの部分をドレスに見立てたのでしょうか? これが西洋ではポピュラーなのか稀なのかわかりませんが、確かに異人の発想に触れた感覚が残りました。
うろこの家を出て坂を下り、右折してすぐ右手に北野天満神社が見えてきます。
1180年、平清盛が建立し、北野の地名の発祥となりました。学問の神様、藤原道真公が祀られています。高校受験を控える甥っ子のために合格守を購入。ここのおみくじも大吉でした。いわく「地道に物事をこなしていけばきっと叶うでしょう」。そう、地道に、コツコツと。
北野天満神社境内から、有名な風見鶏の館が見えます。
こちらは改修工事中でしたが、目の前のお店でビーフシチューカレーをいただきました。神戸は何を食べてもおいしいですが、オムライスは外せないかもです(初日の昼にまずいただきました)。
新神戸駅に戻り、駅弁を買い、お土産を買いました。新幹線を待ち、無事に帰宅。
本当に行ってよかった。
阪神・淡路大震災からもうすぐ30年。私は当時18歳で、大学受験にすべて失敗した頃。私にとってはあれからの30年が神戸には凝縮されているようでもありました。
活気があって、気さくで、笑顔で迎えてくれた。人々とそれぞれの土地の名産品が行き交う港町。陸地が狭いので道も店もこじんまりしている。だからなのか個性的で歴史的な建物や店も多い。あちこちで行列ができていました。
彼の地を走り、歩き、顔を合わせ、手を合わせ、地元のものを頂き、空気を胸いっぱいに吸って。
これからの30年を思います。
時間をかけて、一つずつ、成就させていく。
次の作品へ、次の人生へ、区切りとなる旅になりました。