誤解されそうなので最初に書いておきますが、写真の猫の銅像は、練馬区立美術館の前にある練馬区立美術の森緑地にある島田紘一呂さん作です。
香月泰男展は、練馬区立美術館で3月27日まで開催中です。
本読んだら感想は必ず書くようにしています。それは僕の文章修行でもあるから。
で、絵を観るのも好きで、ちょくちょく美術館には行ってますが、その感想を書くことはしばらくなかった。書いてもいいけど書かなくてもいいという感じで。
今回は、書いておきたかった。それだけ受け取ったものが大きかった。
それに、より多くの人に観てもらいたいと思ったから。香月の絵には、力がある。
「シベリア・シリーズ」は、戦争で敗戦し、シベリアに抑留され、強制労働させられた中で見たもの、感じたもの、体験したものが、長い年月を経て現れた連作。
彼は言っている。シベリヤで、本当に描くことを学んだと。
私には、こう聞こえた。「コロナ禍で、本当に書くことを学んだ」と。
「シベリア抑留」と「コロナ禍」は、全くの別物だと分かっていても、何か通底するものを感じてしまう。
行動が制限され、不自由を強いられる生活。追い詰められ、切り詰められるからこそ、自分の中にある必然性がどうしようもなく大きくなる。大きく見えるようになる。香月は、自分は絵が描けることを発見した。
それでも、自分が描きたいことを描き切るまで、長い試行錯誤、方法の探究が必要だったと見えます。制作順に展示されているので、若い頃の模倣から、素材や構図の探究を経て、独自の世界を展開するまでを追うことができます。
強制労働で亡くなった元兵士たちの顔を、香月は描いていた。日本に帰ったら、遺族に渡そうとして。その絵は、ソ連で焼かれてしまった。それでも、香月の心身には刻み込まれ、後のシベリア・シリーズで浮かび上がってくる。
死んで魂が故郷に帰っていく様を想像し、死者をうらやましく思うことさえあった。月と太陽は、故郷にいる家族も見ていると思え、共有することのできる特別な存在になった。それでも、「黒い太陽」としか見えない時もあった。
匍匐訓練の際、地球の穴のように見えた蟻の巣。その深い穴から空を見上げた「青の太陽」は、香月の代表作ともなってよく知られています。私は勝手に収容所から見た空なのかと思っていました。そんな単純な思いつきではなかった。強制的に腹這いにさせられ、そこで見た蟻の巣に入って青空だけ見ていたいという切望。深い穴からなら、青空にも星が見える。
そんな極限状態の中でも、自然に美を発見する目を失いはしなかった。大きな鋸で挽き倒した木の断面。一面の銀世界に差し込む朝日のきらめき。
夢のように現れては消えそうな一場面を、一枚の絵に表現し尽くすことのできた稀有な人。
描き続け、伝えたかったのは、もちろん平和。
亡くなった人たちの鎮魂のためでもあり、自分自身の平和のためでもあったのかなと想像します。
「国」や「言葉」という実態のない概念が、人を殺す可能性を潰し続けるためでもある。
私が絵が大好きで、救われ、いつも励まされもするのは、そこに詩や小説の一編を読んでいるからでもある。
絵は、詩や小説と違い、そこにたった一枚しか存在しない。本物は、明らかに、一つしか存在しない。
その本物の絵の前に立ち、作者の息遣いや筆遣いを追体験することで、やっとその一枚の絵を確かに観た体験となって私に残る。残ったものたちは、私は私で作品を立ち上げる際の支えになる。そういう有機的な循環。
香月泰男の絵にこんなに揺り動かされるのは、戦争とシベリヤ抑留という体験から滲み出る作品群が、私自身のうつ病体験や東日本大震災の記憶やコロナ禍を経て立ち上げようとしている作品と共通している何かがあると感じるから。志向性とでもいうのでしょうか。シベリヤの絵だけでなく、身近な花々や動物たちや親子も描いている。命に対する感受性というのか、生きていること自体が奇跡だという感覚とか。
故郷の山口県長門市三隅には香月泰男美術館があります。彼は故郷を「ここが<私の>地球だ」と呼び、田舎にはモチーフだらけだと喜んで住み続けた。
展示替えのある後期、もう一度体験してこようと思っています。
みなさまも、よかったら、ぜひに。
練馬区立美術館/3月27日まで
香月泰男展は、練馬区立美術館で3月27日まで開催中です。
本読んだら感想は必ず書くようにしています。それは僕の文章修行でもあるから。
で、絵を観るのも好きで、ちょくちょく美術館には行ってますが、その感想を書くことはしばらくなかった。書いてもいいけど書かなくてもいいという感じで。
今回は、書いておきたかった。それだけ受け取ったものが大きかった。
それに、より多くの人に観てもらいたいと思ったから。香月の絵には、力がある。
「シベリア・シリーズ」は、戦争で敗戦し、シベリアに抑留され、強制労働させられた中で見たもの、感じたもの、体験したものが、長い年月を経て現れた連作。
彼は言っている。シベリヤで、本当に描くことを学んだと。
私には、こう聞こえた。「コロナ禍で、本当に書くことを学んだ」と。
「シベリア抑留」と「コロナ禍」は、全くの別物だと分かっていても、何か通底するものを感じてしまう。
行動が制限され、不自由を強いられる生活。追い詰められ、切り詰められるからこそ、自分の中にある必然性がどうしようもなく大きくなる。大きく見えるようになる。香月は、自分は絵が描けることを発見した。
それでも、自分が描きたいことを描き切るまで、長い試行錯誤、方法の探究が必要だったと見えます。制作順に展示されているので、若い頃の模倣から、素材や構図の探究を経て、独自の世界を展開するまでを追うことができます。
強制労働で亡くなった元兵士たちの顔を、香月は描いていた。日本に帰ったら、遺族に渡そうとして。その絵は、ソ連で焼かれてしまった。それでも、香月の心身には刻み込まれ、後のシベリア・シリーズで浮かび上がってくる。
死んで魂が故郷に帰っていく様を想像し、死者をうらやましく思うことさえあった。月と太陽は、故郷にいる家族も見ていると思え、共有することのできる特別な存在になった。それでも、「黒い太陽」としか見えない時もあった。
匍匐訓練の際、地球の穴のように見えた蟻の巣。その深い穴から空を見上げた「青の太陽」は、香月の代表作ともなってよく知られています。私は勝手に収容所から見た空なのかと思っていました。そんな単純な思いつきではなかった。強制的に腹這いにさせられ、そこで見た蟻の巣に入って青空だけ見ていたいという切望。深い穴からなら、青空にも星が見える。
そんな極限状態の中でも、自然に美を発見する目を失いはしなかった。大きな鋸で挽き倒した木の断面。一面の銀世界に差し込む朝日のきらめき。
夢のように現れては消えそうな一場面を、一枚の絵に表現し尽くすことのできた稀有な人。
描き続け、伝えたかったのは、もちろん平和。
亡くなった人たちの鎮魂のためでもあり、自分自身の平和のためでもあったのかなと想像します。
「国」や「言葉」という実態のない概念が、人を殺す可能性を潰し続けるためでもある。
私が絵が大好きで、救われ、いつも励まされもするのは、そこに詩や小説の一編を読んでいるからでもある。
絵は、詩や小説と違い、そこにたった一枚しか存在しない。本物は、明らかに、一つしか存在しない。
その本物の絵の前に立ち、作者の息遣いや筆遣いを追体験することで、やっとその一枚の絵を確かに観た体験となって私に残る。残ったものたちは、私は私で作品を立ち上げる際の支えになる。そういう有機的な循環。
香月泰男の絵にこんなに揺り動かされるのは、戦争とシベリヤ抑留という体験から滲み出る作品群が、私自身のうつ病体験や東日本大震災の記憶やコロナ禍を経て立ち上げようとしている作品と共通している何かがあると感じるから。志向性とでもいうのでしょうか。シベリヤの絵だけでなく、身近な花々や動物たちや親子も描いている。命に対する感受性というのか、生きていること自体が奇跡だという感覚とか。
故郷の山口県長門市三隅には香月泰男美術館があります。彼は故郷を「ここが<私の>地球だ」と呼び、田舎にはモチーフだらけだと喜んで住み続けた。
展示替えのある後期、もう一度体験してこようと思っています。
みなさまも、よかったら、ぜひに。
練馬区立美術館/3月27日まで