泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

香月泰男展

2022-02-17 18:50:45 | 
 誤解されそうなので最初に書いておきますが、写真の猫の銅像は、練馬区立美術館の前にある練馬区立美術の森緑地にある島田紘一呂さん作です。
 香月泰男展は、練馬区立美術館で3月27日まで開催中です。
 本読んだら感想は必ず書くようにしています。それは僕の文章修行でもあるから。
 で、絵を観るのも好きで、ちょくちょく美術館には行ってますが、その感想を書くことはしばらくなかった。書いてもいいけど書かなくてもいいという感じで。
 今回は、書いておきたかった。それだけ受け取ったものが大きかった。
 それに、より多くの人に観てもらいたいと思ったから。香月の絵には、力がある。
「シベリア・シリーズ」は、戦争で敗戦し、シベリアに抑留され、強制労働させられた中で見たもの、感じたもの、体験したものが、長い年月を経て現れた連作。
 彼は言っている。シベリヤで、本当に描くことを学んだと。
 私には、こう聞こえた。「コロナ禍で、本当に書くことを学んだ」と。
「シベリア抑留」と「コロナ禍」は、全くの別物だと分かっていても、何か通底するものを感じてしまう。
 行動が制限され、不自由を強いられる生活。追い詰められ、切り詰められるからこそ、自分の中にある必然性がどうしようもなく大きくなる。大きく見えるようになる。香月は、自分は絵が描けることを発見した。
 それでも、自分が描きたいことを描き切るまで、長い試行錯誤、方法の探究が必要だったと見えます。制作順に展示されているので、若い頃の模倣から、素材や構図の探究を経て、独自の世界を展開するまでを追うことができます。
 強制労働で亡くなった元兵士たちの顔を、香月は描いていた。日本に帰ったら、遺族に渡そうとして。その絵は、ソ連で焼かれてしまった。それでも、香月の心身には刻み込まれ、後のシベリア・シリーズで浮かび上がってくる。
 死んで魂が故郷に帰っていく様を想像し、死者をうらやましく思うことさえあった。月と太陽は、故郷にいる家族も見ていると思え、共有することのできる特別な存在になった。それでも、「黒い太陽」としか見えない時もあった。
 匍匐訓練の際、地球の穴のように見えた蟻の巣。その深い穴から空を見上げた「青の太陽」は、香月の代表作ともなってよく知られています。私は勝手に収容所から見た空なのかと思っていました。そんな単純な思いつきではなかった。強制的に腹這いにさせられ、そこで見た蟻の巣に入って青空だけ見ていたいという切望。深い穴からなら、青空にも星が見える。
 そんな極限状態の中でも、自然に美を発見する目を失いはしなかった。大きな鋸で挽き倒した木の断面。一面の銀世界に差し込む朝日のきらめき。
 夢のように現れては消えそうな一場面を、一枚の絵に表現し尽くすことのできた稀有な人。
 描き続け、伝えたかったのは、もちろん平和。
 亡くなった人たちの鎮魂のためでもあり、自分自身の平和のためでもあったのかなと想像します。
「国」や「言葉」という実態のない概念が、人を殺す可能性を潰し続けるためでもある。
 私が絵が大好きで、救われ、いつも励まされもするのは、そこに詩や小説の一編を読んでいるからでもある。
 絵は、詩や小説と違い、そこにたった一枚しか存在しない。本物は、明らかに、一つしか存在しない。
 その本物の絵の前に立ち、作者の息遣いや筆遣いを追体験することで、やっとその一枚の絵を確かに観た体験となって私に残る。残ったものたちは、私は私で作品を立ち上げる際の支えになる。そういう有機的な循環。
 香月泰男の絵にこんなに揺り動かされるのは、戦争とシベリヤ抑留という体験から滲み出る作品群が、私自身のうつ病体験や東日本大震災の記憶やコロナ禍を経て立ち上げようとしている作品と共通している何かがあると感じるから。志向性とでもいうのでしょうか。シベリヤの絵だけでなく、身近な花々や動物たちや親子も描いている。命に対する感受性というのか、生きていること自体が奇跡だという感覚とか。
 故郷の山口県長門市三隅には香月泰男美術館があります。彼は故郷を「ここが<私の>地球だ」と呼び、田舎にはモチーフだらけだと喜んで住み続けた。
 展示替えのある後期、もう一度体験してこようと思っています。
 みなさまも、よかったら、ぜひに。

 練馬区立美術館/3月27日まで
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こいのぼりなう!

2018-04-19 18:41:56 | 
カテゴリーは「絵」ではないけど、絵を観に行ったついでだったので。
国立新美術館の2階で5月28日まで展示されています。写真自由(フラッシュ禁止)です。
おもしろかった。泳ぐこいのぼりに囲まれ、ソファに腰掛けることもできます。
のびのびした。せいせいした。たまには美術館に行くものです。

目当ては「至上の印象派展」(5月7日まで)。
初めて観る絵ばかりで興奮した。しかし年配のお客様たちが多く、ゆっくりはできなかった。
その中で一番印象に残ったのはゴッホ。
「日没を背に種まく人」
ゴッホは、本当に描き尽くした、と私は感じる。
使命を果たして。
その姿勢に、いつ接しても打たれる。
ルノワールの晩年の作「泉」も、私としてはよくわかった。

地下鉄に揺られてもう一つ。「ルドン―秘密の花園」(三菱一号館美術館、5月20日まで)
こっちがメイン。
やっぱり、おもしろかった。
目に見えないけど存在しているもの(心の中にあるものも)を、一つずつ、誠実に描き出していたと感じた。
その結実が「グラン・ブーケ」。圧倒されました。
独特の青とオレンジの対比や、花と蝶と肖像のモチーフの組み合わせも、私の中にある創作魂を快く刺激した。
確かに感じてあるものを、より具体的に描き切ればいいのだと思った。
それが見た目でよくわからないものでも、心的な現実ならば、必ず響く。
私は、私でいいのだと、改めて納得できた。本物の芸術品たちに深謝。

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チューリヒ美術館展

2014-10-16 20:39:39 | 
    
      働く本屋には、無数の封書が送られてきて、その9割以上は捨てられて、もったいないなーと思っていますが、その中の一つにこの展覧会の招待券が1枚だけ入っていて、これは、と感じて取っておきました。
      行きました。やはりすばらしかった。
      観たことない絵ばかり。しかもよりすぐり。さすがスイス、永世中立国、ふところの深さを思い知らされました。
      私、脱稿して、少し気が抜けていたのですが、新たな創作意欲がわいてきました。
      平面に絵具で描かれた絵が、絵だけに留まらないふしぎ。絵を観たがる人たちのふしぎ。
      絵が見える人ばかりではない。絵が見えるような文章を書きたいと思った。
      絵は、いつも見ている景色の一部が凝縮されたもの。景色は外部だけに限らない。抽象画はこころの感触を描いている。
      ムンクといえば叫びだけだったのに、肖像画、造船所のなまなましさ。
      ゴッホの「サント=マリーの白い小屋」は、配色や構図が完璧だ。
      「難民」というバルラハの木彫は思わず触りたくなる慈しみにあふれている。
      ココシュカの「モンタナの風景」は苦しみの乗り越えた明るさに輝いている。
      イッテンの「出会い」は出会いを抽象表現したものだがよくわかる。
      モネの「陽のあたる積み藁」の影は黒じゃない、白も青も入っている。
      ホドラーの「遠方からの歌」はわざと背景が塗り潰されそこからもれる模様、歌が人を後押ししている。
      やっぱり大好きなシャガール。「戦争」に描かれる山羊は生命の象徴なのだろう。
      描く人、それぞれに独自の線、色、図、対象があり、だからこそおもしろい。
      どこで作家たちは描くのを止めるのだろう、完成したと感じるのだろう。それも人それぞれなのかもしれない。
      どれも力作ばかり。行って損はないと思います。コーヒー飲むのに延々並ばされたのだけ不満でしたが。
      帰りに50枚原稿用紙×5とインク1瓶買ってきました。
      さ、また創ろう。回復しました。画家たちに感謝。封書の雨あられにも、ちょっと感謝。

      国立新美術館にて/2014・12月15日まで
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バーネット・ニューマン展

2010-11-18 20:38:12 | 
 昨日、初めて川村記念美術館に行ってきました。職場の同僚(このブログのブックマークの一番下から彼のホームページに行けます)からこれはいいですよと薦められて。「川村記念美術館」これも名前だけは知っていた。おそらく、テレビ東京の番組「美の巨人たち」を通じて。
 予定の都合と自分の行きたさ具合によって昨日になった。晴れることを願っていたけどあいにくの冷たい雨。冬の到来を感じさせる北風ぴゅー。事前に女性を二人誘った。二人とも来なかった。
 東京駅八重洲口前から直通のバスに乗った。しかし高速は大渋滞。事故があったという。一時間ものろのろ。持って行った文庫本を読み終えてしまう。人生は思うように運ばせてくれない。
 着いたらまず腹ごしらえでスパイシーカレーをいただく。おいしゅうございました。会計後、初心者であることを告げ、チケット売り場と美術館の場所を聞く。ていねいににこやかに応じてくれた。お姉さんは傘まで貸してくれた。
 いざ、美術館の中へ。洋館を思わせる建物。らせん状の階段があり、ステンドグラスから弱い光が届けられる。
 一階は常設展。しかし、そのどれもがすごい。ルノワールの「水浴する女」、モネの「水連」、シャガールの「赤い太陽」「ダヴィデ王の夢」、ピカソの「シルヴェット」などなど。冷たい雨で平日ということもあり、一部屋に僕一人というぜいたくさ。十分に満喫できた。僕はやはりシャガールが好きだ。赤、青、黄色。絵に含まれた豊かな物語。詩情。悲しみ。喜び。花束。それはシャガールにしか描けない。夢と現実と歴史と感情が混ざった一枚。一枚。
 次の部屋は前衛の部屋。「線的構成NO1」という作品はプラスチックの容器の中ににナイロン糸を張ったもの。なんだこれは。よく作ったものだな。こんなことにエネルギーを使うなんて、世界は広い。おもしろい。
 その奥の部屋は日本画。大きな屏風絵がガラスに守られて大事に飾られてある。長澤蘆雪の「牧童図屏風」は牧童が何人も描かれているのだけど、どれも同じおやじ顔なのがおかしかった。
 中庭を右手に見て、扉を開けるとダダとシュールレアリスムの部屋。アルプの「臍の上の二つの思想」は、ブロンズ製で、滑らかに窪む臍の周囲の丘に、空豆のような小さなまが玉がちょこんと乗っている。ブロンズの美しい曲線と空豆と窪みがなんともいい味を出している。
 さらに奥の青い部屋はカルダーという人の作品が4点。「黒い葉、赤い枝」は、金属の支柱に天秤がかかり、その枝にまた小さな天秤がかかり、その先にまたもう少し小さな天秤がかかり・・・、というように地面すれすれにまで黒い葉と赤い枝が伸びている。空調でゆらゆらと揺れているけど決して均衡は崩れない。この部屋には見張りが二人もいた。つい触ってみたくなる。
 奇妙な部屋を後にすると上り坂の廊下が長く伸びている。正面に見える緑も絵かと思ったが窓だった。
 突き当り左が「ロスコ・ルーム」。マーク・ロスコの壁画が四面に大展開。その色合い、染み、茶褐色が血のようにも見え、ここは体内なのかと感じさせもし、まったく初めて入った空間を受け止めようと五感が心地よい刺激を浴びる。絵画は空間を作ることもできるのだと体感。絵の前に立ち、初めて立ち現れる手垢のついていない感覚の放流。画家にしてみればしてやったりというところでしょうか。そうだとしてもその試みは尊い。安心して新感覚を味わうことができるなんて。わざわざ来たかいがあった。
 「ロスコ・ルーム」でうろうろすること10分ほどでしょうか、名残惜しみながら出るとらせん階段が。二階へ着くと、大広間に抽象作品群が息づいている。中でも最も引かれたのはジャクソン・ポロックの「緑、黒、黄褐色のコンポジション」でしょう。コンポジションとは創作、作詩、作曲、構成の意味。ポロックという人も確か「美の巨人たち」で見たことがあった。くわえ煙草で地べたに置いたキャンパスにペンキを投げ打っている映像。アクションペインティングの先駆け。実物は、まったく力に満ちていた。解釈なんてしようがないんだけど、いいなと思った。元気が出てきた。
 そしてメインディッシュが、川村記念美術館20周年を祝っての企画でもあり、日本初ともなったバーネット・ニューマン展。
 おそるおそる入ると、暗闇に一枚の絵が浮かんでくる。題して「Be」。日本語では「存在せよ」と訳されていた。朱色の中央に白い一本の縦線。それだけなのですが、強烈に引き込まれた。なんなのかよくわからない。でも見ずにはいられない。正面にベンチがあって、座り込み、しばし対峙。白い一筋が、二本になったり三本になったりする。目が二つあることに気づく。二つを交差させて一つの像を見ていたのだと。
 ようやく立ち上がり、次の間へ。どの作品にも縦の線が走っている。直線なのにとても感情を揺さぶられる。またタイトルがとても魅力的。「夜の女王」「名」「原初の光」「そこではない。ここ」「ここ」「詩編」。感情が、なにより反応している。色彩が、そこに引かれた線が、こんなにも心を動かすとは驚きだった。ぐるりと回り、次の間にはいっぱいのオレンジ。右に白い縦の線。題して「アンナの光」。アンナとは、ニューマンの母の名前。作成する三年前に亡くなっていたという。ここでもベンチに座る。思わず目を閉じてしまう。とても温かい。孤独を忘れてしまう。存在が包まれてしまう。それが母であるアンナの光。ニューマンを生かした光。
 右手から快活なおしゃべりがずっと聞こえている。行ってみるとニューマンのインタビューが上映されていた。ニューマンの柔和な笑み。その語りがとてもおもしろい。後で知ったことだけど、大変な読書家だったという。大学は哲学科を出ていた。考え、悩み抜かれた末の作品たちはまさに大切な宝物。彼の作品を持っている人たちは、大切に保管しているから簡単には出てこないという。よくわかる。常に置いておきたい、愛でたいから。それはもう形ではなく心だから。
 ということで、とてもよかったです。結果的に、雨で、寒くて、一人で、大変によかった。僕という一個の存在が活性化するような、すばらしい作品たちでした。
 川村記念美術館。ぜひ一度お立ち寄りください。ちら見したい方は、Here!

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オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」

2010-06-09 17:35:11 | 
 興奮しました。疲れが吹っ飛ぶほどのおもしろさを満喫できました。こんなに満足度の高い展覧会も珍しいかもしれません。高揚した気持ちの中、出口と直結して様々なグッツが置いてあり、絵葉書15枚にクリアファイル3枚、マグネット2枚、オレンジのトートバックまで買ってしまいました。それでもお得感があるのは、集まった絵がすばらしかったことの証なのでしょう。
 一番印象的なのはゴッホの『星降る夜』でした。濃い青に浮かぶ星々。ほんとはこんなに輝いていないはずですが、本当ってなんだろう? 金星ほどの明るい星が20個ある。下はローヌ川河畔のガス灯が川面に長く伸びている。そして右下に一組の男女。顔ははっきりしない。中央の下部には小型の帆船が二つ。とてもロマンチックで人と自然の調和が鮮明に描かれている。写真ではわからない生だからこその絵の具のうねりやてかりがまた作品と合っている。鳥肌が立ちました。『星降る夜』の右隣には『自画像』があります。これも時間をかけてじっくりと観た。顔に緑と赤の線が入っている。この人は繊細な線の束でできていたのかと思った。よく観るほどに怖い絵。切れすぎる。改めてゴッホは与えられた力を出し尽くして、僕らに尊い絵という財産を残して亡くなったのだと思った。
 次にドニの『木々の中の行列(緑の木立)』です。これは初めはすーっと通り過ぎてしまったのですが、一通り観て、戻ってもう一度立ち寄ったとき、離れられなくなってしまった絵です。緑の草原から緑の木々が伸び、画面上を突き抜ける。上部の背後は白い雲。そして地上を人々のようなものが通り、その一つが大きな羽を持った者と話している。それらは薄いピンクの色をしている。なんなのでしょうこの構図。緑の木だけでも異様なはずなのに、とても落ち着く。そうか木の幹もまた緑だったんだと思わせる。薄いピンクの者たちは、誰かの不幸を心配し、なにか手を打てないかと相談しているような優しさを感じる。いつまでも飽きない絵です。
 もう一つ挙げるなら、ヴァロットンの『ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園)』でしょうか。これも長く観ていた作品です。右下に赤いボールを追っている白い服を着て麦藁帽を被った少女がいる。その真後ろにもバスケットボールのようなものが転がっている。その上に、夫婦なのか女同士なのか、一組が会話している。右下が茶色で左上が深い緑。この対極が静と動、成人と子ども、意識と無意識を表しているようで興味が刺激される。女の子を追っているように伸びる森の影もまた魔の手を思わせて物語を喚起します。
 セザンヌの玉ねぎも情緒深く、ゴーギャンのタヒチの女もどっしりとしていて頼もしい。モネの日傘の女に吹く風は僕にも届き、ルソーの戦争ではからすが人をついばみ、僕の中にもある愚かさを鎮める。ロートレックの黒いボアの女には清々しい自尊心を感じた。ボナールの白い猫はなぜか足が長く、笑った。ピサロ、シスレーの川の光にはまったく感動した。レイセルベルへの舵を取る男にもいたく共感し、僕もがんばろうと思った。ヴュイヤールの眠りは安らかで豊かだった。
 ほんとにどの絵からも心地よい刺激を受けた。体が活性化した。観る人によって、また立ち止まる絵、思い入れる作品は異なるでしょう。個々から出た言葉を交わらせることもまた楽しい。
 銘々に自分の構図、色、対象、課題がある。それを徹底して、丁寧に描けばいいのだと思った。いい作品はあらゆる人生を濃くする。僕は僕の方法で、いいものを作りたい。
 また「印象派」とは、それまでの因習やしきたりやこだわりから自由になって、人間の想像力に目覚め、想像することを奨励した人々のことなのだと思った。想像にこそ個性が伴い、違うことを認め合う土壌が生まれる。想像には責任が伴い、人格が帯びる。想像を出し合うことによって、人と人は切磋琢磨し、よりよい共存の形を見出し、成長が可能になるのかもしれない。互いの役割が、改めてくっきりと決まってくるのかもしれない。
 もう一度行きたいです。現物に触れることを強くお勧めします。

国立新美術館にて/8月16日まで
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日本の美術館名品展

2009-06-12 18:58:48 | 
 ルーブル美術館展にも行くつもりでした。しかし・・・。
 平日とは思えない人、人、人・・・。
 16時で100分待ち・・・。
 あきらめました。潔く。
 いつか、現地に行ってやろう! と。
 『日本の美術館名品展』は、同じ上野公園内の東京都美術館で開催されています。「はしご」するつもりでしたが、名品展だけでも十分の見応えでした。
 画家の名前だけを挙げるなら、ミレー、ルノアール、セザンヌ、モネ、ゴッホ、ピカソ、ブラック、カンディンスキー、ユトリロ、シャガール、ルオー、高橋由一、高村光太郎、岡鹿之助、佐伯祐三、横山大観、棟方志功、熊谷守一・・・。そうそうたるメンバーでした。
 そのいずれもが、日本各地の美術館に常設されていたのでした。それだけでもびっくりですね。
 ということで、お得な展覧会となっています。
 中でも強く引かれたのが、2つありました。
 1つは、カンディンスキーの『カーニバル・冬』。カンディンスキー、知ってますか? 抽象画なのですが、どうにもぐっと来ます。色がまた鮮やかで、形はらせん状にも見え、DNAのようにも見えてしまう。生命の神秘というのでしょうか、その多彩な機能というのでしょうか、言葉の前のもやもやというのでしょうか、感情そのものとも言うべきか。説明つかないのです。そして、それがいいのです。そんな詩のような絵です。好きです。
 もう1つは、西武池袋線の椎名町駅から歩いて10分くらいのところに、アトリエを元にした小さな美術館があって、そこも静かで好きなのですが、熊谷守一の『兎』です。茶色の地に、ぽっかり浮かんだ白うさぎ。目だけが赤い。その顔が、これもまた表現できないよさを持っています。「えっ! なに? 私?」 そんな、ちょっと迷惑そうでもあり、うれしそうでもあり、毛並みのやわらかさを感じるけど、骨の太さも見える。思わず微笑んでしまう絵です。
 僕は、結構、一枚ずつじっくり観る方なのですが、こちらも人が、ルーブルほどではないにしてもいて、後半は疲れてもきて、散歩するように歩くようになってました。ざっと目を通す感じで。それでも、しっかりと、僕を引きつけるものは引きつけるのでした。
 それは、なんなのでしょう?
 それもまた、言葉にしがたい。
 でも、その何かが現れているもの、それが名品と言われ、多くの人々に必要とされ続けることになる。
 その、いとしい何か。それをどうやったら、僕の場合は、書くことができるのか。
 いいものを創るには、いいものに触れ続けるしかない。
 そしてその何かは、書いている最中にしか、つかむことができない。
 すばらしく楽しませていただきました。お気に入りの絵葉書も手に入れました。
 さあ、また、書きましょう。

東京都美術館にて/7月5日まで
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巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡

2008-10-25 21:10:45 | 
 世界にたったひとつ。
 誰だってそうなのですが、ピカソの作品に触れると、こんなものを作ったのは彼しかいない、これぞピカソ、という事実に打たれます。
 といっても、彼は彼だけで彼になったわけではなかった。先人の画家の影響もありますが、大きかったのは覚えられないくらい登場する女性たち。彼女たちがいなかったら、彼を愛さなかったら、膨大な、力強い作品群も生まれなかった。
 青の時代から薔薇の時代へ、さらにキュビズム、シュルレアリスム、彫刻、晩年のおおらかな母子像、海。彼はできるからこそ変化したのでしょう。それはあくなき追求の歴史でもありました。何が芸術なのか、彼にとって、人間にとって、何が優れた作品なのか。粉々に分析された絵は、物事の根源を突き詰めようとする現れだったのでしょう。それは量子力学にも通じるものなのかもしれない。
 戦争にも影響されました。『ゲルニカ』は有名ですが、『朝鮮の虐殺』という絵も描いてました。右側にピストルや銃を突きつけた、鎧に覆われた男たち。左側に驚き、抱きつく裸の子供、泣きながら子供を抱きしめる母親。痛みが、むごたらしさが、虚無が体を走りました。
 笑ってしまうほど大きな鼻を持った女の頭部や、手足がむくんだように大きい女、さらにジッパーのような口など、思わず笑ってしまう、あまりに単純化された作品もありました。笑ってしまうほどにおかしかった。おかしいのは、まったく想像を超えているから。見たことないから。僕とは違っているから。だから笑いながらも見入ってしまう。なにか新鮮な風が、頭に吹く感じがする。
 『泉』という、白黒の大画面の絵がありました。目鼻立ちのはっきりした女性、太すぎる足、おなかに抱えているのは水瓶で、右下から中の液体がこぼれている。永遠に流れるような。女は川辺に横たわっている。液体と川には区別が見えない。それがピカソにとっての創造の泉だったのでしょうか。付き合ったどの女性にも似ていない(ように見えた)。目がきりっとして、ピカソのそれと似ている。漱石の『夢十夜』にも、妻とはまったく似ていない理想の女性(それがもとでよくけんかしたとか)が書かれています。母なるもの、ミューズ、生命の源、その象徴なのでしょうか。今回、一番見入った作品でした。
 ピカソはいつでも真剣。笑っている写真を見たことがない。ぎろっと目をむいて、にらんでいるようにも見える。とことん追求する。満足したことなんかないのではないでしょうか。残された膨大な作品を順に追って観ていくと、変遷が垣間見えておもしろいのですが、ピカソの中にあるなにかは恐ろしくもある。それは彼自身も描いている。ミノタウルス(頭が牛、体が人)という怪物として、闘牛士として。エロス(生の欲動)もタナトス(死の欲動)もしっかり見て、耐えてきた。作品で昇華してきた。その生命力の強さを感じないわけにはいきません。
 一つの線にしても、これしかない!と感じるのです。だからよくわからなくても、心では納得している。頭も刺激を受ける。
 元気になりました。
 真剣さを含んだおおらかさ、包み込むような生命力、そしてたったひとつの輝き、ピカソが、もちろん天才ではあるけれど、何度も観てしまう、価値がある理由でした。
 帰りには、上野公園に立ち寄りました。お目当てだった芸人も、そうでない芸人も、精一杯の表現をしていた。芸術は重労働であり、誰かのための代理でもあるんだと思った。思わず拍手してしまう、にっこり頬がゆるむ、気持ちがほっこりする、それだけですごいことです。能動的な、また後天的な、だから人間的な仕事。
 たくさんの人、いい仕事が僕の中に入りました。
 そして、僕も。
 できることを、できるだけ、出力していく。そうやって機能していく、つながっていく。
 僕に取り入れたいものがなければ、僕が出したいものも生まれない。
 相互性、それぞれの仕事、というものを感じています。

国立新美術館にて/12月14日まで
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フェルメール展

2008-10-03 21:20:20 | 
 平日のはずなのに、とても混んでいました。日本は、確実に高齢化が進んでいる、というのも実感してしまいました。
 あまりに人が多いと気になって、また遠慮してしまって、一つの作品に没入できなくなるのが常ですが、フェルメールだけは違っていました。他の「デルフト」(オランダの地名。フェルメールもここで生まれた)の作家たちもよかったのですが、侵入のされ具合が飛び抜けていた。なぜなのでしょう?
 陰陽、それはレンブラントに学んだようですが、二つの極が、一人に含まれていることがよく見えた。特に手紙を書く女性。一つのことに集中するほど、明暗ははっきりしてくるのかもしれない。
 衣の襞。まるで心とはこういうものだ、と浮き上がらせているようでした。うねり、曲がり、盛り上がり、凹み、柔らかな質感、人を覆う膜。観ているだけなのに感触まで伝わってくる。
 酒を楽しむ男と女。おしゃべりまで聞こえてくるようでした。
 想像を刺激される構図。温かなふっくらとした手。「小路」を描いているのに人間が見えてくるという不思議。
 床に落とされた半端な手紙。彼女は何を書きたかったのか、読みたかったのか。一枚の絵の前に物語はあり、後にもつながっていく。絵を起点にして、僕らの物語が紡がれる。自身の今が照らし出される。
 彼は抜群の技術を、何のために使ったのでしょうか?
 描かれているのは、庶民であり、いつもの所に共存している人々です。
 描かれている人たちは、幸せなのではないでしょうか。300年をはるかに越え、絵の中の人々は、再び僕らの中に住み始める。
 フェルメールは、一作にとても時間をかけたようです。正確で、丁寧で、繊細で、優しい。どれも傑作です。そんな作品に触れるたびに、僕は自分が支えられているのを感じる。受け止められ、理解され、だからこそ描くことができている。そこには何も「特別」なことはない。ささいな日常、ささいな会話、それらが宝となって、人々に守られてきた。
 「対象」が残っているのではなく、その技術(文体)が受け継がれようとしている。作品によって生まれる気持ちが、何度も何度も湧き上がってきた。
 決して僕らの人生より先には行っていない。作品は、今あるもの、生きている人々、またフェルメール自身の人生への応答でした。そしてこの現実は、意外と美しかったりする。価値あるものだ、ということを伝えている。
 彼は、精一杯応えてくれている。絵として。その前に立ったとき、僕は励まされ、元気にならないわけにはいかない。
 カウンセラーの応答と同質のものが、一枚の絵にあることを知りました。
 言ってみれば、世界の再構築がそこにはあった。
 温かく、美しく、正確で、居心地がよくて。
 すべては生きるために。
 フェルメールの人気がわかりました。
 学ぶべきは、時代や人生に、全力で応答すること、それが作品であるということ。
 世界を、人を受け止め、理解し、構築し、見えるものにすること。
 彼は、絵を通じて、それができた。だからこそ、多くの人々に欲せられる。
 さあ、実践しましょう。力をもらいました。

上野・東京都美術館にて/12月14日まで
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武者小路実篤記念館

2008-05-17 19:24:42 | 
 実篤を「絵」に分類(このブログのカテゴリーで)するのはちょっとはばかられますが、「エッセー」でも収まらず、というかどこにも収まらず、企画が愛蔵の美術品だったので、「絵」も充実させたいので、そうします。
 京王線のつつじヶ丘駅から歩いて十分くらいでしょうか、調布市武者小路実篤記念館はありました。新聞の小さな記事で、作家の原田宗典が講演をしているということで紹介されていて知りました。電車を乗り継ぎ、行ったことのない土地はいつもわくわくして、地図を片手に歩きました。住宅街に溶け込んでいるのは熊谷守一美術館と同じで、受付のおばさん、おじさんも気さくで、「生はやっぱりいいですね~」などと談笑しました。
 その「生」とは、自宅が公開されていたのです。書き机には白紙の原稿用紙と眼鏡がそのまま。絵筆も、拾い集めた貝殻もあった。彼が座った形にへこんだ座布団、時の流れとともに痛んだ絨毯、様々な客が来たのだろう対面したソファ。南向きの窓、ベランダからは庭が一望できる。庭には水が湧き上がり、池に鯉が泳ぐ。シャガの写真はその庭で撮ったものです。小さな東屋が二軒たたずみ、親子連れが休んでいる。
 僕が一番見つめたのが、やっぱり、座り机と座布団と原稿用紙。ぞくぞくした。立ち尽くした。実篤が見えるようだった。
 彼を知ったのは、もう12年も前になるのか。大学受験をすべて失敗し、予備校に通っていたころ、古本屋で出会った黄ばんだ新潮文庫。『友情』『死と愛』などなど。
 『友情』は、宮崎県の「新しき村」で書かれていた。34歳。結婚し、子供が誕生していた。理想の実現に燃えていたとき。まさに幸福者のとき。
 言ったこととやったことが一致すること、それが芸術家だ、と、今日、出かける前、永六輔のラジオ番組「土曜ワイド」で、ゲストの北山修が爆笑しつつ語っていた。実篤はまさに芸術家。生活のレベルで思想を実践していた。今も4人が「新しき村」で生きているという。本でしか知らなかった世界。それが現在まで続いていることを実感した。
 そう、「過去」は切れていない。人間、個人もまたつながっている。現地に赴くこと、当事者に会うこと、関与すること、それに勝る経験はない。切っているのはいつも、私という名の、氷山の一角でしかない、塵より小さい自意識だけ。
 内面が充実していること。それが美しいという言葉に感銘を受けました。
 愛蔵品は、ルオーやピカソやマティスやマネやルドンや・・・。ピカソにも直接会っていた。真実に喜ぶことのできる人だったんだろう。自分に素直な人だったんだろう。「美こそ不思議」 わからないから引かれ、評論も書くけど、美しいものは美しい。理屈じゃない。美しさは内面から。その内面の過程が文学になる。生活として現れる。

 君は君 我は我也 されど仲よき

 とても単純で、この書とともにある絵には、大きなかぼちゃと小さなかぼちゃが描かれています。なんとも言えない距離。空気。僕は好きです。「されど」がポイントなんだろう。そこに、人間のできる、人間にしかできない積極的な行為があります。想像、創造、優しさ、理解、思考、寛容、努力・・・。
 駅からちょっと遠いけど、散歩にはちょうどいい距離です。企画も二ヵ月ごとに変わり、資料もそろい、実篤に挑戦! と題して絵を描くスペースもあります(子供たちが嬉々としてペンを振るっていた)。お土産には絵葉書と実篤チョコ。実篤チョコがまたおいしいのです。甘すぎず、適度で。
 久々に読んでみましょうか。特に詩を。
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熊谷守一美術館

2008-05-07 22:25:11 | 
 前から行こう行こうと思っていながら、そのままになっていました。それが今日、その目的ではなく外出しようとして、ふっと浮かび上がりました。
 西武池袋線で椎名町から歩いて10分ほどでしょうか、住宅街にその美術館はありました。熊谷守一が40年以上住んだ場所。やはりその場、その絵に立ち会うと、刻まれるものが違う。具体的で、実感を伴い、熱を帯び、褪せない。
 作品の点数は50ほどでしょうか。だからちょっと物足りないなという感じはしましたが。
 作品にタイトルと製作年と「解説」が銀のプレートに刻まれているのですが、その「解説」が「普通」の「解説」ではない。実の娘さんが書いているのです。「モリ(父をそう呼んでいた)に初めてもらった作品」「モリはたくさん蟻を描いているけれど、上出来の方ではないか」なんて書いてある。ああ、ここに父がいて、絵を描いて金を得て、娘とともに生活していたんだなあ。その感触は、「芸術作品」(もちろんそうなのですが)を鑑賞しているというより、熊谷家におじゃましたという感覚に近い。ちゃぶ台を彫った「父と子」というちゃぶ台(ずっと使っていたそうです)があった。それに最も打たれました。そこには寝そべった父(モリ)がいて、モリを見つめる子がいて、間に猫もいて、周りに森がある。何を題材にするかというのが問題ではなくて、いかに表現するか、どのように使うか、どんな気持ちで、それによってどうなったか、何を維持したか、などがちゃぶ台から伝染してくる。
 17才で画家になりたくて、故郷の岐阜から東京に出てきた。「売れる」ようになったのは50を過ぎてから。その後、年を重ねるごとに注目を集め、これ以上人に来られると困るからと、勲章を断っている。国のためには何もしていないとも言っている。
 仙人のような風貌、暗中模索を経ての彼の作風の誕生。作品から伝わるのは、対象を対象のまま見ようとする鋭さと、自分にとっていらないものを次々と捨てていった潔さと、生命への飽くなき好奇心、そして愛情としかいいようのないものでしょうか。
 彼は彼になったんだな、いろんなことがあったんだろうけど、そんなことちっとも気にせず、気も病まず、彼は彼になり切った。それが一番大切なことなんだ。
 また行こうと思います。お近くの方、一度行ってみては?
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東山魁夷展

2008-04-15 19:58:02 | 
 「自然と」「自然に」などと、僕らが簡単に言ってしまうもの、ことたち。それって具体的になに? と問われて、答に窮してしまう。「いや、だから自然なんだって」「自然に身を任せよう」なんて。それでわかったような気になるけど、ほんとにそうだったのか。東山さんの絵に直に触れて、感じるのはその「自然」の具体です。
 『残照』という作品は、肉親すべてを亡くし、応募作品も落選して、失意のなかで登山した山頂から見た景色です。暗闇、影は手前に大きく広がり、遠くの頂に明かりが差している。緩やかな起伏、光までの距離、晴れ渡った空。心打たれるのはいつも、「風景画」ではなく、作者の心です。闇に立ち、明かりを望んでいるその立ち姿です。そこで初めて、作者は自然との一体感を覚えたそうです。
 そして『道』。出会ったのは二回目でしょうか。何度会っても、様々なものを喚起させられます。今まで、そしてこれから。僕らが知らず真ん中にいて、それでも見失いやすいもの。そう、それなんだよ! 「道」が目に見えるものになるならそうであろう『道』。立ち尽くしてしまいました。そして、今目を閉じると、僕のはるかな道が見えてくる。
 突如として現れた「白馬」は、一体なんなのでしょう? 作者は、観る者にその意味を委ねている。自然と東山さんの対話。その二者関係から、「白馬」を加えた三者関係へ。解説にはそう書いている。「とても切実なもの」と作者は語る。それは草を食んだり、走ったり、眺めたり、宙に浮いたりしている。幻想としての白馬。それはやはり、東山さんの絵が、万人に開かれたものであることを伝える。と同時に、描かなくてはならない作者の切実さの具体化なのかもしれない。なにかに導かれるように。それが西洋における神や天使でなく、馬であることに、僕ら日本人は共感し、ほっとするのではないでしょうか。
 技術的なことでの発見は、大画面の作品も、一つの線、点の集合であるということ。それは一気にできたわけではない。丁寧な、繊細な、心のこもった日常的な表現行為が積み重なって、初めて作品は出来上がっているということ。そして、全体として絵は完成している。小説もまた同じ。
 それにしても、なんて安堵するのでしょう? 砕け散る波の襖。岩から生えた一本の松。人のぬくもりを感じさせる建物。窓。墨絵は、あたかも最初からこうあるべきだったと言わんばかりです。第三者をも含んだ、自然と東山魁夷の対話。そこに僕は参加して、僕らの自然とともに、僕の自然を味わい直す。
 穏やかな陽気の下で、美術館から出ても、僕の内側から自然が湧き上がり、僕というちっぽけな人間を温めたのでした。
 生きることは厳しい。苦しい。悲しい。しかし、それがベースだったとしても、生きる喜びを体全体で捉える瞬間もまたある。生きていてよかった。生まれてよかった。心底、そう思えるときがある。まだ来ていなくても、いつか来る。
 僕らは生かされている。意味を携えて。
 自然とともに。自然と等しく。
 そして、帰りに寄った喫茶店の中で、『私の窓』という詩が生まれました。東山さんの絵にも、同名の作品があります。そこから着想を得たものです。敬意を込めて、感謝して、忘れないように書き留めました。

東京国立近代美術館にて/5月18日まで
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シャガール展

2007-11-21 22:06:41 | 
 さる人に教えてもらい、上野の森美術館まで行ってきました。ちなみに、会期は12月11日までです。
 シャガールの生の絵を観ることができる。そう思うと居ても立ってもいられなくなってしまう。
 あらゆる画家のなかで、一番好きなのがシャガール。豊かな色彩に、歌があり、夢があり、喜びも悲しみも、愛も祈りもあるから。
 斬新だったのは、シャガールの友人イジスの録った写真です。喫茶店でにっこりするシャガール、うつむいて散歩する後姿、創作の連続写真、大壁画に筆を入れている、孫が傍らで遊んでいたり。この世界に、彼は確かにいた。生きて、その手で描いた。様々な思いを込めて。それだけでなく、もちろん友人とおしゃべりしたり、妻に身を寄せて語りかけたり。それらを実感できたのが、なによりよかった。
 美術館で発行していた画集には、彼の詩が載っていた。買い求め、喫茶店で貪るように読んだ。そしてわかった。いかに深く、彼が痛んでいたかを。
 ユダヤ人の彼は、ユダヤ人であるがゆえに、迫害された。愛する祖国を失った。それだけでなく、人生の半ばで、これも愛する伴侶を失った。どちらも、彼は何度も呼びかけ、探し、なぜだと問う。強い思いが、絵に表れる。そして僕らをも打つ。そして回復させる。おそらく彼が最も救われたかったがために。
 僕の部屋には、そしてトイレの扉にも、昔のカレンダーの切り抜きが貼ってある。たとえそれがコピーであったとしても、そこにシャガールがいることに変わりはないので。大学出てからずっとそう。部屋にはいつも、なにかしら彼がいた。
 なぜだろう? 人を愛したかったのだ。彼から学びたかったのだ。異性を愛するということを。異性に限らず、愛するという具体を。
 その学びに終わりはない。始まったばかりだとも言える。
 あまり知られていないであろう彼の詩を、ひとつここに紹介して、明日への糧にしようと思います。

 わたしは人生に棲む

わたしの絵のなかに
わたしは恋人を隠した
わたしは人生に棲む
樹木が森に棲むように

わたしの声を聞くのは誰
わたしの顔に気づくのは誰
千年前の死者のように
月の光のなかに埋葬された顔に

母のくれた贈物
それは尚わたしのからだのなかで光り輝いている

口を開くのはよそう
わたしの心が救われるように
もう嘆き悲しまないために
暗闇のなかの一羽の鳥のように

わたしの絵のなかに
わたしは恋人を描いた
天使たちは恋人を見る
そして結婚の玉座に
向かわなかった婚約した娘たちを見る

一輪の花の香が
ロウソクをともす
青く明けゆく朝
わたしの誕生の日

わたしは自分の夢をいくつも隠した
雲の上に隠した
わたしの溜息が
鳥たちと一緒に飛ぶ

不動のわたし 歩行するわたし
わたしは崩れてゆく
世界からやってくる炎の前で
わたしの恋人はまき散らされた水
四散した水のようだ

わたしの背後にわたしの絵がやってくる

 シャガール展/上野の森美術館・産経新聞社より 一部変更しました
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