泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

新学期

2015-04-05 17:36:52 | エッセイ
 

 いよいよ明日から、新学期が始まります。
 異動した私にとっても、新規店の開店に従業員として立つという未曾有(「みぞう」今まで一度もなかったきわめて珍しいこと)の体験。
 わくわくと心配と、交互に入り乱れて、なかなか心は休まりません。
 でも、こんな感覚を抱いているのは、私だけじゃない、はず。
 お店の仲間、応援に来てくれた方々、会社のお偉方、関係者の家族、同じ大きな屋根の下で働く多店舗の方々、その他その他……。
 学校も会社も役所も、あらゆる組織で、明日から新学期というところが多いのではないでしょうか。
 好きな野球に例えて言うなら、どんなピッチャーも立ち上がりは難しい。平常心で挑めないから。
 こんなときこそ、カウンセリングの学習で覚えた自律訓練を。「私は、とてーも落ち着いている」 もちろん、あの先生の声で。
 ぐっすり眠れるかもわからないけど、明日は五時半起き。
 みんなとともに、楽しみたいと思います!
 どんな失敗も、必ず次に生かせるから。
 写真は、通勤途中に撮った桜。
 もう散り始めているけど。
 それは、来年、また咲くため。
 終わりと始まりは、いつも一緒。
 私も、この機会に便乗して、もっと成長しよう。
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ありがとう調布

2015-03-21 16:50:39 | エッセイ
 

 今週の月曜日、16日から、埼玉県は富士見市に新規開業する「ららぽーと」に通っています。
 先週の今日、調布が最終日でした。
 前夜には送別会を開いてくれ、仲間から言葉や餞別を頂くたびに、希薄だった異動の実感が嫌でも湧いてきました。
 写真に収めたのは、餞別の一つ、目玉のおやじストラップと、調布を満喫すべく7年ぶりに訪れた武者小路実篤記念館で購入したマグネット。
 目玉のおやじは、すでにリュックに装着。マグネットも新しいロッカーに付けます。

 調布は、一言で言えば厳しかった。
 しかし、その厳しさが、今思えばありがたかった。
 富士見で久々に会った方にも「すっきりしたな」と言われ、確かにそう思います。
 やるべきことが山ほどあった。池袋のように大勢の一人として隠れることができない。
「社会的手抜き理論」が通用しない。へますればすぐに返って来る。
 すぐに雑誌は乱れ、ブックトラックは雪崩を起こす。
 しかし、それこそが、普通の書店の現実なのでした。
 コミックのシュリンクをしながら、次何をすべきか考えるようになった。身に着けたのは優先順位。
 あるいは段取り。どうすればもっとも効率的に仕事が進むのか。
 あまりに疲れて、当初いたバイトさんの勧めで岩盤浴を試み、今ではすっかり必要なものになった。
 やるときはやり、休むべきときは休む。めりはりもまた身に着けた。
 厳しいからこそ、捨てるべきものはどんどん捨てた。
 必要なものだけが残り、進化していった。
 その流れの中に、ランニングがあり、小説があった。
 締め切りは3月末。調布店のバイトさんに読んでいただき、貴重な感想を元に、取捨選択がまた一つ進んだ。

 富士見での作業は、月曜から金曜まで五日間連続。そして土日休み。
 搬入から棚詰め。少しずつ形になってきました。
 それにしても。本屋の仕事って、人にしかできないんだなと思った。
 こんなに手間暇人手のかかる店は、他業種のお店にないのではないでしょうか。
 2000箱と言われる段ボールから、一冊ずつ本を取り出し、一冊も迷子にならないように人が棚に収めていく。
 棚の構成も、タイトルも、また人が作っている。
 当然意見の食い違いはあり、その都度話し合って落としどころを探っていく。
 
 一方で気になるのは池袋のこと。
 閉店が報道されました。
 仲間がいる。
 時間を見つけては通おうと思います。
 行って本買って少し話すことぐらいしかできないけど。

 そんな、複雑な春です。
 行き詰ったら、空を見上げて。空は、全世界につながているんだよな、など思いながら。
 また一歩ずつ、ゆっくりと確実に進んで行きます。
 ありがとう調布。
 
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忘年会

2014-12-25 19:42:30 | エッセイ
 今年は例年にないほど忘年会が多いです。
 すでに3回持ちました。
 明日も、次の月曜にも。計5回。
 なんというか、単純にうれしいのですね。
 私とは違う人たちと食卓を囲むことが。
 人と会えば会うほど自分が磨かれるような気がしてきました。
 同時に、自分だけの時間も必要なのですが。
 それは、相手にとっても同じことで。
 互いが必要とされていて。
 自信の現われでしょうか?

 今年いっぱいかかっても完成には至っていない小説があります。
 すでに何人かの人に渡しています。
 昨夜、書店でめためたになって(クリスマスイブでラッピングが多いのです)深夜帰って来ると、郵便受けに分厚い紙束が入っていました。
 頼んでいた小説の添削が返ってきたのでした。
 まだ内容は読んでいません。
 疲れすぎてスーパー銭湯でごろごろしなければなず、年賀状の準備もしているからです。
 どきどきです。しかし、私が心から求めたこと。
 自作品への講評がどうしても欲しかったのです。
 初めて行いました。そんな存在を知らなかったこともありますが。
 率直に、私の作品を読んだ感想が欲しい。
 すべては作品の質を高めるため。
 それは、結果的に自他を、自他のための作品を尊重することにつながっている。
 すばらしいクリスマスプレゼントになりそうです。

 私と作品が一体化していた時期が長くありました。
 せっかく意見してもらったのに、それが元で喧嘩別れしたこともありました。
 作品は作品として、やっと観れるようになりました。
 だって、作品は、私が手放してしまえばみんなのためにある。
 どれだけ多くの人に必要とされるかで、売れる・売れないも決まってくる。
 せっかく生まれてきてくれた登場人物たち。彼ら、彼女らへの愛着は人一倍だけど、私以外の人たちの心にも生きて働かないと生きがいが薄くなってしまう。
 彼ら、彼女らも、もっと的確に書いてくれと言っています。
 どれだけ聴くことができたか? 明らかに描写できたか? 伝えられたか?
 私の耳だけでは足りません。

 思えば学生の頃、バイト先の飲み会一つにしても、参加するかどうかうじうじ考えていたものです。
 会場まで行ったのに、思いつきの理由をこじつけて、退散したこともありました。
 怖かったのです。何が起こるかわからないから。
 何が起こるかわからないからこそ楽しい。思いがけないことと触れられるから未知の自分が開ける。
 そんなふうに、当時は思えませんでした。
 内側に大切なものを抱えていればこそ。私が思う大切なものの客観的真実については回答が拒否されていました。

 年末のあいさつもかねてちょっと忘年会にからめて書こうと思ったら長くなってしまいました。
 やっぱり、小説を書くしかないのだなあ。
 こみいった、大切な、その人だけの、それゆえに問題ともなってしまう、書きたいと感じる、この、もどかしいものたちを。
 年が明ければ私ももう38です。いい年です。
 一つでも実り多く、みなさまに届けられるよう精進したいと思います。

 寒くなりました。乾燥して、風邪も流行っています。
 北国では雪もまた積もり始めました。
 どうかみなさまご自愛されますように。
 よいお年をお迎えください。
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誕生日を迎えて

2014-01-05 15:27:06 | エッセイ
 あと2か月あまりで、東日本大震災から丸3年を迎えようとしています。今でも大変な苦労を強いられているたくさんの方々がいらっしゃるのだと思います。
 そして、行方不明の方々も。ご家族のお気持ちは想像を絶しています。
 かけるべき言葉など見つかりません。ただ、私は忘れません。
 
 本格的に私が走り始めたのも、2011年でした。
 私自身も激しく混乱していました。
 こんな俺のままでいいのか。
 故郷の東北の惨状を見て、悲しみの後にやってきたのは、自分のふがいなさへの怒りでした。
 私はいても立ってもいられず、着の身着のままで走り出した。

 走ることで、私のわだかまりが薄らぐように感じた。溜飲が下がるようだった。
 自分自身を痛めつけて、自分はがんばっているんだ、という感じを持てた。
 走るたびに記録も出て、足腰も強くなって、楽しくてしょうがなかった。
 大会にも出るようになって、ランナーや地元の応援者との一体感も感じた。

 録画していた箱根駅伝を、今日やっと観た。
 フェイスブックを通じて、友人たちから誕生日の祝福のお言葉をいただいた。
 37歳になった。

 走ることは、自分を支えるためだとわかった。決して、走ることが生きる目標じゃない。
 走ることは、私を支える背景。なくてはならないものとなったけど、走ること自体が大切じゃない。
 今、交通事故に遭ったとして、入院を余儀なくされたとき、私は走れない。
 そのとき、私は何を欲するか。

 初夢は、分析のしようもない惨憺たるものでした。
 未だに学生時代の孤立の恐怖を見る。
 実家からも学生寮からも出て、まったく一人で自立した気になっていたあのとき。
 アルバイトも辞めて、一人扉を閉めて、念願の小説執筆に取りかかった。
 どんどん無意識に飲み込まれていった。閉じた扉を開ける方法を知らなかった。
 内なる悪に抵抗する力が備わっていなかった。
 病ばかりがふくらんでいった。
 「助けて」を最期まで言えず、死に損なった最悪の姿で両親に発見された。

 泣いて暮らすどん底の日々があった。
 主治医にしがみつく、弱い日々があった。
 食うために、本屋で働き始めた。
 ブログが立ち上がるまで、カウンセリングを受けていた。
 様々な女性と関わっては砕け散った。
 私自身を支える芯が出来ていなかったから。

 東日本大震災は、私をやっと目覚めさせた。
 混乱を突き破るようにして、「走り」が生まれた。
 「走り」に支えられて、今の私はやっと生きている。

 いや、走りだけではないのだろう。
 沿道で出会った、たくさんの花々。きれいな夕日。胸のすかっとする青空。日本一の富士山。新緑のまぶしさ。
 家族、学生時代からの友人、書店で知りあった仲間たち、カウンセリングで出会った、己の課題と真摯に向き合う人たち。
 感動とともに、感謝するしかありません。
 ほんとうにありがとう。
 生きてきて、よかった。

 そんな私のすべきことは何か。
 もう、改めて言うこともないのですが、やはり小説を仕上げること。
 とにかく納得ゆくものを、じっくりと、でも早く。
 それが私の恩返しであり、私が私を胴上げすることでもあり、生きがいでもあるから。

 長くなりましたがお許しください。
 年に一度の振り返りであり、今後の指針の確認でもあるので。

 こんな私です。
 こんな私でもよろしければ、これからもお付き合いしてください。
 どこかですれ違っただけのブログの読者たちも、私を支えてくれています。
 ありがとう。

 今年もどうぞよろしくお願いします。
 みなさまの素晴らしい一年を願いつつ。
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駅伝

2013-12-22 16:19:31 | エッセイ
 今週は大変だった。
 書店が。
 両替機の故障に始まり、冷たい雨を挟んで、包装の雨あられ。昨日は会計待ちのお客さんが、一直線で収まらずL字になっていた。「レジを増やせないのか」とお怒りの方もいて平謝り。かつ、貴重なアルバイトさんがインフルエンザで休み。朝の八時から夜の九時までおりました。
 そんなんでさすがに走る気も起きず、高校駅伝を観ておりました。体を伸ばしたりもんだりしながら。
 走っている姿は美しい。全力を出している様子が直接に伝わってくる。
 走る基本はあれど、みんな形は少しずつ違う。追い上げ型も先行型もある。
 男子は特におもしろかった。最後、競技場に入っても四人が団子状態。誰が抜け出すのか、はらはらどきどき。
 ラストスパートを見るといつも切なくなる。胸が詰まる。感動して目がうるむ。
 先週行われた女子実業団の駅伝も水曜の休みに録画を観ていました。優勝チームのうれし涙。
 疲れて自ら走れないときに、どうぞ観て力を持って帰ってと。助かりました。
 たすきをつなぐ。みんなが全力で。
 それは、あらゆる仕事の象徴であるように見える。
 書店が本と人をつなぐ仕事なら、小説家の仕事とはなんでしょう?
 それもまた千差万別でしょう。
 言葉を使って、心と体をつなぐこと、でしょうか私の場合。
 どんなに疲れても、こうやって休みがあり、静かに書く時間がある。書きながら、何かが更新されている。書くことがなくてはならず、とても大事で、書けてうれしい。
 ブログを始めて丸八年経とうとしています。
 訪問者も、一日五人いくかだったのが、二百人超える日も珍しくなくなった。
 書く仕事は、私を生きる希望につなぎとめ、私と誰かをつないでもきたのだと思う。
 自らマラソン大会に出るようになるなんて思ってもみなかった。
 でも、私も一回だけ駅伝大会に出たことがありました。
 中学二年でしたか。当時は野球部に所属しており、記念すべき打点や安打を放った覚えはありませんが、よく走っていました。
 当日も補欠でしたが、主力が風邪で休んだ。白羽の矢が私に。
 無我夢中で走っていました。順位もたすきも覚えていない。
 ただ夢中になれた。その記憶が残っている。
 夢中になれるものが、きっとみんなに一つある。それが仕事の核になる。核は、生まれたときから備わっている。いつ気づくか、どれだけその一点に集中できるか。信じられるか。
 年男で、今年こそと意気込んだ今年も終焉が近づいてきた。
 野球部時代と同じで、ぱっとした成果は何も残せなかった。
 それでも、つながっていく。つないでいく。
 夢中にあるものを信じて。
 ぱっとしない野球部補欠の私が、今の私にたすきを渡している。全力を尽くしたラストスパートの果てに。
 その彼のがんばりを、どうして否定できるだろうか。
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コックさん

2013-12-01 20:32:58 | エッセイ
 小さいとき、「将来何になりたい?」と問われて「コックさん」と答えていた時期がありました。
 料理することは好きで、8月から隔週で日曜日の夕飯を作っています。
 レシピが溜まってきました。
 棒棒鶏、ポテトサラダ、あさりの味噌汁、鰯の蒲焼き、秋刀魚の蒲焼き、秋刀魚のつみれ汁、しっとり煮豚、豚肉の赤ワイン煮、マッシュポテト、かぼちゃスープ。
 そして今日は、えびとほうれん草のマカロニグラタン&トマトスープ。手前味噌ですが、とてもおいしかった。
 書店勤務がすべて早番(5時半起き)となり、両親に毎日料理してもらうのも悪いし、自分の食べたいものを食べたいなどの気持ちから、自らコックさんを名乗り出ました。
 小さいときの思いも、ここまでつながっていたんだなと思う。
 玉ねぎを生でなんて食べられない。しかし、切って、じっくり炒めて、あるいはぐつぐつ煮て、人参やほうれん草やえびやトマトや水などと調和して、食べるときにはなんとも言えないうまみが出ている。
 思えば不思議です。
 素材はそのままでは食べられない。食べられるように何かをする。その必要な何かが料理。
 その何かが文芸と通じる。
 経験が素材。想像が火加減でしょうか。感情は味つけ、言葉は水。
 ただ、レシピが存在しない。インターネットで検索しても、私が書きたい小説の書き方など出て来ない。
 でも、それは人生とも似ているのかもしれない。
 作りながら、失敗を重ねて、やっと覚えていくんだろう。
 今日も、冷凍えびをそのまま鍋に入れたら水分がかなり出てきて焦った。
 オーブンでグラタンを焼いていると、器の端から具がぐつぐつとこぼれ出した。入れ過ぎ。それに、チーズは器に沿って置いた方がよかったのかもしれない。こんがり焼けたチーズは、吹きこぼれを塞いでくれただろうから。
 そんなことの繰り返しなのでしょうね。だから上達の近道は継続しかないと思います。
 フルマラソン後、水分補給にトマトジュースを飲むようになりました。
 トマトと私との関係は深まるばかりですが、トマトに含まれているリコピンの吸収は、生よりも加工品の方が優れていると知って。
 ホットミルクをトマトジュースで割って、トマトミルク。これ、おすすめです。
 ビールをトマトジュースで割って、レッドアイ。疲れて喉からから、ぐびぐび飲みたいときにいい。
 今度は何を作ろうかな?
 
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野球の底力

2013-11-06 17:23:18 | エッセイ
 私が応援するプロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスがついに日本一に輝きました。
 日本一決定後は、気が抜けたようで眠くてしかたありませんでした。応援にも力がいるのだと知りました。
 野球は子どもの時から好きでした。今は減ったけど、近くに広場があり、友だちとプラスチック製の軽いバットとボールでよく野球していました。
 中学生時代は、これでも野球部。よく走り、素振りもしましたが、レギュラーには届きませんでした。
 その後は観る一方。野球を家でだらーっと何も考えずに観ている時間が好きです。
 いつだって野球はそばにあった。
 仙台にプロ野球球団が出来てから、私は本当のファンになってしまった。
 打順が十番目まであるのなら、私が入るくらいの気持ち。一体になっていた。
 仙台での日本シリーズ最終戦のテレビ視聴率は60%だとか。いかに一丸となり、優勝を求めていたか。
 総力戦でした。応援する人たちをも含めた全員野球で、王者巨人に勝った。
 こんなにうれしいことはない(私はアンチ巨人です)。
 星野監督が言っていた。雀の涙でも、震災でご苦労されている方々の癒しになれば、と。
 本当に。
 ふと、絶望に傾くとき、イーグルスの優勝、てっぺんに至るまでの苦節、「ともに、前へ」の言葉通りの歩み、適材適所での最大限の働き、選手たちの躍動する姿、支え合い助け合う姿、脳裏に焼き付いた日本一、胴上げ、それらすべてが絶望を押し返す力になる。
 最終戦の夜、わが家の夕ご飯はカツ丼でした。もうカツ丼しか思いつきませんでした。
 みなが力を合わせれば、困難を乗り越えることができる。その一つの具体例を、イーグルスは見せてくれたのだと思います。
 田中がインタビューを受けているとき、客席から「ありがとー」と大きな声が届いた。田中も大きな声で「ありがとー」と返した。
 野球は失敗から学ぶスポーツ。また見えない信頼関係の質が問われる競技。優勝するチームは、いつだって最高の信頼関係が成り立ったチームです。一人としていらない人はいません。
 それを観ていたいのかもしれない。個々人の能力よりも、間にある駆け引きや人間関係を。優れて精神的、人間的な競い合いでもあります。
 選手たちの心の動き、体の使い方を観て、私はなにかを確認している。
 なにかとは、自分自身の中にあるつながりなのかもしれない。
 今シーズンは終わりました。
 そして、私の出番が回ってきます。
 野球と接する時間は、そのまま執筆の時間になる。
 さー、行きましょう。また次の山へ。
 イーグルス、ありがとう。十分に力をもらったよ。
 私は私の畑で、最高の作品を作る努力を続けるだけです。
 雀の涙でも、生きる糧となるような。
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マラソンと推敲

2013-06-29 21:06:11 | エッセイ
 明日消印有効のある文学賞に、原稿を提出してきました。
 比較的余裕を持って仕上げることができました。
 感じるのは、マラソンをやっててよかったと。
 マラソンとは、状況をすべて把握して今の最善を尽くす術なのだと思います。
 締切という終わりがある。そこに最も早く到着するために何をすべきなのか?
 走り続けながら、天候や体調とつねに関わっている。
 書く以外のこともしなければならない。睡眠も休養も必要。食事も排泄も、野球も観たいし銭湯にも行きたい。
 すべての状況を把握し、では今、終わりに向けて最善を尽くすために何をすべきか?
 心身にも限界がある。どこまでなら可能なのか?
 何はしなくてもいいのか?
 走り続け、とくに大会に参加すると、改善点が理解できるようになってくる。
 その積み重ねが、長い小説の執筆にも生きたと強く感じます。
 また、今回ほど他者に助けられたと感じたこともない。
 ある人が、つぶさに私の原稿を見てくれました。
 前年仕上げた作品を書き直したのですが、何を書き直せばいいのかも、前回作品を読んでくれた方々の感想から見出しました。
 主人公が自然に動きました。行くべき道が見えました。
 推敲の必要性を十分に味わいました。
 足りなかったのは題材ではなく、推敲だったのだと実感しています。
 推敲とは、最善を見出す法。
 マラソンと推敲とは等しいものなのでした。
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トマト持参

2013-03-30 17:29:24 | エッセイ
 異動、暴風雨、杉花粉、寒暖の落差。この春は本当に厳しい。今日も冷たい雨。昼前に小降りになり、走りに出る。やっと、ああ走ったあ、という感触を得た。多摩湖半周で16キロ。桜が美しかった。体内のリズムが調整された。
 異動先の書店は、生涯で最もひどい、見たことない状態に荒れ果てています。とにかく人がいない。おまけにバーゲン。鬱がぶり返すかと思った。忙殺。
 納品ができない。バックヤードは見たくもない状態。それでも雑誌、コミック、書籍と毎日山と来る。雪崩注意報、非常事態宣言。
 人が辞めていく。そりゃそうだろうと思う。こんなところで働きたくないよ。そこに投入された私たち。笑うしかない。
 バーゲンが終わり、人員補充、他からの応援もあり、なんとかこれから。
 頭痛の1つであった通勤。乗り換えが4回(国分寺→西国分寺→府中本町→分倍河原)はさすがにきつい。分倍河原のホームの狭いこと。おまけに階段は一か所しかない。朝の混雑はひどいものです。
 なぜ通勤は電車、とこだわっていたのでしょうか?
 先日、バスを利用してみた。なんと快適!
 国分寺⇔府中に、かなり頻繁にバスが往復していた。これを使うと最も混雑し煩わしいところを省略できる。おまけに座れる。本も読める。風景も楽しめる。時間のロスは大したことがない。
 バスを使うことにしました。それだけでも1つストレスが消えた。
 もう1つの頭痛は昼ごはん。近場にあれこれあるのですが、不満はトマトが十分に食べられないこと。
 トマト! ここ数年で、私が最もうまい!と感じるようになった食べ物です。もうトマトなしでは生きて行けません。
 職場にはミニ冷蔵庫があった。ならば持って行けば? タッパにミニトマト6個を詰め、隙間に梅干しを1個転がし、持参しました。
 へとへとになるまで働いて、さあトマト! うまい!×2~3 もうトマト持参決定です。
 で、福島のいわきから、産直でトマト1箱を注文しました。火曜に届く予定。楽しみ。
 走るようになってから、だと思うのですが、特にうまい!と感じるようになった飲食物がいくつかあります。
 味噌汁(特にシジミ)、日本酒、ビール、梅干し、ご飯、豚肉、りんご・・・。
 最大がトマト。なぜかは不明です。
 そのトマトを持参して、戦場のごとき職場に赴く。トマトがあるだけでも、心にほんの少しでも安らぎが得られます。
 池袋から離れることは、やはり私にとってはとても大きな変化でした。
 その中で、新しい財布を買ったり、バックと靴を替えてみたり、実印と銀行印を購入したり、14日には池袋の同僚たちにバレンタインデーのお返しを捧げたり、後輩たちから飲み会のお誘いが来たり。
 試行錯誤の中で、バス利用やトマト持参など、最善は見つかってくるものなのかもしれません。
 昨日から私の生活の一部と化しているプロ野球も始まりました。どん尻連チャンだったわがベイスターズも2連勝! ドラゴンズ様様です。
 三浦の熱投、ラミレスのタイムリー、内村の攻守にわたる活躍。しびれた。
 悪い状態は続きません。また続けさせません。そこに希望がある。
 できることを1つずつ確実に行い、できることを1つずつ増やしていく。
 焦らない。
 小説もまたこつこつ書きつづけています。
 かすかなものであったとしても、希望を見失わないで、そこに進みましょう。
 落ち着いて、全体を観て、一歩ずつ。
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大変の中で

2013-03-06 19:37:05 | エッセイ
 調布に異動してから早くも2週間が経ちました。急に手先にささくれが目立ってきております。
 大変としか言いようがない中で、先週水曜日に秋田の横手から来た友人と再会しました。
 三鷹在住の方でしたが昨年末から実家の横手に戻られていました。豪雪と格闘の日々。ご近所さんの話を聴くと、お先真っ暗状態になります。じっと耐えていたらうつになるだろうなと。
 私の現状も話しつつどうなることかと思っていたら、自宅で学習塾を始めると言う。えっ!という展開でしたが楽しそうでその人にも合っていそうで、生のぬくもりを感じ、子どもたちとの関わりを通じた希望もまた見えました。
 土曜には暴風警報の中、仙台に日帰りで行きました。学生寮以来の友人と再会。彼もまた異動が決まっており、大変の中におりました。一緒に牛タンを食べ、私の恩師の最終講義を聴きました。
 大学から戻る中、私の学生時代について、「しっかりと悩んだんだ」と言ってもらったことは忘れられません。講義から刺激を受けた様子で、帰り道は彼らしい天才ぶりが発揮されていて楽しかった。
 大学の先生とは12年ぶりの再会。講義後の懇親会で、「おお菊田君、よく来てくれたね。君の元気そうな顔を見て安心したよ」と言っていただきました。大きな手で私の手は包まれ、力強く握手。
 私は先生に、今の元気な姿を見せるだけでよく、その目的は達せられました。改めてこの先生と出会えて幸せだと思います。
 混乱の極みにいた学生時代末期、先生以外に相談できそうな大人は見当たらなかった。卒論も進路も定まらず、投げやりになる私と根気強く、また決めつけず、本で埋もれた研究室でじっくりと向き合ってくれたのが先生でした。
 先生と出会わなけば、私はいったいどうなっていたか? 考えるとぞっとします。
 「文学はマラソンと同じ」「君には長い助走期間が必要なようだ」「食いぶちは必要だ」私にかけられた言葉はいずれも適切で、深く残っています。副学長までなった人ですが、退官のときは一人の哲学教授として。そこには退職金を辞退する意図もあったようです。私はただその人の器の大きさに頭を垂れるだけでした。だからこそ私は私の目的に向かって努力を続けることもできます。心に尊敬できる先生がいるから。どこまで行っても乗り越えることはできないだろうから。「一歩ずつ着実に歩め」という私の方針も先生からいただきました。
 隣の席にいたOBは仙台で古本屋さん(書本&cafe magellan)を開業していました。彼とは話が合って、結局駅まで送っていただきました。先生の蔵書を引き取ると言う。
 次に仙台に行ったら必ず寄らせていただきます。素敵な古本屋かつカフェかつギャラリー。定禅寺通りを西公園に向かって真っすぐ行けばそのお店はあります。これからの新緑の季節、いい散歩道ともなるでしょう。
 新しい仕事を覚えたり、新しい人間関係を育んでいくことは、私という木に新しい枝が伸びるようなものだと思います。半ば自分の意志とは関係なく。
 新しい枝が伸びれば全体の調和も変わる。わからないことだらけで当然不安が高じる。ささくれから血も出る。
 しかし、10年来の友人、恩師、また新規の友人を得て、私という木の根もまた新しく伸びることができたと感じます。必要なところに根がより深く、より大きく届いて。また一本増えて。だから比較的早く落ち着きを感じることもできました。
 友人たち、そして先生、本当にありがとう。
 あなたたちとの真実で切れない関係を持ちかつ育むことで、私はまたがんばることができそうです。
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さらば池袋

2013-02-17 20:11:05 | エッセイ
 やっとひと段落つきました。
 11年8か月務めた池袋の書店から調布店に異動を告げられたのが今月の6日。それからは怒涛の日々。今日は青梅マラソン。それでも無事完走しました。男女合わせて30キロの部は1万3746人参加したと言う。私の順位は1981位。2時間51分54秒。そして明日から調布へ。
 池袋店で得た最高の財産は人とのつながりだと思っています。そこにい続けたからこそ、ぼくは多くの人と出会い、関わることができた。そしてそのつながりは今でも続いている。この事実に、素直に感謝しています。
 いろんなことがありました。いちいち書き尽くせないほどに。
 いろんなことを細かくきちんと書こうと思っていたのですが、疲れもあるのか、出てきません。走ることで、もう気持ちは調布へ向かってしまったのかもしれない。
 3年前の異動のときは、ほんとに辛くて嫌だった。なのに今は。
 今年の自分のテーマが旅立ち、出港だからなのか、あるいは震災を経て、無常を身を持って知ったからか、変わることをいとわない自分がいます。
 確かに大変でしょう。でも、だから、なに? というような。
 命が取られるわけではありません。
 むしろ会社の決定で、他に出られることを喜ぶ自分すらいます。
 別れがたい人もたくさんいます。
 異動が知れて、たくさんの贈り物、お言葉をいただきました。改めて自分は愛されていた、愛していたと知りました。
 池袋から離れても、つながりたい人とはつながっていきます。
 また遊びにも行くでしょう。
 この異動を機会に、さらに自分が成長すればいいだけのこと。
 むしろ痛いのは、この1週間ほど原稿を進められていないこと。
 どこにいって何をしようが、書き続ける自分がいる。
 どんなに準備不足でも、30キロを走り抜けられる自分がいる。
 たくましくさせていただきました。
 それもこれも、無愛想極まりない(今は違うよ)私を働き続けさせていただき、人々と関わることができたからです。
 本当にありがとうございました。
 さらば池袋。
 こんにちは調布。
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よいお年を

2012-12-29 17:05:13 | エッセイ
 今年最後のブログ更新となるかもしれませんのでご挨拶を。
 いつもこのブログをかわいがってくれてありがとうございます。大変お世話になりました。
 なにげに毎日の訪問者数やコメントを支えに生きています。
 また来年もよろしくお願いします。

 私にとっては本格的に走り始めた年でもありました。思えば今年は階段すら降りられない強烈な膝痛から始まっていました。
 累積走行距離は、1月36キロ、2月36キロ、3月42キロ、4月67キロ、5月103キロ、6月75キロ、7月76キロ、8月43キロ、9月114キロ、10月163キロ、11月111キロ、12月115キロ。合計すると981キロ。981キロ? 東京からだとどこまで行けると思いますか?
 測ってみました。北は北海道、旭川。南は鹿児島の最南端。西は韓国に上陸。北朝鮮までは足りていない。
 だからどうした、と思わなくもないのだけれど、この調子でいったらやはり来年は海外だなと思う。日本からはみ出す距離に達します。
 国内のマラソン大会を巡回しつつ、海外の大会にも行けるようになりたい。語学の勉強も続けています。
 なんであほみたいに走ってるんだろう、と思わないこともありません。しかし、もう心身が求めている。生活の一部になっている。私の心身にとって必要なのだと感じます。みんなにとってマラソンが有効だとは決して思いません。「すごい」とほめてくれる人がいる一方で「信じられない」と半ば軽蔑の眼差しを向ける人もいます。それでいいのだと思う。何かに打ち込むことで確かに人は反応する。その反応によってその人の今がわかる。マラソンは反応がわかりやすい。走ることを通じて自分自身をも含めたコミュニケーションの幅を広げようとしているのかもしれません。そしてその経験が楽しい。私は何かに打ち込む人が好きなのだということも思い出しました。

 反応と言えば「私の名前は」という題で小説を書き上げました。小説に対しても人さまざまな反応があります。
 中には読んでくれる人もいます。さらにその中には感想を書いてくれる人もいました。
 レポート用紙に12枚にも渡って批評を寄せてくれた人には本当に感動した。
 そして。
 次の作品に取り掛かっていたのですが、感想を何度も読み返すうちに書き直そうという気持ちが強まりました。
 池袋の「かぶらや」という立ち飲み屋で、次に「木の声」というそばバーで時間をともにした友が「書き直さないんですか?」と言った。それが結局最後の一押しとなった。
 うまくできるかわからない。でも3人集まれば文殊の知恵ともいうけど、3人以上の意見が手元にあります。すべての意見を生かすことはできないだろう。
 でも。書き直すべきはわかった。
 書き上げてぼくは余裕などないからそのまま応募してしまった。しかし、それでは作品は半分しかできていなかった。
 推敲。削ったり膨らましたり。その作業がぜひとも必要でした。この事実に体験を通じて学べたことがよかった。
 一人で書くのだけど、読者がいて初めて作品は成立するのだと身を持って感じた。
 だからもう、小説を書くことを恐れない。立ち向かっていけるだけの人とのつながりを持っていると感じられるから。作品を楽しみに待っている人がいるから。
 目標は6月末締め切りの「ぼっちゃん文学賞」。夏目漱石を、浪人時代以来、読み返してもいます。
 感想を寄せてくれた人の2人が、誰よりも漱石を愛していたから。ぼく自身、文学の入り口には漱石がいたから。

 基本に立ち戻った一年だったとも言えます。
 走ることも書くことも読むことも語学が好きだったことを思い出して日々NHK教育テレビを録画していることも。
 教育テレビばかり見ている。ときに高校講座の地学を見ている。ハートネットTVを見ている。
 本当に浪人時代に戻ったみたい。
 そして今の目標は、大学に入ることではなく、文筆で食っていけるようになること。文学賞、新人賞を取ること。
 本当に、作家になりたいと思う。
 自分を最大限に生かす道はそれしかないと思う。
 作家になるための再教育中。自分で自分の育て直し中。
 思いばかりが先行しがちなのも私のくせです。それも走ること、書くことでよくわかった。あるいは若い女性への接近で。
 心技体。すべての調和が大切だとやはり思う。
 一歩ずつ、ずっと修練を重ねたい。思いと具体、実務をかみ合わせて、一行ずつ、前へ。行動の結果としての作品。あるいは結婚。

 これから年賀状を書きます。
 年賀状が届いた人も届かなかった人も、みなさま、よいお年を。
 来年、私は年男になります。
 お世話になった大学の先生がめでたく定年退職することになり、最終講義を聴きに行きます。
 やっと再会することができます。
 大学出てから12年。
 大学時代があまりに悲惨で情けなくて、会いたいのに恥ずかしくて会うことができなかった。
 細々と年賀状だけのやり取りを続けていました。
 東北大ということでちやほやする人もいるけど、ぼくの体験は本当に惨めなものです。落ちこぼれもいいところ。強がって強がって結局他人に尻ぬぐってもらって。
 そんなぼくを、そんなぼくでも、先生なら、と信頼できる真の大人でした。
 やっと、もう、会っていいんだなと思う。

 ああ、書き出すと止まりませんが、みなさま、お元気で!
 また来年お会いしましょう。
 来年こそ、自分の花を咲かせましょう。

 最後にもう一言。
 今年を一言で振り返るなら。
 「宿命」でした。
 みなさまにとってはどんな一年でしたか?
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第115回文學界新人賞

2012-11-17 12:24:16 | エッセイ
 私も応募した第115回文學界新人賞が、月刊誌「文學界12月号」(文藝春秋)に発表されています。
 応募総数はなんと2223編。2年前は2052編。さらに2年半前は1301編だった。増えている・・・。
 受賞作は2編。守山(かみやま)忍さんの「隙間」、二瓶哲也さんの「最後のうるう年」。読みました。
「隙間」には、妊娠したものの流れる危険があって実家で静養している妻と付添の夫と妻の姉の3人が描かれる。若夫婦の親になることへの不安と未だに夫婦が男女として愛されているのか確かめたいが確かめられないもどかしさが描かれ、未経験者にとってはそういうものなのかなあと納得させるだけの力を持っていた。しかし、焦点が狭すぎるというか広がらないというか、ピンポイントで共感し感動する人がどれだけいるのか疑問に思った。
「最後のうるう年」は印刷会社を辞めようとしている中年の男が、仕事中に車の中から昔の同僚を見かけたことから過去を回想し、再び現在に戻ってくる話。選考委員が指摘していたことだけど、文章に安定感があり、とても読みやすかった。過去の体験というのは風俗店での仕事が中心で、そこでの出会いと別れ、対話に重きが置かれる。女性器は目に見える出自のルーツだという言葉は妙に身に迫った。でも、なんだろう、爽快感がない。変わった感がない。

 以下、選評から線を引いた箇所をもう一度記します。
 角田光代氏
「「オチ」なんて必要ないし、理屈でまとめる必要もない。そうすることで作品の魅力がすり減ってしまうことがある。それぞれの人の持つ小説的既成概念を、自信を持って壊してほしいように思う。それは思いの外ちいさいから」
 松浦理英子氏
「小説を自分の抱いている文学のイメージ通りに書き、小ぎれいにまとめる腕を備えた人は、わりあいにいるのだと思う。しかし、そのような作者に書かれた小説は多くの場合、小説が作者の当初の意図を越えて伸びて行った気配がない。すぐれた小説がそれ自体生きもののようであるのに対して、イメージの枠に押し込められた小説はゾンビのようである」
「自作を他者の目で読むという基本的な技術が身に着いていない」
「体験記を越える文学性がなければ読み甲斐はないのだが、作者は主人公の苦難を描くのに手一杯で、作品に文学としての強さを付与するには至っていない」
 花村萬月氏
「脳裏にあるイメージや象徴が自身にだけあきらかで、それを装飾していくうちに不親切に陥ってしまった」
「読み手に負担を強いない文章」
「読者に流し読みされぬよう、考える間を与えると作品が深くなります」
「便利かつ抽象度の高い言葉の使用を実生活でも執筆でも控えてみてはどうでしょう。こういったすべてを包含して楽に言いあらわすことのできる言葉を遣わずに表現しようと苦闘することによって表現は次の段階へ進むことができるのです」
「新人ならではの提示がほとんど見られなかった」
「受賞者も、受賞に至らなかった作者も、自らのブランドを構築することをじっくり考えてみてください。一読、これは○○さんならではの内容と文章だ―という強み、それは当然、選ばれた人だけが持つ個性です。その他大勢の文章ではありません」

 私は今まで5回小説を書き応募しました。学生時代に「演奏」、その後「春、ベンチで」、意識的に書き始めたのが5年前で「ぶれんど」、2年半置いて「絶望を抱いて眠れ」、また2年かかって「私の名前は」。
 今、痛感しているのは、単純なこと。
 ぜんぜん書き足りていない!
 応募した5編は100枚程度。500枚しか書いていない。
 書くたびに、確かに進歩しています。書かなければ進歩もありません。
 小説を書く怖さというのが、まだあります。それが引き金でうつ病になったとも言えるから。
 しかし、その後、様々な経験を積み、人と対話し、つながりを広げてきた。自分をケアする能力を、必要に迫られて身に着けてきた。
 ごく自然に書きつづけたい。自他の生活必需品として。

 昨夜、そのつながりの中で、あるバーに行き、ロックバンドなどの生演奏を聴いてきました。
 リズムが力強く心地よい。しかし、それ以上でも以下でもなかった。
 せっかく歌っているのに何を言っているのかわからない。伝わってこない。
 演奏者は熱くなって楽器を奏でている。そこに、私はこうであって、こうである私に共感してくれるならうれしいというメッセージを感じた。そこには、私の入る余地はないように感じた。要するに感動しなかった。
 いい勉強になった。ぼくもたぶん同じことをしてきたから。
 怖いのだと思う。自分の弱点を指摘されることが。
 でも、弱点、盲点、失敗は、そのまま成長の源となる。成長の種のようなもの。
 弱さを指摘されることは、その人の存在を否定することじゃない。
 適切な批評ほどありがたいものはありません。

 応募した新人賞の選評は、ほんとに勉強になります。
 詩の場合はこうはならなかった。
 詩も何度も応募しましたが音沙汰なく、また選評や受賞したという詩を読んでもまったくちんぷんかんぷん。それで嫌になって投稿は辞めた。
 詩は、作者にとって大切な瞬間を言葉として摘み取ることができる貴重な器。だから、詩を選評することは、初めから不可能なのではないかと思う。
 詩は詩として、大切にしたいといつも思っていますが。

 長くなりました。
 うだうだ言わずに早く原稿に戻れ、という声が聴こえてきます。
 はい、そうですね。そうするしかありませんね。
 自分の生活がかかっているのだから。
 人生がかかっているのだから。
 自分にしか書けないのだから。
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小説の効用

2012-09-15 20:50:49 | エッセイ
 6月30日、文學界新人賞の締め切りに合わせて小説『私の名前は』を脱稿し投稿しました。それからはや2か月半。
 当初は応募原稿をそのまま心ある友人知人に手渡し、読んでもらっては手厳しい感想を聞かせてらもらっていました。が、貸した原稿がすぐに戻ってこないということがあり、結局自分でまた編集し、本としてまとめて(写真「やっぱり本を作っている」を参照)読みたいと言ってくれるありがたい人々に手渡し、感想を待っている状態が続いています。お渡しした人はすでに17名になります。あと2人にも渡すことになっている。
 脱稿した原稿については、働く書店の仲間から読んでもらったのですが、一番始めにレポート2枚にも渡って感想を書いてくれたI君、次にこれまた2枚書いてくれたTさんのご指摘で十分かと思われます。確かに少しは文章力は上がったでしょう。しかし、会話を抑えることができなかった。会話と物語(地の文)とのつながりが薄い。違和感を覚えさせてしまう唐突な、あるいは説教じみた言葉の数々。最も興味を引かれた箇所が十分に書かれていない。登場人物が多すぎて主人公の成長(変化)をとらえ切れていない、など。また十分な推敲が、特に後半できていなかったのも事実です。自分でもおしいと思うし悔しくもある。初めて登場人物たちを好きになれた作品だから余計に、力不足で申し訳ないと思う。彼らはせっかくこの世に生を受けたのに、生き切れていない。書き抜けていない。
 以上の反省、これからも続々と盲点が指摘されるでしょうが、は、私一人では気づけなかった。私一人では『私の名前は』以上の作品を書くことができない。読者の声が必要です。読者が、書き手としてのぼくを育ててくれているのだと思う。I君、Tさん、また原稿のチェックをしてくれたKさん、その他、Kさん、Tさん、Tさん、Sさん、Oさん、Tさん、Sさん、Hさん、Oさん、Tさん、Kさん、Kさん、Nさん、Rさん、これからお渡するNさん、Iさん、本当にありがとう。感謝しています。
 反省は尽きないのですが収穫ももちろんあった。小説が対人関係の通路となること。小説をきっかけに、もちろん読んでくれる人はそれまでにある程度の信頼関係が出来ていると感じているからこそ言い出せるわけですが、もっと深く隠さずに話すことができるようになった。話すことができるようになりつつある。人とのつながりを実感できた。19人も私の拙い小説を読んでくれる。それはこんな自分にも生きている価値があると実感できることにつながります。また私がブログを続けてこれたのも相手あってのこと。私は、一人で書いているけれど、決して一人ではない。みなと共に、様々な体験を重ねながら生きている。みなが読みたいことを代表して、ただ書くことが得意だから、しているという感覚。これが安定感にもつながっていきます。また何でも話せる相手が一人でも増えることは私という人間を大きくしてくれます。交流を重ねることでもっと作品世界も大きく深くすることもできるでしょう。
 前回『絶望を抱いて眠れ』を脱稿した後、大きな部屋の模様替えが起こりました。パソコン、エアコン、プリンター、自転車、棚の買い替え。本も処分し、並べ替えた。そして今回は、服。古着寄付に二箱出すことになった。もう着ない服が、気づけばたくさんあった。そのどれもが黒やグレーや濃紺ばかりの暗い色をしている。また今から見れば、センス無いなと感じてしまう物ばかり。それでも服は、まだ着れるだけに捨てる気にはなれず、ネットで調べて寄付することにした。世界には貧しい国がたくさんあり、ぼくの古着でも役に立つのかと思えたらセンス無い暗い服たちにもねぎらいの気持ちが生まれる。よく今まで私を守ってくれた。それらは夜明け前の色だったのか。自分の色がわからずに渾然一体となっていた結果としての黒だったのか。小説の効用は人によりさまざまでしょう。一ミリでも自分を広げることと言ったのは石田衣良です。確かに、いくら拙くとも、脱稿したことで自分は広がった。小説を通じた対話がぼくを広げたし、服を寄付することで日本以外の国の人ともつながれる。
 にっちもさっちもいかない状態というのは、要するに何を捨てればいいかわからない状態と同じだと思います。胸一杯に抱えて、身動きが取れない。東日本大震災以降の私も、改めて自分の役割は何なのかと、人生から問われました。その取捨選択の結果が小説となった。今のところ誰も指摘していないけれど、私が『私の名前は』に込めたかったのは、要するにアイデンティティーの問題。自分とは何かを少しでも明らかにすることでした。それがうまく伝わっていないとすれば、私の文筆力が足りないだけのことです。
 不安で仕方ない時、部屋の掃除をするんだ、と小説の中で言ったのは村上春樹です。いわゆる「お掃除本」も最近の売れ筋です。部屋は心です。今までの部屋の目に付かなかったところ(今回はクローゼットの中)に手が届いたということ。それが今回の私にとっての小説の効用の一つでした。また、こうした具体的な動き(まったく意識していなかったこと)が出たことに、一筋の小説への信頼を覚えます。
 今は読書を進めながら次作を温めています(パリーグが混戦なので楽天の応援にはらはらもしています)。11月のフルマラソン(第1回富士山マラソン)に向けて走り続けてもいます。次回のタイトルはもう決まっています。それは今まで勤めた書店への感謝を込めて、できれば卒業制作となるように、と思っています。小説のテーマも、今までは自分が扱いきれないほど大き過ぎたのかもしれない。自殺であり震災であり。次はもっと絞って、より身近に、具体的に。
 それにしてもマラソン。毎週走るようになってやっと自分は自分になったと感じています。何なのでしょう、この「やっと出会えた感」は。35歳にしてやっと自分のやりたいこと、やるべきことがわかった。小説の投稿はぼくの就職活動でもあります。まったく何年就活してるんだと。時間がかかることに嫌気が挿したりもします。が、続けるしかありません。迷い、傷、弱みをプラスの力に変えて。やっぱり自分は本を作ってしまうのだから。
 本を読みながら心の整理をして、いらないものはもう捨てる。そうして出来た隙間から見える景色が次の小説になる。やっと出会えた自分は、だからこそやっと自分を信頼でき、自信を維持し、結果として彼女を愛することもできる。やっと、これから。それが、今の私です。
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小説が出来ました

2012-06-30 20:31:46 | エッセイ
 久々の文章です。
 といっても、毎日のように文章を書いていたのですが。
 このブログには写真ばっかりでした。それは少しでも小説へ言葉を回したいからでした。
 今日締切の原稿を仕上げ、提出してきました。
 タイトルは「私の名前は」となりました。題すら決まらずに書き進めていた作品でした。
 終わってほっと一息。
 しかし、すでに次作をどうしようか、模索する自分がいます。

 今までに4度小説を書き、新人賞に応募しています。今回は5度目。
 今までのいずれも、書き終えた後に倒れています。心身ともに擦り減ってしまうのですね。
 今回はそうならないように、今日はもう風呂に入ってすぐ寝ます。
 でも、多少ゆとりがある。
 ペース配分というのがわかってきたように思います。それはやはりマラソンで身に着けた感覚でしょう。
 体力もまた。本当に小説書きは肉体労働です。どれだけ耐えられるか。ペースを乱さないでいられるかが問われる。
 そして思うのは、手放すのが惜しいということ。
 それはまったく新しい感覚です。
 この小説世界にもっと浸っていたかった。それほどにぼくは登場人物たちをいとおしく感じます。
 しかし、今日が締切。ちょうど百枚に達したところで、自ずと物語は終わりました。

 何度か書いてきたことだと思いますが、今までの小説は自分自身の悩みや負をいかに乗り越えるかが主題となっていたように感じます。
 前回はちょうど二年前に「絶望を抱いて眠れ」を仕上げたわけですが、直後にノロウィルスに感染し、吐く物がなくなるまで吐きました。下痢もして体の中は空っぽになりました。
 心身を空にしたのでした。そこまでやって、初めて今回の作品ができました。
 やっと、小説が出来たと思います。小説らしい小説が。
 なんというか、こつがつかめてきたと言うか。人物たちが自ずと動いたというか。
 彼らに任せようと思いました。答えは書き手が出すのではないと。
 それでも自分は、ちょくちょく出てしまったように感じますが。
 それにしても彼らはよくしゃべった。

 まあ、とにかく一区切りです。
 今は放心状態。
 少し休んで、またどうせ書くんだろうから、しっかりと準備していきたい。
 読みかけの本も読みたい。
 海外に旅してみたい。
 会えていなかった人にも会いたい。
 ビアガーデンにも行かなくちゃですね。
 秋にはフルマラソンを走ることにしました。そのトレーニングも続けたい。

 「私の名前は」 読みたい方はお気軽にご連絡ください。
 今回は料金を取る気もしません。
 お金を取れるようになっているのなら、それは本になるはずだから。
 ただ、読んだ感想を教えてほしい。それを代金にしたいと思います。
 お金を受け取らないということではないですよ。代償としてお金をくれるのならありがたくいただきます。

 蒸し暑くなってきました。
 みなさま、体調に気を付けて。
 それぞれの道を順調に進まれますようお祈りしております。
コメント (2)
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