6月30日、文學界新人賞の締め切りに合わせて小説『私の名前は』を脱稿し投稿しました。それからはや2か月半。
当初は応募原稿をそのまま心ある友人知人に手渡し、読んでもらっては手厳しい感想を聞かせてらもらっていました。が、貸した原稿がすぐに戻ってこないということがあり、結局自分でまた編集し、本としてまとめて(写真「やっぱり本を作っている」を参照)読みたいと言ってくれるありがたい人々に手渡し、感想を待っている状態が続いています。お渡しした人はすでに17名になります。あと2人にも渡すことになっている。
脱稿した原稿については、働く書店の仲間から読んでもらったのですが、一番始めにレポート2枚にも渡って感想を書いてくれたI君、次にこれまた2枚書いてくれたTさんのご指摘で十分かと思われます。確かに少しは文章力は上がったでしょう。しかし、会話を抑えることができなかった。会話と物語(地の文)とのつながりが薄い。違和感を覚えさせてしまう唐突な、あるいは説教じみた言葉の数々。最も興味を引かれた箇所が十分に書かれていない。登場人物が多すぎて主人公の成長(変化)をとらえ切れていない、など。また十分な推敲が、特に後半できていなかったのも事実です。自分でもおしいと思うし悔しくもある。初めて登場人物たちを好きになれた作品だから余計に、力不足で申し訳ないと思う。彼らはせっかくこの世に生を受けたのに、生き切れていない。書き抜けていない。
以上の反省、これからも続々と盲点が指摘されるでしょうが、は、私一人では気づけなかった。私一人では『私の名前は』以上の作品を書くことができない。読者の声が必要です。読者が、書き手としてのぼくを育ててくれているのだと思う。I君、Tさん、また原稿のチェックをしてくれたKさん、その他、Kさん、Tさん、Tさん、Sさん、Oさん、Tさん、Sさん、Hさん、Oさん、Tさん、Kさん、Kさん、Nさん、Rさん、これからお渡するNさん、Iさん、本当にありがとう。感謝しています。
反省は尽きないのですが収穫ももちろんあった。小説が対人関係の通路となること。小説をきっかけに、もちろん読んでくれる人はそれまでにある程度の信頼関係が出来ていると感じているからこそ言い出せるわけですが、もっと深く隠さずに話すことができるようになった。話すことができるようになりつつある。人とのつながりを実感できた。19人も私の拙い小説を読んでくれる。それはこんな自分にも生きている価値があると実感できることにつながります。また私がブログを続けてこれたのも相手あってのこと。私は、一人で書いているけれど、決して一人ではない。みなと共に、様々な体験を重ねながら生きている。みなが読みたいことを代表して、ただ書くことが得意だから、しているという感覚。これが安定感にもつながっていきます。また何でも話せる相手が一人でも増えることは私という人間を大きくしてくれます。交流を重ねることでもっと作品世界も大きく深くすることもできるでしょう。
前回『絶望を抱いて眠れ』を脱稿した後、大きな部屋の模様替えが起こりました。パソコン、エアコン、プリンター、自転車、棚の買い替え。本も処分し、並べ替えた。そして今回は、服。古着寄付に二箱出すことになった。もう着ない服が、気づけばたくさんあった。そのどれもが黒やグレーや濃紺ばかりの暗い色をしている。また今から見れば、センス無いなと感じてしまう物ばかり。それでも服は、まだ着れるだけに捨てる気にはなれず、
ネットで調べて寄付することにした。世界には貧しい国がたくさんあり、ぼくの古着でも役に立つのかと思えたらセンス無い暗い服たちにもねぎらいの気持ちが生まれる。よく今まで私を守ってくれた。それらは夜明け前の色だったのか。自分の色がわからずに渾然一体となっていた結果としての黒だったのか。小説の効用は人によりさまざまでしょう。一ミリでも自分を広げることと言ったのは石田衣良です。確かに、いくら拙くとも、脱稿したことで自分は広がった。小説を通じた対話がぼくを広げたし、服を寄付することで日本以外の国の人ともつながれる。
にっちもさっちもいかない状態というのは、要するに何を捨てればいいかわからない状態と同じだと思います。胸一杯に抱えて、身動きが取れない。東日本大震災以降の私も、改めて自分の役割は何なのかと、人生から問われました。その取捨選択の結果が小説となった。今のところ誰も指摘していないけれど、私が『私の名前は』に込めたかったのは、要するにアイデンティティーの問題。自分とは何かを少しでも明らかにすることでした。それがうまく伝わっていないとすれば、私の文筆力が足りないだけのことです。
不安で仕方ない時、部屋の掃除をするんだ、と小説の中で言ったのは村上春樹です。いわゆる「お掃除本」も最近の売れ筋です。部屋は心です。今までの部屋の目に付かなかったところ(今回はクローゼットの中)に手が届いたということ。それが今回の私にとっての小説の効用の一つでした。また、こうした具体的な動き(まったく意識していなかったこと)が出たことに、一筋の小説への信頼を覚えます。
今は読書を進めながら次作を温めています(パリーグが混戦なので楽天の応援にはらはらもしています)。11月のフルマラソン(
第1回富士山マラソン)に向けて走り続けてもいます。次回のタイトルはもう決まっています。それは今まで勤めた書店への感謝を込めて、できれば卒業制作となるように、と思っています。小説のテーマも、今までは自分が扱いきれないほど大き過ぎたのかもしれない。自殺であり震災であり。次はもっと絞って、より身近に、具体的に。
それにしてもマラソン。毎週走るようになってやっと自分は自分になったと感じています。何なのでしょう、この「やっと出会えた感」は。35歳にしてやっと自分のやりたいこと、やるべきことがわかった。小説の投稿はぼくの就職活動でもあります。まったく何年就活してるんだと。時間がかかることに嫌気が挿したりもします。が、続けるしかありません。迷い、傷、弱みをプラスの力に変えて。やっぱり自分は本を作ってしまうのだから。
本を読みながら心の整理をして、いらないものはもう捨てる。そうして出来た隙間から見える景色が次の小説になる。やっと出会えた自分は、だからこそやっと自分を信頼でき、自信を維持し、結果として彼女を愛することもできる。やっと、これから。それが、今の私です。