一型でも適当に糖質制限。

主婦の平凡な糖質オフの日々

次男が…

2018年01月10日 | 日記
今思えば、幼少期より強烈な甘さのものが苦手でした。

食べれないわけでは、ないのですが、食べてる途中からムカムカ感があって、

特に和菓子類は殆どダメで、頂きもので貰っても私以外で食べていました。

小学4年の時に学校で遠泳大会があり、200㍍。500㍍。1000㍍。
どれか必ず泳がなきゃならなかった。

親の転勤で島に住んでました。
島の子は泳げない子はおらず、私も適度には泳げました。

泳ぎ終えた後、保護者主催によるゼンザイを上がった順に並んで食べるという、素敵なはからいがありました。
和菓子は勿論。ぜんざいはもっての他な私。
断るスキルがなかった私は、辛くて、未だに大人になっても覚えているのである。

炭水化物がダメなのではなくて、強烈に甘いのと、だんごや餅が苦手なだけでした。

毎年、お正月になると母に『雑煮には餅はいれないで!』と懇願していた…

甘いのにも例外があって、クリスマスと誕生日に食べるケーキは大好きでした。
(今も食べれなくとも子どもが美味しそうに食べるのをみるのも好きである)

だからと云って、独身時代にケーキバイキングに誘われると、想像しただけで胸焼けし、丁寧にお断りしていました。

でもね。パン(ベーコンエピ)とか、サンドイッチが好きだったし。

ポテチも三人兄弟だったので、大人になったら一袋を一人で食べてみたいなぁと、夢みた子どもでした。

中学の頃は白米がダメで、朝ごはんの時に吐き気が酷く、朝は絶対食べなきゃならん!と母に叱られ、無理矢理、フリカケかけてかきこんでいました。

今、思えば。

全てではないが、炭水化物が苦手で本能で避けていました。

しかし、高校生になると、米も好きになりました。
その甲斐もあって、中学までは痩せ型だったのに、高校生は激太り。

二十代は、努力して痩せました。

28と30の妊娠中も子宮経管無力症の為に
切迫早産気味でしたので産婦人科に入院しており、数度の血糖測定も問題なし。
子どもも、長男は3072㌘。次男は2668㌘。

その頃は糖尿の心配などはしていませんでした。

ま、それは良いとして、幼少期に本能で、炭水化物を避けていた私。

1月8日で8歳の誕生日をむかえた次男。
私と似ているのである。

彼は白米が苦手で、給食以外は食べません。

私がこのような取り組みをしているので、
オカズは低糖質。
おやつも普通のものを食べても、「今日はこれくらいにしておくね」
みたいな感じで、過剰には食べません。

学校の往復も、近所では有名なくらい常に走って行く子です。
私の筋トレにも割りと中盤までついてくるし、運動大好きです。
ローレル指数も低く、痩せ型です。

低糖質生活になったお陰で毎日あった喘息発作もなくなり、アトピー気味の鮫肌も消失。
泣いた時に軽い咳喘息が出るのみに落ちついた今。

昨日が誕生日ということでケーキが残っておりおやつはケーキ。

一度位は計っみようよ!
って初めての血糖値測定。

168mg/dl。


なにー。!Σ( ̄□ ̄;)


主人の両親もこのブログで度々でていますが、痩せ型の重度の二型糖尿病である。

どちらに転んでも、彼はやばい。

自分は一生、注射生活でもかまいません。
発症時にも涙一つ出なかった。
『なったもんは仕方ねぇ』
くらいでした。

だけども、子どもにはこんな思いはさせたくありません。

また、悩みの種が増えてしまった。
グルコーススパイクがある隠れ高血糖タイプか、緩徐進行の気があるのか。

どちらにしても、耐糖能が悪いのは事実。

はふ~である。

一度、各種抗体を調べてみたい。と思いました。