荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

旅立ちの巻。

2013年01月20日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
よそでブログをやってましたが、私生活で少々ゴタがあった為、心機一転アメブロへ行ったのですが、ブログのレイアウトが気に食わないのでgooに河岸を変えてGO!

さて、僕は3年半後、遅くとも5年後には、全て身の回りの持ちモノをトランクひとつ迄減らし、ビジネスホテル暮らしをしようと目論んでおります。

もともとはモノにこだわることの無意味さから始まりました。

それは東日本大震災です。

命を流されたヒト、家を流されたヒト、テレビではありましたがあの惨劇を目の当たりにし、所詮、人間は命ひとつなのだとしみじみと思いました。

それ迄もなるべくモノを捨てて来ました。

1000冊程あった蔵書もほとんど処分しましたし、デッキがない為見る事の出来なかったビデオテープも100本程ありましたが、それも処分しました。

食器も服もかなりの量を処分しました。

しかし皆さん言われる様に

「持ちモノの90%は簡単に、スピーディに処分出来る。問題は残りの10%。」

という言葉が心の底から理解出来ます。

この残りの10%のさらに10%、すなわち全体の1%に迄絞りきらなければ、トランクひとつの生活は到底叶いません。

まだまだ長い道程ではありますが、地道に進めていきたいと思います。

重ねて申し上げますが、モノにこだわるのは無意味だと僕は思います。

いい歳したオトコが身軽に生きるなんて、と眉をひそめるヒトもいるでしょうが、ヒトの人生などヒトの数だけあってしかりです。

最近、知人の知人が

「これからは【モノ】にお金を使うのではなく【コト】に使う事にした」

と語ったそうです。

つまり、手元に残るモノなどいらない。食事やお酒、旅行などの【コト】にお金を使うのだ、と。

これに激しく同意であります。

心に残るコト、それがヒトの持ちモノの量の限界なのです。

持ちモノが多い旅立ちなんてヤですよね。

『雲の向こうは、いつも青空』ルイーザ・メイ・オルコット(米国の小説家・1832~1888)