荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

転勤の巻、ふたたび。

2013年05月09日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
中学高校時代の友人が、東京から盛岡に転勤になりました。

彼は僕とおんなじ東京生まれの東京育ちでありながら、新卒で入社した会社の都合で大阪に配属となりました。

【すまじきものは宮仕え】と申しますが、やはりリーマンには我慢が肝要。

彼は実直に大阪で働き、大阪生まれの大阪育ちの嫁をめとり、ガキもふたりもうけました。

まぁ、ちょいちょい浮気はしてた様ですが。

ちなみに彼は関西文化が大っ嫌いでしたな。

16年後、ようやく念願の東京勤務の辞令がおります。

当初は彼ひとりだけ帰京し、そして1年後、嫁ガキを呼び寄せました。

とりあえず居を松戸にした彼は、舅姑の眼もないので一国一城の主としての君臨を企んでいたはずです。

一家四人の幸せな生活は、ほんの1年程しかもちませんでした。

なぜなら3・11があったからであります。

そう。松戸はホットスポット。彼の嫁が『放射能がぁぁぁ!セシウムがぁぁぁ!』とわめき出しました。

結果、ガキを連れて嫁は大阪に帰ってしまいました。

小学校を転校しなきゃならないガキがかわいそうであります。

もっとも僕は、嫁は放射能云々が原因でなく、大阪に帰りたかっただけだとにらんでおりますが。

それも1年の時が経ち、居を松戸の真逆・新百合ヶ丘にする事で、嫁とガキが戻って来ました。

ところが、嫁ガキが戻って来てようやく1年たったある日、ふたたび辞令がおりました。

すなわち『本年4月をもって盛岡勤務を命ずる』・・・。

さすがに単身赴任であります。

これが出世へのファストパスなのか、それとも片道切符なのかは分かりません。

彼は寒いところが苦手でした。

風邪などひかないと良いなぁ、と初夏の東京で願う僕でした。