CHAINSAW ART JAPAN・ケイジの仕事記録

木を切るチェンソーで木彫刻。チェンソーアートジャパン・ケイジの仕事などを記録したブログです。

USA日記 移動編1

2005年08月31日 | 生活一般
8月28日 日曜日 移動 ミシガンからオハイオへ

ミシガン州をぬけオハイオ州に入ったところにシルバニアという小さな町があり、そこにいつも宿泊するウインゲートインホテルがある。そこに宿泊し、ハイスピードインターネットラインで事務処理をしようと考えた。ホテルが左に見える交差点まできて、何と我がラッキー号は沈黙した。まったく動かない。交差点で立ち往生である。すぐさまホテルに走っていってチェックインし、状況を伝え、モーターリペアショップを呼んでもらった。こういう時こそ、英語の語学力が試されるのだが、あいにく私は相変わらず喋れない。しかし、状況が状況だけに(交差点で大きな車が故障し、ラインを塞いでいる)言葉的な火事場のくそ力で何とかなった。こうして語学力が鍛えられていくのだなあ。その後、警察も来て事情を話し、何か楽しい雰囲気だった。たぶんこういう話しは笑い話なのだろう。1時間近く待って、結局レッカーだけが来て、明日から修理してもらうリペアショップに運んでもらったが、そこがどこなのか全く見当がつかない。恐ろしい状況である。一体だれがどのように進めてくれているのか・・・。
結局、その日はホテルで1泊し明日からの手配をした。帰国の航空チケットも予約ができた。


8月29日 月曜日 シルベニアへ滞在

朝からラッキー号が心配だった。午後一番で何とかタクシーに乗り、リペアショップへ。直っていた。本当に良かった。でも逸物の不安はあった。なぜなら今までUSAで完璧に直った経験がないからだ。案の定、さっそく走らせるとバックファーヤーっぽい音がして直っていない感じだ。しかし、完全にエンジンがかからなかった昨日に比べればまあいいかってとこだ。
以前、入ったことのある日本食料理屋さんへ入って、スシとカツ重を食べた。スシはたいへん美味しかったが、カツ丼のカツが細切りになっていて少し残念だった。久しぶりのみそ汁も美味しかった。


USA日記 ハドソンビル編 3

2005年08月31日 | 生活一般
8月24日 水曜日 ハドソンビルフェア3日目

朝からチェンソーのメンテに追われ、気が付くとショーのスタート時間。何もできない。メンテ時間を入れると1日13時間労働になってしまう。疲れるハズだ。いつも妻栄子がそばにいてくれて雑用を済ませていてくれることがいかに重要か再認識する。それにしても他のマスターカーバーはどうやっているのだろうか。自分のようにあくせくとやっているのだろうか。
今日は1本だけあったバスウッドというやわらかい木を使用した。

8月25日 木曜日 ハドソンビルフェア4日目

ショーが終わって、さあシャワータイム。何と今度は水が出ない。熱い熱湯しか出ないのだ。
仕方なく少しづつ手にとって洗うがなかなかうまくいかない。こういう苦労は日本ではできないなあ。

8月26日 金曜日 ハドソンビルフェア5日目

だんだん疲労が蓄積してきている。今日は暑くて無理がきかない。でも、最後にオークションの最終値段を見てホッとした。ほぼいただいたギャラ分はお返しできそうだ。しかしハードだ。 

8月27日 土曜日 ハドソンビルフェア6日目最終日

いよいよ最終日。最後のショーで彫った3つの頭はブライアン師のデザインを真似させていただいたものだが、大反響だった。ナイトショーで1時間30分もかかってしまったにもかかわらず多くのお客さんが最後まで見届け、その後のオークションですぐに買い手が付き高値で売れてくれた。今回のショーは全体的に作品が大きく、良き挑戦となった。

USA日記 ハドソンビル編 2

2005年08月30日 | 生活一般
8月22日 月曜日 ハドソンビルフェア初日

午前中、まず床屋へ行く。それからスーパーマーケットで買い物をしてカレーを煮る。KG特性スペシャルだ。何年ぶりか・・・。牛肉、エビ、マッシュルームなどふんだんに使って日本から栄子が持ってきてくれてあったジャワカレー中辛でつくる。これが今日からのエネルギー源だ。カービングショーではよくカレーを食べる。色々な野菜がいっぺんに食べられるからだ。しかし・・・、牛の挽肉を入れてキーマカレー風にと思い買ったものは挽肉ではなく挽肉風の刻みが入った一枚肉だった。エビはカチカチに氷っていて、すぐには使えない。何か、これがアメリカって感じ。
ショーが始まり、さっそく気合いを入れて・・・。ホワイトパインのハズなのに硬い・・・。
そう、もの凄く乾いていてたいへん古く太い木。まるでホワイトオークのようだ。調子狂いまくり。後でわかったのだが、どうやらスプルスだったようだ。

8月23日 火曜日 ハドソンビルフェア2日目

あまりにも昨日は切れなかったので、もう一度チェンソーの刃を点検するが異常は特にない。
そう、木が硬いのだ。こればかりはどうしようもない。おまけに幹の部分に乾いて固まった泥がヤニと混ざってまるでコンクリートのようになっている。悲惨だ。昼飯を食う暇なくショーに挑み、3回目のショーがはじまった時、いままで体験したことのないめまいに襲われた。
歯を食いしばってのりきり、無理矢理飯を食う。持っていた玄米おにぎりのパックを電子レンジで温め、それと龍神村の無農薬梅の龍神梅。・・・・生き返った。4回目のショーはガンガン行けた。単に腹ぺこでエネルギー切れだけであったようだが、あのままやっていたら確実に倒れていた。最後の4つ目に作った馬の全身が移動中落として足が2カ所折れてしまった。たいへん残念だ。

USA日記1 ハドソンビル編

2005年08月30日 | 生活一般
栄子の代わりに日記を書いておいたので少しづつUPします。
まずは・・・・

8月19日 金曜日 ハドソンビルへの移動日

朝カントリーインホテルを後にして、ハドソンビルへ入る前にコインランドリーを探す。
昨年、コインランドリーが無くて苦労した覚えがあったので、今年は多めの着替えも用意した。とりあえず現在たまっている数日間分の洗濯をしないといけない。と思っていたらすでにハドソンビルの町に着いてしまった。やはり無いのだ・・・。昨年親切な方に教えてもらった隣町の場所へ行ってみた。そこには電気屋さんがあって洗濯機を売っていた。無い。無いのだ・・・。
もっと大きな町にいけばあるだろうと思い西へ15マイルほど走った。少し町は出てきたがやはり見つからない。と、その時、AAAの事務所を発見。さっそくそこへ飛び入ってJAFの会員証を見せ、なかなか通じない英語でランドリーの場所を聞いた。そこのお姉さんが親切に教えてくれた。やっとこれで洗濯ができると思い、勇んで行ったら、そこにはクリーニング屋さんが・・・。一瞬、途方に暮れた。しかし、絶対「コインランドリー」と正確に伝わったはずだ。よーく地図と照らし合わせたら、道路を一本間違えていた。教えてもらった地図どおりにもう一度トライ。あった!あった!やっと洗濯だ!偶然にも間違えた道の同じような場所にクリーニング店が2店もあったので勘違いしたのだ。
 洗濯中、暇なので栄子(妻)とよくそうしたように散歩してみた。今になって切実に思う。今まで妻栄子と二人で何度もアメリカに来て、何気なく過ごしていたが、今はたった独り。
昔、高校を卒業した時、鹿児島市に独り暮らしをしたが、その時でも同じ日本だし、言葉も通じる。しかし、ここはUSA、地球の反対側。言葉もろくに話せない。フェアで昨年会った人はいるが本当に頼れる人は一人もいない。ブライアン師家族は現在同じようにフェアまわりで連絡すらとれない。実感する・・・本当に独りなのだ。そう思った瞬間に今までの甘さが一気に押し寄せてくる。(いかに今まで妻に頼っていたかがよくわかった)淋しいような、怖いような、それでいてワクワクするような・・・。
人はこんな思いをしたくて旅に憧れるのかもしれない。しかし、単なる旅ではなく、仕事なのだ。責任を背負っている。気ままな旅ではないのだ。
 洗濯を終え、ハドソンビル・フェアグランドへ。エントランスに昨年彫ったTレックスが飾られていた。何だかやっとホッとした。自分の知り合いが立っているようだった。
いざ、会場に入るとチェンソーアーティストとしての意識が帰ってくる。さあ、仕事だ。

会場でまずラッキー号(マイ・モーターホーム)を定位置に置き、電気や水道をセットする。
やはり水道は大漏れで使用不可能であった。電気があるだけでも快適だ。エアコンもきくし、音楽も聴けて、こうして日記も打てる。モーターホームのシャワーが使えないので会場のシャワーをいただきにいったが、水が出ない・・・。

8月20日 土曜日 ハドソンビル会場準備

朝から雨が降っている。今日はまず、床屋さんに行こうと思い歩いていく。昨年親切にしてくれた床屋さんがあるので、そこへ行ったが、何と4~5人待っていた。あきらめてとぼとぼと帰って来て、テント設営やチェンソーの刃の研磨をしたり、エンジンの調子をみたり。
夕方、シャワーを浴びに行くがやはり水が出ない。主催者のおばさんに相談したら別のシャワーを教えてくれた。そこは今度はお湯が出ない・・・。すごく冷たい水だけあびて身体をふく。何だかつらい・・・。月が赤くてまん丸で美しい。

8月21日 日曜日 休日

朝から快晴。風は強い。このあたりはもともと風が強い地域のようだ。
航空チケットの予約をとらなくてはならないので今日はホテルに入ってハイスピードインターネットで作業をしようと、ラップトップコンピュータ(ノートパソコン)を鞄に入れて徒歩でインター側のホテルまで移動した。しかし・・・、このホテルにはハイスピードインターネットは導入されていなかった。あきらめて片道40分の道のりを引き返した。
気を取り直して事務作業。たまっていた写真を購入したキャノンのプリンターで印刷したり、デザインの資料を整理したりした。あっという間に1日が過ぎた。
 そうそう、やっとシャワーが正常に動き始めた。お湯の出るシャワーってなんていいんだろう。


近況報告!・・・ついに

2005年08月29日 | 生活一般
ハドソンビルフェアが終わって帰路、ミシガン州からオハイオ州に入ったところにあるウインゲートインホテルにチェックインして事務作業を・・・。と思い、そのホテルの目の前の交差点でエンジンがストップ・・・・。全くかからない・・・。
ついにレッカー移動となって今日はホテルで事務作業。いつ戻れることやら・・・。
今からHPの更新やらメール返信やら、会計やら・・・。頑張るぞ。