田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

寺町界隈を歩く

2019年02月05日 | 日々の出来事

 久留米市の旧城下の東端に寺町があります。藩祖、有馬豊氏が久留米に入城した時に建設が始められました。当初は25ヶ寺ありましたが、現在では17寺が残っています。いざという時に兵站の役割を果たす城下の防衛線の意味合いがありました。

 寺町通の両側に寺院が並んでいます。この道は江戸時代には筑前の国に通じており、少し先には博多道という地名が残っています。

 寺町にある寺院には城下町に住む人が葬られました。そのため各寺院の主だった墓碑銘を見ていくと、藩政以降の歴史や文化を偲ぶことが出来ます。

 この寺は浄土真宗真教寺。藩校の教官や剣士等の墓があります。

  浄土真宗誓行寺の前庭。寺町の寺院は寺域が広くないので、庭園があるお寺は少ないです。

  誓行寺には大きな赤松がありました。

  近年になって建て直された本堂には現代風のものもあります。 

 浄土宗善福寺。洋画家古賀春江はこの寺の長男として生まれました。

 曹洞宗千栄寺。本堂はキリスト教会風のモダンな建物です。内部にはステンドグラスがあり、木製のベンチが並んでいます。この本堂はブリヂストンの創業者石橋正二郎氏の寄進によるもので、彼らしい西洋趣味と合理性を感じます。石橋家の菩提寺です。

 臨済宗徳雲寺。久留米絣の創始者井上伝が眠っています。明治2年、廃藩置県前の政変で旧公武合体派9名がこの寺の本堂前で屠腹させられ、郷土の貴重な人材を失いました。

  徳雲寺本堂前に咲いていた椿。

  真言宗遍照院。

 遍照院にある高山彦九郎の墓。終焉の地が近くにあります。高山は寛政の三奇人の一人といわれる勤王家で、京都の京阪三条駅前に御所遥拝像があります。遍照院には、明治4年の久留米藩難事件の際に殺された長州藩士大楽源太郎達の墓があります。

  遍照院にある日本庭園。昭和35年、当時の月星化成の寄付によるものです。

 寺町の南に隣接する鉄砲小路です。江戸時代は御先手組の屋敷地で、弓や銃を扱う下級武士の長屋が並んでいました。碁盤の目に区画されており、今は普通の住宅街になっています。 

 

 久留米の人は歴史的な景観や町並みを大切にしてきませんでしたが、寺町界隈にはわずかに昔の面影が残っています。

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 冬の菱野三連水車 | トップ | 祐徳稲荷の初午祭と面浮立 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
洋画家古賀春江 (tango)
2019-02-05 07:12:32
そうなんですか?
古い街並みを見せていただきました
久留米は文化財のまちだとおもいます
昨日、星野村の方が新しいトンネルのことを言われていました
九州様から聞いていましたのでうれしくなりました
星野村のお茶をとりあえず購入して八女や耳納連山に
思いを寄せています
来週には小さな旅にでます!伊根の舟屋・・・
宇土には24日に行く予定です
返信する
おはようございます (九州より)
2019-02-05 07:55:35
星野茶は有名です。
いつか私も山越えの道を通ってみます。
伊根の舟屋は写真でしか見たことがありません。
寅さん映画の舞台にもなっていました。
旅はいいですね。
返信する

コメントを投稿

日々の出来事」カテゴリの最新記事