田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

ギターを弾いていた頃

2024年09月11日 | 遠い日の記憶
 この盆に東京の長男家族が帰省して来た時、小学生の孫娘が2階の物置からギターを抱えてきた。長年、ハードケースに仕舞いこんでいたクラシックギターである。  私の世代は「禁じられた遊び」を弾きたくてギターを始めた人が多い。中学校の音楽の授業中に先生がこの映画の鑑賞を勧めたことがある。映画館で上映されていたのだろう。まだうぶだった私は題名を聞いてどっきりした。テレビでこの映画を観たのはずいぶん後である . . . 本文を読む
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藍染展を観て捺染のバイトを思い出す

2024年08月31日 | 遠い日の記憶
 市の美術館で藍染め展が開催されている。会場では絞染や型染など藍染の技法と作品が紹介されていた。また機械染めで用いる、透かし彫りの金属製の筒も展示されていた。その金属の筒を見て、学生時代に捺染工場でアルバイトした時のことを思い出した。  季節は冬だった。場所は油小路五条下るの捺染工場だと憶えている。工場といっても、民家や事業所が建ち並ぶ市中の京町家だった。玄関の引き戸を開けると、すぐ右手に畳敷き . . . 本文を読む
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小料理屋で懐かしき人々と再会(下)

2024年08月13日 | 遠い日の記憶
 I記者が赴任の挨拶に来た時は印象的だった。やや強面の人物がのっそりと入って来て、ぶっきらぼうな物言いである。だが話してみたら好人物だった。女性職員がどこの業界の人かと緊張したと笑っていた。  二次会で飲み屋街を歩いていたら、外車がクラクションを鳴らして追い越して行った。ある記者がうるさいと怒鳴って飲食ビルのバーに入った。少しして背広姿の二人組がいまのはどいつだと階段を駆け上がってきた。バーのマ . . . 本文を読む
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小料理屋で懐かしき人々と再会(上)

2024年08月11日 | 遠い日の記憶
 半年前に、行きつけだった小料理屋が店じまいをした。ママさんの高齢が理由で、前年の暮れに地元ネタとして新聞に記事が出た。だいぶご無沙汰しているので迷ったが、昔の同僚から誘いがあり、チョコレートを手土産に出かけることにした。  1月の暖かい雨の日だった。店が飲食ビルに移転し大きくなってから、訪れるのは二度目である。考えることはみな同じで、職場の後輩だった女性も夫婦で来ていた。誘ってくれた同僚らと昔 . . . 本文を読む
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京都ラーメンと屋台伝説

2024年07月07日 | 遠い日の記憶
 少し前、いつも行くショッピングモールにラーメン店が出店した。レストラン街ではなく、フードコートの小さな店舗である。流行りのチェーン店だが、北白川に本店があるというので久し振りに京都ラーメンを食してみた。  最後に京都でラーメンを食べたのは二十数年前になる。彦根に出張した帰り、京都駅で名店と言われる店に入ったが、普通の醤油ラーメンで期待外れだった。私が京都ラーメンとして味を覚えているのは、む . . . 本文を読む
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「ちょっと昔の、くらしと道具」展から

2024年06月26日 | 遠い日の記憶
 だいぶ前のことになります。六ツ門図書館で「ちょっと昔の、くらしと道具」展が開催されていました。展示品を見ると、「ちょっと昔」とは私が子どもだった時代のようです。社会科見学に来ていた小学生に文化財担当の職員が説明していましたが、実際に使っていた私が話した方が現実感があるような気がしました。少しだけ紹介します。  このコーナーは常設です。昭和30年代の家庭といったところ。麻の蚊帳があります。蚊 . . . 本文を読む
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北国から届いた贈り物

2024年04月23日 | 遠い日の記憶
 数日前のテレビで弘前公園の桜が紹介されていた。弘前城を中心とする広大な公園で、2,600本の桜で埋め尽くされる、東北でも有数の花見の名所である。その中継映像を見ていて、昔この城を訪れた当時の出来事を思い出した。  50年前の話である。秋の半ばに仕事で弘前市に出張した。その頃ある企画を進行中で、上司から弘前を見て来いと言われたのである。その日は午後遅くに用件が終わったあと、相手方の課長から弘前城 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(終)

2024年01月30日 | 遠い日の記憶
 10月11日(木) 上海から帰国  朝食前にホテル近くの人民公園を散歩した。早出らしい通勤者も歩いているが、多くは私と同じ朝の散策である。健康体操の太極拳グループもいた。この公園で青年から声を掛けられ、切紙細工の似顔絵をもらった。このエピソードは以前投稿したことがある。こちらをクリックして下さい。  9時、豫園に行く。明代の庭園である。中国の伝統的な建物のほかは、ごつごつした岩で壁を作っ . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(7)

2024年01月25日 | 遠い日の記憶
 10月10日(水) 杭州市内  まだ冷気が残る朝の6時過ぎ、朝食前にホテルの近くを散策した。出張した時のいつもの習慣である。中国の朝は早く、街は活気に満ちていた。食べ物の店はもう営業していて人通りが多い。朝食の惣菜を買いに来たのだろうか。  店の中は湯気が立ちこめ、客が歩道に置かれたテーブルで食事をしていた。これと同じ風景を台湾で見たことがある。政治体制は異なっていても食文化は同じだ。 . . . 本文を読む
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33年前の中国訪問記(6)

2024年01月21日 | 遠い日の記憶
 10月9日(火) 杭州まで300キロ  今日は浙江省の杭州市まで移動する。一行のうち、若い二人は合肥へ引き返す。研修生として一週間、安徽大学で中国の地方行政や福祉などについて学ぶ。当時、合肥市からも久留米の企業で研修生を受け入れていた。いま流行りの技能実習生ではない。  朝早く山荘を出発したが、部屋にジャケットを置き忘れた人がいて途中、引き返す。公式行事も終わり、そろそろ気が緩むころである。 . . . 本文を読む
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