大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

結果報告 ―第1回新宿辺りで坂本くんと夕方飯でも食う会 20140720

2014-08-11 22:16:17 | 日記

結局二人のみの会食となった。江戸川区でお仕事を終えた坂本君と18:30に新宿西口改札で待ち合わせると、休日で目ぼしい店の開いていないこの界隈(数軒予約を試みたが)、てっとり早く通りすがりの月の雫なるお店に入る。

たがいに近況を話し合うが、私は彼のお仕事に興味があったので、それを聞いてみた。

とりわけ彼が赴任した南三陸町の状況である。この町は周知のように2011年の津波で壊滅的な被害を受けた地である。そして彼の勤める戸倉小学校は先人の教えの御蔭で多くの命が救われた学校である。

まず学校についてであるが、校舎が全壊したため他校に間借りしていた状態から、校舎の新築が決まり独立した運営が可能になった。しかし、通学する子供たちの家庭自体が仮設住居や避難生活を続けているうえ、以前と同じ場所に居を構えられかどうか分からない。そうなると学校運営の計画自体が定まらないといった状況なのだそうである。

災害復興住宅の建設も緒に就いたばかり、というより、新しい町作りの計画案自体がまとまっていないといった状態であるのだから、小学校の経営の先行きが定まらないのも当然である。地理的経済的などあらゆる要因からなる格差の問題もあって、住民が一体となることもなかなか簡単ではないだろう。

ボランティアの需要の有無を問うと、たとえば仮設住居の入居者の掃除やゴミ出し等々簡単な生活上のお手伝いなど、まだまだあるのだが、どこまでボランティアに頼るのか、もっと自立すべきではないかとの声もあって、依頼を躊躇する意識も働くという。そういう需要には、実際の作業以外に精神面の作用があって、それは副次的にみえるが実際には本質的であり、被災者への物心両面でのサポートになるものだと思う。そう考えて積極的にボランティアを依頼する「勇気」を持ってほしいと思うし、ボランティアの人には「細」くてもいいので「長い」つながりを保つことをおすすめしたい。「長い」つながりこそが人の心の支えになると思うからだ。

被災地復興にはいろいろな格差やそこからくる軋轢が生じる。作ることや壊すことは簡単だがデザインが定まらなければ先に進まない。そのためにそういったものも乗り越えなければならないのが復興の困難なところだ。

震災と言えば彼はあの日ニュージランドへの出張途中、成田エクプレス車内で被災し、津田沼だか船橋から東京方面へ歩いて避難した超帰宅難民だったが、聞くとふだんであれば職場が鋳銭場にあり、あの地震であれば当然立町・中央あたりを通って当時の勤務先である教育委員会(石巻公民館)へと向かっていただろうから、津波に遭っていた可能性は結構高く、何が幸いするか分からないとのことだった。

子どもを教えるという点では共通項のある私の仕事に関係することも少し話した。教育格差やその固定化、PISA、受験、入試問題。子どもに基礎から積みあげて物事を教え生活指導もする学校教育と私の携わる仕事はある意味異業種だが、公教育の教師は負担が過重だし、日本の教育は最強のインフラだと考えているので、政府は富裕層に有利な教育政策にばかり力を入れず、もっと公教育のマンパワーにお金をかけてほしいな、などと思うわけである。

どれだけ飲んでも酔わないビールを飲み続け(この種の店のこの手のビールはこの点で嫌いではない、因みにこの日は飲み放題コース)、料理もしこたま食べ、食事も話も十分というところで10時近くとなり、高速バス乗り場へと向かう坂本くんと川開きで時間があったら会おうと約し見送りながら、私も家路に就いたのだった。

第1回新宿辺りで坂本くんと夕方飯でも食う会 20140720

Michael Jackson, Justin Timberlake - Love Never Felt So Good

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