午前5時40分。この日は石巻グランドホテル・スイートでの目覚め。シャワーを浴び向かいのコンビニでヨーグルトドリンクとトマトジュースを購入、そのまま住吉公園方向へ。
住吉公園にある神社は大嶋神社という。その歴史については次のブログにある。
2015年3月 1日 (日) 大嶋神社 石巻市住吉町 【歴史探訪 陸奥国 ・諸国 延喜式内社】
昔展望台のあった山は住吉山(愛宕山)というらしい。
内海橋方面へ。
工事が中断中の新内海橋。
2014.07.01 石巻・新内海橋が近く着工 工期17年度末まで 中瀬へアクセス橋も (石巻かほく メディア 猫の目)
2017.03.28 生まれ変わる内海橋(7・完) 復興のシンボル 中心街発展に期待 (石巻かほく メディア 猫の目)
いしのまき元気市場。祭り翌朝の清掃ボランティアの学生さんたち、ご苦労様です。
元気市場より門脇方面を望む 向かって右側に立体駐車場と観光バスの駐車場ができるらしい(キクちゃん談)
広小路から望む北上川岸
石巻市HPによると、このあたりは水辺のプロムナ-ドとして整備されるらしい。
いずれも各種リサーチの結果(行きたいお店がないこと、自家用車による移動が多いこと、駐車場がない(あっても有料)こと、トイレがないこと、等々)をふまえた案のようだ。
→◆くらしの拠点整備- 観光交流施設の整備【かわまち交流拠点整備事業:PDF】
→◆添付資料 3:公共施設・商業施設・駐車場等整備計画図 (これはHPのどこから引用したか確認できていません。)
→◆くらしの拠点整備- 公園整備事業【仮称:南浜シンボル公園など:PDF】
上記二つをはじめとした復興事業スケジュールは石巻市HPの下記より閲覧できます。
→トップページ > 復興情報 > 復興の進捗状況・主な取組み等 > 石巻市の主な復興事業のスケジュール
門脇地区は中瀬周辺に比べると堤防の整備は進んでいないように見える。これからどうなるのか。
ちなみに、以前の姿と比べてみる。下は震災時(2011年4月2日)撮影である。
こちらは震災前(2010年12月31日)撮影。
再び2017年8月2日に戻ります。
南浜町に出る。こちらも震災直後(2011年4月2日)と比べてみる。
現在は道路の整備が進み、マンションや一般の住宅も見られるように。
これは西光寺。
称法寺は工事が開始されたようすが見える。
囲いがあったので詳しく見ることはできなかったが、工事看板を拡大してみると事業期間「自 平成29年3月1日 至 平成30年3月31日」とあるので来年3月までの工期となる。
また称法寺の歴史についてはラジオ石巻で放送がありその概要が下記Facebookに記されています。
【永遠の南浜、門脇 2014年11月25日 Facebook】第30回放送「称法寺の話」<解説:矢口清志><№384~№402><資料21> 放送日:H26.11.26 (水)
雲雀野海岸方面には盛り土らしきものが見られます。
一部保存が決定した門脇小学校。
<震災遺構>旧門脇小校舎 3階まで部分保存へ(河北新報 ON LINE NEWS)
私は震災の事実を伝えるために遺構としての保存に賛成ですが、反対の方の意見にも傾聴に値するものがあるので下記にあげておきます。
→旧門脇小学校の整備方針に関する説明会(Tr,平居の月曜プリント 2017-05-13)
→旧門脇小学校保存に関する公聴会(Tr,平居の月曜プリント 2016-02-13)
→門脇小学校の今後について・・・その3(Tr,平居の月曜プリント 2012-07-27)
日和山に登る。
現在フラワー・アクティビストとして活動されている元俳優の志穂美悦子さんが立ち上げた「ひまわりプロジェクト2017」。こちらの石段周りにひまわりを植え、花を献花・奉納するとのこと。
このあたりからよく晴れてきた。
こういう紫陽花も味があっていい。
こういう坂も石巻でならでは。
昨年まであった神社がなくなっていました。
( ↓ 昨年8月2日撮影)
建物が増えてきた中央1-2丁目。
広小路の交差点。
寿通り。
石巻で食べる家系ラーメンやいかに。私は三軒茶屋の「佐とう」は好きです。
アイトピア。
石巻社会福祉協議会(旧七十七石巻銀行)ビルは再開発事業に伴い解体され共同テナントビルに生まれ変わる。現在その工事のためロボコンか何かのマンガオブジェはどこかに移設中。
こちらはご健在。
こんなところにクレープ屋さん。
一旦グランドホテルに戻る。
実家の蛍光灯の蛍光管は前日購入したが調べてみると点灯管も切れていたので、購入のため再びホーマックへ。その帰りに水押踏切と駅のそばの石巻市立病院を通りました。
この角度から見る石巻駅はちょっと新鮮。
昨年より感じ始めていたが、町の風景が大きく変わりつつある。震災の爪跡が徐々に姿を消し、新しい人の手が入る。
復興計画は当初の予定より遅れ気味のようだが、進んでいることはたしかだ。
中央2丁目の川沿い、丸光跡地から寿酒店跡地にかけては、立体駐車場、バス・ロータリー、観光バス駐車場が整備される。元気市場とマンガ館だけでなく、周辺スポットとの関連付けもなされる。市街再開発は観光客のみならず地元住民のニーズにもこたえることによって、観光・商業のみならず人々の交流の拠点になることを目指している。
こういう計画の是非や成否は専門家ではないので何とも言えないが、震災伝承のテーマは外さないでほしい。そして市民の顔が見える場所にしてほしいと思う。芭蕉を冷遇したこの町特有の頑固な無愛想さを含めて。(私はこれが嫌いではないし、いっそのこと石巻の「売り」として全面に打ち出してもいいのではないかと思っている。今は石巻も広域化しているので全域にはあてはまらないけれども。)
これが現時点での個人的な感想だ。
この後いったんホテルに戻り、大きな荷物を宅急便で自宅に送り、11時にチェックアウト。キクちゃんとともにタクシーで大文字屋に戻り、蛍光灯の復旧完了。身軽になった状態で大文字屋を後に石巻駅へと向かったのである。
20170802 石巻川開き祭り帰省 写真04 2017年8月2日朝の石巻(1/3) 変わりゆく水辺の風景ー千石町~住吉~門脇
20170802 石巻川開き祭り帰省 写真04 2017年8月2日朝の石巻(2/3) 門脇~南浜~日和山
20170802 石巻川開き祭り帰省 写真04 2017年8月2日朝の石巻(3/3) 社会福祉協議会ビルは…
◆ ◆ ◆ ◆
付記1
今回の帰省でご近所の方が亡くなったとキクちゃんから聞いた。具体的にはここに書かない。そのかわり次のことを記しておく。
8月13日晩に鰐陵同窓の坂本くんより電話をもらった。石巻グランドホテルでの石巻高校同窓会に出席後の二次会中だったらしい。われわれの代は参加率が悪いのだそうだ(苦笑。
途中須田くんに替わり金森光太郎くんが亡くなったと聞いた。2,3年前だという。
金森くんとは石中の同級生で、同じ石中同窓の吉田くん(チヨ)のお店で偶然遭遇し痛飲した。もう7年前になる。
→『豆千代』へ行く 帰省2010.08.15.-18. 3/4
家業を再建するのに金融機関で「融資してくれなければここで死ぬ」と言って座り込んだと言っていた。
野球を通じて若い人たちを導く仕事に力を尽くしたとも聞く。
石中の球技大会のバレーボールで熊とのセッター・アタッカーコンビで活躍した。
また一緒に飲めるといいと思っていた。
しかしあの時会えて話すことができて本当によかったとも思う。
早過ぎる死?
しかし、こう言ってやりたい。
「おまえ、やるじゃない」
フッ、と、あいつはらしく笑うだろう。
石中の文化祭ではバンドを組んでビートルズを演奏。私も見たはずだがどんな選曲だったかは覚えていない。おそらくこんなところではないかな。
The Beatles - All my Loving
…RIP
想いもひとしおのことと思います。
私もショックでした。
彼は人生を物凄いスピードで駆け抜けたのかもしれません。