・はじめに
昨年12月15日、正式に東京都で可決された
漫画・アニメへの規制条例について
そろそろ自分なりに思うことをまとめ、書いてみようと思う。
ツイッターで時々、呟きながら違和感を感じていた。
他の方の呟きを見ながら、モヤモヤしたものを抱えていた。
・2010年12月15日
今回の規制は昨年6月に否決され、
その後81回にも及ぶPTA等へのロビー活動を経て
12月に電撃戦的に再提出され可決された。
それについては、
他のまとめサイトがあるので詳しく触れるつもりはない。
これは漫画・アニメに限った話のように見えるがそうではない。
というと「表現の自由を侵害している」と言いだすのだろう? と思われるかもしれないが、
それも他の方がさんざん主張しておられる。今回はそこを強調したいわけではない。
もちろん表現の自由、思想の自由についての侵害については
自分も同意であることをここに記しておく。
・マイノリティ
もっと単純な話で、マイノリティ(少数派)に回った時
あなたはどうやって自分の身を守るか? という話なのだ。
世間が言う「普通」とは多数派のことである。
そして何においても「普通」な人間など居ない。
ただ、他人に対しそう演出しているに過ぎない。処世術だ。それはいい。
なぜ多数派のフリをするのか。
マイノリティは、ただそうだというだけで出る杭であり、
かっこうの叩き易い存在だ。誰しも叩かれたくはない。
だから擬態する。
この心理が、個人ではなく集団に対しても働いているのではないかと
私は最近、考えている。
確かなものがない時代。
先行きが不明で、明るいニュースは少ない。
出来るだけ多数派に寄り添いたいと思うのは当然と言えるだろう。
PTA等への、極端な例を見せてイメージを植えつけるロビー活動は
条例を可決へと結びつけた。
親にとって、特にPTA活動などする人にとって大切なのは
データなどではなくイメージだ。
「ただ子供に悪影響を及ぼしそうだ」と思わせれば、それで良かったのだろう。
多数派になりたがっている者へ、橋渡しをすれば良いのだから難しくはない。
・これから
ともあれ条例は可決してしまった。
後は「どうやって廃案にするか」もしくは無効化・形骸化させるかが焦点になってくる。
とある知り合いが「感情論をいくら積み重ねても前に進めない」と書いていた。
まさにその通りだと思う。
今回の条例に納得がいかない、悲しい、怒っている、
そんな風に感じている人に支持を得られるかもしれないが、それだけでしかない。
その後が続かないのだ。
・逆効果
結果を得る為の活動において、
逆効果ではないかと思う部分が幾つかある。
そのうちの一つが、
規制を推進している人そのもの、もしくは人格を否定する事だ。
・影響
過去に作ったものによって与えた影響は消えない
石原都知事が過去に書いたものによって
色んな影響を受けた人が居るのは事実だ。
人間が過去に起きた出来事を変えられないように
今更それを「間違っていた」と否定したところで、
与えた影響を消すことも出来るわけがない。
そして石原さんをはじめ、
規制派に回っている人達が過去に行ってきた功績もまた否定できない。
「わたし、あの人は嫌い」と言ったところで、
嫌われている側の人の功績や栄誉が消えるわけではない。
日本の大手マスメディアは、不祥事や事件が起きると
ことさらにそればかり取り上げ、
消費者が食傷気味になっても、その報道を続ける。
しかし事件を起こす前に、その人や会社が
社会に貢献していたのも事実ではなかろうか。
マスコミの報道によるイメージの植え付けは圧倒的だ。
100ある真面目な職員の懸命な努力も、
1の不祥事をピックアップして取り上げるだけで、
一気にひっくりかえってしまう。
誰でも出来る(と勤務している本人が思う)ような事を、
当たり前のように続けていく。
それは決して、当たり前ではない。
この世に当たり前なんてものはない。
どのような理由であれ、働く姿は美しく、行為は尊い。
社会は「就職し、何も不祥事を起こさず、結婚し子を育み、定年退職する」
そんなとてつもなくハードルの高いものを当たり前だと規定してはいないだろうか。
センセーショナルであるという理由だけで
事件の凄惨な部分だけをオブラートに包んだ活字で報道し、
週刊誌はことさらに「これが真実だ」と書き立てる。
いわゆる社会が言う「当たり前に行っている」
滞りなく起こっていることを人は褒めはしない。
石原さんが都知事に就任し、
それによって守られてきたものも多くあるはずなのだ。
何が言いたいのか。
私は条例には反対である。
だがしかし、
石原さん本人を初めとする規制推進派の人格・人そのものを否定することは
特に今までの都運営で恩恵を受けてきた人から、嫌悪感を持たれるだろう。
もし現在の都議会の運営を良く思っていない人でも、
他人をこきおろしている姿を見るのは、決して気持ち良くないはずだ。
昨年末、とある都議員が陳情書を送ってきたとある漫画家のそれを
なかば晒すようにして発言した件を、覚えておいでだろうか。
個人的に怒りも覚えたし、モラルのなさに呆れもした。
何より漫画家を卑下したその価値観に、失望した。
自らが上流階級であると言わんばかりのその行動を、私は忘れない。
さて皆さんは、陳情書を送った漫画家をご存知だっただろうか。
これは推測だが、名前や作品を知らない方も大勢居たのではないかと考えている。
だが憤りを覚え、都議員に物申した。
つまりつるし上げにされた漫画家そのものに思い入れがあったから、
あのような炎上になったのではない。
それは個人をこきおろす、そのようなやり方に反発を感じたからではないだろうか。
ゆえに、個人を否定するやり方では
条例の可決に納得がいかない者の気分は一時的に晴れても
中立的な人、また結果を得る為に力を貸してくれるかもしれない人からも
そっぽを向かれてしまう可能性が出てくる。
それは上手くないやり方だ。
忘れてはいけない。我々はマイノリティなのだ。
少数派がいくら結束しても、結果を得るのは難しいだろう。
ならば多数派を味方につける以外はない。
何も意見を変えさせる必要はなく、結果を得る為に話を持って行けば良いのだ。
・具体的に
では具体的にどうすれば良いのか。
まず、条例の存在そのものを知らない人が殆どだ。
その問題点を説き、反対してくれるよう働きかけるべきなのか。
これは最低限、必要だ。
だが、これだけでは不十分だと私は考える。
特に日本では「波風をたてないことを良しとする」ことが多い。
声高々に「私の主張はこうだ」と言う者に対し、
真っ向から反対して議論する・同調するという姿勢を見せず
出来るだけどこの味方にもならぬよう居ようとする。
特に戦後の日本は、
どこか宗教や政治がらみについて語ることをタブー視するきらいがある。
おそらくは学生運動後、
政府に対し何も影響を与えられなかった事に対する反動だろう。
ともかく、我々の耳に主張を傾けてくれても
同情を買うのが関の山で、行動までは促せない。
自発的な行動となると、尚更だろう。
・逆説的に
人間は、自分が理解できないものに対して不安や恐怖を覚えるものだ。
成人向けのオタクコンテンツは、マイノリティであり
かつ生理的な嫌悪の目を向けられやすい。
もっと分かりやすく書こうか。
「キモい」とNOを突き出され、一線を引かれ、溝を作られてしまう。
こんな状態で、溝の向こうの人へ「こっちの言い分を聞いて下さい」と言っても
そうそう耳を傾けてくれる人は居ないだろう。
PTA等へのロビー活動では、アダルト向けコンテンツを抜粋して
見せたそうだ。こんなものが販売されているんですよ……と。
そして「子供たちに悪影響を及ぼします」「犯罪に遭う子供たちが増えます」
そう言って条例可決へ行動を促したのは想像に難くない。
つまり、条例可決後は「性犯罪の件数」は低下しているはずだ。
そして子供たちへの悪影響は少なくなっているはずなのだ。
だがもし、増えたとしたらどうだろう?
未来を知ることは誰にも出来ない。
しかし他国のデータを、未来の日本を知る手掛かりにする事は出来る。
性犯罪の割合(人数・件数ではない)は、日本が圧倒的に少ない。
つまり成人向けコンテンツによる、
性犯罪の抑止の効果があると示せるのだ。
それにピンとこない、もしくは懐疑的な人にも
こう言えば分かるのではないだろうか。
バーチャル・2次元で性欲を発散させていた人が、
性欲のはけ口を失い現実に手を伸ばしたらどうなるか……?
臭いものには蓋をする。蓋をしたい。
ならば、させてやれば良い。
キモい見たくない、ならば封じ込めてやれば良い。
そうさせてやれば良いではないか。
毒をもって毒を制している……それが現状なのに
獣を解き放って得になどならない。
そう説けばどうだろう。
もちろん、個人的に成人向けコンテンツのユーザーを
毒と称するのは気が引けるし、純粋に悲しい。
何故なら自分の仕事は、
ユーザーがお金を出してくれているから成り立っているのだ。
感謝こそすれ、否定などしたくない。
だが極端な例を見せ付けて
81回も水面下でのロビー活動を行い条例可決へ持っていったのだ。
ひっくり返すには、これくらいの方便は必要ではなかろうか。
それがたとえ、本意ではなかろうとも……。
私がこの意見を書くにあたって「ひとりよがりになってはしないだろうか」と
心配し、限定的に一部の知人に見て貰った。
その際、頂いたコメントの一部をここに追記として載せておきたい。
「気負いすぎて個人が潰れちゃっちゃー規制以前の話だよ」
肩の力が入りすぎているな、と気付かされました。
「今回の件は現実的な落とし所を模索する人すらも
それに終始して理想論を語るだけだったのが問題だ」
他の業界がやっているように、
うまい立ち回りをすれば良いのだと、この方は具体的な方法を明示してくれました。
それは個人で出来るレベルではないのでここには載せませんが、
理想や理念だけでは権利は守れないという事を思い知らされました。
また、この方はこんなリンクも紹介してくれました。
相手あってのコミュニケーション。
しっかり伝えるには、相手を見なければということでしょう。
「タイガーマスクの件って、偶然なのかなあ。
もしかして、この条例に対する粋な抵抗なのかしら」
こんな風に思った方もいらっしゃいました。
この不況の世の中、ボランティアで漫画の良さを伝える。
それってロックだなと思いましたよ。
さて、それでは私は仕事に戻ることにします。
まずは自分のやれることから。
お客さんに安心して頂けるものづくりを、言葉ではなく行動で示さなくては……。
昨年12月15日、正式に東京都で可決された
漫画・アニメへの規制条例について
そろそろ自分なりに思うことをまとめ、書いてみようと思う。
ツイッターで時々、呟きながら違和感を感じていた。
他の方の呟きを見ながら、モヤモヤしたものを抱えていた。
・2010年12月15日
今回の規制は昨年6月に否決され、
その後81回にも及ぶPTA等へのロビー活動を経て
12月に電撃戦的に再提出され可決された。
それについては、
他のまとめサイトがあるので詳しく触れるつもりはない。
これは漫画・アニメに限った話のように見えるがそうではない。
というと「表現の自由を侵害している」と言いだすのだろう? と思われるかもしれないが、
それも他の方がさんざん主張しておられる。今回はそこを強調したいわけではない。
もちろん表現の自由、思想の自由についての侵害については
自分も同意であることをここに記しておく。
・マイノリティ
もっと単純な話で、マイノリティ(少数派)に回った時
あなたはどうやって自分の身を守るか? という話なのだ。
世間が言う「普通」とは多数派のことである。
そして何においても「普通」な人間など居ない。
ただ、他人に対しそう演出しているに過ぎない。処世術だ。それはいい。
なぜ多数派のフリをするのか。
マイノリティは、ただそうだというだけで出る杭であり、
かっこうの叩き易い存在だ。誰しも叩かれたくはない。
だから擬態する。
この心理が、個人ではなく集団に対しても働いているのではないかと
私は最近、考えている。
確かなものがない時代。
先行きが不明で、明るいニュースは少ない。
出来るだけ多数派に寄り添いたいと思うのは当然と言えるだろう。
PTA等への、極端な例を見せてイメージを植えつけるロビー活動は
条例を可決へと結びつけた。
親にとって、特にPTA活動などする人にとって大切なのは
データなどではなくイメージだ。
「ただ子供に悪影響を及ぼしそうだ」と思わせれば、それで良かったのだろう。
多数派になりたがっている者へ、橋渡しをすれば良いのだから難しくはない。
・これから
ともあれ条例は可決してしまった。
後は「どうやって廃案にするか」もしくは無効化・形骸化させるかが焦点になってくる。
とある知り合いが「感情論をいくら積み重ねても前に進めない」と書いていた。
まさにその通りだと思う。
今回の条例に納得がいかない、悲しい、怒っている、
そんな風に感じている人に支持を得られるかもしれないが、それだけでしかない。
その後が続かないのだ。
・逆効果
結果を得る為の活動において、
逆効果ではないかと思う部分が幾つかある。
そのうちの一つが、
規制を推進している人そのもの、もしくは人格を否定する事だ。
・影響
過去に作ったものによって与えた影響は消えない
石原都知事が過去に書いたものによって
色んな影響を受けた人が居るのは事実だ。
人間が過去に起きた出来事を変えられないように
今更それを「間違っていた」と否定したところで、
与えた影響を消すことも出来るわけがない。
そして石原さんをはじめ、
規制派に回っている人達が過去に行ってきた功績もまた否定できない。
「わたし、あの人は嫌い」と言ったところで、
嫌われている側の人の功績や栄誉が消えるわけではない。
日本の大手マスメディアは、不祥事や事件が起きると
ことさらにそればかり取り上げ、
消費者が食傷気味になっても、その報道を続ける。
しかし事件を起こす前に、その人や会社が
社会に貢献していたのも事実ではなかろうか。
マスコミの報道によるイメージの植え付けは圧倒的だ。
100ある真面目な職員の懸命な努力も、
1の不祥事をピックアップして取り上げるだけで、
一気にひっくりかえってしまう。
誰でも出来る(と勤務している本人が思う)ような事を、
当たり前のように続けていく。
それは決して、当たり前ではない。
この世に当たり前なんてものはない。
どのような理由であれ、働く姿は美しく、行為は尊い。
社会は「就職し、何も不祥事を起こさず、結婚し子を育み、定年退職する」
そんなとてつもなくハードルの高いものを当たり前だと規定してはいないだろうか。
センセーショナルであるという理由だけで
事件の凄惨な部分だけをオブラートに包んだ活字で報道し、
週刊誌はことさらに「これが真実だ」と書き立てる。
いわゆる社会が言う「当たり前に行っている」
滞りなく起こっていることを人は褒めはしない。
石原さんが都知事に就任し、
それによって守られてきたものも多くあるはずなのだ。
何が言いたいのか。
私は条例には反対である。
だがしかし、
石原さん本人を初めとする規制推進派の人格・人そのものを否定することは
特に今までの都運営で恩恵を受けてきた人から、嫌悪感を持たれるだろう。
もし現在の都議会の運営を良く思っていない人でも、
他人をこきおろしている姿を見るのは、決して気持ち良くないはずだ。
昨年末、とある都議員が陳情書を送ってきたとある漫画家のそれを
なかば晒すようにして発言した件を、覚えておいでだろうか。
個人的に怒りも覚えたし、モラルのなさに呆れもした。
何より漫画家を卑下したその価値観に、失望した。
自らが上流階級であると言わんばかりのその行動を、私は忘れない。
さて皆さんは、陳情書を送った漫画家をご存知だっただろうか。
これは推測だが、名前や作品を知らない方も大勢居たのではないかと考えている。
だが憤りを覚え、都議員に物申した。
つまりつるし上げにされた漫画家そのものに思い入れがあったから、
あのような炎上になったのではない。
それは個人をこきおろす、そのようなやり方に反発を感じたからではないだろうか。
ゆえに、個人を否定するやり方では
条例の可決に納得がいかない者の気分は一時的に晴れても
中立的な人、また結果を得る為に力を貸してくれるかもしれない人からも
そっぽを向かれてしまう可能性が出てくる。
それは上手くないやり方だ。
忘れてはいけない。我々はマイノリティなのだ。
少数派がいくら結束しても、結果を得るのは難しいだろう。
ならば多数派を味方につける以外はない。
何も意見を変えさせる必要はなく、結果を得る為に話を持って行けば良いのだ。
・具体的に
では具体的にどうすれば良いのか。
まず、条例の存在そのものを知らない人が殆どだ。
その問題点を説き、反対してくれるよう働きかけるべきなのか。
これは最低限、必要だ。
だが、これだけでは不十分だと私は考える。
特に日本では「波風をたてないことを良しとする」ことが多い。
声高々に「私の主張はこうだ」と言う者に対し、
真っ向から反対して議論する・同調するという姿勢を見せず
出来るだけどこの味方にもならぬよう居ようとする。
特に戦後の日本は、
どこか宗教や政治がらみについて語ることをタブー視するきらいがある。
おそらくは学生運動後、
政府に対し何も影響を与えられなかった事に対する反動だろう。
ともかく、我々の耳に主張を傾けてくれても
同情を買うのが関の山で、行動までは促せない。
自発的な行動となると、尚更だろう。
・逆説的に
人間は、自分が理解できないものに対して不安や恐怖を覚えるものだ。
成人向けのオタクコンテンツは、マイノリティであり
かつ生理的な嫌悪の目を向けられやすい。
もっと分かりやすく書こうか。
「キモい」とNOを突き出され、一線を引かれ、溝を作られてしまう。
こんな状態で、溝の向こうの人へ「こっちの言い分を聞いて下さい」と言っても
そうそう耳を傾けてくれる人は居ないだろう。
PTA等へのロビー活動では、アダルト向けコンテンツを抜粋して
見せたそうだ。こんなものが販売されているんですよ……と。
そして「子供たちに悪影響を及ぼします」「犯罪に遭う子供たちが増えます」
そう言って条例可決へ行動を促したのは想像に難くない。
つまり、条例可決後は「性犯罪の件数」は低下しているはずだ。
そして子供たちへの悪影響は少なくなっているはずなのだ。
だがもし、増えたとしたらどうだろう?
未来を知ることは誰にも出来ない。
しかし他国のデータを、未来の日本を知る手掛かりにする事は出来る。
性犯罪の割合(人数・件数ではない)は、日本が圧倒的に少ない。
つまり成人向けコンテンツによる、
性犯罪の抑止の効果があると示せるのだ。
それにピンとこない、もしくは懐疑的な人にも
こう言えば分かるのではないだろうか。
バーチャル・2次元で性欲を発散させていた人が、
性欲のはけ口を失い現実に手を伸ばしたらどうなるか……?
臭いものには蓋をする。蓋をしたい。
ならば、させてやれば良い。
キモい見たくない、ならば封じ込めてやれば良い。
そうさせてやれば良いではないか。
毒をもって毒を制している……それが現状なのに
獣を解き放って得になどならない。
そう説けばどうだろう。
もちろん、個人的に成人向けコンテンツのユーザーを
毒と称するのは気が引けるし、純粋に悲しい。
何故なら自分の仕事は、
ユーザーがお金を出してくれているから成り立っているのだ。
感謝こそすれ、否定などしたくない。
だが極端な例を見せ付けて
81回も水面下でのロビー活動を行い条例可決へ持っていったのだ。
ひっくり返すには、これくらいの方便は必要ではなかろうか。
それがたとえ、本意ではなかろうとも……。
私がこの意見を書くにあたって「ひとりよがりになってはしないだろうか」と
心配し、限定的に一部の知人に見て貰った。
その際、頂いたコメントの一部をここに追記として載せておきたい。
「気負いすぎて個人が潰れちゃっちゃー規制以前の話だよ」
肩の力が入りすぎているな、と気付かされました。
「今回の件は現実的な落とし所を模索する人すらも
それに終始して理想論を語るだけだったのが問題だ」
他の業界がやっているように、
うまい立ち回りをすれば良いのだと、この方は具体的な方法を明示してくれました。
それは個人で出来るレベルではないのでここには載せませんが、
理想や理念だけでは権利は守れないという事を思い知らされました。
また、この方はこんなリンクも紹介してくれました。
相手あってのコミュニケーション。
しっかり伝えるには、相手を見なければということでしょう。
「タイガーマスクの件って、偶然なのかなあ。
もしかして、この条例に対する粋な抵抗なのかしら」
こんな風に思った方もいらっしゃいました。
この不況の世の中、ボランティアで漫画の良さを伝える。
それってロックだなと思いましたよ。
さて、それでは私は仕事に戻ることにします。
まずは自分のやれることから。
お客さんに安心して頂けるものづくりを、言葉ではなく行動で示さなくては……。