ゆるふわ屋。 - 鏃キロク・若林浩太郎のブログ -

シナリオライター若林浩太郎のblogです

勇者の資格 - ニンテンドーDS ドラゴンクエスト4

2008年01月20日 14時55分59秒 | レビュー
ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 公式ガイドブック(DS版) (SE-MOOK)

スクウェア・エニックス

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物語の筋書きを変えることは、
読者にはできない。

決してできはしないのだ。


ドラゴンクエスト……通称ドラクエ4のオリジナル版を
プレイしたのは私が小学生の頃。

なぜ、あのようなエンディングになったのかということで
少なからず疑問を抱いたものだ。

エンディングの最後、本当にラストシーンだ。

そのシーンの謎に対する答えが、
確かにリメイク版には存在する。


ドラクエ4は、章仕立てのRPGだ。

主人公は各章によって違い、
各々の物語は5章へと受け継がれていく。

5章「導かれし者たち」で
真打ちたる勇者と合流するわけだが、
リメイク版の物語はここでは終わらない。

実は、リメイク版には6章が存在する。


詳細を書くとネタバレになるので控えるが、
そこには確かに、オリジナル版のラストシーンに対する答えが
用意されているように思う。

物語の筋書きを、受け手は決して変えることはできない。
……はずだった。


しかしドラクエ4をプレイし育った世代が
作り手となり世に送り出す側へと成長することで
物語に新たな息吹が吹き込まれ生まれ変わったのだ。

あの時、ああだったら。
もし、そうだったら。

世の中には、たとえどんな些細なことでも偶然はない。
でもだからこそ、虚構たるエンタテイメントには存在していて欲しいのだ。

その救済を。

勇者という職業は存在しない。
ゲームという……プレイヤーを主人公たらしめる独自の
エンタテイメントにおいてのみ成り立つ職業であろう。

その勇者には義務がある。
世界を破滅から救うこと。

だが、それだけでいいのだろうか。

小学生の自分は、心のどこかで気付いていたのだ。

「これでいいのか?」

「これで全てが終わったといえるのだろうか?」

「これでみんな、救われたのか?」


答えはやはり、否!
であったのだ。

勇者が存在するためには、一つの大きな際前提が必要になる。
悪者が存在することである。

しかも、非の打ち所のないとてつもない悪者が。


勇者は仮初めのエンディングを経て、
ゲームという形式の中で許された時間の逆行を用いて
それに気付くことに成功する。

自分が向かうべき場所、
なさねばならぬことを知る。

そして、最後の一人が……導かれる。


本作、リメイク版ドラクエ4をもって
ようやく私は勇者が勇者足りえたと思っている。

その資格を得たのではないのだろうか、と。

ゲームだからできたこと。
人気作だからこそ背負うリメイクという宿命から生まれた救済。

ただただ、グラフィックが進化したり
ハード(端末)が変化しただけではない。

ドラクエ8をプレイした後でも、
きっと物足りなさは感じないのではないだろうか。
ただ懐かしさを楽しむだけのものではない。

新しい物語を加えたドラクエ4を、
ぜひ皆さんの手で遊んでみて欲しいと思う。

DS版 ドラゴンクエスト4

2008年01月10日 15時44分12秒 | レビュー
ドラゴンクエストIV 導かれし者たち

スクウェア・エニックス

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なにげに新年1回目の投稿でした。
今年も、なにとぞ宜しくお願い致します。

えー。ちょっとした作業が終わり……。
ドラクエ4を狂ったようにプレイしてました。

そしてハッとなり
「いかんいかん、色々とやること溜まっとるんじゃ」
と思い立ちHPを更新。

よう見たら半年近く放置しとったんやなぁ~。
でも変わったん仕事の情報だけやでぇ~。
コンテンツ、っちゅーか小説とか更新しとらん。
更新してなさすぎだろww

熱しやすく冷めやすすぎですなヾ(゜ω゜)ノウェーイ


さてドラクエ4。

現在、5章に入ったトコロです。
プレイしてて「こんな話だったっけ?」と思うところもあれば
「あーあー、あったあった」と思い出して頷く場面もあり。

でもホイミンって……」と、小説版ドラクエ4と
記憶がゴッチャになってる部分もあったりして。


オリジナルをプレイしたのが小学生の頃なので、
全部おぼえてはいません。

なので、オリジナルからプラスされてる要素が
どれなのかハッキリは分からないんですよ。
グラフィックは一新してますから、分かりやすいけど。

だけどファミコンの時代で、よくこれをやったなぁっていう
意欲的な試みがあって改めて当時のアイデアの
優れた点を実感しました。


特にトルネコの章とか。

重要なのは強さじゃなくてお金やもんねぇ。
で、強い武器・防具がボロボロとドロップしやがる。
オリジナルでも、あんなに手に入ったっけ?

ダンジョンの作りだとか、
エンカウントで旅の商人に出会うところとか
他の章とは明らかに違う。

だからこそ不思議のダンジョンシリーズが
生まれたのかな、なんて思ったりもして……。

トルネコの方がシレンより先に作られたんだよね?
どっちも初代はSFCだったはず。


基本的に丁寧でプレイしやすくなってて
好感触なんだけど、細かいところで1点だけ。

背景が3Dになってて、L・Rボタンで
視点が回せるのよね。

で、デフォルトの視点では見えない位置……
家の裏なんかに扉があったりする。
まぁ、それはいい。

けど視点の回転が90度ずつじゃなく中途半端に
変えられるもんだから人に話したりするのに
自分がドッチ向いていいのかわからない時がある。

それくらいかなー。
PSのリメイク版やったことはないから、
そっちもプレイした人がいたら、また感触が違うんだろうと
思ったりしたのでした。


ときに……。

乙女系の小説を男が書くのって、
主なお客さんであるところの
女性から見たらどうなんでしょうな。

少女漫画の原作っぽいものを思いついて、
それを書こうかどうか迷い中です。
ああ、もちろん一般向けね。

炎人 7巻 レビュー もし描けなくなったとしても

2007年07月21日 21時41分55秒 | レビュー
炎人 7 (7) (ボニータコミックス)
東山 むつき
秋田書店

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買いました、「炎人」7巻。

このブログで、このコミックについては何度か触れているのですが
改めて作者・東山むつきさんと作品について
触れていきたいと思います。


■炎人の設定

スゴ腕の医師、ただし無免許。
そう聞くと、まるでブラックジャックのような設定だなと
思われるかもしれません。

出版も秋田書店ですし。
ブラックジャックと違うのは、主人公・煌(きら)が
向き合うのは身体の傷ではなく内面……
精神的な傷だということです。

人間の内面世界にダイブし、
トラウマの元となっているものと向き合います。

そう、悪夢を喰らうとされる想像上の生物「獏」のように。
そのため劇中で煌は
悪夢(ゆめ)喰らいの獏、と呼ばれます。


■炎人の変遷

この作品の性質は、前半…1~2巻と
それ以降で随分と変わります。

前半は、煌が患者の精神にダイブしトラウマの元と
戦うシーンが多くでてきます。
そういった、主人公が活躍するヒロイックな展開になっています。

後半では、主人公は患者のトラウマの元を見つける
きっかけを能力で探るだけになっています。

あとは患者や、その周りに解決する方法を教えたり
促したりするだけ……といった展開へと変化しています。

煌は無愛想で怖いもの知らず、そういう性格だから
大抵は思っていても口にしない人間の深いところにズカズカと
踏み込みます。

そうやって、問題の核心に触れる…日常では
あまり巡り会えない存在として煌を描いています。

では、この作品はナゼ
そのように性質の違う漫画になったのでしょうか。


■連載誌の休刊、連載再開までの道のり

前半部分を連載していた雑誌が休刊したことにより、
作者は別の漫画を別雑誌で連載し始めることになります。

ところが、連載は長期化しませんでした。
原因は分かりません。
単純に人気アンケートの結果が悪かったのだろうという推測があるだけです。

そして数年を経て、炎人の連載再開へと至りました。
しかしその時、既に作者は以前の炎人を描けなくなっていたのです。


作者・東山むつきとは

炎人の表紙をめくると、詳しいプロフィールが書かれていますが
性別については不明です。明らかでない理由も不明のままです。

この作者について分かっていることは、
自身も酷い精神的な疾患を抱えているということです。

酷い過食症に悩まされていると、
コミックの後書きに描かれています。


■炎人との出会い

私がはじめて炎人に出合ったのは偶然でした。
普段は手に取らない雑誌を立ち読みした時、
1巻の途中が連載されていたのです。

今でも、その時の衝撃は忘れません。

煌の、歯に衣着せぬ物言いや
泣かせる展開に心打たれたのです。

奥さんを殺されたヒゲの男。
それを目の前で見ていたショックで言葉を失った、男の娘。

男は煌に、娘を治してやって欲しいと頼みます。
自身も肺を患い、もう長くないと医者に宣告されているのに。

それを男の部下に聞いた煌は、こう答えます。

「その医者に言っとけ。
 とっとと くたばれってな」

これはきっと、作者自身の心の声ではなかったかと私は思うのです。

その後、男がどうなるのか。
煌が事態を、どう解決していくのかは実際に
コミックを読んでお確かめ下さい。


■描かない、描けない?

私は連載再開当初、編集部の意向などから
作風が変わったのだと思い込んでいました。

ところが、そうではなかったことが
7巻の後書きに書かれています。

「途中、思うように描けなくなって苦しかった時期もあったけど
 諦めず頑張ってよかったです」

そのように書かれていました。


■「それで良かったのでは?」

そこで私は、あるものを思い出しました。
若手の星、ベストセラー作家・乙一のインタビュー記事です。

何の雑誌に載っていたかは忘れました。
それも立ち読みだったもので……。

その中のやり取りで、私が好きな作品
「しあわせは子猫のかたち」や
「未来予報 あした、晴れればいい。」は
もう今の自分には書けない作品だ、と答えていました。

大学時代、とても忙しい思いをしていた乙一が
「この状況をなんとか抜け出したい」という一心で
書いた作品が、それらだったと記事の中で
振り返っていたのです。

そこで記者に「では、書けなくなって良かったのでは?」と
問われ「そっか……」と、感嘆の声を漏らしていたのが印象的でした。

もし、作者が描けなくなったのだとしても。
それが、作者が抑うつ状態から解放されたからだとしたら。

描けなくなって、良かったんだろうな。
そう思いました。


■これからも見ていきたい

今の自分が置かれている状況を、なんとか打破したい。
そのような思いがクリエイティビティを生むという話を
様々な本で何度も読みました。

私の親友も、その思いから
音楽に出会い作曲をするに至りました。

暗闇の中だからこそ、その輝きを実感できる煌きのようなもの。
夏の夜空に見える花火、その一瞬の輝き。

それにも似た再現できない輝かしさを、
私は作品の中に見たのだと実感したのです。

戦時下のクロアチア、地下室で怯えながらピアノを弾いていた
マクシム。彼の曲「バンブル・ビー」は一度聴いただけで私にCDを
買わせるだけの力を持っていました。

再現できない煌きなら、むしろ再び手にしなくて良い。
その方が作り手にとって幸せなら、尚のことではないだろうか。

私はそのように深く感じ入ったのです。

東山むつきさんのブログはこちら

これだけ娯楽の溢れかえっている世の中で、
いまさら我々が何を新しいものを生み出す必要があるのか。

それは、描いていくうちにしか
その必要性があると言い切れる作品は生まれません。

生きていなければ作品は生まれ続けない。
過食症に悩まされ、後書きで「良くなる気配はありませんが」と
書いてありますが生きていて欲しい。

そう思わせてくれる作家さんなのです。

映画 舞妓Haaaan!!! 舞台挨拶も観てきました

2007年06月22日 22時13分42秒 | レビュー
大ヒット上映中の映画「舞妓Haaaan!!!」
観て参りました。
aの数と!の数をかぞえたっちゅうねんw

ツレが舞台挨拶ある日を知ってて、
チケット取ってくれたので行ってきましたよ。
ええ、行ってきましたとも。

誰が来るのかなーとか思ってたら監督&主演でした。
水田伸生さんと阿部サダヲさんですね。

映画の前にやるのかと思いきや、
終了後に舞台挨拶やりました。

クレジットロール最後に出てきた監督の名前を見て
「誰だ?」とか思っちゃった私。

うーん、メディアも脚本:クドカンって
そっちばかり書きまくってるから目立ってないんだよなあ。

阿部さんは劇団☆新感線の舞台で
観たことあったので特に違和感もなく、という感じでした。

カメラが回り始めると人が変わったようになるタイプの人
なんだろうなと強く感じましたね。
臆病に見えるくらい、すごくマジメな人のように見受けられました。


で、肝心の内容はというと。

結構カタにはまった内容なのだろうと思ってました。
悪い意味でなくて、面白いだろうけど想定外の動きがそんなに
ポンポン出てくるものでもなかろうと。
そんな風にタカを括っていたんです。

だがしかし。

観る人が持ってる、その枠というか
「こうなるんだろ?」っていう想定の垣根を
バッコンバッコン叩き壊しながら回っていくテンポが最高でした。

リズム感という意味では、
さすがクドカン×阿部サダヲといったところでしょうか。

ここに本当は監督の力が非常に強くかかってるハズなんですけど、
他の作品を見てないのでナンとも言えないんですよね。

笑いどころが随所にあり、天丼っていうのかな?
同じ種類の笑いを何回も意図して使う笑わせ方とか秀逸です。

かと思いきや「そうきたか!」っていう展開があって
息つく暇もない。

っていうと嘘。でも、流れが停滞するのかなと
思わせておいて安部サダヲの演技が予想通りの展開も
「見逃せない一場面」に変化させているというか。

うまくまとめきれないのですが、
百戦錬磨の邦画関係者が集ってできた
秀逸なコメディだと言えると思います。

ヒットはするでしょう。
ALWAYSを抜くかもとか、色々言われてるソコは
どうなるか分かりませんが……。

あ、予告編でALWAYSの続編やってましたね。


自分が観た回が舞台挨拶含みのものだったからかもしれませんが、
観客の7割以上が女性だったと思います。

女性は阿部さんに感情移入してる人が多いように見えました。
自分はただ笑って、楽しんで「観てよかったなあ」という感じです。

あとはカップル以外にもファミリーで来てる人も居て
ちょっと驚いたかな……。


と、まあレビューに分類したのに雑感と化してしまいましたが
だいたいの雰囲気は感じてもらえたでしょうか。

明日からはダイハード4も始まるようですし、梅雨で
アウトドアできない場合は映画もいいかもしれませんね。

映画 300(スリーハンドレッド) 観てきました

2007年06月17日 11時20分11秒 | レビュー
300(スリーハンドレッド)

小学館プロダクション

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仕事が忙しくなる前に、気になっていた映画を
観てくるか! …というわけでイってきました。

「300(スリーハンドレッド)」

結果、ひじょ~に良かったです!

一緒に行った家族は非常に辛口で、
なかなか娯楽を褒めることのないのに
「これは最近みた中で、かなり良かった」と
感心していました。


話は単純です。

300人の兵士と100万人の兵士が真っ向から勝負して、
どっちが生き残る。どっちが強い? ってことです。

では、少数の方がナゼそんな馬鹿げた戦を仕掛けることに
なったのか? 紀元前480年……って。
詳しい話はいいんですよ。

もし面白かったら、観た人が調べると思うので。
家族がそうしたように。

ペルシアの侵略戦争に屈せず、スパルタの兵士が立ち上がる。
それだけで充分です。

あの「スパルタ教育」の名を今にも残している、
それはどんな国だったのか。

もちろん娯楽としての脚色が十二分についてますので、
正確なものを知る為に映画を観るというのなら、
それは向いていないと思います。

スパルタが小国とはいえ、300人しか
兵士が存在していないというわけはありません。

なぜスパルタ王、レオニダスは
300人しか兵士を出すことができなかったのか。

その過程は映画の中で分かります。


ともかく、300人で戦わなければならない。
100万を越える勢力に勝つには、方法は限られています。

まず四方八方から囲まれれば、
どんな屈強な兵士でもダメです。

そこでぶつかる面を抑え、
量ではなく兵士の質で勝負しようとするわけです。

持っているのは盾と槍、そして腰に差した剣のみ。
兵士たちの盾の使い方が素晴らしく上手くて魅了されました。

集合陣形(ファランクス)で戦うので、
盾を構えた兵士が一列に並ぶというのは分かっていました。

そこではなく、殺陣の部分。
カメラ回しそしてスピードの緩急のつけ方がうまく、
自分たちを取り囲む敵を盾を使ってうまく斃していきます。

敵の攻撃をはじく、
面で殴る、
地面と平行にして顔を殴打する…。

R-15がつくだけあって、
血飛沫とかはメチャメチャ飛びます。

手足はバンバン切れて飛んでいきますし、
斬られた首が宙に舞う時に(CGで)断面まで描いているという。

ただ、ある程度セピア色のフィルターを
かけることでソレらを抑えようという心遣いも見受けられました。

戦争モノが、あんまり好きではない私でが楽しく
鑑賞できたのは全編を通して死を重く描きすぎないという
姿勢のおかげだと思いました。

その場で何人か兵士は死んだかもしれない、
まだ息のある敵兵にトドメをさしている。残酷です。

だけど。

「この次はどうやって切り抜けるんだろう?」
という、次の展開へのドキドキが意識を
そこに集中させませんでした。

たいてい戦争映画は、仲間が死んで涙を流す
そのカタルシスを描くものが多い気がしますから。

最後の最後まで、この映画はそうではありません。

彼らの戦いは一体、何のためにあったのか。
その戦いに映画が込めたメッセージは何であったのか。

流血シーンは嫌いだ!
っていう人には流石にオススメできません。
でも15歳以上で、刺激に飢えている方がいれば。

映画「300」は、いい選択肢かもしれませんよ。


最後に一つ。

映画「ラストサムライ」のクライマックスで、
トム・クルーズと渡辺謙が突撃する直前の会話を
覚えているでしょうか。

「かつてペルシアの大軍を相手に、
スパルタの兵士300人が戦いを挑んだ」
と、トムが言う。

「そいつらはどうなった?」と、渡辺謙。

「全滅した」そう答えて笑うトム……こんなシーンだったはず。

その場面で引き合いに出されている戦いが、
この映画ってわけです。

別にウンチクたれる為に、これを書いたわけではありません。
なんとなく気付いてもらえるはず。

後味の悪い映画なら、オススメはしませんから。