小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

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レイルウェイ・ライター種村直樹さんの訃報に接して【編集完了】

2014-11-07 23:38:43 | 鉄ネタなんてどうよ?
ひとまずタイトルとエントリのみアップし、委細は明日綴る予定です。
突然の訃報に、ありきたりな言葉ではありますが、「巨星墜つ」。ただただ数々の思い出が胸を貫いている最中であります。
(以下編集しました。)

種村直樹氏死去(作家) - 時事ドットコム
種村 直樹氏(たねむら・なおき=作家)6日午後8時43分、転移性肺がんのため東京都板橋区の病院で死去、78歳。大津市出身。葬儀は12日午前10時30分から東京都台東区下谷1の3の10のスペースアデューで。喪主は妻由子(よしこ)さん。
 毎日新聞記者を経て、鉄道を題材としたルポルタージュや推理小説を多数発表し、「レイルウェイ・ライター」として知られた。代表作に「鉄道旅行術」「気まぐれ列車」シリーズなど。(2014/11/07-18:58)


この訃報に接したのは、公式発表される前日の、6日の22時半過ぎだったでしょうか。
家で録り溜めしておいた録画を、酒を飲みながら楽しんでいたら、いきなり友人からFacebookメッセージが来て、真夜中に思わず「ええええっ!!」と怒鳴る事態に。
思えば、2009年の「日本列島外周の旅日本橋ゴール」以来、これといった表舞台にはほとんど姿を現していなかったし、去年10月、秋葉原の書泉ブックタワーで開催された、「種村直樹レイルウェイ・ライター40周年記念トークショー」でも、病気療養中とアナウンスされていたし、いろいろ漏れ聞く話を総合すると、なかなか難しい状態でおられるらしい…という話はつかんではいたのですが、いざ訃報に接すると…。

僕の中にある、2つの「軸」。
僕の中の生活ペースの「お師匠さん」は、2人います。
ひとりは、今年夏に久々に再会を果たしたたこすけ師匠。
もうひとりは、間違いなく種村直樹さん。

僕が種村直樹さんの存在を知ったのは、小学校5年生だったか6年生だったか、当時住んでいた宝塚市立図書館の書架。
「種村直樹の汽車旅相談室」なる本が並んでいて、気になって借りて以来の「おつきあい」になるでしょうか。
当時は「レイルウェイ・ライター」の肩書きを見て、「なんや、こんな肩書きで飯を食うてる人もおるんやな」という印象だったことだけはしっかりと覚えていて、その10年後に、読者有志の「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」会合でそのようなエピソードを話す機会があり、会場中の爆笑を呼んだ記憶がよみがえります。
それ以来、宝塚の図書館で「鉄道ジャーナル」が毎月読めたこともあり、鉄道雑誌は鉄道ジャーナルを読んでいくことになります。
小学校高学年から中学生くらいなら、「鉄道ジャーナル」よりは、初心者鉄道ファン、年少者に広く門戸を開いた「鉄道ファン」を読むのが、昔も今も鉄道ファンが育つ王道路線である中で、あえての「鉄道ジャーナル」。
この時点で僕はかなりひねくれた鉄道ファンに育ちつつあったのは間違いないでしょうw。

それから、図書館などを利用しては種村直樹さんの書物を読み漁ること1、2年。
「読者の皆様からの質問を受け付けています」という種村さんの特徴に惹かれ、実際に質問の封書を投じたのは、中学1年生の秋、1987年9月か10月頃だったでしょうか。
途中下車制度がいまいちよくわからず、返信用切手を同封して投函して1週間か10日経過すると、あにはからんや返信のはがきが舞い込んだときの興奮と困惑は、今でも忘れることはありません。

…よ、読めない(´・ω・`)

それまでも氏の書物の中で、さんざん「僕の文字は…」ということは書かれており、悪筆ぶりは理解してはいたのですが、いかんせん大人の世界などまるで知らない中学生時分。
はがきを見てしばらく固まったことは、強烈に覚えております。
はがきの内容は他愛もなく、「基本は『鉄道旅行術』などで身に着けることですね」などと書かれていたくらいで、どんな質問をしたのかはあいにくと覚えていないのが残念。

これがきっかけで、翌1988年には「友の会」に身を寄せるようになり、同年末に行われた「友の会」有志のイベント「日本縦断JRウォッチング」では、幸運にも書籍内にて世に出していただくという幸運にも恵まれたのは、今でもいい思い出です。

以後、種村直樹さんとは1991年6月、当時開業した千葉都市モノレールのスポーツセンター~千葉(今の「ふくろう交番」付近に仮駅があった)間と、春に開業していた北総開発鉄道(当時)京成高砂~新鎌ヶ谷間の落穂ひろいをされた時にお呼ばれし、氏と沿線を歩く機会もありました。

遺憾ながら専門学校在学中あたりから、友の会活動や汽車旅それ自体からも疎遠になりつつあり、友の会も「幽霊会員」状態になって行き、細々と「JRウオッチング」で旅程を共にした。数少ない友人とお付き合いがある程度になって、現在に至っているわけなんですが…。

種村直樹さん。
毎日新聞記者出身で、国鉄時代は舌鋒鋭く国鉄を斬るなど大活躍していた一方、汽車旅という分野の中に、「おにごっこ」「ラリー」などのゲーム性、或いは、旅行先での郵便局で貯金をしては、通帳に記念の局名印を押印してもらう「旅行貯金」を世にしらしめるなど、エンターテイメントを持ち込んだ才覚という観点においては、まさに唯一無二の存在であると考えております。
強烈過ぎる個性と旅のスタイルであるがゆえ、たえず鉄道ファンの評価は二分されているけれども、保守的な鉄道趣味界にエンターテイメント性を持ち込んだ功績と威光は、これからも決して陰ることはないでしょう。

そしてさらに残念なことは、発表されている「師」の葬儀に参列することが、都合により適わないこと。
それはまた、おいおい書くことになろうかと思います。

種村直樹さん、いや、種村直樹先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
ごゆっくりとお休みください。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
種村直樹氏 (厩戸王子)
2014-11-16 00:06:20
私は「鉄道旅行術」と「旅のABC」が入門書でした。もちろん鉄道ジャーナルの論客文章も読んでました。
文筆家としては宮脇俊三氏よりは落ちますが、それでも「時刻表の旅」と「青春18きっぷの旅」は彼の著作の中でもベストではないかと思っています。
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厩戸王子さん (小馬太郎兵衛)
2014-11-19 21:33:14
コメント返しが遅くなりました。申し訳ありません。

鉄道旅行術。私にはバイブルに近い存在です。
この書を手にした、当時の若い人は、おそらく大多数は同じような感想を持っているのではないでしょうか。
実家に置いてあった「鉄道旅行術」を、今手にしたのですが、今でも初めて読んだ興奮がよみがえってきます。
まあ、今の時代の旅行とは相容れない部分が多分にありますがw。
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