昼下がりの乗換駅、日暮里。
乗り換えの跨線橋を、ガキンチョが二人ほど、何の意味があったのか、常磐線ホームへ走っていった。
年頃から言って、明らかに坊や達、学校はどうしたのというガキ共。
しかしなあ…、常磐線ホームったって、グリーン車にお試し乗車が出来る特別快速の土浦行きはもう出た後だし、後走りの勝田行き普通列車は415系ったって、今頃血眼になるような車輌でもないし、それ以前に常磐線ホームに走っていったところで、勝田行きも間に合う分けないのにな…。
そう思いつつ、3分ほど経過した常磐線上りホームに、真昼の珍客登場。
虹釜キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
ゆとりキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
いや、「ゆとり」というよりは、やっぱり我々の世代からすればサロンエクスプレス東京(元)キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
なぜか偶然にもデジカメがリュックの中に入っていたし(笑)、時間的にも出勤時間まで20分ばかりの余裕があったのを幸い、上野駅に立ち寄って、珍客を捕まえてみた。
元「スーパーエクスプレスレインボー」用のEF81形機関車。
ただ、牽引実績は、同じ塗装を身に纏ったEF65形の専用機より断然少ないため、この機関車を「虹釜」と呼んでもいいものやら…。
っつーか、いくらホームが余っていたからといって、マニア除けのために特急用ホームに止めることはないじゃないかとww
牽引されているのは、お座敷客車「ゆとり」。
ある程度の年代より上の方々にとっては、元「サロンエクスプレス東京」と言った方が通りがいいだろう。姿形は「サロンエクスプレス東京」のままだが、中身は1997年に欧風客車からお座敷客車に改造されて現在に至る。
常磐線からやってきたということは、水戸方面での団体臨時列車に使用されて、尾久の車庫へ帰る途中なのだろう。
この列車、尾久駅を通れば、稼働日でなければいつでも寝ている姿を目にすることが出来るからか、はたまた平日の真っ昼間ということもあってか、上野駅で待ちかまえていたヲタはほとんどいなかった。むしろ多かったのは鶯谷駅ホーム(笑)。
そうこうするうちに、こちら側の15番線には、高崎線の列車が到着。
折り返しは12時55分発の高崎行きとのことだが、この列車、「東京方1両は荷物専用のため、ご利用になれません」なんていうアナウンスが流れた。
その荷物とは…。
へえー。
高崎線でも新聞輸送ってやってるんだ。
これは知らなかった。
列車での新聞輸送といえば、今でも房総地方に残っていて、昼過ぎの外房線と内房線の列車の各1両を荷物車として締めきり、沿線各駅へ新聞を運んでいるのは知られた話だが、高崎線でもやっていたとは、ついぞ今の今まで知らなかったわ。
調べてみたら、高崎線と宇都宮線でも、新聞輸送を行っているという。
新聞輸送といえば、名鉄でも現在も列車による新聞輸送が行われているが、15年くらい前までは、平日の昼下がりに新名古屋発知立行き急行という、明らかに前後の列車から浮いている行き先を表示した列車が走っていた。しかも使用車両は、知る人ぞ知る「さんなな」こと3700形が、ツリカケ音を響かせて、新聞輸送のついでに客も乗せてやるという列車を運行していた。
昔は新聞輸送のために夜行列車を運転していた時代、上野駅を、台車を連ねたバッテリーカーが、客の間を縫うように走っていたのは、写真では見たことがあるが、よもやこの絵が、連ねる台車の数は少なくなれど、21世紀の御代に残っていようとは想像し得なかった。だって、「鉄道ジャーナル」のモノクログラビアで残っているにすぎない写真ですぜ。
さすがに平日の昼下がりとあって、「客の合間を縫う」わけにはいかないが、立派にバッテリーカーが現役で台車を引いている。
写真がぼけているのは正直すまんかった。動く被写体を捉えるのは、うちのデジカメにゃむりぽ…_| ̄|○
世が世なら、バッテリーカーは旅客をかきわけて、今でも13番線と14番線の間に残る元小荷物専用ホームとコンコースを、荷物を満載した台車を連ねて走っていたことだろう。
今となっちゃ、新聞を積み込むために発車を遅らせるなんていう夜行列車の姿は、想像すら出来ないんだろうなあ…。俺もリアルタイムで経験したわけじゃないから知らないけどさ(笑)。
上野駅の昼下がりの一光景でした。
↑たまにはボンと押してみよう
乗り換えの跨線橋を、ガキンチョが二人ほど、何の意味があったのか、常磐線ホームへ走っていった。
年頃から言って、明らかに坊や達、学校はどうしたのというガキ共。
しかしなあ…、常磐線ホームったって、グリーン車にお試し乗車が出来る特別快速の土浦行きはもう出た後だし、後走りの勝田行き普通列車は415系ったって、今頃血眼になるような車輌でもないし、それ以前に常磐線ホームに走っていったところで、勝田行きも間に合う分けないのにな…。
そう思いつつ、3分ほど経過した常磐線上りホームに、真昼の珍客登場。
虹釜キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
ゆとりキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
いや、「ゆとり」というよりは、やっぱり我々の世代からすればサロンエクスプレス東京(元)キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
なぜか偶然にもデジカメがリュックの中に入っていたし(笑)、時間的にも出勤時間まで20分ばかりの余裕があったのを幸い、上野駅に立ち寄って、珍客を捕まえてみた。
元「スーパーエクスプレスレインボー」用のEF81形機関車。
ただ、牽引実績は、同じ塗装を身に纏ったEF65形の専用機より断然少ないため、この機関車を「虹釜」と呼んでもいいものやら…。
っつーか、いくらホームが余っていたからといって、マニア除けのために特急用ホームに止めることはないじゃないかとww
牽引されているのは、お座敷客車「ゆとり」。
ある程度の年代より上の方々にとっては、元「サロンエクスプレス東京」と言った方が通りがいいだろう。姿形は「サロンエクスプレス東京」のままだが、中身は1997年に欧風客車からお座敷客車に改造されて現在に至る。
常磐線からやってきたということは、水戸方面での団体臨時列車に使用されて、尾久の車庫へ帰る途中なのだろう。
この列車、尾久駅を通れば、稼働日でなければいつでも寝ている姿を目にすることが出来るからか、はたまた平日の真っ昼間ということもあってか、上野駅で待ちかまえていたヲタはほとんどいなかった。むしろ多かったのは鶯谷駅ホーム(笑)。
そうこうするうちに、こちら側の15番線には、高崎線の列車が到着。
折り返しは12時55分発の高崎行きとのことだが、この列車、「東京方1両は荷物専用のため、ご利用になれません」なんていうアナウンスが流れた。
その荷物とは…。
へえー。
高崎線でも新聞輸送ってやってるんだ。
これは知らなかった。
列車での新聞輸送といえば、今でも房総地方に残っていて、昼過ぎの外房線と内房線の列車の各1両を荷物車として締めきり、沿線各駅へ新聞を運んでいるのは知られた話だが、高崎線でもやっていたとは、ついぞ今の今まで知らなかったわ。
調べてみたら、高崎線と宇都宮線でも、新聞輸送を行っているという。
新聞輸送といえば、名鉄でも現在も列車による新聞輸送が行われているが、15年くらい前までは、平日の昼下がりに新名古屋発知立行き急行という、明らかに前後の列車から浮いている行き先を表示した列車が走っていた。しかも使用車両は、知る人ぞ知る「さんなな」こと3700形が、ツリカケ音を響かせて、新聞輸送のついでに客も乗せてやるという列車を運行していた。
昔は新聞輸送のために夜行列車を運転していた時代、上野駅を、台車を連ねたバッテリーカーが、客の間を縫うように走っていたのは、写真では見たことがあるが、よもやこの絵が、連ねる台車の数は少なくなれど、21世紀の御代に残っていようとは想像し得なかった。だって、「鉄道ジャーナル」のモノクログラビアで残っているにすぎない写真ですぜ。
さすがに平日の昼下がりとあって、「客の合間を縫う」わけにはいかないが、立派にバッテリーカーが現役で台車を引いている。
写真がぼけているのは正直すまんかった。動く被写体を捉えるのは、うちのデジカメにゃむりぽ…_| ̄|○
世が世なら、バッテリーカーは旅客をかきわけて、今でも13番線と14番線の間に残る元小荷物専用ホームとコンコースを、荷物を満載した台車を連ねて走っていたことだろう。
今となっちゃ、新聞を積み込むために発車を遅らせるなんていう夜行列車の姿は、想像すら出来ないんだろうなあ…。俺もリアルタイムで経験したわけじゃないから知らないけどさ(笑)。
上野駅の昼下がりの一光景でした。
↑たまにはボンと押してみよう
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