おはようございます。2011年3月27日、時計は朝9時を迎えておりまして、阪九フェリーの送迎バスを門司駅前で降りたところであります。
門司駅は降りたことがないので初乗降駅ということになりますな。
今日の予定は小倉駅前に宿を取っているのは確定しているんで、あまりゆっくり回ったことがない北九州市をじっくり回ってみようかと。
小倉駅前に宿を取っているのだから、一旦小倉駅に出て大きな荷物をコインロッカーにぶち込むか、或いは今宵の宿に出向いて荷物を預かってもらってもよいのだけれど、門司にいるからには門司港周辺を少々歩いてみたい。そうなると門司から小倉に出てまた門司港に戻るのも面倒なことこの上ない。
門司港周辺はこれが初めてではなく、2002年7月に「さくら・はやぶさ」のB個室寝台で朝を迎えた小倉駅に降り立ち、一旦小倉駅前のコインロッカーに荷物をぶち込んで、小倉から下関行きの列車で本州へ逆戻り、下関駅から唐戸までとぼとぼと歩いた後、船でもう一度門司港へ渡って再度九州上陸…ということはやったことがあるけれど、今日の門司港への目的はズバリ、門司港駅前にある九州鉄道記念館。開館は2003年8月だったので、2002年7月の福岡はもちろん、2003年7月の福岡でもオープンしていなかった。
九州鉄道記念館に寄ったらば、門司港を走る貨物線を転用したトロッコ列車「潮風号」にも足を記しておきたい。営業キロが設定されているので、観光鉄道ではあるけれどもれっきとした鉄道であるから、乗車記録にもカウントされる。
さて、門司駅は最近新しい駅舎になったようで、随分とまあ鉄道の要所らしくない駅舎に様変わりしたようで。
橋上駅舎化された自由通路から線路を覗くと、ちょうど9時07分発の快速南福岡行きが発車するところ。
わかりづらいけれど、これはよいあずき色(・∀・)
415系も、ステンレスの1500番台以外は東日本では2007年3月に引退してから幾年月、このカラー、この車体も九州でないとお目にかかれない車両となっている。
門司駅の西側を俯瞰。
ついで東側、門司港、下関側。
門司駅は最近4面8線から3面6線に変更されているのだけれど、撤去されたホームは、今立っている5番線と、向こう側の4番線の間にあったのかな?
9時10分発の門司港行きに乗車。
飯塚からやってきたやつなので、列車は2両編成。それでも座れるからまあいいか。
座るったってあーた…。
普通の通勤用列車なのに座席が革張りですよ奥さん…(・・;)
写真だと分かりづらいけれど、ドア上のつり革も円形をかたどってるし…(・・;)
話にはいくらでも聞いていても、話で聞くのと実際に乗って目で確かめるのとではやっぱり違うねえ…。逆に言えば、通勤列車でもそこまで手をかけて乗った人の目を引かないと、日常的に列車を移動手段として選択してもらえないということも言えるわけで…。やっぱりすげえや九州。
というわけで9年ぶりの門司港であります。
まずは乗ってきた817系を一枚。
LED方向幕は「博多」と出ておりますが、筑豊本線(福北ゆたか線)を経由するので、博多へ乗車券だけで急ぎたいというのであれば、小倉始発の鹿児島本線荒尾行き快速に乗り継ぐことになる。
ついでに電留線で休んでいる811系と813系も頂いておきます。
こちらは同じ813系でも、バスみたいに方向幕が拡大されたタイプ。
門司港駅構内に設えられている馬鹿でかい車止め標識とか。
腕木式信号機のモニュメントとか。
発車合図を打ち鳴らしていたという鐘とか。
門司港駅を正面からいただきます。
駅横にあったコインロッカーに荷物をぶち込んで、門司港駅となりにある九州鉄道記念館へ。
写真では分かりづらいのだけれど、写真左手にレンガ造りの建物が本館になっていて、九州の鉄道にまつわる各種展示物やグッズコーナーなどがあるのだが、その建物こそ、経済産業省の近代化産業遺産に認定されている、九州鉄道本社社屋になっている。
大正時代から全国で使われた9600形59634号機。
戦後、九州特急を牽引したC59。
EF10 35。1942年に開通した関門トンネル用に製作された機関車。
1961年、門司港~久留米間交流電化の際に製造された交流形電気機関車ED72 1。
前面形状が「く」の字形で独特な形をしております。
キハ07。長らく大分県で保存されてきた車両が、鉄道記念館開設を期にこちらへやって来た。
車内はこんな形で、座席はやたらと狭い。本当に日本人がこのボックスシートで4人掛けできたのだろうか?w
運転席もなにやらかなりメカニカル。
国鉄形特急車両、クハ481-603。
車内は、製造された当初の回転式クロスシートではなく、簡易リクライニングシートが国鉄当時の青い生地のまま保存されております。
(※訂正)この車両は普通車として落成したのではなく、もともとはグリーン車クロ481形式だったものを、特急増発で先頭車不足のところ、東北新幹線開業で余剰だった同車両を1983年に普通車改造されたものであり、座席は余剰だった簡易リクライニングシートを転用したものです。お詫びして訂正いたしますm(_ _)m
簡易リクライニングシートとはそのものズバリで、肘掛についているしろいつまみを引けば座席はすずめの涙程度に倒れてくれるのだが、あろうことかストッパーを省略しているので、全体重を背ずりにかけていないと、身体の位置を少し入れ替えようと思っただけで背ずりがばたんばたんと「自動的に」戻ってくるという代物。
昼行列車で短距離利用ならまだしも、長距離、それも夜行列車ではなるべくならお会いしたくはない座席だったが、臨時列車を中心に、14系客車を使用した夜行列車が1990年代後半まで残っており、これに当たるとなかなか寝られなかったなあ…。「銀河81号」とか(・・;)
昼夜関係無しに西へ東へ走りぬけ、「モーレツ社員」と評された寝台特急列車581系クハネ581-8。
車両自体はその後近郊形715系への改造を受けており、車内は715系当時のままなので、車内にはロングシートの姿も見える。
寝台はこうしてセットされていました、という一例。
近郊形改造を受ける際、中段と上段寝台は封鎖される工事が施工されているので、おそらく中段と上段の姿は見ることはできないだろう。というより出来たらセットしているはずだものね。
九州といえば、筑豊地方の炭鉱開発なくして発展なし。
石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれていた頃、日本のエネルギー源の屋台骨を一身に背負っていた炭鉱から石炭を全国各地に運んでいたセラ1形石炭車セラ1239。
記念館の展示スペースに沿うように、旧式の駅名票が立てられている。
関門トンネル開通前は、門司港は「門司」を名乗り、現在の門司駅は「大里」と称していた。
小一時間ほどの見学の後、門司港レトロ観光線「トロッコ潮風号」が始発の時間を迎えたようなので、そちらのホームへ移動してみようか。
(※以下続く)
門司駅は降りたことがないので初乗降駅ということになりますな。
今日の予定は小倉駅前に宿を取っているのは確定しているんで、あまりゆっくり回ったことがない北九州市をじっくり回ってみようかと。
小倉駅前に宿を取っているのだから、一旦小倉駅に出て大きな荷物をコインロッカーにぶち込むか、或いは今宵の宿に出向いて荷物を預かってもらってもよいのだけれど、門司にいるからには門司港周辺を少々歩いてみたい。そうなると門司から小倉に出てまた門司港に戻るのも面倒なことこの上ない。
門司港周辺はこれが初めてではなく、2002年7月に「さくら・はやぶさ」のB個室寝台で朝を迎えた小倉駅に降り立ち、一旦小倉駅前のコインロッカーに荷物をぶち込んで、小倉から下関行きの列車で本州へ逆戻り、下関駅から唐戸までとぼとぼと歩いた後、船でもう一度門司港へ渡って再度九州上陸…ということはやったことがあるけれど、今日の門司港への目的はズバリ、門司港駅前にある九州鉄道記念館。開館は2003年8月だったので、2002年7月の福岡はもちろん、2003年7月の福岡でもオープンしていなかった。
九州鉄道記念館に寄ったらば、門司港を走る貨物線を転用したトロッコ列車「潮風号」にも足を記しておきたい。営業キロが設定されているので、観光鉄道ではあるけれどもれっきとした鉄道であるから、乗車記録にもカウントされる。
さて、門司駅は最近新しい駅舎になったようで、随分とまあ鉄道の要所らしくない駅舎に様変わりしたようで。
橋上駅舎化された自由通路から線路を覗くと、ちょうど9時07分発の快速南福岡行きが発車するところ。
わかりづらいけれど、これはよいあずき色(・∀・)
415系も、ステンレスの1500番台以外は東日本では2007年3月に引退してから幾年月、このカラー、この車体も九州でないとお目にかかれない車両となっている。
門司駅の西側を俯瞰。
ついで東側、門司港、下関側。
門司駅は最近4面8線から3面6線に変更されているのだけれど、撤去されたホームは、今立っている5番線と、向こう側の4番線の間にあったのかな?
9時10分発の門司港行きに乗車。
飯塚からやってきたやつなので、列車は2両編成。それでも座れるからまあいいか。
座るったってあーた…。
普通の通勤用列車なのに座席が革張りですよ奥さん…(・・;)
写真だと分かりづらいけれど、ドア上のつり革も円形をかたどってるし…(・・;)
話にはいくらでも聞いていても、話で聞くのと実際に乗って目で確かめるのとではやっぱり違うねえ…。逆に言えば、通勤列車でもそこまで手をかけて乗った人の目を引かないと、日常的に列車を移動手段として選択してもらえないということも言えるわけで…。やっぱりすげえや九州。
というわけで9年ぶりの門司港であります。
まずは乗ってきた817系を一枚。
LED方向幕は「博多」と出ておりますが、筑豊本線(福北ゆたか線)を経由するので、博多へ乗車券だけで急ぎたいというのであれば、小倉始発の鹿児島本線荒尾行き快速に乗り継ぐことになる。
ついでに電留線で休んでいる811系と813系も頂いておきます。
こちらは同じ813系でも、バスみたいに方向幕が拡大されたタイプ。
門司港駅構内に設えられている馬鹿でかい車止め標識とか。
腕木式信号機のモニュメントとか。
発車合図を打ち鳴らしていたという鐘とか。
門司港駅を正面からいただきます。
駅横にあったコインロッカーに荷物をぶち込んで、門司港駅となりにある九州鉄道記念館へ。
写真では分かりづらいのだけれど、写真左手にレンガ造りの建物が本館になっていて、九州の鉄道にまつわる各種展示物やグッズコーナーなどがあるのだが、その建物こそ、経済産業省の近代化産業遺産に認定されている、九州鉄道本社社屋になっている。
大正時代から全国で使われた9600形59634号機。
戦後、九州特急を牽引したC59。
EF10 35。1942年に開通した関門トンネル用に製作された機関車。
1961年、門司港~久留米間交流電化の際に製造された交流形電気機関車ED72 1。
前面形状が「く」の字形で独特な形をしております。
キハ07。長らく大分県で保存されてきた車両が、鉄道記念館開設を期にこちらへやって来た。
車内はこんな形で、座席はやたらと狭い。本当に日本人がこのボックスシートで4人掛けできたのだろうか?w
運転席もなにやらかなりメカニカル。
国鉄形特急車両、クハ481-603。
車内は、
(※訂正)この車両は普通車として落成したのではなく、もともとはグリーン車クロ481形式だったものを、特急増発で先頭車不足のところ、東北新幹線開業で余剰だった同車両を1983年に普通車改造されたものであり、座席は余剰だった簡易リクライニングシートを転用したものです。お詫びして訂正いたしますm(_ _)m
簡易リクライニングシートとはそのものズバリで、肘掛についているしろいつまみを引けば座席はすずめの涙程度に倒れてくれるのだが、あろうことかストッパーを省略しているので、全体重を背ずりにかけていないと、身体の位置を少し入れ替えようと思っただけで背ずりがばたんばたんと「自動的に」戻ってくるという代物。
昼行列車で短距離利用ならまだしも、長距離、それも夜行列車ではなるべくならお会いしたくはない座席だったが、臨時列車を中心に、14系客車を使用した夜行列車が1990年代後半まで残っており、これに当たるとなかなか寝られなかったなあ…。「銀河81号」とか(・・;)
昼夜関係無しに西へ東へ走りぬけ、「モーレツ社員」と評された寝台特急列車581系クハネ581-8。
車両自体はその後近郊形715系への改造を受けており、車内は715系当時のままなので、車内にはロングシートの姿も見える。
寝台はこうしてセットされていました、という一例。
近郊形改造を受ける際、中段と上段寝台は封鎖される工事が施工されているので、おそらく中段と上段の姿は見ることはできないだろう。というより出来たらセットしているはずだものね。
九州といえば、筑豊地方の炭鉱開発なくして発展なし。
石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれていた頃、日本のエネルギー源の屋台骨を一身に背負っていた炭鉱から石炭を全国各地に運んでいたセラ1形石炭車セラ1239。
記念館の展示スペースに沿うように、旧式の駅名票が立てられている。
関門トンネル開通前は、門司港は「門司」を名乗り、現在の門司駅は「大里」と称していた。
小一時間ほどの見学の後、門司港レトロ観光線「トロッコ潮風号」が始発の時間を迎えたようなので、そちらのホームへ移動してみようか。
(※以下続く)
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