ものぐさな貴方のために、このエントリの過去ログはこちら。
「レトロ桃源郷号」突撃記 しょの1
「レトロ桃源郷号」突撃記 しょの2
さて、午後2時半頃に甲府に着くと、なにやら改札外が人でごった返していそうな気配…。
先にも触れたとおり、甲府駅前に降り立ったのは2001年9月4日以来、まる7年半ぶり。あの頃はいろいろと…げふんげふん。
さすがに7年も甲府から離れると、改札前の状況や駅ビルとの関係など、記憶が薄れてきて困っちゃう。なにせ、甲府駅前はそれ以前には3~4年に1度の割合で降りたりしているから記憶が残っているはずなのに、なかなか記憶の奥底から眠りが覚めてこない。
ひとまず40分ほど時間があるので、駅前周辺をブラブラ散歩してみる。
甲府駅の改札口前に人通りが多かったのは、甲府市郊外でもマラソン大会が開かれていた関係もあるだろうけれど、この週末、4月10日金曜日から今日12日日曜日にかけて、市内中心部で「第39回信玄公祭り」が行われていて、市内の至る所で、武者行列や騎馬行列などのイベントが行われているのだとか。
…という一連のイベントは、全て、甲府駅前の山梨交通バス待合所に山積みにされてあった、地元山梨日日新聞のお祭り号外で知ったのでした。
今日はどうやら武田24将の騎馬行列が、目下進行中のイベントらしい。
ふ~ん。
武田騎馬行列ねえ…。
当然その中には久と勝はいるn(以下略
駅前通りをそぞろ歩くと、以前はデパートだったかという建物を生かした、「やまなし県民情報プラザ」があり、今日のお祭りを大々的にアピールしていたので、ちょいと入ってみる。こうしたイベントスペースを見つけられるのも町歩きの楽しみの一つ。
ここはどうやら、「県民情報プラザ」というより、県民のための休憩施設といった方がいいかもしれない。
…ここに出ている出店の人達のね。
信玄公祭りをアピールするブースは片隅に追いやられ、駅前の平和通りに面した入り口を各種物産スペースが取っているのはいいけれど、そこのお店の人達が、商売あがったりとみたか、片膝をついて爪を切っているのにはマジで幻滅。せっかくウインズ石和で勝ったお金で、このお祭りのオリジナルTシャツでも仕入れようかと思ったのにその気も失せちゃったよ…。
県民情報プラザを出ると、なにやら左側の通りが少々騒がしい。
何かと思ったら、見るも勇壮な騎馬行列が通るところだった。
以下ノーキャプションでお楽しみ下さい。
さて、駅に戻ると、すでに「レトロ桃源郷3号」は、甲府駅3番線に据え付けられていた。
客車は4両編成で、機関車付け替えの手間を省くため、最初から前と後ろにそれぞれ電気機関車を連結している。
指定された車両は、4両の中でも一番古い、昭和12年製という、スハフ32 2357号車。
上の写真を見て頂ければお分かりの通り、普通、一つのボックスに窓が一つついているのだが、この車両は窓間隔が狭く、一つのボックスに窓が二つついている。
窓枠も、いかにも「木製」という匂いが漂う。
旧型客車がよほど物珍しいとあって、東京方面に帰る客が「かいじ号」「あずさ号」の自由席に行列をなしていることもあって、甲府駅はなかなかの騒乱の様相。
「この列車なに!?」と、目を輝かせて指さすのは、子供達よりも、むしろ子供達の手を引いているお母さん達だったりして。子供達の手を引く母親といえば、おいらと同世代の可能性が非常に高く、おいらと同世代ということは、子供の頃から山梨に住んでいらっしゃる方からすれば、このような旧型客車はまた記憶にないはずで、通勤通学の友は専ら「山スカ」115系電車だろう。
中央東線に旧型客車が走っていた世代は、少なくとも子供達の手を引いていたお母さん達の親御さん達が、手に子をつないで乗っていた…ということになるだろうか。
甲府駅の騒乱の中、慌ただしく列車は出発。
ガチャリと背中に響く、機関車の引き出しの振動と共に、まずはキオスクで仕入れてきたヱビスをまずは一杯。くは~。いや、この場合はすは~。
発車と同時に、早くも車内では硬券の乗車証明書が配られる。
ちなみに、先の「DLみなかみ号」の時とは違い、今日は運転時間に余裕があるわけではないので、車内で手に入った関連グッズはこれ一つのみ。
まあ、これから1時間半近く、旧型客車の乗り心地と雰囲気を楽しみましょうや。
このスハ32 2357号車は、床はおろか、クロスシートも木で出来ている。
さすがに背ズリまではちゃんとモケットが入っているが、旧型客車の形式によっては、背ズリが木の板そのまんま…というのもあった。
車内もご覧の通り。
洗面所もレトロのまんま。押した分だけお湯や水が出る方式だが、残念ながら使用中止されている。
戦前生まれのオンボロだけあって、日除けはカーテンなどというのはヤボってもんです。
ちゃんとした鎧戸です。
近年まで「日除け=鎧戸」にこだわっていたのは阪急で、新型の系列だとカーテンになってはいるけれど、側窓の日除けはステンレス製になっても鎧戸を貫き通すのが阪急流で、その鎧戸が、また阪急らしい格調高いインテリアを演出していたものだ。
先のエントリでも触れたとおり、この列車はやたらと途中駅での停車時間があり、石和温泉でも山梨市でも、それぞれ20分以上の停車時間がある。
その停車時間を利用して、他の車両の写真でも。
後ろ3両はいずれも戦後生まれの急行形で、1号車の戦前生まれのような古さは感じない。それでも十分古いんだけどね。
車内も、1号車に比べたら近代化されている。
クロスシートの通路側にある木製のヘッドレストが、急行形である証。
山梨市では、後続の「スーパーあずさ22号」に道を譲る。
こうしたイベント列車でないと、まず見られない顔合わせの一枚をどうぞ。
それでも、デッキにある白熱灯が、何とも言えない暖かみを演出している。
昔は電車でも、車内照明は全て白熱灯だったんだよねえ…。
夜になるとまた薄暗くて…。
あいにくとおいらは、車内照明が白熱灯という車両には、北海道で走っていたキハ22や、八高線を走っていた、廃車寸前のキハ20くらいでしかお目にかかったことがない。しかも全部昼間だから、一度でいいから夜の列車に乗ってみたかったなあ…。
列車はのらりくらりと走りながら、16時39分に塩山着。
機関車付け替えの手間を省いた…というか、そのスペースが塩山にはまるでないため、そのまま後ろにぶら下がっていた機関車が本務機関車になり、16時59分に甲府へ向けて折り返す。
旧型客車に、車掌さんと機関士さんの無線のやりとりはなんだかよく似合わない。
列車を見送る初老の警備スタッフ。
おそらくはJRのOBなのだろう。
見送る姿もりりしい。
行ってしまうとあっという間だけれど、それまでのためにここまで来た価値はあったのかなと。旧型客車とは、なかなかふれあう機会がないだけに、こうした機会に触れておかないと…。
さて、塩山からは帰りのコース。
おあつらえ向きに、レトロ桃源郷4号が発車した5分後に、千葉行きのホリデー快速「ビューやまなし号」がある。今朝方人身事故で1時間ほど遅れたのだが、無事小淵沢まで運転したようだ。
今日は石和温泉のある笛吹市や甲府市でマラソン大会が行われた関係か、はたまた笛吹市周辺の「桃の花祭り」や、先の「信玄公祭り」が行われた影響か、上り列車は総じて混んでいて、上り特急列車の指定席は軒並み満席。この「ビューやまなし号」も、甲府駅で見たらすでに指定席は満席で、グリーン車にのみ空きがある状態だったので、これも競馬で勝った心の余裕、グリーン車を船橋まで押さえる。船橋までくつろげて1620円なら、大した投資ではないだろう。
この列車に使用される「オール2階建て電車」215系も、久々に乗るなあ…。
東海道筋から追われ、湘南新宿ラインからも追われてからは乗ることもなく、もしかすると、こいつに乗ったのは、バリバリで快速「アクティー」に使われていた10年以上前以来かもしれない。。。
どうやら特急の指定席にあぶれた客がこの列車のグリーンに回ったらしく、ほぼ満席だったのだけれど、グリーンなので乗ってしまえば快適快適。
しかも船橋まで連れてってくれるのだから…。
今日の思い出に浸りつつ、更にもう一杯。むは~。
「レトロ桃源郷号」突撃記 しょの1
「レトロ桃源郷号」突撃記 しょの2
さて、午後2時半頃に甲府に着くと、なにやら改札外が人でごった返していそうな気配…。
先にも触れたとおり、甲府駅前に降り立ったのは2001年9月4日以来、まる7年半ぶり。あの頃はいろいろと…げふんげふん。
さすがに7年も甲府から離れると、改札前の状況や駅ビルとの関係など、記憶が薄れてきて困っちゃう。なにせ、甲府駅前はそれ以前には3~4年に1度の割合で降りたりしているから記憶が残っているはずなのに、なかなか記憶の奥底から眠りが覚めてこない。
ひとまず40分ほど時間があるので、駅前周辺をブラブラ散歩してみる。
甲府駅の改札口前に人通りが多かったのは、甲府市郊外でもマラソン大会が開かれていた関係もあるだろうけれど、この週末、4月10日金曜日から今日12日日曜日にかけて、市内中心部で「第39回信玄公祭り」が行われていて、市内の至る所で、武者行列や騎馬行列などのイベントが行われているのだとか。
…という一連のイベントは、全て、甲府駅前の山梨交通バス待合所に山積みにされてあった、地元山梨日日新聞のお祭り号外で知ったのでした。
今日はどうやら武田24将の騎馬行列が、目下進行中のイベントらしい。
ふ~ん。
武田騎馬行列ねえ…。
駅前通りをそぞろ歩くと、以前はデパートだったかという建物を生かした、「やまなし県民情報プラザ」があり、今日のお祭りを大々的にアピールしていたので、ちょいと入ってみる。こうしたイベントスペースを見つけられるのも町歩きの楽しみの一つ。
ここはどうやら、「県民情報プラザ」というより、県民のための休憩施設といった方がいいかもしれない。
…ここに出ている出店の人達のね。
信玄公祭りをアピールするブースは片隅に追いやられ、駅前の平和通りに面した入り口を各種物産スペースが取っているのはいいけれど、そこのお店の人達が、商売あがったりとみたか、片膝をついて爪を切っているのにはマジで幻滅。せっかくウインズ石和で勝ったお金で、このお祭りのオリジナルTシャツでも仕入れようかと思ったのにその気も失せちゃったよ…。
県民情報プラザを出ると、なにやら左側の通りが少々騒がしい。
何かと思ったら、見るも勇壮な騎馬行列が通るところだった。
以下ノーキャプションでお楽しみ下さい。
さて、駅に戻ると、すでに「レトロ桃源郷3号」は、甲府駅3番線に据え付けられていた。
客車は4両編成で、機関車付け替えの手間を省くため、最初から前と後ろにそれぞれ電気機関車を連結している。
指定された車両は、4両の中でも一番古い、昭和12年製という、スハフ32 2357号車。
上の写真を見て頂ければお分かりの通り、普通、一つのボックスに窓が一つついているのだが、この車両は窓間隔が狭く、一つのボックスに窓が二つついている。
窓枠も、いかにも「木製」という匂いが漂う。
旧型客車がよほど物珍しいとあって、東京方面に帰る客が「かいじ号」「あずさ号」の自由席に行列をなしていることもあって、甲府駅はなかなかの騒乱の様相。
「この列車なに!?」と、目を輝かせて指さすのは、子供達よりも、むしろ子供達の手を引いているお母さん達だったりして。子供達の手を引く母親といえば、おいらと同世代の可能性が非常に高く、おいらと同世代ということは、子供の頃から山梨に住んでいらっしゃる方からすれば、このような旧型客車はまた記憶にないはずで、通勤通学の友は専ら「山スカ」115系電車だろう。
中央東線に旧型客車が走っていた世代は、少なくとも子供達の手を引いていたお母さん達の親御さん達が、手に子をつないで乗っていた…ということになるだろうか。
甲府駅の騒乱の中、慌ただしく列車は出発。
ガチャリと背中に響く、機関車の引き出しの振動と共に、まずはキオスクで仕入れてきたヱビスをまずは一杯。くは~。いや、この場合はすは~。
発車と同時に、早くも車内では硬券の乗車証明書が配られる。
ちなみに、先の「DLみなかみ号」の時とは違い、今日は運転時間に余裕があるわけではないので、車内で手に入った関連グッズはこれ一つのみ。
まあ、これから1時間半近く、旧型客車の乗り心地と雰囲気を楽しみましょうや。
このスハ32 2357号車は、床はおろか、クロスシートも木で出来ている。
さすがに背ズリまではちゃんとモケットが入っているが、旧型客車の形式によっては、背ズリが木の板そのまんま…というのもあった。
車内もご覧の通り。
洗面所もレトロのまんま。押した分だけお湯や水が出る方式だが、残念ながら使用中止されている。
戦前生まれのオンボロだけあって、日除けはカーテンなどというのはヤボってもんです。
ちゃんとした鎧戸です。
近年まで「日除け=鎧戸」にこだわっていたのは阪急で、新型の系列だとカーテンになってはいるけれど、側窓の日除けはステンレス製になっても鎧戸を貫き通すのが阪急流で、その鎧戸が、また阪急らしい格調高いインテリアを演出していたものだ。
先のエントリでも触れたとおり、この列車はやたらと途中駅での停車時間があり、石和温泉でも山梨市でも、それぞれ20分以上の停車時間がある。
その停車時間を利用して、他の車両の写真でも。
後ろ3両はいずれも戦後生まれの急行形で、1号車の戦前生まれのような古さは感じない。それでも十分古いんだけどね。
車内も、1号車に比べたら近代化されている。
クロスシートの通路側にある木製のヘッドレストが、急行形である証。
山梨市では、後続の「スーパーあずさ22号」に道を譲る。
こうしたイベント列車でないと、まず見られない顔合わせの一枚をどうぞ。
それでも、デッキにある白熱灯が、何とも言えない暖かみを演出している。
昔は電車でも、車内照明は全て白熱灯だったんだよねえ…。
夜になるとまた薄暗くて…。
あいにくとおいらは、車内照明が白熱灯という車両には、北海道で走っていたキハ22や、八高線を走っていた、廃車寸前のキハ20くらいでしかお目にかかったことがない。しかも全部昼間だから、一度でいいから夜の列車に乗ってみたかったなあ…。
列車はのらりくらりと走りながら、16時39分に塩山着。
機関車付け替えの手間を省いた…というか、そのスペースが塩山にはまるでないため、そのまま後ろにぶら下がっていた機関車が本務機関車になり、16時59分に甲府へ向けて折り返す。
旧型客車に、車掌さんと機関士さんの無線のやりとりはなんだかよく似合わない。
列車を見送る初老の警備スタッフ。
おそらくはJRのOBなのだろう。
見送る姿もりりしい。
行ってしまうとあっという間だけれど、それまでのためにここまで来た価値はあったのかなと。旧型客車とは、なかなかふれあう機会がないだけに、こうした機会に触れておかないと…。
さて、塩山からは帰りのコース。
おあつらえ向きに、レトロ桃源郷4号が発車した5分後に、千葉行きのホリデー快速「ビューやまなし号」がある。今朝方人身事故で1時間ほど遅れたのだが、無事小淵沢まで運転したようだ。
今日は石和温泉のある笛吹市や甲府市でマラソン大会が行われた関係か、はたまた笛吹市周辺の「桃の花祭り」や、先の「信玄公祭り」が行われた影響か、上り列車は総じて混んでいて、上り特急列車の指定席は軒並み満席。この「ビューやまなし号」も、甲府駅で見たらすでに指定席は満席で、グリーン車にのみ空きがある状態だったので、これも競馬で勝った心の余裕、グリーン車を船橋まで押さえる。船橋までくつろげて1620円なら、大した投資ではないだろう。
この列車に使用される「オール2階建て電車」215系も、久々に乗るなあ…。
東海道筋から追われ、湘南新宿ラインからも追われてからは乗ることもなく、もしかすると、こいつに乗ったのは、バリバリで快速「アクティー」に使われていた10年以上前以来かもしれない。。。
どうやら特急の指定席にあぶれた客がこの列車のグリーンに回ったらしく、ほぼ満席だったのだけれど、グリーンなので乗ってしまえば快適快適。
しかも船橋まで連れてってくれるのだから…。
今日の思い出に浸りつつ、更にもう一杯。むは~。
結構!本数多く‥アクティのダイヤに導入されてた様な記憶があるのですが、今は「ホリデー快速」と“湘南ライナー”と“ホームライナー”で使用されてる以外は、見かけなくなりましたね(-"-;)。
結構!多くの編成が存在してたと思うんですが、その車両達はどこに行ったんでしょうか?。
それにしても!客車とはいえ‥戦前の車両が今も尚!活躍してるとは…素晴らしい限りです。
白熱灯…懐かしいですな。
小野田線の旧型電車も白熱灯だったような…。
それと、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車も白熱灯だったような記憶がありますね。この嵯峨野観光鉄道は、旧・山陰線なんで‥トンネル区間で白熱灯の独特の明るさを味わえた記憶があります。
あれ~あれは…、白熱灯では無く⇒電灯式ランプ?みたいなヤツだったかな( ̄○ ̄;)ゞ。
何かの記憶とごっちゃになってマス(^_^;)ゞ汗。
鶴見線のクモハ12は白熱灯でした。
一度だけ土曜日の夜に、わざわざ川崎駅から臨港バスで大川まで乗り付けて、武蔵白石までの往復しか走らなかったクモハ12に乗りに行ったんです。
車内は蛍光灯ほど明るくはないんですが、あの色がなんともいえない雰囲気を出しているんですよね…。