筑波の思い出
私は、55才の第一定年の時に、土浦の専門学校に派遣になった。
茨城県土浦市のはずれに、筑波研究学園専門学校というソニー系列の学校がある。
私は、そこに1年半、講師の講師として派遣になった。
(もちろん、授業も担当する訳だが)
すなわち、主に先生にパソコン技術を教える訳である。
ソニーから4名が派遣されていた。校長の若山さん、理事の川手さん、講師で同僚の藤本さん(TV専門)と私である。
月~木は、ホテル住まい、金土日は、常磐線の特急利用で神奈川県の綾瀬市に帰る。
それでも片道、3時間半である。
楽しみは、夜にあった。
毎晩、学校が16時に終わると、藤本さんと二人で土浦の飲み屋を歩いた。
市内にあるほとんどの飲み屋、約20軒を網羅した。
私は、そんなに呑み助ではない。
まあ、ビールをコップ一二杯で直ぐに真っ赤になる。
それでも、ノミニケーションが好きで行く。
何故、こんなことが出来たか?
もう時効だから打ち明けると、なんと、短距離出張扱いで、旅費、宿泊費、日当まで給料と別に付いたのである。
今でいう、おいしい話だった。
ここで、知り合った人がいる。
飛び切りの美人で、頭のいい人だ!
その人の名は、速水智子(さとこ)さん!
専門学校の先生で、且つ私の生徒だった! (次に、続く)
私は、55才の第一定年の時に、土浦の専門学校に派遣になった。
茨城県土浦市のはずれに、筑波研究学園専門学校というソニー系列の学校がある。
私は、そこに1年半、講師の講師として派遣になった。
(もちろん、授業も担当する訳だが)
すなわち、主に先生にパソコン技術を教える訳である。
ソニーから4名が派遣されていた。校長の若山さん、理事の川手さん、講師で同僚の藤本さん(TV専門)と私である。
月~木は、ホテル住まい、金土日は、常磐線の特急利用で神奈川県の綾瀬市に帰る。
それでも片道、3時間半である。
楽しみは、夜にあった。
毎晩、学校が16時に終わると、藤本さんと二人で土浦の飲み屋を歩いた。
市内にあるほとんどの飲み屋、約20軒を網羅した。
私は、そんなに呑み助ではない。
まあ、ビールをコップ一二杯で直ぐに真っ赤になる。
それでも、ノミニケーションが好きで行く。
何故、こんなことが出来たか?
もう時効だから打ち明けると、なんと、短距離出張扱いで、旅費、宿泊費、日当まで給料と別に付いたのである。
今でいう、おいしい話だった。
ここで、知り合った人がいる。
飛び切りの美人で、頭のいい人だ!
その人の名は、速水智子(さとこ)さん!
専門学校の先生で、且つ私の生徒だった! (次に、続く)