高校時代の思い出を書きます。
高校は、奈良県橿原市の畝傍(うねび)高校で全校生1,300人を超すマンモス校だった。
3年生になって、私はほとんど学校に行かず、家で独習をした。
1組から9組まであり、(各45人)全欠者は全校で私だけだった様です。
高校には大学受験に関係のない必修科目が多数あり、これをやっていると現役で一流大学に入れない。
翌年現役で、京大3名、阪大2名(その中で私が1名、理学部物理学科)が通った。
或る日、担任の体育の先生が家に来て、
「頼むから学校に来て、まだ授業の残っている2年生の運動場での体育を見るだけでいい!」
「さもないと私が校長から叱られる」と。
「体育は出席点なので、卒業させられない!」と言われた。
「ああ、これが勝てば官軍!」と言う事だと思った。
期末試験だけ行き、学校の非受験科目の試験は何も勉強しないで受けた。
鉛筆を転がしアテモノで、それでも皆60点以上を取り、合格した。
「なんとかなるものですね!」
高校は、奈良県橿原市の畝傍(うねび)高校で全校生1,300人を超すマンモス校だった。
3年生になって、私はほとんど学校に行かず、家で独習をした。
1組から9組まであり、(各45人)全欠者は全校で私だけだった様です。
高校には大学受験に関係のない必修科目が多数あり、これをやっていると現役で一流大学に入れない。
翌年現役で、京大3名、阪大2名(その中で私が1名、理学部物理学科)が通った。
或る日、担任の体育の先生が家に来て、
「頼むから学校に来て、まだ授業の残っている2年生の運動場での体育を見るだけでいい!」
「さもないと私が校長から叱られる」と。
「体育は出席点なので、卒業させられない!」と言われた。
「ああ、これが勝てば官軍!」と言う事だと思った。
期末試験だけ行き、学校の非受験科目の試験は何も勉強しないで受けた。
鉛筆を転がしアテモノで、それでも皆60点以上を取り、合格した。
「なんとかなるものですね!」