「侵略の定義はない」は事実でない。2010年に日本も参加して「侵略」に関する国際合意が成立している。
伊藤 和子 | 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
2013年5月20日 0時5分
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橋下発言が圧倒的なので、比較的目立たないが、忘れてはならない問題な発言がある。
安倍首相は4月23日の参院予算委員会で「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁したそうだ。
これには驚いた。国連等において、侵略の定義は明らかに決まっていて、日本もその決定過程に参加し、賛成してきたからだ。
まず、1974年の国連総会では、日本も参加・賛成して侵略の定義に関する国連総会決議が採択され、侵略が明確に規定されている。
決議3314という有名な決議だ。和訳については外務省定訳がないようであるが、ウィキペディアは以下のように訳している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0これは国際常識である。
ところが、5月8日の参院予算委員会でこの国連総会決議について問われた首相は「それは安保理が侵略行為を決めるために参考とするためのもの」としながら「侵略の定義は、いわゆる学問的なフィールド(分野)で多様な議論があり、決まったものはない」と答弁したようだ。
国連総会の文書を「参考」として過小評価するのはいかがなものか。
内外の批判を浴びて5月15日には、「第2次世界大戦における「侵略」の定義に関し「私は日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と軌道修正したようだが、侵略の定義がないというスタンスは変えていないし、「侵略した」とも言っていない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130515-00000572-san-pol
しかし、忘れてはならないのは、侵略の定義は1974年の国連総会決議で確認されただけでなく、2010年には、「侵略の罪」に関連して、さらに明確に定義されたということだ。
2010年に議論されたのは、国際刑事裁判所「規程」に関する再検討会議である。国際刑事裁判所は、世界で最も深刻な犯罪を処罰する国際法廷で、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪、侵略犯罪を裁く。日本も国際刑事裁判所条約に加入しており、参加国である。
このうち、侵略犯罪以外については既に裁判が開始されているが(アフリカの案件が多い)、侵略犯罪については、定義等をさらに明確にしたうえで裁判権の行使を開始することとされ、2010年にそのための会議が開催され、そこで、侵略罪、侵略に関する定義は明確になった。
規程の全文はこちら(英文) http://www.icc-cpi.int/NR/rdonlyres/ADD16852-AEE9-4757-ABE7-9CDC7CF02886/283503/RomeStatutEng1.pdf
このうち、Article8Bis3に、侵略犯罪、そして侵略の定義が明確にされている。
その訳文はこちらだ。
http://unic.or.jp/security_co/res/other13.htm
そこで侵略とはこうなっている。
1. この規程の適用上、「侵略犯罪」とは、国の政治的または軍事的行動を、実質的に管理を行うかまたは指示する地位にある者による、その性質、重大性および規模により、国際連合憲章の明白な違反を構成する侵略の行為の計画、準備、着手または実行をいう。 2. 第1項の適用上、「侵略の行為」とは、他国の主権、領土保全または政治的独立に対する一国による武力の行使、または国際連合憲章と両立しない他のいかなる方法によるものをいう。以下のいかなる行為も、宣戦布告に関わりなく、1974年12月14日の国際連合総会決議3314(XXIX)に一致して、侵略の行為とみなすものとする。 a. 一国の軍隊による他国領域への侵入または攻撃、若しくは一時的なものであってもかかる侵入または攻撃の結果として生じる軍事占領、または武力の行使による他国領域の全部若しくは一部の併合 b. 一国の軍隊による他国領域への砲爆撃または国による他国領域への武器の使用 c. 一国の軍隊による他国の港または沿岸の封鎖 d. 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍または空軍若しくは海兵隊または航空隊への攻撃 e. 受け入れ国との合意で他国の領域内にある一国の軍隊の、当該合意に規定されている条件に反した使用、または当該合意の終了後のかかる領域における当該軍隊の駐留の延長 f. 他国の裁量の下におかれた領域を、その他国が第三国への侵略行為の準備のために使用することを許す国の行為 g. 他国に対する上記載行為に相当する重大な武力行為を実行する武装した集団、団体、不正規兵または傭兵の国による若しくは国のための派遣、またはその点に関する国の実質的関与
定義は明確に決められている。しかも日本が参加して。
この会議では、侵略か否かを決するにあたって、安保理の認定は不要であることも確認された。
この会議のことは個人的にもよく覚えているのだが、それは、NGOヒューマンライツ・ナウとして、この侵略犯罪に関する定義の確定等に関し、意見を国際的に公表し、日本政府にも働きかけをしていたからだ。当時の日本政府(民主党政権)の対応は全く不十分だったと思うが、それでも「侵略の定義はない」などという話をするような呆れた状況ではなかった。
日本政府はこの会議での合意について、報告を掲載している。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/icc/rome_kitei1006.html
いかに日本が役割を果たし、貢献したか、詳細に報告しているのだ。その自画自賛ぶりについては、なかなか賛同できず苦笑してしまう、というところがあるものの、今思えば、こんな会議があったことすら忘れているらしい、今の政権の議論状況よりは明らかにましだった。
政権が違うと言えど、日本政府としてこれだけコミットした国際合意について、全く無視して「侵略の定義はない」とするのはどういうことか。首相がこのことを本当に知らないのか、国民が知らないのをいいことに意図的に無視しているのか、不明である。
しかし、この問題の重要性を考えるなら、忘れた、勉強不足、で済まされるような話でないことは明らかであり、また、意図的に無視しているなら悪質な国際法規無視である。このようなことでは誰からも信用されないであろう。
外務省も問題だと思う。というのも、会議報告は先ほどのウェブサイトに公表されているものの、肝心の改正後の規程についてアップデートされていないのだ。外務省の、この規程(国際刑事裁判所に関するローマ規程)に関するウェブページを見ると、制定当時の規程のままになっていて、2010年の改正が反映されていないので呆れてしまった。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty166_1.html
これは締約国として怠慢としか言いようがなく、早急に改正後の規程をupdateすべきである。
首相がこのような発言を繰り返す影響は国内で深刻である。石原慎太郎氏は首相発言に励まされたのか、先の大戦は「侵略ではない」と公然と述べ、それに影響される若い世代もいて、反韓デモ等で繰り返されており、将来的な影響も心配される。
自ら意志決定プロセスに参加した国際合意があるにも関わらず、それを全く無視した発言を首相が繰り返すなら、日本は国際法規を守らない国として、信用を著しく失墜することになろう。このような発言は国際関係を極めて危うくするものであり、過去に侵略を受けた国々の被害者の方々を傷つけるものである。
首相は、きちんと勉強し、日本も参加した国際合意に従って発言すべきである。